NHKスペシャル「高倉健という生き方〜最後の密着映像100時間〜」 2014.11.27


俳優高倉健さんが亡くなりました。
銀幕の中に生きる事にこだわり素顔を見せる事はほとんどなかった高倉さん。
遺作となった映画の撮影中NHKによる異例の密着取材が許されました。
高倉さんが最も心を許した安らぎの場所。
(取材者)40年になるんですか。
いつも撮影の無事を祈った神社。
そして旅先の海辺。
胸に秘めてきた覚悟の言葉が語られました。
撮影は100時間に及びました。
(取材者)かなり感情が高ぶられてるように感じたんですが…。
自ら語った孤高の生き方。
名優心の軌跡です。
2011年秋。
「プロフェッショナル仕事の流儀」の撮影班が高倉さんの密着取材を行いました。
6年ぶりの映画撮影。
高倉さんは50代半ばから数年に1本心からやりたいと思える作品にだけ出演してきました。
監督も同じだと思うんですけど。
うん。
まだ三上ちゃんなんかそこまでいかない。
考えがいかないんだよね。
おはようございます。
はい!倒れる!なるほど。
高倉さんは共演者やスタッフに気さくに声をかけていました。
ロケ地の住民たちとの交流も楽しんでいました。
かつては近寄りがたい存在だったという高倉さんの優しい笑顔がそこにありました。
高倉健さんは長年飾らず謙虚な人柄そのままの役を演じてきました。
本番!よ〜いスタート!勇さん!ほら見てみろ!ほら!勇さん!ほら!勇さんほら!何だか分かる?ハンカチよ…。
ほらちゃんとあったじゃないの!お〜!
(犬の鳴き声)秀坊…。
俺の事なんかより…おめえも鉄道員だべ。
幹部の一人だべ。
やる事がいっぱいあるんじゃねえのか?高倉さんは華やかな芸能界とは距離を置き私生活を明かす事はほとんどありませんでした。
密着取材のさなかこれまで多くを語らなかった自らの人生についてロングインタビューに応じました。
語り始めたのは生まれ育った九州の炭鉱町の情景でした。
だから…非常に気が荒い地域ってのは炭鉱で働くために地方から流れてきた人たちがいっぱいいたっていう事でしょうね。
そりゃ汚いよね。
真っ黒になったみんな入るんだから。
おふくろにいつも怒られてたの絶対行っちゃいけない。
そん中で目開けて金玉つかみとかやってたんだから。
もうむちゃくちゃだよ。
それはもう本当に汚いの。
子どもだから分かんないから。
みんなと一緒に入りたいっていう。
いつもみんなと一緒に行動したいっていうね。
何でも一緒ですよあの時ね。
ちょっとNHKじゃ言えないような事ばっかり教わったよ。
高倉さんは昭和6年生まれ。
本名…ふるさとは福岡県の炭鉱の町。
気性の激しい人々にもまれて育ちました。
やがて太平洋戦争が勃発。
戦争の記憶は高倉さんの胸に深く刻まれていました。
走っていって。
…で盗んだいろんなものを。
死体だよ。
まだ生々しい死体ですよ。
落ちたばっかりだもん。
その死骸を見ても怖くないっていう。
やっぱり今考えたらすさまじい事ですよね。
終戦後高倉さんは炭鉱町を飛び出して上京します。
大学を出たあとその日暮らしをしていましたが金が底をつき食べるために映画会社のマネージャーの面接を受けます。
その時その端正な容姿が重役の目に留まりました。
(取材者)高倉さんが役者になられて最初の頃に芝居をするとよく笑われたっていう…。
笑われたね。
笑われたんじゃなくて見学。
俺一生懸命やってんのにどうしてみんな笑うのかなと思って。
「やらないで下さい。
見学してて下さい」って。
もうみんなが笑って授業が進まないから見学。
お前は向かないからやめろって言われた事あったよ。
意外とそれが結構ツボにはまってじゃあ絶対なってやるって俺が思ったのかもしれないけどね。
演技はからきし駄目でしたが高倉さんには華がありました。
俳優修業を始めて1か月余り24歳でいきなり主役に抜てきされます。
卑怯者!それが伝統ある沖縄武術家の言う言葉か!しかし食いぶちを稼ぐために始めた俳優の仕事。
本音は嫌でたまらなかったと言います。
当時の高倉さんをよく知る人がいます。
新人時代から仕事を共にしてきた映画監督の佐藤純彌さん。
高倉さんとは同世代で名前で呼び合う仲でした。
デビュー3年目。
