「オネエですか?」。
独特の語り口で知られる「尾木ママ」こと…教育評論家として活躍しています。
尾木さんの教育者としての原点は両親にあるといいます。
既に他界している両親。
生前二人の人生について詳しく聞いた事はありませんでした。
父は元気象庁の技官。
そして母について。
幼い頃生みの母親と生き別れた事だけ聞かされていました。
番組では尾木さんに代わり家族の歴史を追いました。
極寒の地での父の覚悟。
そして遭遇した遭難事故。
仲間と交わしたある約束が父の運命を変えました。
これまで誰にも語らなかった自らの出生の秘密。
3歳の時に生き別れた生みの母。
その足取りをひそかに探し求めていました。
見つかった謎の手紙の数々。
そこにはこれまで分からなかった母と娘の真実がつづられていました。
この日尾木さんは自らのルーツを初めて知る事になります。
直樹さんの父栄一は気象庁の技官でした。
几帳面で生真面目な姿が印象に残っているといいます。
だからね村の人々もね…そんな父栄一はどのような人生を歩んだのか。
栄一が生まれ育ったのは日本百名山の一つ伊吹山を望む滋賀県米原市。
大正8年その伊吹山の頂上に気象観測のための測候所が造られます。
当時日本一高い場所にある測候所でした。
直樹の父栄一は17歳の時測候所の採用試験を受けます。
当時給料が良かった測候所の仕事。
地域でも優秀な若者たちが就職を目指しました。
栄一が試験に合格した時の様子を伝え聞いています。
平成13年に閉鎖された伊吹山測候所の跡地を訪ねました。
栄一が測候所の職員となった当時頂上への道のりは過酷でした。
食料や自分の衣類など20キロほどの荷物を背負って登らなければなりませんでした。
背が低かった栄一は先輩たちの後を必死に追いかけました。
その道のりは険しく夏は4時間雪の積もる冬には10時間以上かかりました。
冬の測候所に登るつらさを今も覚えています。
標高1,300mを超える場所にあった測候所。
その厳しさを物語る資料が彦根地方気象台に残されています。
昭和2年の積雪の記録です。
伊吹山測候所の在りし日の姿です。
NHKにその貴重な映像が保管されていました。
「この朝の気温は氷点下15度風速は15mありました。
風はこれでも弱い方です」。
雪と氷にさらされる中観測機器が作動するように常に注意を払います。
3人の職員が交代で4時間ごとに風力や気圧などおよそ20項目を正確に測定しなければなりませんでした。
こうした細かい作業を栄一は黙々とこなしました。
そんな栄一には尊敬する先輩がいました。
47歳のベテラン観測員…伊吹山の麓で生まれ育ち……と呼ばれていました。
そんな「伊吹山の新さん」の口癖がありました。
栄一は熱く語る新さんに魅せられました。
栄一が測候所に入って2年目の冬。
この日猛烈な寒波に襲われ激しい雪が降っていました。
観測当番をしていた栄一。
(ドアが開く音)栄一のもとに第一報が届きます。
山頂の測候所に向かったまま行方不明になったのです。
早速捜索隊が組まれました。
栄一も懇願します。
しかし冬山での経験が浅いと許されませんでした。
代わりに栄一は一人観測を任される事になったのです。
新さんたちの安否を気にしながら必死に業務を続ける栄一。
新さんの言葉がよみがえります。
地元の人たちも動員され捜索は300人態勢で行われました。
しかし一日また一日と時ばかりが過ぎていきました。
そして7日後「伊吹山の新さん」は帰らぬ人となったのです。
捜索活動が行われていた7日間栄一が一人で観測し続けた記録が彦根地方気象台に残っています。
栄一は一日中天気の変化を記録し続けました。
この時の栄一の奮闘をたたえた記事が東京の気象庁で見つかりました。
ここですね。
21ページの左下…。
「尾木くんは12日以来18日まで一人で観測を続けここに記して感謝の意を表したい」。
