100分de名著 ハムレット(新番組)<全4回>第1回▽“理性”と“熱情”のはざまで 2014.12.10


17世紀イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア。
その代表作の一つが「ハムレット」です。
父の復讐を狙う青年の悲劇のストーリー。
主人公のハムレットは俳優なら誰もが演じてみたい役だといいます。
これまで常に思い悩み優柔不断なハムレット像が定番でした。
しかし…。
そうなんです。
人としてこう考えるべきですよね。
「100分de名著」「ハムレット」。
第1回はハムレットが何に悩んでいたのかその真相に迫ります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」。
伊集院光です。
ハムレットならぬヒカレット。
ヒカレット。
ハムレットならぬハムそのものが言ってみましたけど。
はい。
そう今回私ども「名著」で取り上げるのはシェイクスピアの「ハムレット」でございますよ。
はい。
問題なのは「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」というセリフがあるなぐらいしか分かってない事が問題なんです。
僕の場合相当問題ですけど。
今回も頑張りましょう。
という事でさあハムレットは一体何に悩んでいたのか?それが第1回のテーマでございます。
今回の指南役ご紹介いたしましょう。
東京大学大学院教授でいらっしゃいます河合祥一郎さんです。
お願いいたします。
よろしくお願いいたします。
イギリス演劇を専門とする河合祥一郎さん。
気鋭のシェイクスピア学者として注目を集めています。
「ハムレット」をはじめシェイクスピア戯曲を次々に翻訳。
蜷川幸雄など人気演出家が上演しています。
こちらがそのウィリアム・シェイクスピアさんでございます。
…という節目の年で日本とか海外でもものすごくたくさんの公演が行われてるんですね。
450年前というのは日本でいうと江戸時代よりも以前なんですよね。
そんなに古い時代の作品が世界中で翻訳され上演されて映画にもなってますし日本でいうと歌舞伎にも狂言にも文楽にもなっているってこれすごいと思いませんか?すごいですよね。
シェイクスピアザ・ヨーロッパな感じなんだけど日本の古典とも相性がいいというか。
最近ではマンガでも「7人のシェイクスピア」というマンガが人気でこれはシェイクスピアの人生を描いてるわけですけどシェイクスピアは本当に謎の人生を送ったからそこが興味の対象になるわけなんですね。
ちょっと年表を見てみましょうか。
はい。
その後学校に行きつつ1582年18歳でアン・ハサウェイと結婚。
このアン・ハサウェイさんはシェイクスピアより8歳年上だった。
結婚したすぐに子供ができてるのでできちゃった婚だという事が分かっている。
しかも2年後二十歳の時には更に双子が生まれて二十歳にして3人の子持ちとなると。
ところがですよやっぱり3人の子供ができて困ったんでしょうね。
突然出奔するんです。
いなくなってしまう。
えっ?記録から消えてしまう。
名前が出てくるのは1593年になってロンドンで詩人としてのウィリアム・シェイクスピアという名前が出てくるのでちょっと疑いの目で見る人たちもいるわけです。
つまり彼は大学も出ていない。
田舎のウィリアム・シェイクスピア君が本当に詩人として活躍したウィリアム・シェイクスピアと同一人物なのか。
それなので本当にたくさんのシェイクスピア別人説が書かれます。
彼の人生や作品を題材としていろんなたくさんの事が紡ぎ出されていると。
そこもまたシェイクスピアの魅力の一つだとは思いますね。
52歳で死去するまでこの間に40作品。
5つに大きく分ける事ができます。
まず一番最初に書き始めたのが歴史劇ですね。
日本でもチャンバラなんていうのが庶民に人気のあるジャンルですのでここから書き始めてやがて喜劇に移りそして悲劇時代というのが来て。
