Eテレセレクション・アーカイブス 知るを楽しむ 人生の歩き方〜赤瀬川原平〜 2014.12.14


(テーマ音楽)画家作家としてご活躍の赤瀬川原平さんの「人生の歩き方」。
1回目の今日はご自宅でお話を伺います。
ほんとにユニークな木造の家屋で。
まあこの屋根の上に整然とニラが並んでるそうですね。
どうしてニラなんですか?秋になると白い花が咲くんですね。
それが風に揺れて結構きれいなんですよ。
作品だけではなくてたたずまいも非常に独創的ですよね。
たまたまこうなったんですけどね。
まあどうぞ。
はいお邪魔します。
屋根にニラがずらりと植えられた赤瀬川さんの自宅。
何やら楽しげなこの家で赤瀬川さんは執筆やイラスト制作などの日々を過ごしています。
作品に共通するのは日常をちょっと斜めから見るユーモアと遊び心です。
書斎はどちらの方に。
書斎はめっちゃくちゃ散らばってますけどね…。
狭いんですよ。
原稿用紙。
パソコンじゃないんですか。
そうですね。
シャープペンで消しゴムでという感じですね。
自分用のを作ってもらったんです。
クロネコ印。
これが書庫ですか。
高いな〜。
たくさん入ってますね。
僕はあまり使わない方ですけどねやはりこうなっちゃうんですね。
自分の本は一番奥にまとめてあるんです。
奥行きもあります…あこれですか?そこに出したやつをずっと順番に。
全部で何冊ぐらいあるんですか?120〜130冊ですかね。
これですよ「父が消えた」芥川賞受賞作品。
尾克彦時代ですね。
そしてこれが何と言ってもベストセラーになった「老人力」ですね。
1981年赤瀬川さんは「尾克彦」というペンネームで芥川賞を受賞。
独特の感性で日常を描き文学界のポップアーティストと評されました。
赤瀬川さんは中古カメラをこよなく愛する写真家としても有名です。
撮影するのは何気ない路上。
普段見過ごしていたものたちが赤瀬川さんの目と言葉によって切り取られ輝きます。
路上観察は赤瀬川さんの著書を通して一大ブームとなりました。
家を建てる時に設計を頼んだのが建築家藤森照信さん。
路上観察の仲間です。
2人が冗談を飛ばしながら完成させたこの家。
そこには不思議な空間があります。
こういう具合に橋になるんですね。
斜めのにじり口になってまして。
こんな所に部屋があるんだ…。
入りにくいですけどどうぞ。
へえ〜。
これは立派な隠れ部屋があるんですね。
こういうものが。
この屋根裏部屋なんと茶室だそうです。
窓を開けると…。
おお〜っ!これは日本的な風景で竹林が…。
変幻自在な赤瀬川さんのユーモアと遊び心。
しかしそれは少年時代に味わった貧乏を乗り越えようと身につけたものなのです。
赤瀬川さんは1937年倉庫会社に勤めるサラリーマンの家庭に生まれました。
6人兄弟の5番目。
戦前までは貧乏とは無縁だった赤瀬川家ですが…。
終戦と共に父は失業。
赤瀬川家はどん底まで追い詰められます。
小学生の頃は麦飯すら食べられないほどのひもじさを体験しました。
本能的に笑ってやっていくという笑ってやっていかなければこの世の中生きていけないという状況でもあったわけですか?貧乏体験って嫌ですからそこから逃れようとするというので面白い事とか笑うような事にむしろ積極的に行ってたんじゃないかなと振り返れば思います。
どのぐらいの貧しさだったんですか?昔は…何て言ったかな。
借りてたでしょよく。
米屋さんに行ってツケにする。
お醤油にしてもツケにして。
母親の時代そうでした。
通い帳というのがあって。
それは普通だったんですけどその習慣が長引いちゃって毎月返すんですけど返せない。
借金がたまるわけですよね。
八百屋にも借金がたまっちゃったりするんですね。
借金がたまっちゃって玄関に来てるわけですよ。
八百屋さんか何か分からないんですけどね。
そうするとおふくろが出ていろいろやり取りしてる暗い感じが玄関に漂ってるんです。
嫌だなというのは毎月ありました。
それはほんとに嫌でしたね。
また来たなと。
おふくろがまた…。
月末に来るんです。
「6日にお願いします」とか言ってるんですよね。
いつも6日って言ってるけど6日に何かあるわけじゃないとこっちも分かってるわけですよね。
6日というのは方便なんですね。
方便なんですよ。
大人のね。
子供を6人も抱える貧乏な家庭でどうやって赤瀬川さんはユーモアを育んでいったのでしょうか。
5歳年上の兄隼さんです。
隼さんも作家になり1995年直木賞を受賞しています。
当時高校生だった隼さんは赤瀬川家の状況をちょっと大人の目で見ていました。
大黒柱が何も仕事がないもんだからその時はやっぱり大変だったですね。
だからおふくろが中心になって一生懸命どんな仕事でも口さえあれば僕も一緒に。
うちで内職する時はうちじゅう全部でやってたし。
でもそのころは家族みんなが割合ひょうひょうとしてました。
1人だけ落ち込んでたりせずに。
今思えば原平の発言が非常に面白かったらしくて。
やっぱりチビの時から…松原を通ってるとふとポッと「松の木がたくさん裸で競争してるね」ってそういう表現とかね。
それから縁側で雨が落ちるのを見てて「雨が競争してる」競争してるっていうか絶え間なく落ちてくるそれを一生懸命見つめてたんでしょうね。
赤瀬川さんは人が気付かない事に面白さを発見する少年に成長していきます。
一家総出の内職。
赤瀬川さん1人喜々として働きました。
単純作業を繰り返すうちに無心になって手を動かす事の気持ちよさを子供ながらに感じたからです。
そんな赤瀬川さんの個性に更に磨きをかける友達がいました。
同級生の雪野くんです。
西部劇とか月に1本ぐらい見ますよね。
それを見て…。
その1本見たのをずっとひとつき半ぐらいいろいろまねするわけですよ。
学校の行き道とか果たし合いの。
ああ西部劇。
悪役になったりお互いに立場を替えて。
理想どおりいかないからそこの地形を利用して編曲しなきゃいけないんですね。
創作しながら。
そうやって西部劇のスタイルを一生懸命まねしてましたね。
昔の子って今考えると悔し紛れに言うわけじゃないけど相当工夫してましたね遊ぶので。
とにかく遊ばなきゃ子供はね退屈ですから。
観察眼みたいなのは今よりもはるかにあったんじゃないですか。
西部劇の連中ってよくこうやってるよねとか。
悪役は悪役らしい様子とかありますよね。
その様子をいかにも悪役というのをやるわけですね。
雪野くんと気が合ってそれをやる間に「いかにも何々らしい」という事にはまっちゃってですね。
ディテールですね人間の大人の社会のディテールをまねするのに何か楽しくてしょうがなかった。
まねするって面白いですよね。
覚えてるのはそれは横から見る楽しみだと思うんですけど悩んでる人が…。
大人って1人で歩く時はいろいろ考えながら歩いてますよね。
何も考えてない大人も結構いますけどそういうふうに見えるわけですね。
とりわけ考えながら来てる人って2人で地べたにしゃがんでスケッチするふりして大人が来たってジーッと見てるんですよね。
悩みが深いほど歩き方は一定になりますよね。
なりますよねって言われても…。
よそ見しないから。
こう…この中が一生懸命だっていう感じで足は普通に歩いてくるんです。
リズミカルに。
そうすると何かそれがどういうふうに感じるのかな…。
それに僕らは横から「軍艦マーチ」つけたりするんですよね。
タンタタンタンタタタタ…そうすると歩調が合うんです。