巨匠内田吐夢監督作品の主演に選ばれます。
さて一番いいものがもう一つ残ってんだが。
君アイヌが好きか?ええ。
アイヌの青年を演じた高倉さんは怒りの表現に苦しみました。
それなら少しぐらいの冒険はしてもらわなきゃな。
キャメラマンが西川さんってキャメラマンだったけど。
撮れなくなるって。
これ今年撮れないぞって小さい声で助手にしゃべってるの俺聞こえたんだよね。
これは駄目かなって。
「西川さん何?」って聞いたらいや葉っぱが落ちると。
それで急激に寒いのが北海道は変わってくるから。
実際色が変わるんですよどんどん毎日。
僕ができないためにそのOKが出ないの。
なかなか感情をむき出しにできない高倉さんに監督は罵詈雑言を浴びせ続けます。
それでありとあらゆる僕にいろんな事を…。
お前の手がなってないとかアイヌの悲劇をしょってるやつの手じゃないとか。
「じゃあ最初から決めるなよこの野郎」って僕は思いますよ。
生き物だもんね。
リアルな感情表現とは何か。
その一端に触れた経験でした。
そして10年目大ヒット作品が生まれます。
「日本侠客伝」。
仲間のために命を賭して戦う一本気な男。
はまり役との出会いでした。
渡世人のけんかならこんなひでえ仕打ちしてもいいのかよ!だからああいう役やるんでしょうね。
やったらおふくろはすごい悲しいんだよね。
入れ墨みたいなの何かこう…やったりするのね。
僕の中にはとってもあるんですよあの血が。
血ですねそれは。
よく今まで罪を犯さないでここまで来たなって思いますよ。
高倉さんは「昭和残侠伝」「網走番外地」と次々にヒット映画を連発します。
役作りのために過酷な筋力トレーニングにも取り組みました。
撮影所の後輩俳優北大路欣也さん。
12歳年上の高倉さんにかわいがられ仕事については厳しく教えられたと言います。
「さあ始めるぞ」って言ってまあ健さんのその…トレーニングスタイルを初めから僕やらされた訳ですよ。
はい次ランニングはい次柔軟体操。
はい腹筋背筋っていうふうにして。
ところがもう半分もいかないうちにねまあ…息があがっちゃったんですね。
もう自分も情けないけどこんなに僕はできないのかと自分で思いつつも「何やってんだお前」って…。
「お前半分もいってないだろこれ。
はいもう一回」とかって。
「いや〜健さんちょっと勘弁して下さい。
僕もう何かむかむかして」。
「何言ってやがんだこの野郎」と。
「駄目」って言ってね。
そこでもう本当にしごかれた。
任侠映画のシリーズは高倉さんを一気に人気スターへと押し上げました。
鬼首!死んでもらうぞ!一年で10本以上という今では考えられないペースで主演を務めます。
しかし毎日のように朝方まで行われる撮影。
それが何年も続くうちに高倉さんは心をすり減らしていきます。
毎朝遅れてさ。
もう1時ぐらいしか出ないけど9時で出しとけって向こうの方も9時で予定出されて…。
何だかもうとにかく朝は来ない。
来てももうセリフがろれろれでしゃべれないっていう。
そういうのが何年も続く。
何でもなあなあになってくるっていうか。
まともに言われたとおりやったら体がもたねえっていう。
やっぱり自分の体を守るための防衛本能だよね。
理屈を言えばだよ。
数々の映画で共演しプライベートでも親交の深かった小林稔侍さん。
当時高倉さんは失踪騒ぎまで起こしたと明かしました。
東映の撮影所っていうのは大泉っていう所にある練馬の。
そしてね僕は寮にいたんですよそのころ。
それで澤井信一郎って監督…いい監督ですよ。
その方もまだ助監督ですけどそこにいたんですよね。
澤井さんも一緒に。
寮にお風呂はもちろんあるんですけどね町の銭湯へね洗面器持ってね…。
当時だからね洗面器持ってげた履いて…。
「いや風呂行くんですよ」って。
だから会社が大変ですよ。
そんなある日高倉さんは映画館に足を運びます。
上映されていたのは自らの主演映画。
その客席の様子に衝撃を受けました。
疲れ果て全力で演じていない自分に夢中になってくれている人たち。
湧き上がってくる思いがありました。
一体俺は何をやっているのだろう。
俳優となって21年目の45歳の時高倉さんは大きな決断をしました。
長らく在籍してきた映画会社を辞めたのです。
それは安定した収入や看板俳優としての地位を手放す事でもありました。
いや〜あえて選んだ…まあ選んだんだね。
やるって言ったんだから。
選んだんだけどそれが運命という事でしょうね。
やっぱり同じパターンのやくざものばっかり何十本もやっててもそれは自分が変われないなと思って志願して出ていったんだけど…。
それはいった人しかもう分からないね。
やっぱり何かそれはいい俳優になりたいと思ったからだろうね。
時を同じくして一本の映画の出演依頼が舞い込みます。
「八甲田山」。
旧陸軍の真冬の遭難事故を描く超大作でした。
これより八甲田を一気に踏破する!進め!舞台は零下30度の雪山。
そこで3年にわたって撮影を行うという前代未聞の作品でした。
この映画に高倉さんは俳優人生を懸けて臨みました。
猛烈な吹雪の中高倉さんをはじめ多くが凍傷になりました。
出発用意終わりました!共演した北大路欣也さん。
壮絶な撮影に挑む高倉さんの姿が脳裏に焼き付いています。
出発!第一小隊!「何時間待つの?」とかね「耐えられない」とかいろんな事が起こってくるんだけど。
そしたら大きな声でね「高倉隊は6時間待ったんだ!」っていう響きが。
「これは監督かな?大作さんかな?」って。
要するに何言ってんだとお前ら。
それでみんなもう気がバッと引き締まって。
いや〜高倉隊は6時間だ…。
もう全員それからまたねギヤの切り替えですよね。
頑張らなきゃ頑張らなきゃ…。
3年に及ぶ撮影の間高倉さんはほかの仕事を全て断りました。
次第に経済的に苦しくなり次々と財産を処分し現金に換えました。
SLも覚えてるね。
初めてあのSLって2人乗りの。
SLも買って…。
千葉が買ったやつ。
千葉に俺売ったから。
それみんな売り食いしたんだよあれ。
北大路さんはこの映画のラストシーンが忘れられないと言います。
高倉さん演じる徳島大尉が北大路さん演じる神田大尉の遺体を前に涙する場面。
命懸けで部下を率いた徳島大尉の姿が過酷な撮影の先頭に立ってきた高倉さんと重なりました。
それだけが…今度の雪中行軍の楽しみだと申しておりました。
その場面が試写の時に初めて僕見る訳ですよ。
その時は僕ねもう恥ずかしいですけどね本当にもう声が止まらないぐらいね泣いたんです。
それは神田大尉としてでもあるけど私個人としての徳島大尉に対して健さんに対してまたそれだけ大勢のねスタッフの方々のピラミッドの頂点に立ってる…。
何て言ったらいいんだろうね…。
その…男の姿っていうのかな。
それに…大感動したんだと思います。
何だか分かる?ハンカチよ…。
ほらちゃんとあったじゃないの!高倉さんは心からやりたいと思える役だけを選び全身全霊で挑んでいきます。
不器用だけれど己の本分を全うしようと懸命に生きる男を演じ続けました。
心の声北緯41度を越えて北へ行くんだ。
次第に高倉さんは自らに向け一つの問いを突きつけるようになります。
「自分はその役にふさわしい生き方をしているだろうか」。
本人の…生き方かな。
生き方がやっぱり出るんでしょうね。
テクニックではないですよね。
柔軟体操も毎日いいトレーナーについてやってれば壊さないで軟らかくなる。
あとやっぱり本読んで勉強してればある程度の知恵もつくよね。
その生き方っていうのは…多分一番何か出るのがその人のふだんの生き方じゃないんですかね。
いや偉そうな事言うようですけど。
懸命に生きている人を演じるためには自らも懸命に生きていなければならない。
誰よりも映画に打ち込んでいかなければならない。
高倉さんは最愛の母が危篤になった時でさえ誰にも言わず撮影を続けました。
でも今考えたらね肉親の…僕葬式誰も行ってませんよ。
それは結構やっぱり自分に課してる。
俺は絶対それで撮影中止にしてもらった事はないよっていう僕の中ではそれはねプライドですね。
言ったら当然中止にしますって3日間4日間とかってなったと思うけど一度も僕言った事ない。
一回もないですね。
それは僕はどっかで俺はプロだぞって思ってますよ。
それはだからね…映画のために多くのものを捨てました。
40歳で離婚してからは家庭的な温かささえ遠ざけその後独身を貫きました。
小林稔侍さんはそんな高倉さんの心の奥をかいま見た事があると言います。
