俳優・高倉健さんが亡くなりました。
スタート!銀幕の中に生きることにこだわり素顔を見せることはほとんどなかった高倉さん。
遺作となった映画の撮影中NHKによる異例の密着取材が許されました。
高倉さんが最も心を許した安らぎの場所。
いつも撮影の無事を祈った神社。
そして、旅先の海辺。
胸に秘めてきた覚悟のことばが語られました。
撮影は100時間に及びました。
かなり感情が高ぶられてるように感じたんですが…。
みずから語った孤高の生き方。
名優、心の軌跡です。
2011年、秋。
「プロフェッショナル仕事の流儀」の撮影班が高倉さんの密着取材を行いました。
6年ぶりの映画撮影。
高倉さんは50代半ばから数年に一本心からやりたいと思える作品にだけ出演してきました。
監督も同じだと思うんですけど。
まだ三上ちゃんなんかそこまでいかない…考えがいかないんだよね。
高倉さんは共演者やスタッフに気さくに声をかけていました。
ロケ地の住民たちとの交流も楽しんでいました。
かつては近寄りがたい存在だったという高倉さんの優しい笑顔が、そこにありました。
高倉健さんは長年飾らず謙虚な人柄そのままの役を演じてきました。
本番!用意…スタート。
勇さん!ほら見てみろ、ほら!勇さん!勇さん、ほら!なんだか分かる?ハンカチよ…。
ほら、ちゃんとあったじゃないの。
おー!秀坊、俺のことなんかより…おめえも鉄道員
(ぽっぽや)だべ。
幹部の一人だべ。
やることがいっぱいあるんじゃねえのか。
高倉さんは華やかな芸能界とは距離を置き私生活を明かすことはほとんどありませんでした。
密着取材のさなかこれまで多くを語らなかったみずからの人生についてロングインタビューに応じました。
語り始めたのは生まれ育った九州の炭鉱町の情景でした。
だから…非常に気が荒い地域ってのは炭鉱で働くために地方から流れてきた人たちがいっぱいいたっていうことでしょうね。
そりゃ、汚いよね。
真っ黒になったままみんな入るんだから。
おふくろに、いつも怒られてたの。
絶対、行っちゃいけないって。
そん中、目開けて金玉つかみとかやってたの。
もうむちゃくちゃだよ。
それは、もう本当に汚いの子どもだから分かんないからみんなと一緒に入りたいっていう。
いつも、みんなと一緒に行動したいっていうね。
なんでも一緒ですよ、あのときね。
ちょっとNHKじゃ言えないようなことばっかり教わったよ。
高倉さんは昭和6年生まれ。
本名・小田剛一。
ふるさとは福岡県の炭鉱の町。
気性の激しい人々にもまれて育ちました。
やがて、太平洋戦争が勃発。
戦争の記憶は高倉さんの胸に深く刻まれていました。
で、盗んだ、いろんなものを。
死体だよ。
まだ生々しい死体ですよ。
落ちたばっかりだもん。
その死骸を見ても怖くないっていう。
やっぱり、今、考えたらすさまじいことですよね。
終戦後高倉さんは炭鉱町を飛び出して上京します。
大学を出たあとその日暮らしをしていましたが金が底をつき食べるために、映画会社のマネージャーの面接を受けます。
そのとき、その端正な容姿が重役の目に留まりました。
高倉さんが役者になられて最初のころに芝居をするとよく笑われたっていう…。
笑われたね。
笑われたんじゃなくて、見学。
俺、一生懸命やってるのにどうしてみんな笑うのかなと思って。
「やらないでください」「見学しててください」って。
もう、みんなが笑って授業が進まないから、見学。
お前は向かないからやめろって言われたことあったよ。
意外と、それが結構ツボにはまって「じゃあ絶対なってやる」って俺が思ったのかもしれないけどもね。
演技は、からきしだめでしたが高倉さんには華がありました。
俳優修業を始めて1か月あまり24歳でいきなり主役に抜てきされます。
ひきょう者!それが伝統ある沖縄武術家の言うことばか!しかし食いぶちを稼ぐために始めた俳優の仕事。
本音は、嫌でたまらなかったといいます。
当時の高倉さんをよく知る人がいます。
この「大学の石松」。
4作目ですよね。
新人時代から仕事をともにしてきた映画監督の佐藤純彌さん。
高倉さんとは同世代で名前で呼び合う仲でした。
デビュー3年目。
巨匠・内田吐夢監督作品の主演に選ばれます。
