スタジオパークからこんにちは 細川たかし 2014.11.26


生字幕放送でお伝えします榊原⇒映っていますよ、皆さん映っています。
郁恵さんも映っていますよ。
伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!ありがとうございます。
上手ですね。
2か月ぶりの司会でございます、榊原郁恵さんです。
こんにちは。
またこられて、うれしい。
きょうも、元気いっぱいの郁恵さんでございますがきょうのゲストの方もすばらしい、元気な方です。
しゃべり始めたら止まりません本日のゲストは細川たかしさんです。
どうも皆さん、こんにちは。
ごいっしょに、手拍子を。
皆様ごいっしょに!
拍手
どうもありがとうございます。
改めて本日のゲスト細川たかしさんです。
よろしくお願いいたします。
いやあ、いいですね。
細川さん後ほどまた1曲歌っていただきます。
皆さんもよく知っている歌ですからね。
みんなも声を張り上げていましたね。
大合唱です。
大変なことになってしまいましたスタジオパーク。
外から歌い始めてスタジオに入って中まで歌っていった人は細川さんが初めてです。
皆さんご唱和みたいな感じでね。
表は雨が降っていてね。
寒いのにね。
暇だったんですね。
違いますよ、細川さん。
細川さんを見に来てくださったんですよ。
そんな細川たかしさん、ことし芸能生活40周年でございます。
本当に早いものですね。
芸能界ですから、数えでいっているのでね来年の4月がちょうどまるまる40年。
4月がデビュー。
4月1日なのに私ばかよねですから。
エープリルフールの日に私ばかよね。
それがねらいだったんですか。
ひどい状況ですね。
そんなことないです。
それで、私ばかよねだから、ばかみたいなものですね。
大ヒットしまして、細川さんはことし40周年を迎えられました。
質問・メッセージどしどしお寄せいただきたいと思います。
そんな細川さんこのたびNHKのBSプレミアムでお伝えしております「BS日本のうた」にご出演でございます。
30日放送ですね。
日曜日ですね。
北海道江別市で収録してきたもようです。
放送前に出すの?すごい番組だね。
日本の名曲を多彩な歌手の皆さんが歌う「BS日本のうた」。
今回も豪華な顔ぶれが勢ぞろい。
オープニングは北海道ならではのソーラン節です。
番組名物スペシャルステージでは細川たかしさんと大江裕さんが息もぴったりに爆笑ステージを展開。
♪「親の血をひく」♪「兄弟よりも」そうそう、そうそう。
歌では、細川さんの歌はもちろんのこと、細川さんが師匠・三橋美智也さんのヒット曲「哀愁列車」を熱唱です。
すごい。
放送が30日なのにごく一部だけど見られちゃった、楽しみですね。
録画中はね雪が降っていなかったんです。
歌っているうちにどんどん降って終わったら、表江別市だったんですけど10cm積もっていたのみんな、出たら、え?って。
出演者が飛行機が飛ばないとかね、そればっかり心配しちゃって。
急激に寒くなりましたものね。
今お聴きいただきました、三橋美智也さん、師匠なんですね。
昭和51年のときに、NHKのふるさとお国自慢という番組で沖縄に行ったときに三橋先生と一緒になったのそこで知り合ってね。
カラオケ、大人気ですからLPのジャケット全部歌ったんですよ。
♪〜赤い夕日の歌とか歌って星くずの町まで全部歌って歌うものがなくなったので民謡も歌ったんです。
「江差追分」を歌ったら民謡はできるんだなということで名取、三橋美智貴をいただいて民謡をやってそれがきっかけですから。
そうなんですか。
それがきっかけで民謡も最初からずっと民謡をやっていたわけでは。
若いとき、札幌で当時やっていましたけど追分もいいわけみたいなものですからね。
すみませんもう笑ってください。
お客さんのほうが固まっていたらしょうがないね。
われわれがリラックスしてね。
ちょっとリラックスしすぎていましたね。
ふだん着でいいんで。
衣装なんですけど。
細川さんお正月だと思いましたよ。
最初は、紋付きはかま着てこいと言われたんですよ。
それじゃあ「歌謡コンサート」、やりすぎだということでおさえてきました。
確かにお正月、近いけどね。
師匠の三橋美智也さんの歌もお楽しみいただけます。
「BS日本のうた」ぜひご覧ください。
榊原さん、ぐぐっと細川さんに迫っていただきましょう。
プロフィール紹介です。
長いのでね。
40年です。