そうすると悩んでる…手形の事を考えてるか何か分からないけど困った子供だとか考えてるか何か知らないけど深刻な人が歩いてるのに全然別の感じになるっていうかなり変な遊びをしてましたね。
パロディーにするっていう…。
パロディーですね一種の。
「今のそっくりだったよ」とかね「いかにも」という。
それは楽しかった?なんかねえ…。
それはすごく覚えてますね。
雪野くんと一緒にね…。
いろいろそういうパターンが頭の中に集まってきて「いかにも!」っていう新聞出そうよという話になって。
雑誌という考えはなくて要するにガリ版で刷ってね。
今で言うと何でしょうね…。
今だったらそれこそパソコン使っていろいろやるんでしょうけどね。
こんなに面白いんだから皆にも伝えたいというのがあるんです。
「いかにも!」っていう新聞を出そうっていって。
「いかにも新聞」は実現しませんでした。
しかし面白い事を人に伝えたいという思いは赤瀬川さんの心に強く残ったのです。
実はそのころ赤瀬川さんは雪野くんにも言えない深刻な悩みを抱えていました。
おねしょでした。
赤瀬川さんの作品をいろいろ読ませて頂くと少年時代おねしょをした事が大きく人生を変えたと書いてありますけど本当にそんなにしてたんですか?僕は長かったんですよ。
完全に治ったのは中学3年ですからね。
今は?今は大丈夫ですさすがに。
これから始まるかもしれないけど今は大丈夫です。
大人になってもまあ大丈夫。
一二度酔っ払った時に…。
ありますよね。
私もありますもん。
でも普通はね1年生ぐらいで大体終わるんですよね小学校の。
らしいんですよね。
やるとしても年に何回かというんだけど僕の場合毎晩なんですよ。
毎晩?毎晩。
これはつらかったですね。
中学生まで?中学生まで。
びっしょりぐっしょりですか?ぐっしょりですね。
そのうちおやじが一計を案じてこれは中学生になるくらいかな…小学生の終わりの方かベッドを木で作ってくれてそこに油紙を敷いて。
そこでガードしようとおしっこの方は。
油紙が水をはじくから。
昔ビニールなんてないですからね。
たまったのがひび割れした所からポタポタ落ちるんですね。
そうするとかえってへこんじゃうんです畳が。
その6畳の部屋僕とおやじと誰と寝てたかな…。
おねしょをする自分と常に闘いコンプレックスを持ってる事が自分と向き合う大きなきっかけになったとおっしゃってますけど。
やっぱり自分だけがやってるわけですよね。
何で自分だけがという事になっちゃうわけですよね。
みんなしてないですよね。
友達ももうしない子がほとんどだしうちの兄弟でも。
何で自分だけこうなのかという自意識みたいな…。
振り返ってみるとどこかで皆子供は自意識を持つんだけどすごく冷めた形で早く持っちゃったかもしれないですね。
何で自分だけという理不尽で自分を憎むというか体を憎んじゃうんですね。
何で俺はこんな体に生まれたんだとすごく憎んでという事は実に覚えてますね。
でこういう本が出来たんでしょうか。
最近書かれた本で「自分の謎」。
そうです大人の絵本という事で。
例えば「子供の頃自分はなぜここにいるのかと考えた。
友達にAちゃんやBちゃんやCちゃんがいるけどみんなそれぞれ向こうにいる自分らしい。
自分はなぜこのここにいる自分になっているのか」。
それをそのころにほんと感じましたね。
おねしょする自分は他の少年の自分と交換したいという気持ちが。
そうなんですよ。
ああいうふうでいたいと思うけど自分からは外に出られないわけですよね。
それは何でなのかなと思って…。
「今夜は絶対にしないぞ」。
どんなに強く決意しても必ずしてしまうおねしょ。
昼間の自分とは違うもう一人の自分がしているのか。
いやそもそも自分って何だろう?おねしょによって赤瀬川さんは哲学に目覚めてしまったのです。
赤瀬川さんが更に哲学を深めた場所がなんと便所でした。
昔の便所は吸い込まれそうな真っ黒い穴が待ち受ける恐怖の場所。
用を足していると時間とは何だろう死んだらどうなるんだろうと考えました。
昔のお便所は今でも密室だけど下に穴があいて落ちたらおしまいなんですよね。
子供は足が開かないですよねそんなに。
あれ相当ですよ。
大人だったらこのくらいあるんじゃないかな。
そんなにあいてました?それでふんばって。
危ないですよ。
そこで昔の子は自立するわけです。
理屈じゃなくて。
そこで僕はこの先どうなるのかとか時間の果てはどうなってるかとか考えますよ。
まず時間の事を…死んだらどうなるのかななんて事を考えたんじゃないですかね。
ある意味ほんとにその宇宙の真っ黒い…。
哲学空間ですよ昔のくみ取り便所というのは。
だからすごい大変だけど教育的な空間だったと思いますね。
おねしょの悩みを抱えていた赤瀬川さん。
中学2年生の時最大のピンチを迎えます。
学校の先生が自宅で開いたクリスマスパーティーに参加した時の事です。
会話も弾みみんなで記念写真も撮りました。
しかしその時思いもよらぬ展開が待っていました。
夜も遅いのでみんなで泊まる事になってしまったのです。
一見笑顔の赤瀬川少年その心中やいかに…。
ほんと困りますよね。
確かに夜遅くてそんなに夜遅く帰った事ないし場所も分かんないんですよ。
当然雑魚寝になりますよね。
個人の家ですから布団敷いて上級生と10人ぐらい。
憧れてる女の子もいますしね。
とにかくどうしようと思ってもう必死にね。
もう大人ですからね。
死ぬ思いでしたね。
絶対眠らないと思って。
そうか眠らなければいいんですもんね。
みんなと一緒にこうなってとにかく横になって話がだんだんザワザワになって静かになって…。
それで気がついたら朝なんです。
眠らなかったんですか?眠っちゃったと思ってパッと触ったらぬれてなかったんです。
普通の青少年って感じで布団畳んだりいい天気だなとかいう感じで。
それからですか?それが最初なんですよ。
やらなくなった。
それから…だんだんしない日がぽつぽつ出てきて。
クリスマスパーティーの夜以来おねしょが治っていった赤瀬川さん。
心の重荷が取れて大好きだった絵の道に進む決意をします。
高校卒業後画家を目指して上京。
そのユーモアと観察眼はまず前衛芸術の世界で開花。
やがて小説更には路上観察へと広がっていきました。
赤瀬川さんなりの深刻なコンプレックスとか不幸な時代というのはそれから逃れようといろいろもがいてたわけでしょ。
ものすごいいろんなものが熟成されてた時期なんですね。
それは意識してやるんじゃなくて無意識に体がやってたと思います。
体はそれじゃもたないですからつらい事ばっかりでは。
体がというか心というか感覚で面白い方を何とかつかみたい。
それはだから…何ていうかなあ。
幸せな人は何もしなくていい。
そんな苦労しなくていいんです。
そんなに楽しい事に向かわなくても幸せだからいいわけです。
不幸な人ってやっぱりおのずからそうなるんじゃないですかね。
そういうふうに僕は思ってるんですけどね。
赤瀬川さんの作品に漂う独特のユーモア。
それは貧乏とおねしょ体験によって醸し出される香りなのかもしれません。

(テーマ音楽)画家作家写真家と変幻自在の活躍を続ける赤瀬川原平さん。
その代表的な仕事の一つに路上観察があります。
上った先にドアがない下りるだけの階段。
雑草が風に揺れてできた軌跡。
実用の世界からはみ出したものに目を向け記録する路上観察。
アバンギャルドの旗手だった赤瀬川さんが紆余曲折を経て生み出した独自の芸術表現です。
10代で画家を志した赤瀬川さんがアーティストとして成長していった場所。
それが路上でした。
