徹子の部屋 一青窈 2014.12.16


実験は、来年3月までの予定で、JR西日本は集めたデータを検証し、さらに安全性を確保したいとしています。
「薄紅色の」「可愛い君のね」「果てない夢がちゃんと」
(黒柳)ファンの大変多い音楽家でいらっしゃいます。
非常に珍しいお名前なんですが一青窈さん今日のお客様です。
初めてでもないんだけど。
そうなんです。
『徹子の部屋』では初めてです。
「一青」っていうのはお母様の…石川県のお名前ですってね。
はい。
黒柳徹子でございます。
どうも。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今日初めて出ていただくんですけど素敵なお洋服で来てくださいました。
色々なお話をこれから伺うわけなんですけど。
この『ハナミズキ』は本当に皆さんよくご存じなんでちょっと聴いてみようと思います。
はいぜひ。
「ええいああ君から“もらい泣き”」「ほろり・ほろりふたりぼっち」これは『もらい泣き』。
うん。
これリハーサル1回しかなくて。
あっそう。
すっごく…。
初めてだったんです。
東フィルとやらせてもらうのが。
これそう?はい。
「可愛い君のね」やっぱり気持ちいいですね。
オーケストラと一緒に?うん。
「終わりますように」「君と好きな人が」徹子さん東フィルの何かをやられてらっしゃるんですよね。
ええ。
ありがとうございます。
私東フィルの副理事長をやっております。
あっそうなんですね。
ありがとうございました。
あそこで歌っていただいて。
「一青」っていうのは初めこの名前が出た時には一体どうやって読むのかってみんなね。
そうでしょうね。
覚えるまでは大変でしたけど。
「一青」っていうのはお母様のルーツの石川県のお名前で日本のお名前なんですってね。
そうなんです。
父が台湾人なんですけどもそちらの名字は「顔」って書いて「がん」って読むんですよね。
で途中で他界しましたのでそのあとは母の姓を名乗ってました。
「窈」っていうのはこれは台湾のほうのですか?そうですね。
同じ穴かんむりに1兆円2兆円の「兆」をつけて「窈窕たる」っていう形容詞があるんですけども。
それはこう…何でしょうね?知的で美しいっていう意味があったり山水とかだと奥深いっていう意味があります。
あっそう。
そういうお名前が「窈」。
それでお母様の「一青」。
それから台湾のお名前の「窈」と両方で一青窈さんというふうにお呼びになっていてそういうお名前で私たちも知ってるというわけなんですけど。
小学生の時にお父様お亡くしになってあとお母様そのあとでお亡くしになったりしてお姉様と一緒に生きてらしたんですけど。
お姉様がどういうわけだか私をおやりになったことあるんですってねなんか。
えっ?あら。
なんかねNHKの16時間の生放送っていうのがあったんですね。
テレビ始まって50年。
その時になんか私の役をお姉様がなんか…。
妙さんって仰るの?はい。
私司会してたんですけど何かで私の役をね私のことをおやりになったって聞いたんだけど。
黒柳さんの役を?うん。
えー。
それは聞いたことがなかったですけども見たかったですね。
ちょっとね。
お姉様エッセイストでもいらっしゃるんですけども。
まあそんなことです。
であの…。
ここのお机の上にあるのはお母様亡くなったあと発見したお母様の箱っていうものの中から出てきたものなんですって?これって。
そうですね。
さっきも伺ったけどお父様台湾の方。
はい。
でお父様は台湾5大閥の1つのお家の坊ちゃんだったっていうこともあって。
お母様は日本の方ですけども。
そのお父様先にお亡くなりになったんですけどそのあとご両親亡くなって見つけた箱の中からなんか出てきたものなんだそうですけども。
母の料理レシピブックだったりあとは日記ですね。
うん。
私も6歳の頃からずっと日記を書いてるんですけども。
まあ母がそんな日記魔だとは知らずにずっと書いてて。
ええ。
あとで亡くなったあとに「あっ母も日記つけてたんだ」っていう感じでしたね。
レシピはちょっとさっき拝見したんですけどあれなのねお母様台湾のお料理を覚えようと一生懸命なすったような気配がありましたね。
やっぱり台湾の家系に嫁ぐっていうことで台湾料理をしっかり作れないとっていう。
でうちの父は13人兄弟の長男だったので。
えー。
なのでそれはそれは苦労してお料理を…。
まあ語学も勉強してたはずですね。
ちょっといいですか?拝見して。
あっもちろんもちろん。
このさっきちょっと拝見したんだけどこれはどっちのほうかな?お料理のほうかしら。