さて、一番いいものがもう一つ残ってんだが。
君、アイヌは好きか?アイヌの青年を演じた高倉さんは怒りの表現に苦しみました。
それなら、少しぐらいの冒険はしてもらわなきゃな。
カメラマンが、西川さんってカメラマンだったけど。
撮れなくなるって。
これ、ことし撮れないぞって小さい声で助手にしゃべってるの俺、聞こえたんだよね。
これは、だめかなって。
それ、西川さん、何?って聞いたらいや、葉っぱが落ちると。
それで、急激に寒いのが北海道は変わってくるから。
実際、色が変わるんですよどんどん、毎日。
それ、僕ができないためにそのオーケーが出ないの。
なかなか感情をむき出しにできない高倉さんに監督は罵詈雑言を浴びせ続けます。
それで、ありとあらゆる僕に、いろんなことを…。
お前の手がなってないとかアイヌの悲劇をしょってるやつの手じゃないとか。
じゃあ、最初から決めるなよこの野郎って、僕は思いますよ。
生き物だもんね。
リアルな感情表現とは何か。
その一端に触れた経験でした。
そして、10年目。
大ヒット作品が生まれます。
「日本侠客伝」。
仲間のために命を賭
(と)して戦う一本気な男。
はまり役との出会いでした。
渡世人のけんかならこんなひでえ仕打ちしてもいいのかよ!だから、ああいう役やるんでしょうね。
やったらなんかおふくろはすごい悲しんでんだ。
入れ墨で、なんかこう…やったりするのね。
僕の中にはとってもあるんですよ、あの血が。
血ですね、それは。
よく今まで罪を犯さないでここまできたなって思いますよ。
高倉さんは「昭和残侠伝」「網走番外地」と次々にヒット映画を連発します。
役作りのために過酷な筋力トレーニングにも取り組みました。
撮影所の後輩俳優・北大路欣也さん。
12歳年上の高倉さんにかわいがられ仕事については厳しく教えられたといいます。
さあ、始めるぞって言ってまあ、健さんの、その…トレーニングスタイルを初めから僕やらされたわけですよ。
はい、次、ランニングはい、次、柔軟体操はい、腹筋背筋っていうふうにして。
ところがもう半分もいかないうちにねまあ…息が上がっちゃったんですね。
もう自分も情けないけどいや、こんなに僕はできないのかと自分で思いつつも「何やってんだ、お前」って…。
「お前半分もいってないだろ、これ。
はい、もう一回」とかって。
「いやあ、健さんちょっと勘弁してください。
僕、もうなんかむかむかして」。
「何、言ってやがんだこの野郎」って言って。
「だめ」って言ってねそこで、もう本当にしごかれた。
任侠映画のシリーズは高倉さんを一気に人気スターへと押し上げました。
鬼首!死んでもらうぞ!1年で10本以上という今では考えられないペースで主演を務めます。
しかし、毎日のように朝方まで行われる撮影。
それが何年も続くうちに高倉さんは心をすり減らしていきます。
毎朝、遅れてさ。
もう1時ぐらいしか出ないけど9時で出しとけって向こうのほうも9時で予定出されて…。
なんだかもうとにかく朝は来ない。
来ても、もうセリフがろれろれでしゃべれないっていう。
そういうのが何年も続く。
なんでも、やっぱり、なあなあになってくるっていうかさ。
まともに言われたとおりやったら体が持たねえっていう。
やっぱり自分の体を守るための防衛本能だよね。
理屈を言えばだよ。
数々の映画で共演しプライベートでも親交の深かった小林稔侍さん。
当時、高倉さんは失踪騒ぎまで起こしたと明かしました。
東映の撮影所っていうのは大泉っていうところの…練馬の。
そしてね、僕は寮にいたんですよそのころ。
それで、澤井信一郎って監督いい監督ですよ。
その方も、まだ助監督ですけどそこにいたんですよね。
澤井さんも一緒に。
寮に、お風呂はもちろんあるんですけどね町の銭湯へね、洗面器持ってね当時だからね。
洗面器持って、げた履いて…。
いや、風呂行くんですよって。
だから、会社が大変ですよ。
そんなある日高倉さんは映画館に足を運びます。
上映されていたのはみずからの主演映画。
その客席の様子に衝撃を受けました。
疲れ果て全力で演じていない自分に夢中になってくれている人たち。
湧き上がってくる思いがありました。
一体俺は何をやっているのだろう。
俳優となって21年目の45歳のとき高倉さんは大きな決断をしました。