赤瀬川原平さんの「人生の歩き方」2回目の今日は赤瀬川さんの活動で重要な役割を担ってきた路上にスポットを当て数か所を訪ねながらお話を伺ってまいります。
今日は私たち渋谷に立っておりますけれども赤瀬川さんの最初の路上体験は渋谷だったそうですね。
そうですね東京に出てきて武蔵野美術学校に入って。
すぐに食えないものですからね何か稼がなきゃいけない。
アルバイトのサンドイッチマンやったんです。
プラカード持って。
何でまたサンドイッチマンを…。
美術のために出てきてるでしょ。
お勤めはできないわけですよね。
短い時間で稼ぐには他にないんですよね。
幼い頃から絵を描く事が好きだった赤瀬川さんは高校卒業後画家を目指し東京の武蔵野美術大学に入学します。
家が貧乏だったためにサンドイッチマンのアルバイトを始めます。
それが路上観察の初体験でした。
靴磨きの人たちが当時はかなりいましたね。
やっぱり同じ場所だから何となく挨拶ぐらいしますよね。
そのうちたばこもらったりとか火を借りたりして友達になって。
そのうちお酒飲んだりするんです仕事終わって。
サンドイッチマンの方と靴磨きの人たちが。
焼酎をもらって飲んだりして気持ち良かったですねあの気分は。
高い目線の人たちから外れてる。
すごく解放されたような気持ちなんですよね。
あれはね何か不思議な感覚でしたね。
それまで高校生でしょ。
初めて世の中に出てまみれて…。
怖いお兄さんとかもいる世界で社会の中で生きる初めての体験で。
だからものを見る事の面白さがある事も知ったし世の中甘く見ちゃいけないという事も知りましたしね。
赤瀬川さんがサンドイッチマンを始めた50年代後半日本は激しい政治の季節に突入していました。
1960年の安保闘争。
国会前を大群衆が埋め尽くしました。
反骨と破壊のエネルギーが充満した時代。
赤瀬川さんは大学を中退し新しい芸術表現を求め始めます。
アーティストとしての第一歩を踏み出した場所。
それが銀座の路上でした。
46年前赤瀬川さんが芸術家としての第一歩を記したのがこの銀座の路上だったという事だそうですけどもどんな事をおやりになったんですか?画廊が銀座にしかほとんどなかったんですよね。
初めて仲間で展覧会やる時に作品を画廊に並べて。
やっぱり人に来てもらいたいんで仲間の一人がパンフレットを体中に巻きつけてミイラみたいにして宣伝も兼ねて街に出てって。
どのつじだったか忘れたんですけどね。
僕らもついて。
いろんな変な格好してましたからね。
だから目立つやった事ない事を一生懸命格好にしても何かやろうとしてた気がしますね。
周りの人たちの反応はどうでした?やっぱり「何だこれは」って見てましたね。
静かな所にも変なものがあるという感じだったんじゃないかと。
他にはどんな事をおやりになったんですか?もう一つ新橋に出来かけの画廊があってそこで何かやろうという事で仲間が洗濯バサミを。
自分のテーマの作品なんですね。
ずっと群がらせて。
出ていくと「何だ何だ」という事で人が群がってくる。
何かが起こるという事に対する興味があったんですね。
何かを起こしたいといいますかね。
広場を仕切ってる人がここは仕事の場所だからどこかよそへ行けと言うんですいませんとか言って外したり。
意味はないんですよ特に。
でも面白いんですよね。
何か常識というものあるいは今ある体制に対する反骨精神もあるんですか?それはありますね。
それと当時の社会世の中かたや安保反対というのがある種政治的な意味はどうのこうのにしても世の中的に盛り上がってたんですよね。
僕なんかは芸術世界の方で表現の方で何か…あえて言えば反抗心みたいなものがあったんでしょうね。
路上ハプニングによって前衛芸術家赤瀬川原平の名は一躍美術界に知れ渡ります。
ゴムチューブや着古した下着などを用いたエロチックなオブジェも次々と発表していきます。
上京して5年。
若干23歳で赤瀬川さんは美術界の異端児として頭角を現していきました。
1964年東京オリンピック。
戦後の復興を遂げた日本が国家の威信を懸けて取り組んだ一大イベントでした。
東京ではオリンピック開催に向けて街の美化運動が強化されました。
消毒や清掃する車が行き交い一般市民を動員した大規模な清掃運動も行われました。
オリンピック一色に染まる日本。
赤瀬川さんたちの反骨精神が爆発します。
その名も…白衣にマスクの異様ないでたちでメンバーたちが向かったのはあの銀座の路上。
オリンピック開催から僅か6日目の事です。
赤瀬川さんたちは美化運動という名の体制の押しつけをパロディー化しようとしたのです。
やっている事が掃除だけにさすがのお巡りさんも何も言えません。
日常の中にゲリラのように忍び込んで既成概念をひっくり返す赤瀬川さん。
その更なる標的は当時経済成長を続ける日本社会に向かっていきます。
赤瀬川さんは千円札を縦90cm横1.8mの大きさに描きました。
印刷された精密な線を一本一本虫眼鏡で見て実物そっくりに描き上げました。
作業は6か月間。
最後は徹夜が続き胃けいれんを起こしながら出展にこぎつけました。
それにしてもすごいタイトルですね。
「殺す前に相手をよく見る」。
すごいですよね。
自分でもちょっと嫌になるくらいだけど。
要するに意味としてはお札を経済そのものをなくしたいという意味合いなんですよね。
絵からだんだん外れてさっき言ったパフォーマンスみたいな路上で何か掃除したりみたいな事になって。
もっと新しい面白い事といった結果もう先がなくなったと言いますかね。
ある種やる事がなくなったというか。
ところが思いもよらぬ事態が起こります。
警視庁から偽札づくりの容疑をかけられてしまうのです。
赤瀬川さんは展覧会の案内状などに千円札を印刷していました。
当時偽札事件が起こり神経をとがらせていた警視庁の目に留まったのです。
「全くそんな意図はない」。
断固裁判で闘う決意をします。
美術史上最高のハプニング芸術と評される千円札裁判が始まったのです。
最初に弁護士の人にこれはすごい面白い事件だって。
自分は正しい事をやったんだから黙って相手にしないで芸術だという事で通してもいいんだぞと。
絵とかばっかりじゃないと。
ええ。
仲間の作品を法廷側に並べて。
中西の洗濯バサミなんかもあるんですよね。
法廷側のカメラマンが来て段ボールを撮ろうとするんですね。
僕らはそのままではただのひもですからこれを芸術にするにはもっと張り巡らさなきゃって。
洗濯バサミをあちこちにつけなきゃいけないというので法廷中が…。
「美術家の方が傍聴席に来ていらっしゃるので手伝ってもらってもいいですか」と弁護士がお伺い立ててね。
いいとも悪いとも初めての事で裁判長は言いようがないんです。
そのうちどんどんこうなって。
それをいちいち写真に撮って。
これはもうほんと僕にとっては白昼夢ですね。
法廷がそういう状況になるって前代未聞で空前絶後でしょ。
僕らは今の芸術の状況はこういうものだと説明するために面白いなと思いながらも真面目にやってるんですよね。
5年を超える裁判の結果は執行猶予付きの有罪判決。
この裁判をそれまでの活動の総決算と考えた赤瀬川さんは以後前衛芸術の舞台から離れていきました。
赤瀬川さんは裁判の最中に結婚し父親になっていました。
しかし41歳の時に離婚。
幼い子供を引き取ります。
仕事と育児両方の負担が襲いかかりました。
娘がちょうどですね3歳か4歳ぐらいですね。
とにかく2人で生活が始まって。
ご職業はそのころは何をやってたんですか?看板屋で文字を書いてましたね。
