地方発 ドキュメンタリー「われらが“被災地サッカーチーム”」 2014.11.25


コバールトーレ!コバールトーレ!被災地の期待を背負って戦うサッカーチームがあります。
宮城県女川町がホームタウンです。
チームは今シーズン地域リーグで快進撃。
初めての優勝が見えてきました。
(拍手と歓声)選手のほとんどが地元出身ではないいわばよそ者。
ほかのチームを解雇されるなど挫折して女川にやって来ました。
そんな彼らを小さな港町は家族同然に迎えてくれました。
3年前の東日本大震災。
チームは存続すら危ぶまれました。
それでも選手たちは町のためにサッカーを続けてきました。
今チームの活躍は復興へ向かう町の大きな力になりつつあります。
そして優勝を懸けた大一番。
(一同)オ〜!
(拍手)いけ!カウンターカウンター!
(ホイッスル)被災地とともに歩むサッカーチームの物語です。
(観客)コバールトーレ!コバールトーレ!東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町。
死者行方不明者の数は800人以上に上ります。
中村雅俊です。
女川は私のふるさと。
人口7,000の港町です。
3年8か月たった今あちらこちらで復興に向けての工事が始まっています。
朝4時半人けのない水産加工場に1人の男性がやって来ました。
コバルトーレ女川のゴールキーパーです。
寒い。
(取材者)何ですか?今の。
これが一日の始まりですよ。
ボイラーをつけるっていう…。
コバルトーレ女川の選手たちはチームから一切給料はもらわず別の仕事を持っています。
泉田さんは7年間この工場で働きながらサッカーを続けてきました。
チーズとさ…。
ホウシュと一緒にチーズとあれ芋あんじゃん。
中に入ってないけど冷却庫に。
あれ全部出しといて。
ホウシュ!みっちゃんと一緒にやって。
今ではフロアリーダーを任され立ちっ放しのまま8時間の作業。
それでも泉田さんはこの環境に満足しています。
(泉田)普通に考えたら。
女川に来る前泉田さんは大きな挫折を味わっています。
栃木県出身の泉田さん。
サッカーの名門東京の帝京高校に進み2年生からレギュラーとして活躍。
全国大会では準優勝を遂げました。
選抜チームでは将来日本代表となる選手たちとしのぎを削ります。
その後富山県にある社会人の強豪チームに入団。
給料をもらいながらサッカー中心の生活を送っていました。
しかし伸び悩み戦力外通告を突きつけられました。
女川にやって来たのは21歳の時でした。
失意のまま毎日を過ごした泉田さん。
当初の月収は16万円。
金銭的には決して楽ではありませんでした。
はい165円です。
はい35円。
ありがとうございます。
周囲には悩みを相談できる人もいませんでした。
そんな泉田さんを見かねて声をかけてくれた人がいます。
職場の同僚…弁当を作ってくれたり仕事の愚痴を聞いてくれたりサッカーの応援にも来てくれました。
泉田さんは佐藤さんのおかげで職場にも溶け込めるようになったと言います。
女川に慣れ始めた時の事です。
(地震の音)東日本大震災。
14メートルの津波が押し寄せ女川町は壊滅的な被害を受けました。
泉田さんは高台に避難し無事でした。
しかし思わぬ知らせがもたらされます。
地震のあと自宅を見に帰った佐藤順子さんが遺体で見つかったというものでした。
やな…。
あんま…泉田さんが住んでいた寮も津波で全壊。
コバルトーレ女川は活動休止を余儀なくされました。
震災直後から工場に泊まり込んだ泉田さん。
残った材料でさつま揚げを作り避難所に配り続けます。
女川を離れる気は一切ありませんでした。
震災後も同じ職場で働き続けた泉田さん。
半年ほどたったある日職場の同僚から思わぬ事を告げられます。
「サッカーが見たい」。
その声に後押しされた泉田さんたち。
練習を再開し震災から9か月後に復興を願う試合を行いました。
寒い中スタジアムに駆けつけたサポーターたち。
涙を流し喜ぶ人ありがとうと感謝を口にする人もいました。
午後5時仕事が終わった泉田さんが向かうのはコバルトーレ女川の練習場です。
復興を願う試合で多くの声援を受けたコバルトーレ。
震災の翌年には社会人リーグに復帰しました。
選手の多くは泉田さんのように県外の出身。
じゃあ元気出していきましょう。
震災後も地元の水産加工場やスーパーで働きながらサッカーを続ける事を選びました。
泉田さんに引っ張られるかのように女川に戻ってきた選手もいます。
ディフェンダーの成田一茂さんです。
震災前別のチームに移籍していましたが復興を願う試合に自ら参加。
チームへの復帰を決めました。
泉田さん自身もサッカーに対する考えが大きく変わってきました。
被災地で一生暮らしていく思いも芽生えてきました。
あれ?誰だ?誰だ?誰?妻のゆきさんです。
震災前地元の接骨院で知り合いました。
地震から3日後避難所で再会し結婚。
2人の女の子に恵まれました。
ディ!これで子役来ねえかな。
鼻鼻。
お〜!お〜すげえ!女川に戻ってきた成田一茂さんです。
町の復興に直接携わりたいとコンクリートの製造会社で働いています。
人手不足に悩む女川の貴重な若手社員です。
(猫の鳴き声)サッカーチームの復活は被災地に元気を与えています。
漁師の…コバルトーレの大ファンで仕事の時もユニフォームを着ています。
震災前はカキ養殖を行い定置網で取ったイワシやアジなどを港に卸していました。
おやじはここに…。
かつての水揚げ額は年間で1,000万円以上。
しかし今収入は最盛期の半分以下です。
鈴木さんは津波によって自宅や船など財産のほとんどを失いました。
途方に暮れる中鈴木さんは自宅の跡地からあるものを見つけます。
震災前にコバルトーレの選手たちからもらったユニフォームです。
泥にまみれて出てきました。
(取材者)何回ぐらい洗いました?震災から1年後鈴木さんはカキ養殖の再開にこぎ着けました。
しかし収入の柱だった定置網漁のめどは立っていません。
海の底にあるがれきが撤去されずにいるためです。
それでも定置網漁の再開は諦めていません。
復活したコバルトーレに刺激を受け400万円の借金をして漁具をそろえました。
今年に入って町じゅうが沸き立つ出来事がありました。
サッカー日本一を争う天皇杯の宮城県大会決勝。
(実況)サイドから攻めたい。
クロスを上げてきた!泉田はじく!あ〜っとシュートだ!よく止めた!全国大会の常連相手に善戦。
あと一歩のところまで追い詰めたのです。
更に所属する東北社会人リーグでも絶好調。
見事なシュート!8月の時点で10チーム中2位。
過去最高の成績をキープしていました。
いくぞ!
(一同)オ〜!試合には多くの町民が詰めかけるようになりました。
あ〜お世話になってます。
漁師の鈴木さんです。
この日は漁具の手入れ。
サッカー場には行けません。
時間を気にして突然ラジオのもとに向かいました。