あっこれ。
いいんです。
これうん。
すごいのはねお母様合理的な方だなと思うのは上のところに「30分」って書いてあるの。
30分かかるっていうか30分でできるっていうことですよね。
これね。
でこんな砂鍋とかってねお魚や色々なもの入ったものをずっと。
色んな随分細かく書いていらっしゃるんですねこんなふうに。
ここまでですから随分。
それから半日から1日かかるものっていうのも…お漬物とかそういうものとかね。
随分あちらのものを。
でなんか土鍋使ったりとかね。
色んなことをお母様随分書いてらっしゃる。
でこれもあとからあなたご覧になったそうですけどお母様の日記があって。
そうですねこれらが。
いいですか?はい。
なんかお母様の日記は見るのちょっと…あれだったでしょ?とっても。
そうですね。
やっぱり…私や姉のことを書いてるんだったらば読めるんですけど。
やっぱり父に対する愛情みたいなのが熱烈に書いてあって。
母も女だったんだなっていうのを…。
30歳を過ぎてからやっとなんかこう…まあ眺められるというか。
それであなたとかお姉様のことがいっぱい書いてあるかなと思ったらとてもそれは簡単に書いてあって。
そうですね。
「窈学校に行く」とか…。
お父様は台湾にいらしてお母様日本にいらしたこともあってそれはお会いになりたいとか色んなお気持ちはあったんだと思いますけれども。
なんかもう随分詳しく…。
私はこれ拝見してないんですけど。
前のほうっていうんですかね。
夜のことなんかも詳しく…。
そうですね。
はい。
なんかどれだけ父のことを愛していたかっていうのが文字になって…。
ここにも「とっても優しかった」。
うん。
「本当に優しかった」…。
ね。
でも最初は恥ずかしいなって思ったんですけどもやっぱりあの…ケンカしてたようにもたまに…。
全然喋らなかった時期があったので。
お父様が?うん。
でもやっぱり2人はすごく愛し合ってたんだなっていうのがわかって安心しましたね。
でもあれでしょ。
お母様のそういう日記を…。
あっ…奇麗なお母様とのお写真ですけど。
それであなたとですけども。
今私の手元にあるお母様のその日記なんですけど本当に丁寧に書いて…。
これ日記なんでねちょっとお見せできないんだけど。
でもそのお父様のことをどんなにか優しかったっていうことやなんかが多い…そういう日記はさっき仰ったようにあとになってみるとうれしい…。
でもあれですかね?このお母様の日記相当詳しく書いてある。
それはあとで…。
でも箱になって封がしてあったんでしょ?その箱に。
そうですね。
それ実際に発見したのは姉なので。
あっそうか。
うん。
私はそんなものがあるっていうのをあとから聞かされた…。
でもその日記はあとで子供たちが読むだろうかまたはどうだろうかってお思いになったと思います?どうだろうな?私もたくさん日記書いてますけど特に…そのあとに子供が生まれて子供が読むと想定したら箱にしまいますかね?もっと厳重にしまいそうな気がしますけどね。
あっそうなの?はい。
フフフッ。
レシピやなんかと一緒にふっとあったので読まれたら読まれてもいいなと思ったかそれとも読んでほしいってお思いになったかしら。
どうでしょうね?どうだろう。
そんなに自分が早く逝くとは母自身思ってなかったのか…。
そうね予期しないことだったのできっとねしゅっとここにおしまいになったのかもしれないんだけれども。
お母様亡くなった時はおいくつの時でしたっけ?17ですね。
17ですよね。
だから本当に思春期っていう感じなんですけど。
なんかその後そのお母様の日記は読んでらっしゃらないんですって?やっぱりうーん…胸が苦しくなってしまうからそんなにたやすくは開けられないですね。
そうですよね。
うん。
とってもお父様のことを…ちらっと見ただけでも「優しかった」「とっても優しかった」ってね。
そういう夜のことなんか書いてあるとこにそういうふうに書いてあったの…なんて素敵なんだろうなっていうふうに思います。
はい。
まあそういう若くして亡くなったご両親だったけど…。
さっきもちょっと仰ったけどケンカしてんのかななんて思った時もあったけどもあとになってみると…。
ちっちゃすぎて全然わからなかったっていうのが実際のえー…そうですね気持ちで。
大きくなってから姉から聞かされたり周りから聞かされたりして。
色んなことをこう耐えたり乗り越えたりしながらも家の中はいつもひまわりのように明るくって。
それはたぶん母が毎日毎日笑顔で料理を作ってくれてたからだと思うんですよね。
あっそうなの。