レタリングの技術は身につけててそれで稼いでたって感じですね。
要するに全部…台所洗濯それから自分の仕事。
稼がなきゃいけない。
子供を置いとけないですからね。
連れて歩いたりとかも多かったし。
一つ覚えてるのはねだいぶ半年ぐらいたったころかな。
4つぐらいって一番成長するでしょ。
スカートなんてすぐはけなくなっちゃうからパンツにしてもね当然バーゲンの山を探さなきゃいけない。
スーパーに行った帰りに探し出して。
僕は凝り性だから全部見ないと気が済まなくなって。
ないなと思って帰ったりあるいは買って帰る時もあるけれどね終わって帰る時にふと気が付いたら買い物かごバッグをこうかけてるんですよね。
あれっと思ってね。
男だったらこう持ちますよね。
それをこうかけてるんですね。
何だか変だなと思って。
それまで考えた事ないけど女性ってこうかけてますよね。
あれ〜…何かゾクッとしてね。
俺も同じ事やってるって。
考えたらバーゲンを見る時ってここにさげてこうやるしかないんです。
合理的なんですね。
合理的なんですよね。
それからそういう事が面白くなって。
普通男がこういう振る舞いで女はこういう振る舞いってそんな考えてないですよね。
そんな事が見えてくるのが面白いんですね。
前衛芸術家としての赤瀬川さんが現実にまみれてきたわけですね。
それは人間生きている以上そうなんですけどね。
こんなんじゃいけないという考えはないんですか?いつか芸術家として他の事をやんなきゃって。
いわゆる芸術家は通り過ぎてきた感じですからね自分の中では。
芸術への情熱を失っていた赤瀬川さん。
その心に再び火をともしたのはやはり路上での出会いでした。
ある日東京・四谷で不思議な階段を見つけます。
上った先にドアがなくただ下りるだけの階段でした。
この階段何なのかなと思って。
それから食事して帰りにまたそこを通って。
上がって下りたんですか。
ええ。
普通なら上がった所にドアか何かがあって下りる。
何もないんですよね。
不思議だなというところから始まって…。
階段というのは大抵世の中の役に立つために目的になってるという。
目的のないものが平然と世の中にある事があるのかなと思って。
よく見ると確かに入り口がきれいに窓になってモルタルで塞がれてるんですね。
昔は使われてたんですよ。
たたずまいが芸術作品と似てるんですね。
考えてみたら芸術作品って必要ないと言えばないですよね。
精神的には必要ですけど生活していく上ではね…。
そういう事も何か似てるんですよ。
ちょっと押せばゴミに落ちちゃうギリギリに立ってるという。
芸術なんだけど一歩押すとゴミになる。
だから僕ら「超芸術」って名付けたんだよね。
芸術を更に超えたという。
作者がいないわけですからね。
まだ誰も気が付いてないものが世の中に潜んでるという。
これは楽しいですよね。
「路上には芸術を超えた超芸術が潜んでいる」。
それを発見していく楽しさに赤瀬川さんは再び路上に戻ってきました。
誰も気に留めないものに自分ならではの意味を見いだし言葉で表現する。
路上観察によって芸術家赤瀬川原平は復活しました。
赤瀬川さんは超芸術に「トマソン」という別名を付けました。
由来は当時三振を重ね続けた助っと外国人ゲーリー・トマソン選手。
打てないながらもどことなく風格を感じさせたからでした。
路上観察の楽しさは赤瀬川さんの著書によってどんどん広まりトマソンツアーも実現します。
イラストレーターの南伸坊さんや建築家の藤森照信さんらが参加して全国の路上を巡りました。
それは知恵熱が出るほどの興奮と笑いに満ちた体験だったといいます。
赤瀬川さんがいるのといないので違うなと思うのは赤瀬川さんは主役にならないんですよ自分で。
だけど誰かが面白い事を言ったりするとすごく面白がってくれるわけね。
赤瀬川さんが面白がってくれると面白いので一生懸命冗談を言うでしょ。
言った冗談をそれだけにしないで小さい火種をフーフー吹いてどんどん大きくするみたいにね話を雪だるまを転がすみたいに。
冗談が好きだから冗談を大切にするんですね。
さて本郷にやってまいりました。
ここで路上観察を実際に指南して頂こうと思うんですが路上観察のコツはどんなところにありますか?特にはないんですね。
引っかかる「あれっ?」というにおいみたいなものですね。
この階段もなかなかのものですね。
これ?これは中途半端な階段ですよね。
いやよくあるんですよ。
事情でこうなってしまったというね。
でもあの中入れませんよ人は。
僕らは好きなんです。
防火用水。
昔の。
これね。
防火用水って捨てにくいんですねコンクリートだから。
それでもう植木鉢になっちゃってる。
防火用水が植木鉢になって。
よくあるんです。
鉢としてはあんまり…。
でもこれね捨てにくいんです。
前衛芸術に夢中になっていた頃には目に入らなかったものが目に入ってきた事もありますか?それはありますね。
若い頃は頭一辺倒で考える事だけでずっと行ってますよね。
年取ってくると思いどおりにいかない事にいっぱいぶつかるわけですね。
裁判もそうですしいろいろ。
私の最後のトマソンとしてこれなんか最高のトマソンだと。
無目的で洗濯バサミが挟まれてるような感じがする。
どうです?トマソンとしては。
面白いですね。
…いいですね。
ほんとにそう思ってます?不服な点があるとしたら?トマソンというからには何て言うかな…。
駄目じゃないですよ。
これはこれで唐突で面白い。
堀尾タイプというか…。
すぐ名前を付けちゃうんです。
無用に見える物がそこに存在する意味を発見していく楽しさ。
路上観察は人生そのもの。
そんな気がしてきます。

(テーマ音楽)画家であり作家である赤瀬川原平さんは実は熱烈な中古カメラのファンでもあるんですね。
そこで今日は中古カメラを通して赤瀬川流人生の楽しみ方を伺います。
失礼します。
たくさんありますね〜。
何台ぐらいあるんですか?向こうにももう1つこれがあって全部で80台から現役も入れると100台ぐらいですね。
でもすごい人はものすごいですよ。
もうマンションワンフロアとかね。
とてもそこまでは…。
どこ製の物が多いですか?日本製が多いんですが…まあ買いやすいって事もあるし。
あとやっぱり次はドイツですね何といってもね。
この辺のステレオカメラっていうのはアメリカ。
それからイタリアがあるしフランスもあるしまあやっぱり日本とドイツが一番ですね多いのは。
で時期からいってアメリカがあるという感じです。
私もカメラに興味を持った時期があって1台は持ちましたけど1台持ったら事足りましたけどどうしてまた…。
中古カメラ市に行ってそこでもう中古カメラウイルスっていうものに感染しちゃったんですよね。
熱病ですよねほとんど。
それからはもうほんと病気みたいに行かないと居ても立っても居られないっていう。
赤瀬川さんが一撃でウイルスに感染したという中古カメラ市。
毎年銀座のデパートで開かれます。
今年も全国からファンが駆けつけました。
中古カメラは文字どおり中古のカメラ。
マニアたちのお目当ては一昔前のクラシックカメラです。
中古とは言え100万円を超える物も並んでいます。
(取材者)おうちには何台ぐらいお持ちなんですか?ほんとに好きでね。
(取材者)どんなところが中古カメラの魅力ですか?今にないよさがあるからね。
現代のカメラみんなオートでしょ。
昔はみんな手で全部頭で考えてね。
(取材者)夢中になられて何年ぐらいですか?20年以上でしょうね。
(取材者)おうちには何台ぐらいお持ちですか?