ハッと心打たれましてね。
やっぱりそういう絵をね買って人知れず自分の部屋にね飾ってあるっていうのはやっぱり…。
ちょっと胸を打たれましたね。
何にも僕は言わなかったですよ。
「いい絵ですね」とかねもう言えなかった。
うん。
生きていく事は切なく生きていく事はいとおしい。
高倉さんは全てを背負ってカメラの前に立ち続けます。
子どももかみさんも死なして…。
だのにみんなしてよ〜くしてくれるしよ。
本当に幸せもんだ。
晩年の代表作「鉄道員」の撮影現場を訪ねた映画監督の佐藤純彌さんは出迎えてくれた高倉さんの姿が今も忘れられないと言います。
ホームよし。
高倉さんが40年にわたり毎日のように通ってきた場所があります。
(2人)お待ちしておりました。
都内にある理髪店。
髪を切らない時も店主と会話をして過ごします。
(取材者)40年になるんですか。
演技には生き方が出ると自らを律してきた40年。
柔らかい笑顔の向こうにどれだけの日々があったのでしょうか。
2011年秋。
映画「あなたへ」の撮影は佳境を迎えていました。
早引きしてきたのか?本当かよ?高倉さんは漁村の子どもとすっかり打ち解けていました。
女の先生?映画「あなたへ」は妻を亡くした男が妻のふるさとを訪ねるロードムービー。
映画のクライマックス妻の遺骨を海にまくシーンの撮影が近づいていました。
撮影当日。
スタッフの間には張り詰めた空気が流れていました。
サンキュー。
こっち?高倉さんはいつもと変わらぬ穏やかな表情で本番を待っていました。
監督から声がかかりました。
それをくっつけてやるんですか?うん全部くっつけて。
もうちょい左行って。
もうちょい左回り。
テントの上に影出さないでね。
透けて見えてるから。
全ての撮影が終わりました。
生涯205本目の映画。
高倉さんの遺作となりました。
(一同)お疲れさまでした!クランクアップから4か月後。
高倉さんに最後のインタビューをお願いしました。
まあ長かったったら長いしね。
あっという間といえばあっという間だよね。
ない。
ないよそんなもの。
夢?何だろうね…。
いろんな国の人と映画を撮りたいうん。
日本だけじゃなくてね。
それはやっぱりあの強烈な…何て言うんだろうね。
あいつが出てると日本人だよなっていうそういう俳優になりたいっていう。
僕は中国人やりたいとかベトナム人になりたいとか思った事ない。
だからどんなに舞台が何とかって言われても何の興味も感じない。
日本人しかやりたくないと思ってるから。
映画はかなわないですよもう。
それ以外の何かピッピッて刺激するもん。
終わり。
(取材者)ありがとうございます。
高倉健という俳優がいました。
信じた生き方を愚直なまでに貫き通した人生でした。
2014/11/27(木) 00:40〜01:30
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「高倉健という生き方〜最後の密着映像100時間〜」[字][再]

日本を代表する大スター高倉健はなぜ高倉健という生き方を貫き通したのか。3年前異例の密着取材が許されロングインタビューで語り尽くした“のこしたい”人生や哲学に迫る

詳細情報
番組内容
日本を代表する大スター高倉健が亡くなった。NHKは3年前、遺作となった映画「あなたへ」の撮影現場に異例の密着取材が許され、10時間にわたるロングインタビューを行った。行きつけのカフェでなじみの理髪店で、カメラの前で自らについて語ることの少なかった孤高の名優が“遺したい”という想いから、自身の人生や哲学について語り尽くした。高倉健はなぜ高倉健という生き方を貫き通したのか、その類いまれな人生に迫る。
出演者
【出演】高倉健,北大路欣也,小林稔侍,【語り】橋本さとし
キーワード1
高倉健

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映画 – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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