長らく在籍してきた映画会社を辞めたのです。
それは安定した収入や看板俳優としての地位を手放すことでもありました。
いやあ、あえて選んだ…まあ、選んだんだね。
やるって言ったんだから。
選んだんだけどそれが運命ということでしょうね。
やっぱり同じパターンのやくざものばっかり何十本もやっててもそれは自分が変われないなと思って志願して出てったんだけど。
それは、いった人しか分からないね。
やっぱり、なんか、それはいい俳優になりたいと思ったからだろうね。
時を同じくして、一本の映画の出演依頼が舞い込みます。
「八甲田山」。
旧陸軍の真冬の遭難事故を描く超大作でした。
これより八甲田を一気に踏破する!進め!舞台は零下30度の雪山。
そこで3年にわたって撮影を行うという前代未聞の作品でした。
この映画に高倉さんは俳優人生をかけて臨みました。
猛烈な吹雪の中高倉さんをはじめ多くが凍傷になりました。
共演した北大路欣也さん。
壮絶な撮影に挑む高倉さんの姿が脳裏に焼きついています。
出発!何時間待つの?とかね耐えられないとかいろんなことが起こってくるんだけどそしたら大きな声でね高倉隊は6時間待ったんだっていうね、響きがこれは監督かな?大作さんかな?って。
要するに何、言ってんだ!と、お前ら。
それで、みんな、もう気が、ばっと引き締まっていや、高倉隊は6時間だ…。
もう全員、それからまたねギアの切り替えですよね。
頑張らなきゃ、頑張らなきゃ…。
3年に及ぶ撮影の間高倉さんはほかの仕事をすべて断りました。
次第に経済的に苦しくなり次々と財産を処分し現金に換えました。
SLも覚えてるね。
初めて、あのSLって2人乗りの。
SLも買って。
千葉が買ったやつ。
千葉に俺、売ったから。
それ、みんな売り食いしたんだよあれ。
北大路さんはこの映画のラストシーンが忘れられないと言います。
高倉さん演じる徳島大尉が北大路さん演じる神田大尉の遺体を前に涙する場面。
命がけで部下を率いた徳島大尉の姿が過酷な撮影の先頭に立ってきた高倉さんと重なりました。
それだけが今度の雪中行軍の楽しみだと申しておりました。
その場面が試写のときに初めて僕、見るわけですよ。
そのときは、僕ねもう恥ずかしいですけどね本当にもう声が止まらないぐらいね泣いたんです。
それは神田大尉としてでもあるけど私個人としての徳島大尉に対して健さんに対してまた、それだけ大勢のねスタッフの方々のピラミッドの頂点に立ってる。
なんて言ったらいいんだろうね…。
その…男の姿っていうのかな。
それに…大感動したんだと思います。
なんだか分かる?ハンカチよ…。
ほら、ちゃんとあったじゃないの。
高倉さんは、心からやりたいと思える役だけを選び全身全霊で挑んでいきます。
不器用だけれど己の本分を全うしようと懸命に生きる男を演じ続けました。
北緯41度を越えて北へ行くんだ。
次第に高倉さんはみずからに向け一つの問いを突きつけるようになります。
自分は、その役にふさわしい生き方をしているだろうか。
本人の…生き方かな。
生き方がやっぱり出るんでしょうね。
テクニックではないですよね。
柔軟体操も毎日いいトレーナーについてやってれば壊さないでやわらかくなる。
あと、やっぱり本、読んで勉強してればある程度の知恵もつくよね。
その生き方っていうのはたぶん、一番、なんか出るのがその人のふだんの生き方じゃないですかね。
いや、偉そうなこと言うようですけど。
懸命に生きている人を演じるためにはみずからも懸命に生きていなければならない。
誰よりも、映画に打ち込んでいかなければならない。
高倉さんは、最愛の母が危篤になったときでさえ誰にも言わず撮影を続けました。
でも、今、考えたらね肉親の、僕、葬式誰も行ってませんよ。
それは、結構、やっぱ自分に課してる。
俺は絶対、それで撮影中止にしてもらったことはないよっていう僕の中では、それはねプライドですね。
言ったら当然、中止にしますって3日間、4日間とかってなったと思うけど一度も僕、言ったことない。
1回もないですね。
それは僕は、どっかで俺はプロだぞって思ってますよ。
それはだからね…。
映画のために多くのものを捨てました。