(取材者)1,000台というのはまたずばぬけてますよね。
いやそんな事ありませんよ。
我々の仲間には…「私は最近中古カメラの病気にかかってしまった。
この患者は実は昔から多く男性の3割あるいはほぼ半数がその潜在患者だろう。
ある時デパートの中古カメラ市にふと足を踏み入れてたちまち中古カメラウイルスに取りつかれてしまった」。
具体的にどんなきっかけでその中古カメラに感染ならぬ夢中になっていかれたんですか?最初はステレオカメラなんです僕は。
立体写真っていうのがあるんですよね。
で雑誌にはなかなか載りにくいんだけど写真がドンと立体に見える。
それを経験してから自分も撮りたいと思って。
レンズが2つあるんですよね。
大体人間の目と同じ。
こうやると同じぐらいの感覚ですよね。
それで…ただ2枚ほぼ同じ写真が撮れるんだけどちょっと違うんです。
こっちから見たのとこっちから見たの。
でこの違いが大きいんです。
見る時は。
それによってドンと立体に見えるんですよね。
ただ立体カメラステレオカメラっていうのは現代ではもうほとんど作られていないんです。
現代ってまあそれが10数年前ですけどね。
それで昔のカメラで探すしかないと思って中古カメラ市に行ってみたんです。
一歩踏み込んだ途端に目がくらむ。
キラキラみんないいんですよね。
いろんな種類があるんですよね。
カメラの黎明期といいますかそれぞれが小さいメーカーなんですよ。
新しい工夫をいろいろして。
ドイツが一番ですが次が日本で。
工夫のしかたが目に見えて面白いんですよね。
これステレオカメラなんですよね。
「ステレオ・ビビド」っていうアメリカ製の。
アメリカが多いんですねこの時代。
やっぱりアメリカ人好きだったんですね。
それでちょっと恐れをなして。
僕は割と引っ込み思案なもんですからね。
(シャッター音)この音がまたよくてですね。
でもこの時はまだあまりにもすごいんで恐れをなして買えなくて別のもうちょっと簡単なのを買っちゃったんですね。
その時には買えなかったんですか?なんかね遠慮しちゃったんですよね。
だってそのためにステレオカメラを買いに行ったんでしょ?買いに行ったけどあまりにも自分に知識がないのを知って。
これは「いいな〜!」と思ったんですか?見て。
すごいけど…あるでしょ?そういうなんかものすごいきれいな人がいるけど声かけられないっていう。
そういう気持ちを抱いてしまった。
このカメラに。
そうなんです。
それで逃したのが気になって…。
気になった?やっぱり。
一番美しい美女なわけですからね。
それからはもう…ほとんど熱病にうかされるのと同じですね。
仕事してても気になるんですよね。
「あれやっぱり買っておけばよかったかな…」とかいうのがね。
今頃誰かが買ってるかもしれないと思ってね。
夢中になった事は文章に書かずにはいられない赤瀬川さん。
中古カメラに関する著作は20冊にも上ります。
最初の本のタイトルはずばり「カメラが欲しい」。
実にストレートです。
どの著書にも必ず登場するカメラの細密画は画家赤瀬川原平の腕の見せどころ。
中古カメラへの愛情が伝わってきます。
代表作は「コンチュラ物語」。
「コンチュラ」というこのステレオカメラを手に入れる一部始終を書いた小説です。
世界で130台しかないというこのカメラに一目ぼれしあれこれ迷いながら最後は27万円で手に入れるまでが描かれています。
次に書いたのは「アンスコ物語」。
このアンスコなんと8,000円だったんですがジャバラに穴が開いていました。
せっかく安く買ったんだから自分で直そうと悪戦苦闘するお話です。
こうして次々と生まれる小説を赤瀬川さんは「カメラ小説」と命名しました。
文学史上初めてのジャンルです。
小説には赤瀬川さんならではのウィットの効いた比喩がふんだんに登場します。
カメラ屋さんを見てイライラが少し収まるっていうのはねある種病院に行って診察してお話聞くって感じなんですね。
パトロールする事を診療所に行ってくるっていう冗談を言ってたんですね。
周りの人に言うんですか?仲間同士でね。
「ちょっと診療所に行ってくるよ」って。
その場で行くわけじゃないですけどね。
「ここんとこ診察受けてる?」とかいう冗談を言ったりしてね。
それでいよいよ買うのはね診察受けるだけじゃなくてこれはもう手術しなきゃっていう。
現金を出して。
買う事を「手術する」っていう。
血のにじむような事でもあるわけで。
それであまりにも持ち合わせがない物も…。
現金が。
これはちょっと買うには分不相応だけど見逃すわけにいかないっていう時はね…。
カードって当面痛くないでしょ?そうするとね麻酔で手術するみたいなもんです。
普通の手術は痛いんですよね。
現金財布の中から3万円とか5万円とか。
そうやって考えていくとほんとますます病気と同じだなと思って。
そういう隠語を使わなければならないぐらい相当だから夢中になっちゃったって事ですよね。
そうですね。
またてれるから隠語を使って楽しみたいんですね。
自分で自分をはぐらかすみたいな。
てれなんですか。
趣味の道っててれがありますよね。
例えば奥様に「パトロールしてくるよ」とかいう言葉は通じるんですか?奥様はねぇ…そこまでは通じないですね。
やっぱり仲間にしか通じない。
そうそう患者同士の話。
すごいですねでも。
赤瀬川さんがよく行く診療所つまり中古カメラのお店は江戸情緒が残る浅草の一角にあります。
店主の早田さん。
「中古カメラの赤ひげ先生」と呼ばれています。
早田さんにかかれば直らないカメラはないという修理の腕前。
早速調子の悪かった自分のカメラを見てもらいます。
他ではお目にかかれない七つ道具を駆使しての治療が始まります。
あんまり注射するとよくないんですよね。
油漏れしてくるから。
これが糸ですか。
(早田)これもくれたの。
注射のあと取り出したのは本物の手術針です。
この針で僅か5ミリほどのシャッター膜を縫っていきます。
(早田)これでこうやって入れるの。
それですいっと抜くと見事に入りますね。
あと内側にレンズが入っちゃって引っこ抜けない時ね。
どうやっても引っこ抜けないんですよ。
いくら引っ張っても引っこ抜けないとどうするか…。
歯医者さんがくれたの。
これね歯を抜くやつ。
怖いでしょ?引っ掛けといてカンカンってやるとポーンって歯が抜けちゃうんですよ。
この武器がまたすごいんだ。
重さがあってね。
なるほどね。
例えばね…。
早田さんによると古いカメラは簡単に分解できないようにひねくれた設計になっているものが多いのだそうです。
そこを突破するのが修理の醍醐味だとか。
(早田)リングになっててこれ距離でしょ。
絞りが隠れるようになってこういうのが兼用なんですよ。
だけどこれを外さないとレンズが直せないわけ。
どうやっても分からなかったの。
これ発見した時はねもううれしくなっちゃった。
すごいんですこれ。
頭は何もないですね。
先生にも見えないと思うんだ。
分かった?これ。
(早田)そう!ここにものすごい小さい穴があるの。
この小さい穴に突っ込むんですよ。
ある場所でこれを突っ込むと中にバネがあって逃げるんですよこうやって。
で3か所あるの。
変な棒が出てるでしょ。
この棒がバネで内側から押してるんです。
溝の中パチッと入るようになってて抜けないようになってるの。
これ穴の内に入らないような穴ですよね。
全然見えない。
手あかでも付いてたら隠れちゃいます。
だからねバラしてみろと。
俺が設計したカメラをバラしたら大したものだと思ってるんです作った方は。
目に見えない開発者とけんかしてるんですよ。
それが面白い。