みんな知ってるから言わなくてもいいですよ。
郁恵ちゃんが字を読めるかどうか、心配したの?もう老眼が入っているの?字を大きくしてもらったから大丈夫です、よけいなことですよ。
いきます。
生放送で時間がなくなる。
黙っててください。
細川たかしさんは、1950年北海道中西部の真狩村で7人きょうだいの末っ子として生まれます。
サングラス、小さいときから掛けているんですか。
すすんでたんだねうちの実家は。
うちが、今にも倒れそうなうちだね。
雪が深いところですね。
中学卒業のときに歌手になろうと思っていたという細川さんは、色紙にこんなことばを残しています。
「北海の心満月の姿演歌!!細川貴志」井沢八郎さんの「北海の満月」が大好きでね。
♪〜小さいときから歌がお好きで。
卒業の寄せ書きに書いたというのはすごいでしょう?井沢八郎さんの歌を、もじっているんですね。
演歌と書いているところがすばらしい、天才的だね。
この曲に刺激を受けて歌手になりたいと、このときに。
ここで皆さんにクイズです。
ちょうど中学生歌手を目指そうと思っていた細川さんですが、あることを一生懸命練習されていたそうです。
本格的に練習した楽器は何だったのか。
視聴者の皆さん、お考えください。
歌手になろうと、中学のときに。
中学のときのお写真が。
歌っているんですね。
こぶしが。
「北海の満月」を歌っているんですが誰も聴いていない。
横の人は下を向いています。
こんな時代に「北海の満月」を歌っても中学生は誰も聴かない。
中学生ですからね。
学校で歌っていらっしゃったんですね。
授業中ではなくて給食じゃないですか。
給食の時間を利用して。
みんな、嫌がっているんです。
飯を食いたいのに自分だけ歌っていて。
人前で結構、歌っていらっしゃったんですね。
周りの人は細川君は歌手になるんだねとみんな、思っていたかもしれませんね。
自分ではうまいと。
うまいというか声は出ていましたね。
お父様お母様もお歌がうまくて。
おやじがひどい歌でしたね下手で。
おふくろは少しまともかもしれないね。
メールも届いています。
岡山県の、たかし命さんからです。
伸びやかな歌声が魅力的です。
「望郷じょんから」や「北緯五十度」のようなスケールの大きい歌も好きですが私は初期の「ゆきずり」という歌が大好きです。
もしわがままが聞いていただけるなら「ゆきずり」の一節でもアカペラでお聞かせいただきたいと思います。
これはデビューして昭和55年の9月に出したやつだね。
♪〜
「ゆきずり」
拍手
ありがとうございます。
すごい。
たかし命さん、よかったですね。
突然お願いしたんですよ。
台本にも何も載っていないのに。
そんな細川さん、中学時代に一生懸命楽器の練習していたものは何だったのか、いちばん多いのは三味線です。
やっぱり。
次が尺八で、いちばん少ないのはドラムです。
演歌歌手を目指していたわけですからね。
思うつぼだったね。
皆さん、引っ掛かりましたね。
これはドラムですね。
なんでドラムですか。
ベンチャーズです。
この当時はベンチャーズが。
僕はドラムをたたいてたんです。
バンドだったんですか?歌は?歌もそのあと歌っていたけどどっちかというとドラムをたたいていました。
両方できるんですよ。
8ビート、ちゃんと打てますから。
ドラマーになろうとは思わなかったんですか。
そこまで思わなかったです歌のほうが好きでしたね。
歌は演歌なのに音楽はベンチャーズ洋楽とか聴いていたんですか。
それが逆にいいふうに生きましたね。
リズム感が。
だから「北酒場」みたいな8ビートを歌える。
今でも、たたけますか。
今でもたたけと言われればたたけますねそこそこ。
それ以降、伸びていないからね。
リズム感が今にも生きているということですね。
再び次のプロフィールです。
歌手を目指した細川さんは高校2年のとき家出同然で札幌に出て自動車整備工場で働きながらクラブで歌うようになります。
いきなり歌うことになったんですか?整備工を1年間だけやりました。
札幌に出て仕事で自動車整備工場に行って塗装工がいちばん手っとり早かったね。
家を出るときは親には叱られたりとか。
僕は中学2年生のときに、おやじから言われて農家をやるかと言われて末っ子だったの、上に姉が3人いて嫌だということで農家をやめたんですよ。
兄貴とは10歳違うので兄貴は室蘭とか都会に出ていました。
俺がやらないのでうちのおやじのいとこのほうに全部譲って中学3年、卒業して僕は村を出て一家もそのまま兄貴の室蘭に。
