次回もどうぞお楽しみに。
加藤先生ありがとうございました。
古代イスラエル人の信仰の書「旧約聖書」。
イスラエルの民は荒野をさまよいながら約束の地カナンを目指しました。
カナンを目前に亡くなったモーセはこう言い残します。
「イスラエルよ聞け。
我々の神ヤハウェは唯一なるヤハウェである。
あなたはあなたの心を尽くし精神を尽くし力を尽くしてあなたの神ヤハウェを愛さなければならない」。
その後イスラエルの民は王国を築き繁栄を謳歌しますがやがて戦乱に巻き込まれ土地を追われます。
なぜ神は我々を救ってはくれないのか。
この時「罪」という概念が生まれました。
第2回は苦難にさらされる民と沈黙する神との関係に迫ります。
(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さて前回はヤーヴェという神のもとでユダヤ民族が誕生した様子をご紹介しました。
それにしても「旧約聖書」の内容がユダヤ民族の現実の歴史と重なっているというところにもちょっとびっくりしたんですが。
そうですね。
どうやらこれは史実としてあった事らしいとかここは少し誇張されてるもしくは後で少し書き足してるんじゃないかみたいないろんな部分はあってそこも面白いし。
さあ今回も指南役の先生は千葉大学教授加藤隆さんでございます。
先生どうぞよろしくお願いいたします。
前回はイスラエルの民が苦労してエジプトからカナンという約束の地に入る目指すというところ。
その過程で神様と契約を結ぶという話です。
十戒なんて話も出ましたね。
エジプトを奴隷だったのに脱出するというこの経験が後のユダヤ民族をつくったという事です。
今回はそのあとのお話でございますね。
モーセはこのヨルダン川の向こう側そこまでは来ましたがここで亡くなってカナンには入れませんでした。
ヨシュアという後継者に後を託したという事になりました。
さあ約束の地を手に入れたイスラエルの民はその後どうなったんでしょうか?「ヤハウェはヨシュアに言った」。
カナンへの定住を果たしたイスラエルの民。
12の部族が王を立てずに自治を行っていました。
「神ヤハウェこそが王だ」と考えたためです。
しかし他国の脅威にさらされるようになると強い指導者が必要となりイスラエルに王政が敷かれます。
2代目の王ダビデはエルサレムを攻め落とし首都と定めました。
更にダビデの息子ソロモンは領土を拡大しエルサレムに神殿を建設します。
こうしてイスラエルの名は高まり「ソロモンの栄華」といわれる王国の最盛期を迎える事になりました。
おっ?何か音楽が聞こえてきましたね。
この音楽「シバの女王」という曲でございます。
栄華を極めたソロモンの所には各地から貢ぎ物を持っていろんな人がやって来たんです。
シバの女王もそんな一人でこちらでございます。
おびただしい宝物を携えてそのソロモン王の所に砂漠を3か月も旅してやって来るんですね。
絶大な権力を世界中にとどろかせて優れた賢者だという噂のソロモンのその名声は本物なのかという事を確かめにやって来るんでございます。
そしてここでシバの女王はソロモン王にたくさんの質問をいたします。
そしてソロモンを試すのですがソロモンは全てに答えられて感服して持ってきた宝石や香料などを全てソロモンに贈って帰っていったというお話なんですね。
じゃあ何かいい王様ですねすごい知恵のある。
賢い王様なんですねソロモンは。
ソロモンは「聖書」の物語では神から「何でも望みのものを授けよう」と言われて知恵民を導くための知恵を求めた王様という事になっています。
その知恵のある王だからこそ軍事的にも勝利を収めて領土を広げ国を繁栄に導くそうした事が可能になったと。
さまざまな事業の中でひときわ目立って重要なのは…前回神と人々の間この関係は神からご利益をもらうご利益宗教だというようなお話もありましたけれどもそうすると苦労して苦労してカナンの地に入ったイスラエルの人たちはまさにソロモンの時代にご褒美をもらったというかご利益をもらってるという事になるんでしょうか?そういうふうに考える事できると思います。
しかし神と人との関係はですね人にとっていい事ばかりを神が下さるとそういうふうにはならないのですね。