修理してもらいに来たはずの赤瀬川さんですが秘密の3つの穴を持ったこのカメラがすっかり気に入り買ってしまいました。
多分持ってないかな…持ってると思うけど。
3万6,000円でいいですよ。
そうですか。
こちらの手術の…。
これはいいですよ。
これは保険でカバー。
年とると自分の体の中古度っていいますか身にしみてきますよねだんだん。
僕はいいお医者さんがいてその方は早く僕より先に亡くなったんですけどね毎年診てもらってた先生がいて最初に診てもらった時に「立派な中古人体です」っていうハガキをもらって。
「ああすごいな。
確かに人間も中古品だな」と思って。
中古カメラの世界でも普通中古品って言いますよね。
中古品の中でもお店がお薦めなのは「中古良品」っていうのがあるんですよね。
その上がね「新同」っていうのがあるんですよ。
「新品同様」っていう。
略して「新同」って書いてるんですね。
確かに新同を好む人もいるんですよね。
でも果たして道具として優秀かどうかこれは使ってみないと分からないですよね。
だから経験が僕は足らないなと思うんですよね人間の新同は。
中古良品これが一番いいとこなんじゃないかと思うんですよね。
使いこなされてるわけですね。
傷なんかもあまり目立たないっていう。
それはまた別の修理の所で聞いたんですけどね本当にプロが使い込んでるライカなんて元がいいですからねずっとオーバーホールしてないんだけどオイルがほとんどなくなってるんだけどすごく滑らかに動くって。
だからしょっちゅう動かしてるからすり合いがすごくうまくいってるんですよね。
そういう話なんか聞くとねやっぱり使い込んで経験を積んでる物ってすごいんだなと思うんですよ。
機械として経験を積んでいるわけですね。
僕なんかは若い頃胃を切ってるんですよね。
だから中古良品といえるかどうか…。
「傷あり」あるいは部品交換してるっていうような事になるのかもしれないし。
という事はこの中のカメラで例えると…。
どうでしょうね…どのカメラというふうにも言えないですけどね結構レンズも乱視とかが入って曇ってきてますしね。
光軸を合わせなきゃいけないかもしれないですがね。
「中古良品」という言葉を人間世界に当てはめてしまった赤瀬川さん。
いちいち腑に落ちるから不思議です。
中古カメラを手に入れたら撮影する楽しみが待っています。
赤瀬川さんが撮影するのは路上のふだん見過ごしているもの。
路上を撮影する事は赤瀬川さん独自の芸術表現。
今年のベネチア・ビエンナーレにも出品しています。
中古カメラは露出や絞りを全て手で合わせるのでよく失敗もします。
しかし仕上がった写真にはデジタルカメラにはない味わいがあるのです。
「中古カメラの味わいをお茶を味わうように楽しんでみよう」。
そんな遊び心で赤瀬川さんはちょっと変わった批評会をした事があります。
茶室に集まったのは中古カメラウイルスに感染した患者仲間。
床の間はどこか奇妙なしつらえ。
亭主赤瀬川さんが登場。
スライドをビュアーに装填し客に回します。
お茶に見立てて立体写真を見て味わう。
題して…あっすごいですね。
ああ…。
(嵐山)伸坊はこうやってさなんかのぞく感じだね。
あ拭きました。
(村松)指紋を…。
いいねぇ。
(嵐山)へ〜え赤瀬川さんってわいせつだね。
こういう電柱なんか見てもさこんなふうに見ちゃうからさ目玉が町を犯してる感じするよね。
そういう感じはするね。
中古カメラを持つようになっていい写真が撮れる時の微妙な頃合いが分ってきたと言います。
ほとんどの場合が最初のワンショットが一番いいんですよね。
不思議なんですよね。
何ですかねそれはね。
思い入れのせいかなと思うけどそうでもなくてやっぱり無心に撮ってるんですね最初は。
「ああいい」と思ってこれだと思って撮っててあとはちょっと邪心が働くんですよね。
いろいろ計算してとかきれいに撮ろうとか受けねらいとか。
それが出てくるとなんかちょっと写真がね潔さがなくなっちゃう。
写真ってそういう面がかなり強くありますね。
偶然…要するにカメラが何ていうかなパラボラアンテナみたいな気がするんです。
あるいはどじょうすくいのザルがありますね。
そ〜っとすくい上げるっていう掴むと逃げちゃうんですね。
そういうのってありますよね。
掴もうとすると逃げちゃうもの。
そういうものばっかりのような気もしますけど。
何気なくこう…そうか追おうとすると逃げちゃうんだけど追わないと自然に入ってくるみたいなね。
そ〜っと来るって事か。
僕よく例で言うのはお風呂の中でちょっと浮いてたりしますよねゴミとか糸くずとかね。
あれ掴もうとするとどんどん逃げていく。
何でもないよっていう感じでそ〜っと近づいていって…パッとかかるんですよね。
その精神ですか。
そうですね。
それとかよく僕らあんまり人づきあいうまくなかったけど本命がいたとしますよね。
あえて気にしながらもよそ見するなんて事があるんじゃないですか。
あります。
ああいう感じですよね。
真っ向勝負だと避けられちゃうからね。
人間関係で言うとそういう事ですよね。
できるだけ自然な関係で持っていってっていう。
だから自然っていうのは難しいなと思うんですよね。
グッとやるともう駄目なんですよね。
そういう人生哲学をある意味カメラとかが教えてくれたわけですね。
そうですね。
カメラ世界にも教わりましたしね。
カメラたちが愛嬌ある表情でこちらを見ている。
そんな気がしてくるから不思議です。
赤瀬川さんにとって中古カメラは出会うべくして出会った人生の伴侶と言えるのかもしれません。

(テーマ音楽)画家作家として活躍を続けてきた赤瀬川原平さんは今年69歳。
独特のユーモアで日々老いていく自分を見つめ「老人力」というベストセラーを生み出しました。
「赤瀬川流老いの極意」とは一体どんなものなのでしょうか。
大の天文ファンでもある赤瀬川さんがインタビューの場所として選んだのが東京・三鷹にある国立天文台です。
点在する研究施設の中で最も古い…大正10年に完成したこの建物の中に赤瀬川さんのお目当ての物があるのです。
こうなって…あっ床がなんか古い校舎のにおいがしますね。
床が板ですしね。
ドームも板ですよ。
大正から昭和にかけ日本の天文学を支えてきた天体望遠鏡です。
現役を引退した今もきちんと整備されいつでも星を見る事ができます。
前に来た時よりもすごく手入れされてるみたいですね。
これに先生会いたかったと。
そうですね。
もうだから1921年っていうから85歳。
でも随分きれいな。
「中古良品」というよりは…?更に上になっちゃった。
いいですねぇ。
中古だけど美品。
赤瀬川さんにとって老いの理想を形にしたのがこの望遠鏡なのです。
8年前還暦を迎えた赤瀬川さんが自らの老いをもとにして書いたエッセー「老人力」。
本はジワジワと売れ50万部に迫るベストセラーになりました。
「老人力」は1998年の流行語大賞を受賞。
一体何が多くの人の心を捉えたのでしょうか?「老人力」の文章本当に面白い話がたくさんあるんですけれどもちょっとここ読ませて頂いてよろしいですか。
「普通は年を取ったとかもうろくしたとかあいつも大分ボケたとか言うんだけどそういう言葉の代わりにあいつもかなり老人力がついてきたなというふうに言うのである。
そうすると何だか年を取る事に積極性が出てきてなかなかいい」。
…って書いてあるんですね。
年を取る事っていう事はもうろくするっていいますか衰えるっていうか悪い事一辺倒のような…。
大抵そう思いますよね。
この文章この本を読むとほんと年を取りたくなるような。
そうだと一番僕はいいんじゃないかな。
年を取るとどうしても物忘れとかいろいろ出てきますよね。