細川さんが歌手になるということ家族みんなで頑張れよという感じだったんですね。
そこはどうかな?まじめに整備工やってると思ったんじゃないかな。
最初歌っていたときというのは。
給料はちゃんともらっていましたよ。
歌はどんなのを。
いろんな歌です。
ジュリーとか。
ジュリーを歌っていたころですね。
こういう歌も歌ったんですね幅広くて。
演歌だけではなくて三橋美智也さんの曲ももちろん。
昼間、ヘルスセンターみたいなところに行って民謡歌手がいたので、昼は民謡をして夜はキャバレーで昼夜、ずっと歌っていました。
幅広く歌っていた。
やがて抜群の歌のうまさが買われプロのクラブ歌手として活動し札幌で大人気となります。
そして、東京の芸能事務所にスカウトされ、1975年「心のこり」でデビュー。
紅白初出場を果たします。
その紅白初出場のステージのもようです。
♪「私バカよね」♪「おバカさんよね」♪「うしろ指うしろ指」♪「さされても」♪「あなたひとりに」♪「命をかけて」♪「耐えてきたのよ今日まで」♪「秋風が吹く港の町を」♪「船が出てゆくように」♪「私も旅に出るわ」♪「明日の朝早く」
拍手
4月1日にデビューされてその年に「紅白歌合戦」に出場ということは。
これは初めてでしたね。
デビューしたその年に紅白に出してくれたのは。
昭和50年、われわれ僕とひろみちゃんが初めてでした。
なかなか紅白に出してくれなかったです。
デビューして、1年2年待たされて。
よくとし、もつかどうかみたいなね。
そこまで頑張らないと出られなかった、狭き門だったんだね。
この当時から出してくれてそれが意外とみんな出してくれていますね。
小さい小学生から大人まで私ばかよね、と歌っていました。
はやっていました。
小学生が歌っていたんですからね。
小学生があまり知らなくて細川たかしと、たすきをかけて名前を覚えてもらおうと思って。
そうするとおばかさんだ、と言われて親が怒ってねおばかさんだと言われてそういう時期がありましたよ。
幅広い世代に大ヒットしてなんと言っても細川さんというとこの歌声。
どこまでも届く歌声。
そんなに届かない。
今も変わらない。
歌声。
このあと「北酒場」、「矢切の渡し」2年連続でレコード大賞も受賞されました。
萩本さんのおかげもあって「北酒場」で明るく、どんとデビューして7年ですからね「北酒場」でよくとし「矢切の渡し」ですから正反対の曲です。
細川さんの声に注目している芸能界のある声の専門家の方がいらっしゃいます。
細川さんの声について聞いてまいりました。
細川たかしさん、40周年…どこにでも届くどこにいても届くそれが町なかでもどこにいても細川さんがいれば…こんなに声の響く方っていらっしゃらないと思いますね。
声の通る方。
日本で唯一無二の方だと思いますね。
「北緯五十度」とか歌うときは遠くにぽんと落とすような…いつも心がけるようになってからお客様からすごく喜んでいただいております。
拍手
ここで、さらに細川さんの声の秘密に迫ってまいりましょう。
キーワードは、こちらです。
細川さんには3つの部屋があるということです。
こちらの3つです。
「心のこり」の部屋「北酒場」の部屋「望郷じょんから」の部屋。
要するに、なるべくこぶしを回さないどちらかといえばカンツォーネっぽいああいう感じの発声。
♪「オソレミーヨ」♪「私ばかよね」意外とカンツォーネっぽく歌うんです。
だからみんなが歌いやすい感じなんですね。
あまりこぶしを使わないで流行歌を歌える「北酒場」は、自分の人生を描いた歌ですから一気に。
細川たかしが歌うと明るくなっちゃうんです。
よくしゃべるんですけど。
デビュー当時「心のこり」のころは苦労して苦労してという感じでしたから堪え忍ぶみたいな。
「北酒場」は、がっと変えました。
「北酒場」の声の出し方は?明るくぽんと出す。
「浪花節だよ人生は」も一緒で。
♪「北の…」軽く出すんです。
♪〜「飲めと言われて素直に飲んだ」というのは同じ感覚です。
同じ声の出し方で違うタイプです。
萩本欽一さんとの出会いがあって。
いろいろなことを教えてもらっているうちに♪「北の」などがあったんですね。
おけがをされて、しばらく仕事がないときがありましたね。
「欽どこ」に呼ばれて萩本さんと知り合って、遊びにこいと言われて暇だったので、ずっとあいてますからという感じでうちの事務所の社長も社長だから勝手にどうぞみたいな感じで好きにやってと。