(ラジオ)お〜かっこいい!コバルトーレの活躍に急きょ地元ラジオ局が試合を中継する事にしたのです。
スタジオにはリスナーから多くの応援メールが寄せられていました。
鈴木さん仕事が手につきません。
(ラジオ)「泉田がねじゃあ準備ですねこれ」。
コバルトーレのピンチに町民たちの応援メッセージが流されます。
(ラジオ)「女川のみんなが応援してます」。
おめでとうございます!いかったな1勝して。
町のサッカー少年たちもコバルトーレの活躍に胸を躍らせています。
お盆のこの日泉田さんはある場所に向かいました。
津波で亡くなった職場の同僚佐藤順子さんのお墓です。
今シーズン優勝争いを続けている事を報告しました。
コバルトーレ!
(手拍子)佐藤順子さんの遺族はサッカー場の隣にある仮設住宅で暮らしています。
よし。
じゃあ行こう。
娘の和田祐子さん。
時間は?時間は?女川で行われる試合には必ず訪れます。
客席に置くのは女手一つで育ててくれた母順子さんの遺影。
祐子さんは母が声をからして応援する姿を今も覚えています。

(ホイッスル)この日泉田さんは無失点に抑え勝利を収めました。
試合後亡くなった順子さんの名前を呼びながら泉田さんが近づいてきました。
震災前と変わらないいつもの会話です。
ありがとうございます。
たばこですけど…。
いつもいつもありがとうございます。
定置網漁の再開を目指す漁師の鈴木さん元気がありません。
海のがれき撤去に当たる宮城県から人手不足で大幅に遅れると告げられたのです。
このまま漁ができなければ漁具を購入した際の借金を返す事が難しくなります。
年内の定置網漁再開は断念せざるをえませんでした。
一方コバルトーレにも試練が訪れていました。
シーズン終盤この日の相手は格下の大学生チーム。
パスが通りません。
相手に簡単に抜かれてしまいます。
再三のピンチ。
ああ〜。
ヨリ!やりきれ!初めて経験する優勝争いのプレッシャーが選手たちを苦しめていました。
泉田さん大丈夫?みんな疲れてるね。
もうやばいね。
顔がいっちゃってるもんねみんな何か。
いっちゃってますよね?結構顔。
みんな疲れてますよね。
仕事をしながらサッカーを続ける選手たち。
疲労も限界に近づいていました。
9月女川港はサンマの水揚げに沸いていました。
連戦が続く選手たちのためにと差し入れが届けられました。
いいじゃな〜い。
(取材者)これどうしたんですか?これあれです…いいでしょサンマ。
(取材者)おいしそうですね。
公義さんお疲れっす!泉田さんはサポーターからバーベキューの誘いを受けました。
誘ったのは漁師の鈴木さんです。
乾杯。
うぃ〜す!お疲れっす。
ハハハ!すげえ!定置網漁を再開できない鈴木さんですが仲間の漁師から食材を集めました。
われらが被災地のサッカーチームを励ましたいと考えたのです。
うんま!うまい!
(笑い声)コバルトーレはその後も2位を守り抜きました。
最終節初優勝を懸け首位を走る強豪に挑みます。
練習後コバルトーレの選手たちがいつも訪れる入浴施設。
大一番に向けてみんなでプレーを確認していました。
互いの気持ちを確かめ合います。
勝ちたいっす。
試合前日泉田さんが訪れた場所があります。
津波で亡くなった同僚佐藤順子さんの自宅の跡地です。
大事な試合の前はいつもここに呼ばれ励まされました。
何でもいいです。
そして迎えた最終節。
会場は岩手県。
女川町から車で3時間。
サポーターがやって来ました。
漁師の鈴木さんも決戦を見守ります。
相手は首位を走る強豪。
元Jリーガーも在籍。
圧倒的な強さで勝ち続けてきました。
得失点差で大きくリードされ勝たなければ優勝はありません。
そこは忘れないで…。