その後も伊吹山で地道な観測を続けた栄一。
順調に昇進し昭和15年には「気象技手」という上級の役職に就きます。
しかしそんな栄一の事で気をもむ人がいました。
小学校教員だった父徳次です。
29歳になっても一向に結婚しようとしない栄一にしびれを切らしていました。
徳次は滋賀県の教員名簿を取り寄せ息子の結婚相手を探します。
そしてある女性に目をつけます。
米原の小学校の教員でその仕事ぶりが評判の女性でした。
徳次は栄一にお見合いをさせます。
背筋が伸びた着物姿の美しい女性に栄一はすぐに心奪われました。
この女性こそ…いや驚きました。
数字見た時にすぐおやじの数字だと分かりました。
ええ。
あれ独特の癖というか7という字と8いう字がね特徴的なんですけれども…。
あんなに苦労してたというのは思いもしなかったですね。
直樹さんのもう一つの大切なルーツ母静枝さん。
静枝さんには生き別れた生みの母親がいたといいます。
その背景にどんな理由があったのでしょうか?静枝はこの地で国鉄に勤める父山本茂の長女として何不自由なく育ちました。
静枝は幼い頃から頭が良く成績は抜群。
静枝が通った地元の名門…これは静枝の成績表。
一番評価の高い「甲」がぎっしりと並んでいます。
静枝は周囲からの信頼も厚く毎年のように級長を任されていました。
静枝の優秀さを伝え聞いています。
ところが昭和8年静枝が15歳の時です。
父茂が病気で急死します。
一家の家計は一気に苦しくなります。
静枝は幼い弟や妹の事を考え学費が免除される師範学校を受験する事にしました。
そして受験をするのに必要な戸籍を取り寄せます。
それが静枝の人生を大きく変える事になります。
静枝は衝撃的な事実を知ったのです。
母の欄に知らない女性の名前が書かれていました。
静枝は母りすに真相を問いただします。
するとりすは戸惑いながら言いました。
静枝は戸籍にあった生みの母の住所北海道小樽に手紙を書きました。
すると数日後。
返事が返ってきました。
今回の取材でその手紙が見つかりました。
静枝の晩年一緒に暮らしていた…静枝の遺品を整理していて見つけました。
差出人は…生みの母きくの姉で静枝の伯母に当たる女性でした。
その手紙は便箋3枚にわたって片仮名で書かれていました。
「あなたは母上の事を詳しく聞きたいと書いてきました」。
「あなたの母の死んだ日は1月17日」。
「話したい事は船に積むほどもあります」。
「でも話してあなたを泣かせるより話さない方がよいと思います」。
信じ難い事実でした。
けれどそれ以上の事を知るすべはありませんでした。
しかし育ての母りすの事を思うと言いだす事はできませんでした。
静枝は複雑な思いを抱えたまま師範学校に通います。
そして昭和12年卒業すると地元米原尋常高等小学校の教師として働き始めます。
そんなある日。
静枝のもとに小樽の伯母みいから再び手紙が届きます。
一度は母の事を話さない方がいいと言った伯母がやはり伝えておきたいというのです。
「女というものは結婚したならばなかなかうちを空ける事ができない」。
「小樽に来るなら今が一番よい時です。
是非来て下さい」。
静枝は居ても立ってもいられず小樽へと旅立ちました。
あら。
あら〜。
手紙は全く初めて見ましたよね。
それで特に伯母様が片仮名で全部書いてくれてる。
便箋3枚にまで。
片仮名って昔は教育行き届いてなかったから平仮名片仮名書くだけが精いっぱいだったんですよね。
一所懸命自分の表現できる片仮名を使って伝えようとされてる伯母さんの気持ちというのかしらすごい伝わってきましたね。
生みの母の事が知りたくて一人北海道小樽へ向かった静枝。
伯母のみいを訪ねた事を示すある記録が見つかりました。
みいの孫…兵士郎さんの父の昭和15年の日記です。
そして静枝は実の母きくの生涯を知る事となったのです。