それで萩本さんもそう?という感じで勝手にやるよということで「北酒場」はいちばんおもしろかったのは知ってる話だけど歌おうとしたときにね、初めて歌ったものだから、カンペという大きな歌詞カードがある。
それで歌っていたんですが練習のときは明るかったんだけど、いざ客をたくさん入れていたら真っ暗になっちゃって隠れたと思ったの。
途中で見えなくなって「北酒場」ちゃんと覚えていないから見ようと思って動いたんだよ。
そしたらスポットライトも一緒に来るのよ。
本当なんだから。
萩本さんが座って聴いていたのよ。
ちょっと、あら、分からないって言ったら萩本さんが座ってばたんと倒れて、何で歌詞を覚えられないんだってきょうはこれでおしまい、とか言われて来週はここからとか言われてそれがきっかけだったんです。
それから、ちょこちょこちょこちょこ出していただいて1か月たってやっとワンコーラス終わったんです。
萩本さんのいいところで、これだと思った見えない、スポットライトが寄ってくるからさ、見えないんだよ。
カンペ覚えていないんだから。
歌い方も変わったんですか。
いろいろな歌い方を明るくね明るく歌おうと。
萩本さんから、アドバイスを。
絶対いろいろなことをしたほうがいいと。
当時、演歌の歌手の人がバラエティー番組であまり、そういうことってなかったですよね。
いちばんのとっかかりですね。
明るく歌ったというね本当にありがたいです。
演歌で明るく歌わないですねのりもよかったですね。
3つ目です。
「望郷じょんから」の部屋ということですね。
完ぺきにこれは民謡ですね。
先ほど歌った「北緯五十度」とか「佐渡の恋歌」とかちょっと民謡が入ったような独特のパターンですよね。
声の出し方も違いますか。
♪「カモメの…」とかね。
こういう感じ。
拍手
♪「津軽は…」などといけるんですよね。
こぶしが利くというか、いろいろなパターンをやっていたほうがたくさん部屋があったほうがその中でヒット曲が出る。
突然、そういうふうに歌えるものですか。
別に真剣じゃないですけどね。
そうじゃないですけど。
遠くまで声が届くほどの民謡の声の出し方、全然違うんですね。
細川⇒できれば4つの部屋を見つけなければいけない。
そうなると、もう1つ、もう1曲ぐらいヒットする曲がまだまだ。
細川⇒まだまだ、やめないで歌おうって言うんだからすごいね。
伊藤⇒「望郷じょんから」、3つ目できましたが実際に紅白でも。
これはすごかったですね。
84丁の三味線を従えて歌われました。
今夜の津軽地方、天気は雪。
気温氷点下0度4分積雪47cm。
拍手
気持ちいいですね。
覚えていますよね。
84丁の三味線。
これは映像としてはすごいですね。
バンドの音が三味線で聞こえないんですね。
84丁ぐらいになるので結構津軽三味線の音が大きいので。
音が取りにくくなかったですか。
途中ねPAのドラムの音とか大変でしたね。
大体雰囲気で歌いましたけど。
雰囲気で歌ったんですか。
雰囲気で歌えちゃうところがすごいですね。
迫力を感じました。
すごい壮大なスケールの歌ですけれども本人は軽く歌っているような感じがするけど、でも力強さが伝わってくる。
このころは、まだ若かったので昭和60年ぐらいのときですからそんなにデビューしてまだ10年ぐらいですからそんなにまだまだ。
歌としては自分が聞くと未熟ですね。
声の出し方としてもまだ未熟ですね。
「望郷じょんから」の部屋の出し方はまだ。
やっぱり幅が狭い、下の音と上の音のバランスで厚みが違う。
45から50ぐらいのときがいちばん声の厚みが出ましたね。
50歳前後がいちばんいいかもね。
これはまだ30代でしたから。
34、35歳ぐらいの声ですからまだですね。
3つの声をこの3つの部屋この歌は、この部屋この曲はこの部屋という感じで出しているんですね。
そうですね、だからなるべく元調どおり元のとおりに歌うようにしています。
「北酒場」も、なるべく変える「望郷じょんから」も変える、なるべく変える、元調どおりきちんと変える。
今64歳ですからあと10年たつと74ですが10年たってもまだこの声がビシッとキーが。
20代の声が出ていれば今度はもっと幅が広くなるので違った感じの「心のこり」になるかもしれません。
だんだん年を取るとキーが下がるということもありますね。
鍛え直せば人間は歌えば歌えます。
声帯は筋肉です。
60代からの新しい細川さんの部屋をね。
そんなに歌わせるんですか。
これからだってまだねどんな部屋が出てくるのかな。