そうマイナスの事をね…。
これはしょうがないんですよね。
だからしょうがないんだったらそういう力がついてきたっていう事にしようみたいなそういう考えなんですね。
「力がついてきた」?「忘れる」って大変なんですよね。
そもそもの「老人力」という言葉はどういうきっかけで出てきたんですか?僕ら「路上観察学会」っていうのを毎月っていうかよく合宿をしててで10年ぐらいたった…まあ合宿の間に。
みんな団塊の世代で僕は一世代上なんですよね。
だから当然先に物忘れが始まるんですよね。
それでそもそも忘れっぽいから「ボケ老人」とかだんだん仲が良くなってきてからそういうふうに愛称で呼ばれてたんですよ。
まあ陰でね。
面と向かってはさすがに言わないけどだんだん表に出てくるんです。
事実自分も「そうだな」と思って。
それで10年たってそのころベトナムに行ったんですよ。
合宿して。
10年たつと最初の僕と同じ状態にみんななってますよね。
それでねやたらに忙しい時で藤森さんが学会の仕事もあるし路上観察もあるし。
朝起きて南君と相部屋だったんですけどね今日は何だったかなというのを思い出せないんですよね。
これはいかんなという事で彼だけ「ボケ老人」と言うわけにもいかなくなったなというんでそれでじゃあ…パワーとして捉えようという。
マイナスのパワーとして。
それを朝食の時にみんなで言って大笑いしてそれからですね。
仲間内の冗談をきっかけに「老人力」を1冊の本にまで深めた赤瀬川さん。
日々老人力がついていく自分自身が題材になっています。
60歳になった頃電車に乗ってから財布を忘れた事に気がつきました。
初めての経験でした。
その2日後またもや財布を忘れてしまいます。
赤瀬川さんは自分にあきれながらも新しい世界が開けたような思いでした。
「自分がなんだか堂々とした大人物になってきたようで満足している。
金なんていいじゃないか。
老人力というのは長い社会生活で培われてしまったコセコセ力を少しずつそぎ落としてくれるような気がする」。
またある時はチケットをどこにしまったか分からなくなってしまいました。
楽しみにしていたプロ野球のチケットです。
(中村)「えそんなバカな。
全部探したけどなかった。
老人力。
ショックだった。
こんなに大事な物にまで老人力は及ぶのか」。
(中村)「老人力は空席をもたらす。
考えてみればこれはなかなか優雅な事だ。
一種のゆとりである」。
忘れる事も一つの力だと思って。
そうするとですね忘れるって案外難しい事なんですよね。
覚えるって事は努力してできますよね。
忘れやすいんだけど努力すればなんとか…。
「よしこれを覚えよう」って試験問題とか。
忘れようって努力して忘れられないんですよね。
努力すればするほど忘れられないんですよ。
特につらい思い出とか忘れにくいですよね。
だからこれは考え出したら面白い原理だなと思ってじゃあ物忘れ一つ忘れたとしたら老人力が一つついたって言おうっていう。
パワーとして捉えようという。
マイナスのパワーとして。
それでマイナスの力って…要するに「力を抜く」っていう事も力抜いてみろって抜くって難しいんですね。
力を入れる力むっていうのは簡単なんですけどね。
よくスポーツのツーアウト満塁なんかでバッターが監督に呼ばれていろいろ言われますよね。
その時多分僕は「力を抜いていけ」とか言ってるんだと思うんですよ。
言ってます言ってます。
「力を抜けよ」とは必ず言います。
あれ本当は「老人力でいけ!」って言ってるのと同じなんですね。
「ちょっとちょっと…老人力でいけ!」って言ってるのと同じだと思うんですよ。
「無駄な力を抜く」っていう意味?そうですね。
それが老人力っていう事なんじゃないかと。
いろいろ言うよりは「老人力でいけよ!」って言ったらもうそれで「分かりました」。
「どうやればいいでしょう」って。
だからそうやっていろんな例で引っ張り出して考えるとなるほどだんだん実態が浮かび上がってくると言いますか…。
そうですねあと…う〜ん何がありますかね。
ええ…。
今老人力が働いてますか?そうなんですよ。
悔しいんですよねすごい。
本当に悔しい時もあるんですよね。
ダジャレをね…「これあれみたいだ」ってシャレを思いついたんだけどその「あれ」を思い出せないんですよね。
それでねせっかくいいシャレだったのにって悔しがる事もありますしね。
だから非常にそのバランスといいますかね。
確かに何も力なくなったら困るわけですけどね。
もう一つ何でしたっけね?自分で忘れちゃったもう。
マイナスとされてきた事をプラスに捉える老人力。
なんと仕事にも有効だというから驚きです。
それからもう一つ絵の事で。
僕も絵とかイラストレーション描いたりするんですけどね割と細かく描く方が僕は得意っていうか性に合っちゃってるんですけどでもあんまり細かくて硬い絵ってなんか嫌になってそれで楽な線の絵を描こうとすると頑張ってるとできないんですよね。
どうしても失敗ばっかり繰り返してそれでもう明日にしようかなと思いながら疲れてきますよね。
だんだん気持ちが投げやりになってくるんですよね。
それがうまくいくとすごい「もういいや。
どうでもいいや」っていう感じの線ですごくいい絵が描けたりするんです。
言うとでもそれって集中力がなくなってきてる時でしょ?そうですね。
僕らは「分散力」って言ったりするんですけどね。
やっぱそういうとこでも老人力が有効に働くわけですね。
年を取ると割とそうなりやすくなる。
線も震えてきてその震えがよかったり。
まだそこまではその境地までは行ってないですけどいずれそれ楽しみにしてるんですけどね。
1998年「老人力」が発売されると出版元には全国から次々と感想が寄せられました。
「勇気がわきます」。
「不安が解消しました」。
老いに対する固定観念をひっくり返した「老人力」は多くの人を勇気づけました。
「老人力」は流行語になり報道番組でも取り上げられました。
日本全土に老人力現象が巻き起こりました。
こんばんは「クローズアップ現代」です。
「老人力」今この言葉に多くの中高年が共感しています。
「老人力」によって人生が明るくなったというお年寄りたちが続々と登場。
マイナスと思われている事をあえてプラスと捉える赤瀬川さんの発想。
実はこれが初めてではありませんでした。
日本がバブル経済に向かい始めた1984年。
みんなが浮かれて高級品を買いまくる。
そんな時代に赤瀬川さんは妙な本を出しました。
自分の貧乏性をテーマにして書いた「超貧乏ものがたり」。
幼い頃から貧乏だったせいかしみついてしまった貧乏性をお得意の笑いをまぶしてここぞとばかり自慢したのです。
弱点は普通隠しておきたいものなんですけども先生の場合はカミングアウトしてしまった公にしてしまったという。
何かきっかけはあったんですか?一番最初は「貧乏性」ですね。
自分はすごい貧乏性なんですよ。
物をこまごまと取ってたりクヨクヨ考えたりっていう事があって。
それで昔ある雑誌で「資本主義リアリズム講座」っていうのを連載をしてたんですよね。
その中でテーマに詰まっちゃってそれで貧乏性の自分の恥ずかしい部分をむしろ出しちゃおうと思って。
研究対象として。
でやってみるとね…。
一旦出しちゃうと恥ずかしくないんですよね。
よく「カミングアウト」って言いますよね。
それと似たような事なんですがそれで「貧乏性研究」っていうので始めたら弱点が面白くなってきて。
「美学校」って所でいろいろそれをテーマにして教えたりっていうか教室をやってたんですね。