うん。
だから全然寂しいの「さ」の字も家の中にはないぐらい明るかったです。
あっそうなの。
じゃあそういうことではお幸せでしたよね。
はいはい。
あっお母様ってさっきすごく奇麗なお写真見たんだけどこういう滑稽な…左がお母様ですけど。
こういう滑稽な顔をなさる時あるの?いつも意地悪好きで。
私が家に…小学校の時家へ帰るとこたつの中にこう…。
「窈ちゃんちょっとこたつの中見て」とか言われて「何?何?」って言って入るとその中にカエルのゴムの人形が入ってたりとか。
えー!あとは「ちょっと新聞取ってきて」って言われて朝とかこうポストのところを見に行くとそこにやっぱりなんかこうネズミかなんかのゴム人形が置いてあったりして。
毛虫だったかな?可愛いねでもね。
はい。
なんかあっけらかんとしたすっとんきょうなお母さんです。
でもさっきね2人であなたと…。
前の写真ちょっと見せていただいていいですか?とっても奇麗なお母様だなって私申しましたけども。
このお母様ですね。
あなたとどこかいらした時のでお父様がたぶんお撮りになった写真だと思うんですけど。
こういうお母様なのにそのあとの写真はふざけた顔が多いので。
そうですね。
従ってお母様はふざけてて。
右側あなたですかね。
そうですね。
あなたもだからついでにちょっとふざけてて。
お父様穏やかな感じの方ですね。
いかにもね。
そうですね。
お母様は本当に面白い元気な方だっていうことよくわかりますよね。
うん。
さてさてそのさっきのこんなにたくさんまだたくさんあるお母様のこういうもの。
お母様…さっきもそのお話したけども。
やっぱりお母様…まあそんなに急に亡くなると思ってらっしゃらなかったせいもあるんだけど。
まあレシピなんかはやっぱり見られて全然かまわないと思うんですけど。
日記なんかは読まれても大丈夫…意識してらしたと思います?お母様読まれること。
うーん…。
私はやっぱり…何でしょう?これは自分の気持ちの整理とか確認のために書いてるような気がしてて。
自分自身もやっぱり書いてるんですけれども。
あんまりやっぱり人に見られることを想定してたらそれこそブログみたいに奇麗なことを書くと思うんですよね。
でもすごく赤裸々に父への思いだとか自分に起きたことを書くってやっぱり自分自身をこう…何だろう?落ち着かせるためのものであってそんなに…。
私は子供を持ったことがないのでわからないんですけどもそんな子供が見ることを想定して書いてあるようには私は思わないですかね。
やっぱりご自分の気持ちをその時書きたかったっていうことでしょうね。
そうですね。
でもそうですよね。
でもそうかといって日記っていうものもだーってその辺に出しておくもんでもないですよね。
そうですねはい。
誰が見るかわからないっていう感じがあって。
なんかよく日がな…遺書みたいな言葉をよく口にしてたので遺書はなんかこう定期的に書いてた記憶はあるんですよね母が。
お母様が。
うん。
ただそれを最後見つけることはできなかったのでまあもうそれよりかはひょっとしたらこのノートで十分だわって思ったのかもしれないですし。
それ見つかんなかったの?それは見つかんなかったですね。
お父様とお母様はどんなふうにしてお会いになったかとかそういうことはお聞きになったことある?それを知りたくて4年ぐらい前からずっと両親のことを知る例えば親戚だとか親友だとかにお話を聞いて回ってるところでした。
あっそうだったの。
はい。
で本を書こうと思っていてちょうど書いてました。
じゃあ少しはわかったの?いやー大体…「わからない」が答えですね。
やっぱりみんなの推測であって誰も本当にどこで出会ったかっていうのはそうですね。
2人から聞かない限りは確証が持てなかったですね。
そういうことっていうのはね。
とにかくお母様は日本の方でそんなにあの…お金があるというお家の方ではなかったんだけど。
お父様は台湾のさっきも申しましたが5大閥の1人で大変な財閥の坊ちゃんだったので。
そんなもんですからだからとても…。
あなた小学校2年生の時に亡くなったぐらいですか。
亡くなったあとお母様は1人であなたとお姉様を養わなきゃならないのでとっても大変だからっていって…。
なんか奥さんだったのに旦那様が亡くなっちゃったら向こうの家がちょっと冷たくなったみたい…。
そうですね。
やっぱり台湾の血を継いでいないという点で…。
うんそうでしょうね。
うん。
そうですね。
母はすごく苦労して私たちが成人するまできちんと勉強できるようにっていうのを後見人さんに頼んで。
月々必要なお金をお願いしてた形でしたね。
でもそれはまあおもらいになれたのかしら。
はい。
でもやっぱりお母様だけになっちゃうとそういうものかもしれませんよね。
そうですね。
それにやっぱり交渉に使う言葉もすごく大変だったと想像します。
そうですよね。
それとそういうふうな5大閥だなんていう…5つの財閥ですね。
そうするとやっぱりそういう財閥のお家のお嬢さんと結婚してほしいぐらいそこのお家の家族は思ったかもしれないっていうことも十分考えられますよね。
でもそれを遠い日本から来た女の人と結婚しちゃってっていうところもご親戚にはあったかもしれない。
だからそういうところが本当にまあドラマチックっていうとドラマチックなんだけど。
わかればね色んなことがね。
お母様のお気持ちがね。
そうですね。
でも小さい時はなんか反抗もお母様になすったこともあって?そうですね。
あの…やっぱり夜受験勉強をしてて…。
受験勉強かな?テスト勉強をしてた時にこうするめ焼いたよとか焼きおにぎりって持ってきてくれても太りたくないからいらない!って言ったり。
ああそう。
まあ…そういうのとかすごくいまだになんであんな可哀想なこと言っちゃったんだろうとは思いますね。
なるほどね。
あっそう。
やっぱりね。
はい。
今まあもちろんそういうことを後悔してらっしゃると思うけど今お母様に仰りたいとしたら何かあります?こういうこと…。
ああ…。
うーん。
この歌…歌…。
母がその…もう危ないよ余命いくばくもないよっていう時にミュージカルを見に行ったんですよね。
そしたらどんな抗がん剤よりもすっごく生き生きと帰ってきて。
私はその時にあっ音楽の力ってこんなに人を元気にさせるんだって思ったんです。
だからなんかそれもあって自分はああ誰かが病気になった時に元気にしてあげられるような職業素敵だなって思って歌手になりたいと思ったんですよね。
あっそうなんですか。
へえー。
だからもしできるならばあの時苦しんでた母の枕元に立って母の聴きたい…わかんない。
テレサ・テンさんか加藤登紀子さんかわからないですけれども歌を歌って元気にしたいなと思います。
あっそうね。
はい。
でも今は聴いてくださっているとは思いますけど。
はい。
でもその時ねできればっていうふうにきっとお思いだと思いますよね。
ちょっと今ねお父様のねお手紙がね…。
あなた小学校2年生の時お父様亡くなったので。
とても小さい時のあなたにお父様書いてくだすったけど本当に奇麗な字ですねお父様の字は。
しかも読みやすい。
でもいいですか?読ませて…これはいいかな?はい。
「窈ちゃんパパより」「おてがみありがとう」「ようちゃんのせえらふくとくつをきてはいているしゃしんがはやくみたいのでママかおねえちゃまにしゃしんをとってもらっておくってきてください」「そうえんしきにはく」…。
これは幼稚園の卒業式ですねきっとね。
「そうえんしきにはくブーツはパパはすっかりわすれました。
ごめんなさい」「さっそくかっておくります。
さようなら。
72年2月26日」まあなんて奇麗な字。
読みやすい…平仮名ですもんね。
全部平仮名で。
だから大人にとっては難しいです。
全部平仮名でね。
だけどやっぱりとってもお優しいことがあふれているようなお手紙ですね。
これも今日の色んな中に入っていた中に…。
どうもありがとうございました。
いいえ。
はい。
いいですか?お返しして。
でもそういうふうなものが残っていることはとても大事なことでいくら記憶の中にあってもやっぱり見ないと忘れちゃうっていうこともありますよね。
いやー本当に父が手紙をたくさん書いてくれたことや母が日記を残してくれてるとか記録に残すっていうことがすごく自分にとって何よりもの宝物で…。
これは本当に何もなかったらたぶんうつらうつらとした…。
そうですよね。
思い出で。
全部たぶん奇麗にまとめちゃうと思うんですよね。
でもお父様のそういう手紙とかお母様の日記とかそういうものはあなたが詞をお作りになる時にまあ役に立つと言っては失礼かもしれませんけどやっぱりなんかインスピレーションはそういうところから?もちろん。
パパとかママとかいったそういうことは随分詞の中には書いてらっしゃるんでしょ?いっぱいね。
そうですね。
『パパママ』これは一番新しいアルバムに入れた歌ですね。
これ『私重奏』っていう新しいアルバムの中の『パパママ』っていう…。
そう。
私みたいにお母さんを亡くした子のことを思ってて。
そうしたらなんか自分の昔の思い出と重なってするすると朝の3時ぐらいに書けて歌ができました。
あっそうなの。
