あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県気仙沼市 佐藤信行さん」 2014.11.27


(テーマ音楽)宮城県気仙沼市の波路上杉ノ下地区。
避難場所に指定されていた高台が津波に襲われ避難したおよそ60人が犠牲になりました。
杉ノ下地区で農業を営む…高台に避難した妻と母が津波に流され亡くなりました。
気仙沼市は標高13mの杉ノ下高台を一時避難場所に指定していました。
過去に津波が到達した記録はなく安全性は高いと考えられていたからです。
杉ノ下地区では防災を話し合う勉強会が度々開催されていました。
佐藤さんはかかさず参加し積極的に発言をしていました。
あの日佐藤さんは市の中心部に出かけていました。
杉ノ下の自宅には妻の才子さんと母のしなをさんが残っていました。
地震発生後大津波を予感した佐藤さんはすぐに車に飛び乗ります。
自宅に戻り足が不自由な母の避難を助けようと考えたのです。
杉ノ下に着いたのは津波のあとの午後4時ごろでした。
佐藤さんは妻と母が避難しているはずの杉ノ下高台に向かいます。
しかし安全だといわれていたこの場所にも津波は押し寄せ辺りの様子は一変していました。
2週間後母親は遺体で発見されましたが妻は今も見つかっていません。
1年後佐藤さんたち遺族は杉ノ下高台に慰霊碑を建てました。
慰霊碑には地区の犠牲者93人の名前が刻まれました。
その多くはこの高台に避難しとどまっていた人たちでした。
2014/11/27(木) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県気仙沼市 佐藤信行さん」[字]

東日本大震災に遭遇した人々の「あの日」の証言。宮城県気仙沼市の佐藤信行さん。母と妻は、指定避難所だった高台に避難していたにもかかわらず津波に襲われて亡くなった。

詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の「あの日」の証言。宮城県気仙沼市の佐藤信行さんは、外出先で地震にあう。自宅にいた妻は母をつれて市の指定避難所だった高台に避難した。しかし津波はその高台を襲い2人は亡くなった。佐藤さんが住む地区は防災への意識が高く、高台へ逃げることが訓練されていたため、多くの住民が犠牲になった。佐藤さんは、高台に慰霊碑をたて「避難に絶対はない」ことを後世に伝えようとしている。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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