(テーマ音楽)想像力っていうのはふわっとした取りとめのない何か見たこともないようなものをつくるのが想像力じゃなくてね。
想像力ってのはやっぱり何かを壊すことです。
主として。
映画監督伊丹十三さん。
ジャーナリスティックな視点でとらえた題材を巧みに娯楽作品に仕立て大ヒットを連発しました。
もう一回行こう。
「ちょっと待った!それどうして捨てんの?」。
「これ昨日の売れ残りです。
これ以上置いておいても油が回るばっかりだから」。
「何をもったいないこと言ってるんだ!カツ丼弁当にすりゃいいじゃねえか!こうやってもう一度揚げれば…。
衛生的にも何も問題ないでしょ?」。
「こんなスーパーは駄目!」。
伊丹さんは昭和8年映画監督伊丹万作の長男として京都に生まれました。
中学1年の時父が肺結核で亡くなり伊丹さんは大きなショックを受けます。
男に生まれた以上男じゃなきゃいかんと。
そういう催眠術のようなものが強くかかってる。
で…そのモデルたるべきおやじがポコッと死んじゃうと。
そうすると自分でいろいろ探さなきゃいけないわけですね男であるあり方を。
ともかく何だか分かんなかったですね人生が。
あるいは自分というのが何だか分かんなくてず〜っとあがいてたわけ。
それでどうやったらつまり世界の意味というようなものあるいは自分というふうなものがつかみ取れるんだろうと思って。
しかし体系的に勉強したわけじゃないしただでたらめに本を読むんですよ。
むちゃくちゃに読むんですよ。
そういうこといくら続けても何にも見えてこないわけね。
つまり断片の積み重ねみたいなもので世界を部分部分でのぞいているにすぎないのでね。
全体がどうなっているのかっていうのは見えてこない。
高校卒業後伊丹さんは上京して商業デザイナーになります。
本の装丁などを手がけ注目を集めました。
才能はそれだけにとどまりません。
26歳になると伊丹一三の名で映画俳優としてデビュー。
ハリウッド映画にも出演し話題を呼びました。
更に国際俳優の体験を基に書いたエッセー「ヨーロッパ退屈日記」はベストセラーになります。
伊丹さんのマルチな才能に世間から称賛が寄せられました。
しかしその陰で本人は悩み続けていたのです。
僕は人間関係ってのが実に不十分だったわけですね。
そうですね…母親との関係もありますよね。
それは割に密着した関係で非常に依存的な関係でもあるし相手が母親だからどんなむちゃくちゃでもできる。
それを父親がその関係から外へ引っ張り出してくれて社会へ出ていく場合にはそれじゃ通用しないんだぞと。
一応中間点として父親というのはなきゃいけないわけですよ。
それなしでポンと社会へ出ちゃったから人間関係がうまくいかないんですよ。
非常にぎくしゃくするんですよね。
知らない間に人を傷つけちゃったり傷つけてることに鈍感だったり。
あるいは自分が傷つけられることに敏感だったりそういう時期がずっと続いててもう…大変悩んだんですね自分に関しては。
母の呪縛父への憧憬。
伊丹さんは42歳の時に一冊の精神分析の本と出会います。
この本を読んで「自分はかくあるべき」という子供のころからの思い込みから解放されました。
イメージとしてはそれまで自分の前に厚い曇りガラスみたいなものがあってそれを通して世界を眺めていたという感じがあったんだけどこれを読んだ時にパ〜ッとそれが砕け散りましてね。
その向こうからすごく強い明るい日ざしがバァ〜ッと入ってきてね。
それから世界が実にくっきり見えるようになったイメージを持った。
伊丹さんが最後に選んだのは父と同じ映画監督でした。
「そう。
今息を引き取ったの…」。
「この度は誠に…」。
第1回監督作品「お葬式」。
それまで誰も考えつかなかった題材でした。
「『厚く御礼申し上げます』」。
「今度はみんなわしの方を見て。
いいか写すぞ?」。
(シャッター音)
(司会)映画界の中ではお葬式というものが当たるだろうという人はいましたか?それは一人もいませんでしたね。
全員反対だったんです。
「お葬式」という題名だけでもう駄目だという具合だった。
古今東西のいろんな映画を見あさって今の日本映画というものはだいぶ映画そのものというものから横へそれているんじゃないかと。
映画をもう一回映画の言葉で語り直すような作業が必要なんじゃないかという思いがずっとあってね。
それを非常に大衆的な素材でやってみたいということは前から考えてたわけです。
そこんところへ自分の女房の父親が亡くなって自分でお葬式を出すというようなことをやりましてそのお葬式をやってる間に「もうこれはどこからどこまで全部映画だ」という気がしたわけですね。
「お葬式」は映画界の常識を覆し大ヒット。
伊丹さんの挑戦は続きます。
ですから日本人がうまくピシッとこうカプセルの中に入っちゃうような題材をいつも見つけてるわけ。
探してるわけです。
「マルサ」にしても日本人とお金という問題があるでしょ?人がやってることにビックリして作ることの方が多いです。
何でこんなにラーメンのこと一生懸命やっている人がいるんだろうとかね。
そういうことが非常に調べてみると面白くてその驚きをみんなと分かち合いたいなと。
「我々は治すためには最善を尽くします」。
「あんた人の胃を切るんだよ。
責任持てよ!治らなかったら金返してくれるのか?」。
映画「大病人」。
患者本位の医療が行われていない病院が舞台です。
「じゃあほかの医者行ってください」。
「ほらそうやってすぐケツまくるんだ」。
病院は死なすとこじゃないけどせめて死ぬまでを一番いい生き方で生きてもらうということに手を貸してあげましょうというふうに病院の方も病気と闘うとか治すとかいうことだけじゃなくて死ぬと決まった人を一番いい方法で助けてあげるということも病院のものすごく大きな我々が期待する役割なんだということの方にちょっと価値をねそろそろ転換していっていただく時期に来てるのではないかと思うんです。
平成4年。
ヤクザと闘う弁護士を描いた「ミンボーの女」。
その公開後伊丹さんは暴漢に襲われます。
自分の信条に従って作った映画でねこういうことになったわけですからそのこと自体ね映画を作ったこと自体を後悔する気持ちはありません。
常識を壊すことで新しい世界を切り開いた伊丹十三さん。
その信念は決して変わることはありませんでした。
今まで我々が既成観念でガチガチになっているその既成観念にガンと一撃を加えてひび割れを入れてね全く物事が新しい光の中に新しい見え方で見えてくるってことがやっぱり想像力だと思うし。
だからやっぱり漠然とした言い方だけど。
2014/12/20(土) 05:40〜05:50
NHK総合1・神戸
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 伊丹十三(映画監督)」[字]
ジャーナルな視点で鋭くとらえた題材を、巧みに映画の世界に映し出し、ヒットを連発した伊丹十三さん。新しい世界を切り開き続けた伊丹さんの64年間を見つめる。
詳細情報
番組内容
ジャーナルな視点で鋭くとらえた題材を、巧みに映画の世界に映し出し、ヒットを連発した伊丹十三さん。伊丹さんは生涯を通じて「自分とは何か」を追い求めた。監督になって初めての作品「お葬式」を完成させたのは51歳の時。それまで商業デザイナー、エッセイスト、映画俳優、CMディレクターなど、さまざまな分野でマルチな才能を発揮してきた。既成概念を壊すことで新しい世界を切り開き続けた伊丹さんの64年間を見つめる。
出演者
【出演】映画監督…伊丹十三
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映画 – 邦画
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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