小さな旅 手紙シリーズ 忘れられない わたしの旅 第2回「面影 心刻んで」 2014.12.20


(テーマ音楽)皆さんからのお便りでつづる「忘れられないわたしの旅」。
第2回は大切な人と見た掛けがえのない風景です。
「もう50代も終盤の私にとって忘れえぬ場所があります。
福島県の背戸峨廊。
それは私にとって特別な場所でもあるのです」。
お手紙を下さった後藤守さんです。
40年前福島県郡山市の高校に通っていました。
病気で父親を亡くし家計を支えるためアルバイトに明け暮れる毎日でした。
「思春期でもあった私は今まで以上に不安定になっていく自分を止める事はできませんでした」。
「将来の夢も諦めざるをえずこの感情を何にぶつけたらいいのか苦もんし反抗的な日々を送っていました」。
「この状況を抜け出すきっかけが高校を無断欠席して背戸峨廊に一人で行った事です」。
「当時電車賃も無くて自転車でいつしかこの場所に向かっていたのです」。
4時間かけてたどりついたのはいわき市にある渓谷背戸峨廊。
父親が亡くなる1年前に連れてきてくれた場所です。
「背戸峨廊では何事もなかったかのように清流が流れ鳥たちがさえずっていました」。
「鎖場を抜け一歩間違うと足を滑らせて川に落ちるような場所を着実に進むしかありません」。
「息を切らし立ち止まりながら先へ先へと進んだのです。
当然誰も助けてはくれないし泣き言を言ってもゴールは見えない」。
険しい山道を歩くうちに父親との旅の思い出がよみがえってきました。
父の盛治さんは勤めていたホテルが火災で全焼。
大やけどを負い職も失いました。
そんな時息子を背戸峨廊に誘ったのです。
「父が足を止め傍らに座るとつぶやくように私に話しかけてきたのです。
『この場所は私にとって大切な場所だ。
苦しい時八方塞がりな状況の時私は必ずここに一人で来ていた』」。
「『大切な事は人を頼らずに苦難を乗り越えるすべを身につける事。
それが自信となって生きてくる』」。
たどりついた美しい滝。
後藤さんの胸を一つの思いがよぎりました。
「確かにここまで苦労しながらも一人で来た。
その一方で日頃の自分は何もしないでただ不平不満や身勝手な事ばかり。
お前は何様かと天を仰いだのでした」。
「ふと涙があふれて泣きながら残りの道を進みました」。
後藤守さんです。
高校卒業後県外で就職。
建設会社などで長年働いてきました。
リストラや母親の介護。
困難に直面する度背戸峨廊を訪れてきました。
東日本大震災などで一時完全に通れなくなっていました。
後藤さんが訪れるのは4年ぶりです。
何となくねほんとに帰ってきたよって。
ふるさとに。
それで懐かしい人に会った時の全くず〜っと会えなくてほんとに「やっと会えた〜」みたいな。
そんな感じですね。
(後藤)父親がいるんじゃないですか。
どっかに。
続いてのお手紙は星野雅子さんから頂きました。
夫の太門さんと町工場を切り盛りしてきた星野さん。
時間を見つけては家族でキャンプに行くのが何よりの楽しみでした。
「8年前の夏長野県の北部にある雨飾高原を目指して出発しましたが通行止めで行く事ができない事が分かりました」。
行き先に困った星野さん夫婦。
近くにある白馬村のキャンプ場に向かいます。
「真っ青な空を背景にそびえ立つ白馬岳杓子岳白馬鑓ヶ岳。
このキャンプ場にして正解でした」。
「翌朝私がまだテントの中で眠っていると主人は『早く起きて見ろ!早く!早く!』と大変興奮した様子」。
「白馬岳が朝日に照らされ真っ赤に神々しく輝いているではありませんか。
どう表現していいか分からないぐらいの感動でした」。
「それ以来私たちは一年に数回真っ赤に輝く白馬岳に会いたくて足を運びました」。
2年前の秋。
星野さん夫婦に転機が訪れます。
雅子さんは医師から太門さんががんで余命半年だと告げられたのです。
雅子さんはこの事を打ち明ける事ができませんでした。
1か月後の10月下旬。
雅子さんはまだ容体が安定していた太門さんを誘い白馬に向かいました。
「夕方5時半過ぎ夏のにぎわいは全くない静かなキャンプ場に着きました」。
「主人の一番の楽しみはたき火をする事です」。
「うちわでパタパタするとあっという間に火がつきます。
それが自慢でとてもうれしそうでした」。
「主人は『これがいいよな〜』と言いながらパチパチと火の粉が飛ぶのをジッと見つめています。
私も黙って炎と主人の楽しそうな顔を眺めていました」。
翌朝白馬連峰は雲がかかり朝焼けを見る事はできませんでした。
2人はかまどの残り火で食パンを焼いて朝食。