じゃあ今日も勝って帰りましょう!
(掛け声)アウェー用の赤いユニフォームで決戦に臨みます。
(ホイッスル)
(観客)コバールトーレ!コバールトーレ!序盤体格の勝る相手に思うようにプレーさせてもらえません。
泉田さん体を張って守ります。
成田さんも負けてはいません。
(一同)・「コバルトーレ!コバルトーレ!」・「コバルトーレ!オーレ!」後半に入りようやくペースをつかんできました。
頑張れコバルトーレ!後半30分コバルトーレに決定的なチャンス!
(一同)ああ〜!残り3分の時点で同点。
このままなら優勝はありません。
まだある!まだあるぞ!コバルトーレ!
(観客)コバルトーレ!コバルトーレ!コバルトーレ!まだある!まだあるぞ!コバルトーレ!コバルトーレ!コバルトーレ!
(ホイッスル)町のために勝ちたい。
その思いはかないませんでした。
(観客)コバルトーレ!ありがとうございました。
(拍手)試合から2週間後。
いつものサッカー場で地区対抗の町民運動会が開かれました。
選手たちも助っ人として競技に参加します。
(成田)俺ここです。
あ〜よかったわ。
1位取って下さいよ。
ありがとうございます。
(成田)ダッシュして。
泉田さんの所にやって来た人がいます。
津波で亡くなった佐藤順子さんの娘祐子さんです。
ご苦労さまでした。
見に行けなかったんですけど。
残念ながら2位でした。
すいません。
勝てなかったですけど。
(祐子)でも2位もすごいと思います。
まあ飛躍しましたね前よりは。
前に比べたら。
(祐子)ですね。
泉田さんにねぎらいの言葉をかけました。
(泉田)来年も頑張ります。
はい頑張って下さい。
(泉田)見に来て下さいまた。
はい。
今年みたいに頑張ってもらえれば。
(泉田)助かります。
優勝してほしいとか言われたらどうしようかと思いましたよ。
ちょっとバクバクしてました。
一生懸命頑張ります。
それで結果ついてくると思うんで。
やれるだけの事をやります。
応援します。
(泉田)ありがとうございます。
優勝は果たせなかったコバルトーレの選手たち。
お〜し!それでも町の人は温かく迎えてくれました。
(取材者)女川に来てよかったなって思いますか?定置網漁の再開ができないままの鈴木さん。
この日海に出ていました。
ここが定置網の場所で…。
来年には定置網漁を復活させたいと心に誓います。
挫折を経て女川にたどりついた選手たち。
被災地に小さな希望をもたらしました。
今日も町に選手たちの声が響きます。
横だよ!ナイスシュート!もう一本!ナイス!2014/11/25(火) 00:40〜01:25
NHK総合1・神戸
地方発 ドキュメンタリー「われらが“被災地サッカーチーム”」[字]

震災で傷ついた町を勇気づけているサッカーチームがある。コバルトーレ女川。宮城県女川町がホームタウンだ。今シーズン、チームは快進撃。町は大いに盛り上がった。

詳細情報
番組内容
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町。その町にあるサッカーチームが、コバルトーレ女川だ。今シーズン、チームは地域リーグで快進撃。地元ラジオで中継が組まれるなど、町は盛り上がっている。彼らの活躍に背中を押され、震災前に行っていた定置網漁を再開しようとする人も出てきた。一方、ほとんどの選手は地元出身ではないが、女川で生きていくことを決めた者もいる。サッカーが勇気をくれた、被災した町の物語。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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