ソロモンの時代人々は繁栄と安定を手に入れるのですが神との関係の一つの神一つの民こういう構図が揺らいできます。
具体的には余裕ができてきてヤーヴェという神に…なるほどね。
豊かになるとやはりそういう切実さが薄れてきて…。
そうすると他の神々例えば豊穣の女神がいればその豊穣の女神を崇拝して豊作を願う。
ピンポイントで自分の都合のいい神様を選んじゃあ…。
まあそういう事。
そういう事ですよね。
勝手ですね。
勝手と言えばそうですが余裕が出てくれば他の神々も選んでいいんじゃないかとこういう事になるわけです。
ヤーヴェを捨ててしまうのではないのですね。
ヤーヴェを崇拝するその横で他の神々も崇拝する。
カナンの地に入る時にモーセは偶像を崇拝してはならないとかいろんな事を言って戒めというか掟を作りましたけど。
他の神様も信仰しちゃ本当はいけない。
いけないと言いましたけどソロモンはそれは許すのですか?ソロモンは神から知恵を授かったはずなんですけれども晩年になってくるとソロモンが率先して異教の神々といいますかヤーヴェ以外の神々を許容してしまったというところがあります。
外国との交流が活発になって例えばエジプトなど周りの諸外国の女たちと結婚しました。
「聖書」の記述では…この数字そのまま受け取るかどうかはまた別問題ですけどその女たちがソロモンの心を迷わせたと。
他の神々に誘ってその女性たちが拝む神をソロモンも拝んでしまうこういう事が生じた。
このあとそんなソロモンの栄華が崩れていくんですね。
それを背景に生まれたのがあの「バベルの塔」という神話なんだそうです。
昔世界の人々は同じ言葉を使って同じように話をしていました。
ある時東の方からやって来た男が「天まで届く塔のある町をつくろう」と言いだしました。
高い塔を建てて自分たちの名を残そう。
そして民がちりぢりにならないようにしよう。
そう考えた人々はどんどんれんがを積み上げて高い高い町を建ててゆきました。
「ヤハウェは降りてゆき人の子らが建てた都市と塔を見た。
見よ」。
「今や彼らがなそうと企てる事で彼らに及ばない事は何もないであろう」。
言葉が通じなくなった人々はこの町の建設をやめ各地に散ってゆきました。
やがてこの町は「神が言葉を混乱させた」という意味から「バベル」と呼ばれるようになりました。
こちらの絵がブリューゲルが描いた「バベルの塔」なんですね。
ソロモンの時代に生まれたお話だったんですね。
天まで届く塔というイメージがありますがソロモンの神殿がモデルだと考えるべきですね。
これはどんな背景から生まれたお話なんでしょうか?一つは神殿の建設ですね。
これはもちろん神に対する儀式をきちんと行うものとして建設されるのですが国の威信を高めるという面もあります。
しかし大規模公共工事になっていて誰が建ててるのかというと国民が労働して建てていてその負担が非常に国民に重くのしかかるこういう面があった。
もう一つは領土が拡大するのですね。
そうすると12部族以外の者たちが王国のメンバーになってくる。
そうすると国内が言語の問題だけでなく文化宗教に関しても…こういう事が背景になっていてそうしたソロモンの拡大政策の失敗ですねこれがこの話で批判されてると。
自分たちの国の領土が増えたり勢力が拡大されたり更には裕福になって神様のために神殿造りますからというのは一見よく見えるけど本末転倒だよみんな苦しんでるじゃんという事の比喩としてはすごくしっくりきますね。
さあその後ソロモンの王国はどうなったんでしょうか。
ご覧下さい。
栄華の陰でイスラエルは他民族との戦い重い税や労役に苦しむ事となります。
ソロモンの死後ついに国内で争いが起こりました。
やがて北の部族は独立。
イスラエル王国となりました。
南の部族はユダ王国と名乗り国が北と南で分かれてしまったのです。
特に北王国の人々は異国の神を強く崇拝しヤハウェに背き続けました。
南北が分裂して200年ほど過ぎた頃強国アッシリアに攻められ北王国は征服されて滅亡します。
「なぜ神は我々を守ってくれなかったのか」。
残された南王国の人々の神への忠誠が試される時が来ました。
つい数分前にソロモンの栄華を勉強してソロモンすごいと思ったらすごくねえかなどうなったのかなと思ったら分裂して北の方はもう滅亡。
まさかの滅亡。
残された南の王国としてはこの事態はどのように捉える…。
もちろんこれは神との関連において深刻な問題を提起する出来事という事になりました。
つまり…そうです。
滅ぼされてしまった。
この重大な危機神が民を守らなかった少なくとも北半分については。
これがきっかけになって…ちょっと待って下さい。
これがきっかけで終わるんじゃなくてですか?これがきっかけで「何もしてくれないじゃないか。
神様なんか信じても駄目だ」ってなるんなら分かります。
どういう事ですか?それは。
こちらをご覧頂きましょうか。
ヤーヴェは自分たちの神である派と頼りにならない神を信じられない滅ぼされちゃったし信じられない派と2つの考え方が対立するという事になる。
当然なりますよね。
だって少なくとも北の人たちだってヤーヴェは自分たちの神様だと思ってたのにあのとおりになっちゃったじゃないかっていう事だから残った南の人の中にこの2派がいるのは分かります。
そうですね。
この頼りにならない神なんか信じられないとこういう人たち当然たくさんいたと思います。
こういう人たちはヤーヴェから離れてしまいますしユダヤ人でもなくなるのでまあ消えてしまうというかアッシリア帝国の住民でしかなくなるのですね。
南王国は神殿もあるしヤーヴェを崇拝する伝統があってそれでもヤーヴェは自分たちの神だと固く信じたい人たちが残ったと。
どうやって信じ続けるこの現象をのみ込もうとするんですか?単純に考えると神は駄目な神だとこういうふうになっちゃう。
しかし…頼りにならない神に頼るわけにはいかないわけでそこでどう考えたか。
それは神が駄目なんじゃなくて私たちが…こういうふうに考えた。
民が悪いのでそんな民なんかを守る必要がないという事になりますから神が動かなかったのは当然だとこういうふうに考えたんですね。
その状態を表現する「聖書」の中での最も代表的な用語が「罪」です。
ここで「罪の概念」が出てくる。
ここで突然重要な概念が。
不十分であるとこういう考え方ですね。
そうならばそのようなふさわしくない民に対して神がきちんとした事をしなくてはならない理由はないという事になって例えば敵が襲ってきた時に国を神が守らなくても当然だとこういう理屈になる。
何かすごい事になったぞ。
すごい事になった。
今までは自分たちが困ると神様助けてくれて助けてくれるから敬うみたいな感じですよね。
この出来事でかいですよね。
ものすごい大きい事ですよね。
考え方の大きなシフトですよね。
この結果どうなるかというと民がどんな不幸に陥ろうともどんなひどい目に遭おうともそれは神が駄目だからという事にならないのです。
それは自分たちは罪の状態自分たちが悪いんだから神は何もしてくれない助けてくれない。
要は当然の事ですよね罪の状態なら。
だから神を非難して神を捨て去る頼りにならないじゃないかとかそういう議論はできなくなるという事になります。
ですから何が起ころうとも神を捨てない。
…でこういう事に。
だからすごいなと思うのは要するに困ってない。
ちょっと前のくだりに戻ると裕福になってきたし困ってない時には別に助けてもらう事もないから自分たちの好きな神様を選んで好きに信仰すればいいじゃんというかなりこっち側から優位な形だったわけじゃないですか。
でもこの状態になってくるともう誰も助け…というかどの神様にも助けてもらう資格がない私が誰を神様だと思いますかといったらヤーヴェだけですという。
契約結びましたもんね。
うん。
理由もないんです。
もはや理由がないじゃないですか。
自分が駄目だって認めちゃったら自分が神様だと思うのは雨を降らしてくれる神様は雨を降らしてくれるからだとかそういうんじゃない。
それもやってくれないだもん。
自分は駄目だから。
何かしてくれたら「神様ありがとう」だし何もしてくれない時は自分が駄目だというめちゃめちゃ強固なというか。
何が起こっても神を捨てる理由にはならない。
ここで選んだという事がものすごい後々にも重要になってくる事ですよね。