40歳で離婚してからは家庭的な温かささえ遠ざけその後、独身を貫きました。
小林稔侍さんはそんな高倉さんの心の奥をかいま見たことがあるといいます。
はっと心打たれましてね。
やっぱりそういう絵をね、買って人知れず自分の部屋にね飾ってあるっていうのはやっぱり…ちょっと胸、打たれましたね。
何にも僕は言わなかったですよ。
「いい絵ですね」とかねもう言えなかった、うん。
生きていくことは切なく生きていくことは、いとおしい。
高倉さんは、すべてを背負ってカメラの前に立ち続けます。
子どもも、かみさんも死なせて。
なのに、みんなしてよーくしてくれるしよ。
本当に幸せもんだ。
晩年の代表作「鉄道員
(ぽっぽや)」の撮影現場を訪ねた映画監督の佐藤純彌さんは出迎えてくれた高倉さんの姿が今も忘れられないといいます。
ホーム、よし。
高倉さんが40年にわたり毎日のように通ってきた場所があります。
お待ちしておりました。
都内にある理髪店。
髪を切らないときも店主と会話をして過ごします。
演技には生き方が出るとみずからを律してきた40年。
やわらかい笑顔の向こうにどれだけの日々があったのでしょうか。
2011年、秋。
映画「あなたへ」の撮影は佳境を迎えていました。
高倉さんは、漁村の子どもとすっかり打ち解けていました。
映画「あなたへ」は妻を亡くした男が妻のふるさとを訪ねるロードムービー。
映画のクライマックス妻の遺骨を海にまくシーンの撮影が近づいていました。
撮影当日。
スタッフの間には張り詰めた空気が流れていました。
サンキュー。
こっち?高倉さんはいつもと変わらぬ穏やかな表情で本番を待っていました。
監督から声がかかりました。
それをくっつけてやるんですか?うん、全部、くっつけて。
もうちょい左いって。
影、出さないでね。
透けて見えてるから。
♪〜すべての撮影が終わりました。
生涯205本目の映画。
高倉さんの遺作となりました。
お疲れさまでした!クランクアップから4か月後。
高倉さんに、最後のインタビューをお願いしました。
まあ、長かったったら長いしねあっという間といえばあっという間だよね。
ない。
ないよ、そんなもの。
夢?なんだろうね…。
いろんな国の人と映画を撮りたい、うん。
日本だけじゃなくてね。
それは、やっぱり、あの強烈な…なんていうんだろうね。
あいつが出てると日本人だよなっていうそういう俳優になりたいっていう。
僕は中国人やりたいとかベトナム人になりたいとか思ったことない。
だから、どんなに舞台がなんとかって言われてもなんの興味も感じない。
日本人しかやりたくないと思ってるから。
映画はかなわないですよ、もう。
それ以外の、なんかピッピッて刺激するもん。
終わり。
ありがとうございます。
高倉健という俳優がいました。
信じた生き方を愚直なまでに貫き通した人生でした。
♪〜2014/11/23(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「高倉健という生き方〜最後の密着映像100時間〜」[字]
日本を代表する大スター高倉健はなぜ高倉健という生き方を貫き通したのか。3年前異例の密着取材が許されロングインタビューで語り尽くした“のこしたい”人生や哲学に迫る
詳細情報
番組内容
日本を代表する大スター高倉健が亡くなった。NHKは3年前、遺作となった映画「あなたへ」の撮影現場に異例の密着取材が許され、10時間にわたるロングインタビューを行った。行きつけのカフェでなじみの理髪店で、カメラの前で自らについて語ることの少なかった孤高の名優が“遺したい”という想いから、自身の人生や哲学について語り尽くした。高倉健はなぜ高倉健という生き方を貫き通したのか、その類いまれな人生に迫る。
出演者
【出演】高倉健,北大路欣也,小林稔侍,【語り】橋本さとし
キーワード1
高倉健
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映画 – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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