太門さんはとてもおいしそうに食べていました。
「しばらくすると主人は『さあ帰ろう』とキャンプ道具を片づけ始めました。
しかし私はまだ山を見ていました。
『いつまでいてもきりがないから帰ろう』主人は荷物を車に積み込んでしまいます」。
「それでも私は動きませんでした」。
「もう二度と主人とこのキャンプ場に来る事ができないと知っていたからです」。
「すると小雨が降り始めてきたのです。
もう帰りなさいと催促されているのだと思いました」。
「車に乗り『お世話になりました。
思い出をいっぱいありがとうございました』と一礼。
悲しいとか寂しい気持ちより感謝の気持ちでした」。
翌年6月。
「主人は『俺は幸せ者だった。
またあのキャンプ場でパンを焼いて食べたかったなあ』と語りました」。
「『また行きたかったね』と私が言うと『今度家族と行け』と。
私は返事ができませんでした。
『違う違うあなたと一緒に行きたいんだよ』と心の中でつぶやいていたのです。
その2日後主人は62年の生涯を閉じました」。
「3人の子供たちがそれぞれ家庭を持ちいつかみんなであのキャンプ場へ行って朝焼けの白馬連峰が見られたらと思っています」。
「母が『今日は穏やかな天気なので鴨川へ1泊でドライブしてみない?』と言うので急いで朝食を済ませ一路南へと車を走らせました」。
最後のお手紙は押本理一さんから頂きました。
女手一つで育ててくれた母親のかさんを今年84歳でみとりました。
今は母から受け継いだ店を一人で守っています。
30年余り前のある日かさんから祖父のふるさと千葉県の鴨川への旅に誘われました。
病弱だった母との生涯たった一度の1泊旅行でした。
「私にとって初めての鴨川への旅。
山に囲まれた道をどれくらい走ったでしょう。
海が見え潮の香りがしてきました」。
鴨川に着いた2人が向かったのは船で10分ほどの小さな島仁右衛門島です。
「母が『お前のおじいさんも子供の頃に泳いでこの島に渡ったもんだ』と言いました」。
「自分が思っていたより意外と広くごつごつしていると思いました」。
「優しく包み込むような穏やかな浜風と潮の香り。
母は『海のいい匂いだ』と言いました」。
この日泊まったのは海辺にあるホテル。
明け方うつらうつらしていた押本さんはかさんから声をかけられました。
「『あれ見てみろ』母は窓の外を指して私を呼びました」。
「何だろうと思って見ると朝もやの中漁船が暖をとるための火をたきながら出航していくところでした」。
「幻想的な雰囲気に圧倒され私たちは体がジーンとしびれた感じがしました。
姿が見えなくなるまで見とれていました」。
「やがて朝もやに隠れていた太陽が黄金に輝きだしたのです」。
・「ためいきつき通り過ぎる景色ばかり」「帰りに車の中で聞こえてきたのは石川さゆりさんの「能登半島」。
母は能登半島を房総半島に替えて歌っていました」。
・「あなたあなたたずねて行く旅は夏から秋への能登半島」「母の横顔をちらちら見ていると海を見ながらうれしそう。
やっぱり鴨川に連れてきてよかったなあ。
少しは親孝行のまね事はできたかなと思いました」。

(テーマ音楽)あの日の風景は大切な人の面影とともに輝き続けます。

(テーマ音楽)2014/12/20(土) 05:15〜05:40
NHK総合1・神戸
小さな旅 手紙シリーズ 忘れられない わたしの旅 第2回「面影 心刻んで」[字]

手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」。第2回は、大切な人と見た旅の風景。母と生涯一度行った千葉県・鴨川への旅。病と闘った夫と見た白馬の山など今も輝く旅の物語。

詳細情報
番組内容
みなさまからいただいた旅の思い出でつづる、手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」。第2回は、大切な人と見た、かけがえのない風景をたどります。人生の節目に必ず訪れる、父との思い出の場所、福島県・背戸峨廊(せとがろう)。病と闘った夫と、最後の旅で出会った白馬の山々。懸命に働き続けた母と生涯にたった一度の旅で目にした、千葉県鴨川の幻想的な風景。それぞれの人の心に深く刻まれ、今も鮮やかに輝く旅の物語です。
出演者
【語り】国井雅比古,山田敦子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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