いわば何もしてくれない夫がいてもうどこか姿を消してしまっているのですね。
しかし一見して何もしないどっか行って家庭を放棄するそういう夫でもそれは妻の方が「自分が悪いからこのようになったんだ」と考えるわけ。
夫はあくまで正しいので。
そのようなものですね。
なるほど。
最初の段階でヤーヴェが自分の神だそいつはどんなに駄目でも世間から見てどんなに駄目に見えても何もしてくれなくても自分の夫だという選択さえ終わっちゃえばその先にもうこの関係を成り立たせるには夫が悪いんじゃない自分がという自分が足りないんだっていう。
もちろんさ割り切れないじゃん。
そんな顔してました?例えれば例えるほど自分の立場になっちゃう…。
俺もかみさんが何もしてくれない例えを使おうと思ってそれ家に帰ったらかみさんに怒られるなとかいろんな事考えてるうちに…。
割り切れないけどそういう関係なんだ。
きっと今の状況でいえば当たり前のように連絡もしてこない旦那なんか旦那じゃないわってなっちゃった人たちはこの本に出てこなくなるというか。
そういう事ですよね。
その民族じゃなくなる。
その選択肢はあったろうけども。
実際はいたでしょうと。
だけどその人たちの物語じゃ今ないからっていう。
僕もともと落語家なんで師匠がいて弟子なんですね。
この絶対度といえば僕らが師匠を否定するって事はやめるって事だからいる以上は師匠は絶対なんです。
だからよく分かって下さる。
「師匠なんだけど駄目」という考え方がないの。
「この人駄目だ」と思ったら廃業すればいい事で廃業したら落語家の歴史にはもう出てこない人だからその人の言い分あるだろうけど知ったこっちゃない。
師匠の中には「このギャグはギューッときてグーッときてボーンだ」とか言う師匠もいるんだけどそれを理解できない俺が悪いという事。
そのとおりです。
こういう事は人間の生活の中で珍しい事じゃないけどこれが一つの民族という単位で本格的に生じたのはやっぱり世界史の中でこの時のユダヤ民族の時だけだと。
だからすごく特殊なんですよね。
これがのみ込めてしまえばそれは結束は固いですよね。
そうですね揺るがないですもの。
信仰は揺るがないですよここの選択が終わっちゃうと。
逆に言うとユダヤの民というのはそういうふうにできてるんだというかそういう流れでずっとできてるんだというのは何かすごくよく分かる。
世界を理解していく上でいろいろとまたつながってきそうな。
恐らく現代史とかにも思い切りつながってくるでしょうね。
さあ割り切れない気持ちは残りながら残された南王国は一体どうなるんでしょうか。
次回はいよいよ「聖書」の誕生に迫ります。
加藤先生ありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/11/23(日) 00:24〜00:48
NHKEテレ1大阪
100分de名著・選 旧約聖書 第2回「人間は罪の状態にある」[解][字]
旧約聖書の記述から古代の歴史や人々の営みを読み解くという視点で語る。そして一神教の概念がどのようにして生まれたかを探る。第2回ではソロモンの時代を中心に読む。
詳細情報
番組内容
国家を樹立したユダヤ人たちはソロモン王のもとで発展するが、国の安定と共に変化が起きた。人々はさらなる生活の向上を神に求めるようになり、ヤーヴェ以外の神も信じるようになった。ところがソロモンの死後、内紛により国が南北に分裂、さらには戦争に負けた北王国が滅びてしまう。こうした中、民族を守るはずのヤーヴェがなぜ自分たちを守らなかったのかという疑問が生じた。その時、人々の間に罪という新たな概念が生まれる。
出演者
【ゲスト】千葉大学教授…加藤隆,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】松重豊,【語り】湯浅真由美
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ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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