その時静枝が聞いたであろう母奥村きくの人生をたどります。
戸籍を頼りにきくのふるさと能登半島に向かいました。
石川県輪島市皆月。
人口250人余りの集落です。
かつてこの地は北前船の寄港地として栄えていました。
訪ねたのは静枝の母きくの実家。
現在この家を守っているのは…奥村家はかつて能登の沿岸の集落を回り米や炭を売る商店を営んでいました。
奥村さんはきくの名前を今回初めて聞いたといいます。
きくに関わるものも見た事がないといいます。
そこでこの集落に何か手がかりがないか探しました。
すると地元の小学校の卒業生名簿の中にきくの名前がありました。
奥村きくさん。
明治39年きくはこの七浦小学校を卒業しています。
更に戸籍などを照らし合わせるときくの足取りが徐々に分かってきました。
きくは22歳の時隣町に住む男性と恋に落ち静枝をみごもります。
この男性こそ静枝の父山本茂でした。
しかし二人は結婚には至りませんでした。
きくは一人で静枝を出産。
しかし経済的に苦しく育てるのが難しくなります。
そこで静枝が3歳の時父茂が引き取ります。
母きくは娘の将来のために泣く泣く手放したのです。
その後きくは姉みいを頼って小樽に渡ります。
ところがその2年後病弱だったきくは31歳の若さで亡くなったのです。
生前のきくは手放した娘の事をどう思っていたのか?きくの実家からあるものが見つかったという連絡が入りました。
見つかった一通の手紙。
それはきくが静枝を手放したあと能登の父に宛てたものです。
また…また静枝へのこと…。
「静枝のとこに手紙をやったけれども何の音もなし。
手紙やってから60日からたちますけれど何の音もありません」。
「まことに思いまわせばさみしい事です」。
きくの手がかりとして唯一残されていたのが娘静枝への思いをつづったこの手紙でした。
昭和13年亡くなった実の母きくの事を胸の奥にしまい静枝は教師として懸命に働いていました。
静枝の家によく遊びに行ったといいます。
この…ある日静枝にお見合い話が舞い込みます。
相手は伊吹山の測候所に勤める尾木栄一。
口下手ながら懸命に気象観測について語る栄一を静枝はほほ笑ましく感じました。
お見合いの話を聞いています。
そして昭和16年二人は結婚。
1年後長女が生まれ尾木家は幸せに包まれていました。
しかし時代は太平洋戦争の真っただ中。
栄一は軍属として戦地での気象観測業務を命じられます。
行き先は…当時日本軍はマレー半島を南方戦線の拠点としていました。
この地域で飛行機を安全に飛ばすためには気象観測が必要だったのです。
栄一はマレー半島東部メルシン気象観測所の所長も務めました。
栄一は帰国します。
そしてふるさと滋賀にある彦根地方気象台に配属されます。
その1年後の昭和22年1月。
尾木家に待望の長男直樹が生まれます。
家族のためそして荒廃した日本の復興のために一層仕事に励む栄一。
しかし滋賀県は大きな災害に見舞われます。
豪雨による土砂災害が頻発したのです。
死者行方不明者は1年で100人近くに達しました。
観測員たちの手記を保管していました。
栄一はその中で当時の無念さを語っています。
「とりかへしのつかない尊い人命を犠牲にしてしまった。
私共は此の人命を如何なる場合といえども守らなければならない」。
そこで栄一はあるプロジェクトに加わります。
それは山間部に雨量を自動で計測できる機器を設置し無線で気象台にデータを送るというものでした。
24時間山での雨量を測定できれば麓での水害を防ぐ事ができると考えたのです。
栄一たちは道なき道を歩き設置場所を探しました。
その雨量計があった場所に案内してもらいました。
滋賀と福井の県境山深い場所です。
ここ?ここの…はい。
ここは40キロ離れた彦根の気象台が見通せる場所でした。
更に栄一たちは災害の危険性をより早く正確に伝えるため気象情報を簡略化して数字で伝える方法を考えました。
それを何とか…こうした栄一たちの努力は早期の警報の発表や防災計画に役立てられました。
その後滋賀県の水害は徐々に減っていったのです。
仕事に励む栄一に代わり妻静枝は家庭を守っていました。
そんな中長男の直樹は静枝の心配の種でした。
希望の高校の受験に失敗。
更に入った高校でも留年。
落ち込む直樹に静枝はこう声をかけました。
母に励まされた直樹はその後何とか大学に進学。
そして教師を目指します。
そのきっかけも母の言葉でした。
後半のところはいじゃあ調べて下さい。
情熱をもって子供に接する姿勢が評判を呼び直樹は教師として周囲の信頼を得ていきます。
そしてテレビにも出演するようになります。
おしゃべりをね授業中の活動に取り入れちゃってるんですね。
そんな直樹の姿を見て両親は心配していました。
それでも二人にとって直樹の活躍は何よりの楽しみでした。
フフフ…。
ああこれ…。
直樹さんの母静枝さん。
還暦を過ぎた頃の事です。
育ての母りすさんが亡くなり少し落ち着いた時期でもありました。
静枝さんは一人旅に出たのです。
家族にもはっきりとした行き先は告げませんでした。
電車とバスを乗り継ぎ向かったのは生みの母きくさんのふるさと能登半島皆月。
静枝さんにとって3歳の時父に引き取られて以来のふるさとでした。
記憶のないふるさとの町を静枝さんは一人歩きました。
そして静枝さんが向かったのは…。
母きくさんが眠る墓。
かつて伯母から実家の墓に眠っている事を聞かされていました。
地図を頼りにやって来たのです。
生みの母きくさんと離れ離れになって57年。
静枝さんは母の墓前にようやく手を合わせる事ができました。
しかしこの旅で静枝さんが母の実家を訪ねる事はありませんでした。
今回その事を知った実家を守る雅博さん。
来ても多分…寄っても誰も歓迎してくれんという気持ちがあったかも分かりませんね。
きちっとした系統で子供ができてきちんとして育ってきちんしたところじゃないんで。
そのため静枝さんが実の母きくさんの手紙を読む事はできませんでした。
愛娘への思いをつづった手紙。
これを静枝さんが読んでいたら何を思ったのでしょうか。
その後静枝さんは夫栄一さんと共に二人寄り添って過ごしました。
気象庁に定年まで勤めた父栄一さんは平成20年96歳で亡くなります。
そしてその3か月後母静枝さんも後を追うように亡くなりました。
90歳でした。
尾木直樹さんの「ファミリーヒストリー」。
それは運命を受け入れながら激動の時代をたくましく生きた家族の歳月でした。
だから…。
その…2014/12/12(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「尾木直樹〜母が語らなかった出生の秘密〜」[字]
尾木さんは、亡き母が自分の出生の謎について調べていたことを覚えている。本当の親を知らなかった母は、何を突き止めたのか。明らかになった事実に尾木さんは号泣する。
詳細情報
番組内容
尾木さんは、亡くなった母が自らの出生の謎について調べていたのを覚えている。本当の親を知らないのは分かっていたが、母から詳しく聞くことはなかった。母は一体、何を突き止めたのか。今回、その事実が明らかになる。母の出生の地や初めて見る親戚たち。驚きの展開に尾木さんは、声を詰まらせる。また、父は元気象庁の技官。戦前、日本一高い測候所・伊吹山で働いていた。当時、起きた遭難事故が父の人生を大きく変えていた。
出演者
【ゲスト】尾木直樹,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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