でもそういうのはお歌いになる時はどういうものなんですかね?ああ…なんか昇華されるっていう感じはしますけどね。
なんかこう届いたな…。
自分の中だけであると全然流れていかないけど歌にすると誰かの耳に届いて誰かの思いも震えて動きだして…。
そうですね。
なんか届くような気がします。
そうですよねきっとね。
誰かに聴いてもらえるっていう気持ちもあってその聴いた人がまたそれから色んなことを思ったりするだろうっていうのはね…。
でもあなたなんか昭和歌謡っていうのがお好きなんですって?昭和歌謡大好きですね。
やっぱり母がお台所で聴いてて漏れ聴こえるのを聴いてるうちに好きになったっていうのはありますね。
例えばあなた昭和好きな歌謡はどんなのですか?やっぱりちあきなおみさんだとか園まりさんだとか…。
阿久悠さんだとか久世光彦さんだとかそういうこう過去に向かってこうなんか…。
そうそうそうそう。
大人っぽい。
そうですね。
そんなイメージです。
あっそう。
わかります。
金井克子さんのなんかあれなんですって?あっそうです。
『他人の関係』を今カバーさせていただいて…。
「逢う時にはいつでも他人の二人」「ゆうべはゆうべ」「そして今夜は今夜」これウルトラマン。
ハハハ…。
ウルトラマン?なんかこんなようなの…。
はい。
まあ一青窈さんの大ヒットの『もらい泣き』にしても『ハナミズキ』にしても全部ご自分の詞だと思うんだけどやっぱりご自分で詞をお書きになってねでそういう日記がもとになってるのかどうかわからないけど必ずつけてらっしゃるっていう…。
そうですね。
日々もうお芝居を見ても映画を見てもなんかこう…。
いいですか?見せていただいても。
大丈夫?はいどうぞ。
へえー。
こんなふうに。
ああ。
随分相当面白いのありますね。
ありますか?うーんなんか。
「人の事は客観的に見れるのに自分の事は上手く分析できない」「頭のいい女子は嫌いってじゃあじっさいバカな男にはどうすればいいの?」とかなんかねそういうふうな。
ハハハッ。
でもあれですよね。
今のこの「Campaskiss」とか書いてあって。
そういうちょっとした言葉…「1年限定」とか。
そういうものって歌詞にとっても必要なことってあるんでしょうね。
なるほど。
でもこんなふうに…。
じゃあどんどんたまるでしょ?もう何十冊もあります。
これを納めておく場所が欲しいぐらい…。
そういうのをひっくり返して歌詞をお作りになる時見ることも見直すことも…。
ありますはい。
今日はじゃあ…今日お帰りになったら今日のことをお書きになります?あんまり書かない?書きます。
もう私はこれが今とっても素敵だなって思って。
これ?はい。
欲しいなって思ってます。
いやいやいやいや…。
これはね打ち合わせの時に相手の人が喋る速度で書いてるのでものすごくね速く書くんですよ。
えっでも…。
超汚いの。
相手の速度で書いてるので。
これをね日本の料理屋さんのメニューみたいだと思う方もいらっしゃるらしいんですけどでもそんな奇麗なものじゃない。
私の本当に…。
まあこういうところに…。
でも本当に今日お会いできて…。
前にも何回かどこかでお会いしましたよね?はい。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
一青窈さん。
いつも見てますよ。
2014/12/16(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 一青窈[解][字]

〜封印された「箱」に亡き両親が遺したものは〜一青窈さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
「もらい泣き」「ハナミズキ」など独特な歌詞で幅広い世代のファンを魅了する、歌手で作詞家の一青窈さんが『徹子の部屋』に初登場!
◇番組内容
台湾人の父と日本人の母との間に生まれた一青さん。小学生の時に父を、高校生の時に母を亡くし、その後は姉と二人で生きてきた。母の死から長い時を経て、父から家族に宛てた手紙、母が綴った何年分もの日記などを発見した。母の日記には台湾に嫁いだ苦悩や父への愛情が詳細に赤裸々に書かれていて、少し読んだ一青さんは「自分が読むべきものか」と悩み、全ては読めずにいると語る。ほか、詞を書くようになったきっかけを明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
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