楽しみは楽しみですね。
いろいろなパターンがね。
そんな細川さんについて実は萩本欽一さんから伺ってメッセージをいただいています。
ありがとうございます。
僕がね、ちょっと番組やってて倒れちゃったことがあるの。
それで、ちょっときょう本番無理だっていうんで。
でも、もうお客さんも呼んでいまさら断れないしっていうんでとりあえずテレビ局行ってっていうんだけどどうも調子悪かったの。
で、テレビ局着くなり同時に飛んできたのが細川たかし君で。
「大丈夫ですか?僕、代わりやります!」って。
そのとき、元気が出ました。
細川君に主役というか番組任せて番組めちゃくちゃになると思って頑張ってやりました。
でも、あのねああいうとき飛んでくるってね。
あそこで、何かねああ、2人でいい仕事したんだなって、きっとこれからもまた何か大きな仕事ができるといいなって思わせた一瞬ではありましたね。
長い人生の中で僕と細川君とのおつきあいは細川君の人生にとっても僕の人生にとっても、点だからね。
もう1つ、点を打つことになって点と点で線になるんですからね引いたら。
だから、ね、細川君今、点しかないからね。
もう1つ、点を打たないと線にはならないよ。
拍手
ありがとうございます。
だから、やっぱり4つ目の部屋を見つけろということですね。
もう1つの点を見つけてつなげろと。
ずっとつながっているかなと思ったんですけど。
萩本欽一さんとの次の点もね。
深いですね。
深いですね、萩本さんというのはすばらしい人ですね。
確かに体調を崩して平行バランスを失ったときだったんです。
体調が悪くて。
それで言ったのは事実なんですけど心配しましたよ。
萩本さんも仕事のしすぎでしたね。
ハードでしたね。
細川さんの声の秘密そして萩本さんからのメッセージでした。
続いては歌手細川さんではなく、もう1つの細川さんの顔です。
かっこいいですね。
細川さんですよ最近のお写真ですか。
最近のお写真ですか。
去年です。
北海道出身ですね。
見事な、スキーのさばき。
子どもたちに、どうしてもオリンピックを目指してというようなそういうこともあってボランティアでずっとスキー大会をやって。
これは北海道です。
中高年もやって、この写真はNPO法人を取って子どもたちに寄付をしたり、スキー大会をするとお金がかかるのでいろいろな寄付をもらってそれをスキーヤーはお金がかかるのを、子どもたち道具も高いし全部高いから大変。
親がスキーをやらないから、子どもたちがやらなくなるんですねウインタースポーツ。
中高年もやっているんです。
80歳以上の方も20人ぐらい出たんです。
この写真は80歳の人がヘルメットをかぶってゴーグルをすると分からないんですけど表彰式など年寄りの集団みたいな。
昔、取ったきねづかじゃないですけれども。
けがをすると、まずいのである程度うまい人80歳以上が20人きました。
ことしもやります。
育成していつかはオリンピック選手が。
子どもたちなんかはね、夢があっていいと思います。
志賀高原で2月にやったんですが意外と関東、東京の子たちがたくさん来てものすごくレベルが高いので世界を目指す。
それはすごいです。
写真は北海道の写真です。
北海道は6年ぐらいです。
志賀高原はすでに16年やっています。
のどを鍛えるだけではなくスキーも鍛えながら。
スキーをやっていることで背筋とか足腰の筋肉を鍛えられるので、いいということです。
滑っている形がやはり足腰にいいですね。
背筋にもいいので逆に言うと声につながるいい面もあります。
子どもたちがみんなスキーを楽しんでスキー人口も増えている。
そして将来、オリンピック選手を。
目指してくれるとうれしいですね。
たくさんの子が来てくれてうれしいです。
子どもたちから見ると細川さんは歌手よりもスキーをやっている人みたいになっているんじゃないですか。
スキーのオリンピック選手だった?みたいな感じで。
表彰式のときは、北海道は中高年や子どもたち。
子どもたちはお母さんが来るので親が100人ぐらいくるんですけど表彰式に時間があるので「北酒場」を歌います。
そうやって歌ったりして和やかにやっています。
いいですね。
だからこうやって元気なんですね。
足腰も鍛えられるし。
若い人たちと一緒にいるし。
内から出てくるパワーがありますね。
もう1つの、スキーを広めてという細川さんご紹介させていただきました。
ありがとうございます。
お待たせいたしました、皆さんもう1曲。
