震災ドキュメント2014「仏浜 パトカー物語」 2014.12.17


全住民が避難を強いられる福島第一原子力発電所の周辺。
立ち入りが制限された無人の地域で警察がパトロールを続けています。
これなんかは…パトロールの行き帰りに警官たちが立ち寄る場所があります。
原発から8キロの富岡町仏浜です。
ここに津波で流された一台のパトカーがあります。
3月11日地震の直後に出動した…パトカーには地元双葉署の警官2人が乗っていました。
その一人当時24歳だった佐藤雄太さんは3年半が過ぎた今もまだ遺体が見つかっていません。
なぜ津波に巻き込まれたのかもずっと謎のままでした。
あの日雄太さんはどこで何をしていたのか?家族はそれを知りたいと願い続けてきました。
手がかりを得ようと家族と警察はパトカーの前にポストを立てました。
手紙を入れる地元の住民や仲間の警官たち。
届いたメッセージであの日の出来事が少しずつ分かってきました。
被災地に今なお残る一台のパトカーの知られざる物語です。
(号令)震災から3年半のこの日原発周辺で地元双葉署の警官が津波行方不明者の捜索に集まっていました。
この地域では原発事故の影響で震災直後に十分な捜索ができませんでした。
双葉署の管内で1,177人が津波の犠牲になり48人が行方不明のままです。
遺体が見つかっていない一人あのパトカーに乗っていた…雄太さんがいた双葉署は原発事故の直後に隣町に避難し今も無人のままです。
ここで雄太さんは地域交通課の巡査長として働いていました。
3月11日非番だった雄太さんは剣道場で防具を片づけていました。
そのさなかあの大地震が起こりました。
雄太さんは町の被害を確認しようと双葉第2号車に飛び乗りました。
その後富岡町の中心部をしばらく巡回していた事までは分かっています。
これか?それだね。
雄太さんの父安博さんと母浩子さんです。
自慢の息子だった雄太さん。
津波までの最後の1時間何をしていたのかは謎のままです。
家族は雄太さんの死をずっと受け入れられずにきました。
原発事故の影響で津波にのまれた町並みがそのまま残る富岡町。
この町にある警察の寮で雄太さんは暮らしていました。
周辺はまだ人が住めない高い放射線量です。
(母)このまま上がって下さい。
あの日雄太さんは転勤の内示を受け翌日に引っ越す準備をしていました。
まだ24歳だった雄太さん。
家族は月命日の11日にはパトカーのもとへ手を合わせにやって来ます。
(母)ハハハハ早く食べなよ〜。
あの日の事を知りたいと立てたポストには毎月たくさんの手紙が届いています。
仲間の警官からの「絶対に見つける」という手紙。
届いた手紙はこれまでに530通。
謎だった雄太さんの最後の1時間も少しずつ分かってきました。
富岡駅前の商店街で命を救われたという手紙。
海のそばでパトカーの呼びかけを聞いて逃げたという手紙。
パトカーは最後の交信のあと富岡駅前の商店街に向かい避難を呼びかけていた事が分かりました。
しかし最後の15分商店街から見つかった場所までの行動はまだ謎として残されています。
雄太さんの親友だった佐藤貴哉警部補です。
今年4月に志願して双葉署に転勤してきました。
原発間近の双葉署にあえてやって来たのは雄太さんの最期がずっと気にかかっていたからです。
休みの日1人で雄太さんの捜索を続けています。
2人は機動隊で同じ釜の飯を食った間柄。
いつも相棒として同じパトカーに乗り地域の安全を守ってきました。
人懐っこく1つ年上の自分を慕う雄太さんを貴哉さんは弟のようにかわいがっていました。
初めに思ったのは…放射線量が高く立ち入りが厳しく制限される…その内側で貴哉さんは雄太さんの意志を継ぎ一時帰宅の住民の安全を守り続けています。
(アラーム)そうそう線量計。
2.5に設定してあるんだけど…国の基準の10倍を超える放射線量です。
(アラーム)周辺では無人の家を狙う泥棒の被害が絶えません。
これ泥。
こちらもこの辺にだけ泥がついてる。
貴哉さんが常駐する双葉署の分庁舎は周辺の放射線量がかなり高い地区にあります。
食事ができるのは署内だけ。
夜この町には警察官しかいません。
そんな厳しい環境での任務の合間貴哉さんは少しでも雄太さんの最期の謎に迫ろうとしています。
(チャイム)パトカーのポストに届く警官や住民からのさまざまな手紙。
警官の中には雄太さんによって初心を思い出し生き方を変えたという人もいます。
この日ポストに手紙を入れた警官もその一人です。
川口鶴孝警部補。
住民に避難を呼びかけ続けた雄太さんに心を打たれ刑事をやめ地域巡回の任務を志願しました。
富岡町で生まれ育った川口さん。
刑事時代は長くふるさとを離れていて36年ぶりに帰郷しました。
何とも…。
去年双葉署に異動してきた川口さんは雄太さんがいたパトロール隊に入りました。
雄太さんのパトカーと同じ車番双葉第2号車を引き継いでいます。
町の高台にある川口さんの実家。
ここに戻ってから父親にあの日雄太さんのパトカーを見たと聞きました。
父親は2階からパトカーの動きをずっと目で追っていました。
謎だった最後の15分。
パトカーは商店街を出て漁港の方へ向かったといいます。
なぜ漁港に向かったのか?雄太さんの親友貴哉さんは別の目撃者にたどりつきました。
いち早く高台に避難していた…ああ…。
ええ。
原発事故から3年たちようやく除染が始まった富岡町。
10月11日雄太さんの両親がまた月命日のお参りにパトカーのもとへ向かっていました。
あの日の事を知りたいと家族が願ってきた3年半。
ポストに集まるメッセージが生きる支えとなってきました。
この日見つけた一通の手紙。
そこには雄太さんが最後に姿を消すその時の様子が綴られていました。
海辺の人たちを避難させたあと雄太さんのパトカーはまだ残された人を助けようとユーターンして迫る津波の方へ向かったといいます。
うん。
いいか。
なあ?東日本大震災で住民を救おうとして津波の犠牲になった警察官や消防団員らは300人を超えます。
原発間近の富岡町仏浜。
今も一台のパトカーがここに残されています。
2014/12/17(水) 01:05〜01:30
NHK総合1・神戸
震災ドキュメント2014「仏浜 パトカー物語」[字]

津波に襲われた福島県富岡町の仏浜地区に残されている一台のパトカー。住民を助けようとして殉職した警官が乗っていたものだ。この車をめぐる知られざる物語に光を当てる。

詳細情報
番組内容
福島第一原発から7キロ。津波に襲われた富岡町の仏浜に一台のパトカーがそのままの姿で残されている。震災直後、住民を助けようとして殉職した二人の警官が乗っていた「双葉第2号車」だ。去年、このパトカーそばに小さなポストが置かれた。そこに無人の避難指示区域を巡回する後輩警官や住民が二人へのメッセージを投函。その数は500通を超えた。その言葉や後輩たちの活動を通し、この車をめぐる知られざる物語に光を当てる。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – ローカル・地域
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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