それで生徒たちに貧乏性の症例を拾ってこさせると「うちのお母さんは輪ゴムを水道の蛇口に掛けてそれはもうこんなに固まりになって夏溶けて固まっちゃうんだけどまたついやっぱりスーパーから帰ってくるとこうやっている」っていう話とかブドウのベカベカの透明の容器ありますよね。
あれはやっぱり捨てられないんですね。
戦中育ちはみんなそうなんです。
容器って価値があるんですね。
何かに利用できるってね。
それが押し入れにこんなにあるとかですね。
で裏白のメモ用紙…広告のチラシが最近はないけどひところ裏白の紙ってあって「もったいない何かのメモにする」とか言うんで押し入れにこんなあって。
そんなにメモする事もないくせに。
実際には使わないんですよね。
だけどそうやってたまっちゃうみたいな事ってこれは人間の性分で本当はもったいないから大事にしようっていう気持ちの表れなんです。
倹約するという意味で。
自分でもなんかついリンゴを刺しただけの…。
食べますよね。
その楊枝何となくこのまま捨てちゃうのももったいないと思って取っといてごはんのあとそれでまだ別に歯をほじくったらいいんだからと思ってやったりとかですね。
赤瀬川さんが本に書いたもう一つの弱点が「優柔不断」です。
自ら「天然」と呼ぶほど選ぶ事決める事が大の苦手です。
それともう一つは貧乏性と同じなんですけど優柔不断。
僕はほんと子供の頃からそれはそうですね優柔不断で決断するっていうのはどうもつらいですね。
物事をなかなか決められないんですか?決められないですね。
欲張りなんですかね。
あれもいいこれもいいっていうんでどうしようって事で。
そういう性質なんですよね。
そんなにでも先生は迷われるんですか?迷いますね。
ある意味欲張りなのかもしれないですね。
もっといいものがあるんじゃないかって事でしょ。
これもいいんだけどもっと…っていうのがあるんですよね。
だから悪い事ではないと思うんです優柔不断というのは。
意欲の表れですからね。
こじつければね。
実際に「優」の字があるでしょ。
優れているという。
で「柔らかい」。
いい言葉ですよね。
「不断の決意」とか言いますよね。
昔はだからね「優柔不断」っていい言葉だったんじゃないかと思うんですよね。
僕の想像ですよ。
…とか言ってたんじゃないかと思うんですよ。
(中村)「世間では優柔不断というのはバカにされる。
あの人は迷い箸をするのよと言って後ろ指をさされる。
したがって僕も世間ではいったん箸を持ったら『ウニ!』サッ『シャケ!』サッ『たくあん!』サッという具合に決断的に振る舞っている。
でも内面は汗びっしょりだ」。
決してそういう弱点を直そうというベクトルは向かわないんですね。
これはもう性質ですからねそれぞれ。
むしろその面白さがあるんですよね。
直しちゃうとつまらなくなるんですよね。
それはね癖みたいなもんですからね。
誰でも癖があってそれがなくなるとつまんないってありますよね。
「味わい」みたいなものでそこにそれぞれの微妙な違いの面白さって出てくるんですよね。
だから弱点っていうのは面白いし隠すよりもむしろ出しちゃうと…。
全部出すわけにはいかないですけどね。
出せない恥ずかしい事ってもちろんいっぱいありますけど出して客体化してみるとむしろ自分もすごく楽になって積極的になるんですね。
それをいろいろ体験しますね。
60年代に前衛芸術家としてスタートした赤瀬川さん。
そのころわざわざ紙くずを大量に作りそれを梱包する作品などを真面目に制作していました。
一見価値がないとされるものに価値を見いだす。
その発想は若い時から一貫しています。
40代になると路上観察に夢中になり学会まで作りました。
路上にある無用なものに意味を見いだして記録するのが赤瀬川さんの路上観察です。
上った先にドアがない下りるだけの階段。
雑草が風に揺れて出来た軌跡。
常識を疑い新しい見方を発見する。
赤瀬川さんはこれを「アバンギャルド」と呼びます。
「老人力」とか言いだしながらこういう形で振り返ってみると子供の頃は絵が好きで描き始めたんですけどね。
そうすると青年時代はどうしてもアバンギャルドにタブーを壊すみたいな常識を壊して新しいものを求めるみたいなそれでずっと行ってそれから路上観察。
普通見捨てられてるものを見ていくみたいな。
それからあとは何でしょうね…。
結局全部自分のやってきた事っていうのはなんか反対な事って面白いんですよね。
常識として見ないものをあえて見るっていいますかね。
「老人力」の中にそういう事も含めて表れてくるんですけどね。
考えてみたら世の中で捨ててるものをむしろタブーとして捨ててるものを超えていくような事なんですよね。
だから自分にとっては形はすごく従順なものに見えるんだと思うんですけどアバンギャルドを別の形でやってるような気持ちなんですけどね。
あんまりじゃあ若い頃アバンギャルドを突き詰めていた頃と本質の本質では変わってないみたいなところがありますか?僕は思いますけどね。
自分の気持ちとしてはそうなんですよね。
終生アバンギャルドを貫き通す覚悟の赤瀬川さん。
人生の最後「死」についてはどう考えているのでしょうか。
では最後の質問ですけれどもご自身が死ぬという事は当然考えてらっしゃいますよね。
考えますね。
それはもう子供の頃からずっと。
まず最初に子供の哲学が始まったのは「死んだらどうなるか」。
これはみんなそうだと思うんですよね。
多くの人が「なるほど世の中はこうなってたのか」って…死ぬ瞬間に?ええ。
結局その人たちは生き返ってくるから証言できるんですけどね。
それも何か僕すごく分かるんですね。
それは別に何がどうでっていう事じゃないけど世の中の…宇宙の仕組み全部の存在の仕組みとかが「なるほど」というふうにある納得点に達して死ぬという。
全てが分かって「ああ!」って思った時に亡くなるわけですね。
らしいですね。
それはだからちょっと興味はありますね。
どうですかそういう意味だと赤瀬川さんは早く死に際を迎えたいと思っていらっしゃるんじゃないですか?それはないですけどね。
ただその先がなくなるでしょ。
自分もなくなるんですよね。
だから自分としては…欲張りだなぁ。
だから結局僕優柔不断ですからね。
なかなか死ねないんじゃないかと思って。
死にかかりながら…どうなるんでしょうねぇ。
「なるほどそうだったのか」と思える瞬間が「死」であるという赤瀬川さん。
そんなふうに「死」を捉えれば老いを追い抜いていけるんですね。
これからも私たちを驚かせニヤリとさせる発見を大いに期待しています。
2014/12/14(日) 00:15〜01:56
NHKEテレ1大阪
Eテレセレクション・アーカイブス 知るを楽しむ 人生の歩き方〜赤瀬川原平〜[解][字]

画家・作家・写真家として多彩な活動を展開した赤瀬川原平さんが今年10月に亡くなった(享年77)。その人生を振り返った番組(2006年放送)をアンコール放送する。

詳細情報
番組内容
意表を突く観察眼で人々のものの見方をひっくり返した赤瀬川原平さん。その多彩な活動の原点はどこにあったのか。本人へのインタビューを中心に振り返った4回シリーズの1回目。赤瀬川さんの幼少時の原体験は、貧乏とおねしょ。「おねしょは中学2年生まで毎晩のようにしていて、自分の運命を憎み、死んでしまいたいと思っていた」という。コンプレックスの体験が、その後の絵に向かわせる原動力となっていった。
出演者
【出演】赤瀬川原平,作家…赤瀬川隼,イラストレーター/コラムニスト…南伸坊,【司会】堀尾正明

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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