もうそんな時間ですか?ということは歌ったら帰れということですか。
笑い声
そういうことにはなりますけれどもこの番組いつまでもやっていませんから。
歌っていただく歌は?今、頑張っている「艶歌船」です。
久々に演歌っぽい歌です。
演歌でいうと基本的な歌ですよね。
こういう歌がやっぱりカラオケファンの方が歌ってくれたらありがたいなと思います。
だから、最近歌番組がさみしいかな、少ないので歌うことで皆さんに覚えていただいて最近の方はみんな歌がうまいので逆にうれしいです。
歌のご準備をお願いします。
お願いいたします。
拍手
お時間をいただきまして総合テレビこのあとの番組です。
今夜10時「歴史秘話ヒストリア」。
世界文化遺産にも登録された和食のルーツを探るということです。
そういうことにスポットを当てます。
どうやって和食が誕生したのか迫っていきます。
今夜10時です。
それでは細川たかしさんに歌っていただきましょう。
「艶歌船」。
ありがとうございました。
かっこいい歌ですね。
男っぽい。
かにの甲羅でお酒ですよ。
これからいいね。
気持ちよさそうに。
響いてくる感じでしたきょうはこの歌はどんな部屋で。
やっぱりどちらかというと「望郷じょんから」の部屋の流れでしょうね。
おしまいに視聴者の皆さんから届いた質問とメッセージにお答えいただきます。
まずは質問です。
いつも細川さんの声量にびっくりします。
のどのために気をつけていることはありますか。
やっぱり水をたくさん飲むことと汗をかいてスポーツをすることと。
そうですね、あまりかぜをひかないというのがいちばんです。
われわれ、ひかないというか気をつけている。
ひいてしまうと歌い手としては、つらいのでそこだけです。
冷たいお水ですか。
僕はどちらかというと冷たい水です。
いくら丼さんからです。
いいじゃない。
質問です。
細川さんのいちばん好きな食べ物は何ですか?細川さんのように、つやつやになれる食べ物があったら教えてください。
それはやっぱり、真狩村のじゃがいもでしょう。
うまいね、宣伝するあたりが。
次は何?どんどんいきましょう。
40周年おめでとうございます。
これからもお元気で、すばらしい歌声を届けてください。
その明るさの源は何ですか。
これは、やっぱり明るさというかストレスをためないことですね。
そして歌を歌えるといういちばん自分の好きな歌を歌えて3度の食事ができるこんなすばらしい仕事はないですね。
そう思いません?私は歌わないですけれども。
おなかから声を出すというとストレスも全然なくなっちゃうんじゃないですか。
声を出すことが大事ですね。
テレビを見ている方もカラオケでどんどん歌ったほうがいいです。
メッセージです。
北海道の方です。
「北酒場」テレビと一緒に歌ってしまいました。
小学校のときに見て覚えました。
現在38歳。
いくつになっても歌える歌があるのは幸せですね。
続いてです、東京都の方からです。
番組冒頭の「北酒場」私が高校2年生のときの大ヒット作です。
クラス対抗の合唱コンクールで私たちのクラスは「北酒場」を寸劇を交えて熱唱して見事優勝しました。
きょうも、歌に合わせてハモってしまいました。
合唱コンクールですね。
続いてです、島根県の方です。
3歳の息子が細川さんの大ファンです。
同世代のお友達の前で「心のこり」「浪花節だよ人生は」を歌います。
周りはぽかんとしています。
戦隊ヒーローよりもはやりの妖怪よりも息子のヒーローは細川たかしさんです。
ありがとうございます。
見ているかな?たくさんメッセージありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/11/26(水) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは 細川たかし[字][双]

歌手デビュー40年! 迫力の声その秘密は?  ゲスト:細川たかし 司会:伊藤雄彦アナ、榊原郁恵

詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】細川たかし,【司会】榊原郁恵,伊藤雄彦

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:13721(0x3599)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: