お試しあれ!
(テーマ音楽)太平洋に面した千葉県旭市。
津波などで14人が死亡2人が行方不明となりました。
海岸からおよそ400mの場所にある飯岡小学校では当時266人の児童が通っていました。
飯岡小学校の校長だった…児童たちを3階に避難させたあと逃げてきた近所の人たちを受け入れました。
あの日学校は卒業式を1週間後に控え大掃除をしていました。
体育館の様子を見に来た時巨大地震が発生します。
体育館は担任の教師に任せ揺れが続く中職員室へ急いで戻ります。
電話で教師たちと連絡を取ると児童のほとんどがまだ学校に残っていました。
地震発生から僅か3分後津波警報が発令。
毛利さんはすぐに児童たちを3階へ避難させるよう指示します。
続いて保護者への一斉メールを送信します。
それは「津波警報が解除されるまで子どもは学校に待機させる」というものでした。
ところが子どもを心配した保護者が次々と学校に迎えに来ました。
この時の判断が毛利さんにとって悔いの残るものになったのです。
午後5時20分ごろ学校のある地区を最大で7.6mの津波が襲います。
学校は浸水を免れましたが帰宅途中の子どもと保護者数人が津波に巻き込まれてしまいました。
学校には近くの人たちが次々と避難してきます。
その数は1,000人以上に達しました。
食事や毛布を配ろうにも全く数が足りず校内は大混乱となりました。
毛利さんは子どもや高齢者から先に配るなどのルールを作って対応に当たりました。
毛利さんは震災の1年後に定年退職し今は地域ぐるみで子どもを守る防災活動に力を入れています。
2014/12/17(水) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「千葉県旭市 毛利恒彦さん」[字]
東日本大震災に遭遇した人々の証言。千葉県旭市の飯岡小学校の校長をしていた毛利恒彦さん。児童を3階に避難させた後、次々と学校に避難してくる近所の人々を受け入れた。
詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の「あの日」の証言。千葉県旭市の飯岡小学校の校長をしていた毛利恒彦さん。児童を3階に避難させた後、次々と学校に避難してくる近所の人々を受け入れ、その対応にあたった。毛利さんは今、地域ぐるみで子どもを守る防災活動に力を入れている。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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