それではまずは「ハムレット」のあらすじから見てまいりましょう。
物語の舞台は中世デンマーク。
ハムレットは王である父の急死のため留学先から故郷に呼び戻された。
王位についたのは亡き父の弟クローディアス。
母は叔父を結婚相手に選んだのだ。
ある晩父の亡霊が現れ「自分を殺したのはクローディアスだ」と真相を告げる。
ハムレットは叔父への復讐を誓うがなかなか実行に移す事ができない。
そんなハムレットに翻弄される恋人のオフィーリア。
やがて彼女は狂気におちていく。
またハムレットの復讐に気付いたクローディアスはその命を狙うようになる。
復讐が遅れるほどに悲劇は拡大していくのだった。
常に憂鬱で思い悩むハムレット。
その姿を決定づけたのはイギリスの名優ローレンス・オリビエだといわれている。
こちら今出てますのがイギリスローレンス・オリビエが演じたハムレット。
たくさんの俳優さんがハムレットを演じてるんですけれどももう元祖ともいわれるハムレット。
何か王子の気品というか。
かっこいいですね。
かっこいい。
悩む感じが。
この映画を見るともういかにも憂鬱で優柔不断な男なんだなハムレットはというふうに印象が決定づけられると思うんですが…もともとはまたちょっと別かと。
えっ間違ってるんですか?そうなんです。
その間違いを今日私は正しにやって来たわけなんですけれども。
というのはまずですねこうやって優柔不断なハムレットというふうにイメージすると普通ハムレットは何かすらりとかっこよくて細いというイメージがありませんか?ともすればなよっとしてたっていいわけですよね。
ええ。
普通そういうふうに思うわけなんですけどしかし原文を見てみますとハムレットは太っていたんですね。
ええっ!?しかもひげも生やしていた。
え〜!全然…。
イメージ違いますよね。
今ガラガラと。
僕頭でくだらないギャグで「ハム」って言ってましたけども。
まさにそうなんです。
本当にしっかりとしたどっしりとした肉体をハムレットは持っていたんですね。
それは何か証拠があるんですかその中に。
それは幕切れのですね決闘の場面というのがありましてハムレットとレアーティーズが決闘してる時にお母さんのガートルードが「あらあの子太ったのかしら息なんか切らして」とこう言うわけなんですね。
もうそのもの。
「Heisfat」。
これはおかしいと。
このハムレットが太ってるはずはないというふうにもう皆さん考えて何かの間違いだろうと。
印刷ミスなんじゃないかとかですね。
何しろだってオフィーリアのセリフを見ても「若さ花咲く比類なきあのお姿」なんてそういうセリフがありますから…それが太ってたらこれちょっと変な話四大悲劇から喜劇の方にちょっと行っちゃう可能性も出てきますけど。
でもつじつま合わないじゃないですか。
今言ったそんなすばらしい姿である事と太ってる事はどうやって…。
そうなんですね。
その謎を解くためにはこのシェイクスピアが生きていた時代にかえらなければいけない。
大体16世紀から17世紀のエリザベス朝の時代というところにかえっていってその時代の文化にかえる。
ここがポイントになるんですね。
というのは…その背景にはその当時の食文化もありまして貧しい人はおいしいものをたくさん食べたりできない。
なので痩せていたという。
しかも戦争に行かなければならない時代だったので男はどっしりとして強くなければならない。
だから痩せっぽちじゃ駄目なわけですね。
つまりどっしりとしているというのは裕福であるというステータスにもなっていて体がこう細くてへなちょこだというのは逆に軽蔑の対象にもなったとこういう時代背景があったわけなんです。
イケメン像が全然違う。
なるほど。
イケメン…「面」じゃないけどそのイケボディー像が。
イケてる男とはというその時代背景と美的感覚みたいなものが分かるとちょっとこうありですね。
他の人は納得いかなくて誤植じゃねえかとまで言ってたんですね。
特にイギリス人たちが「fat」は間違っているという事で何か当時は別の意味があったんではないかという事で「fatは汗かきという意味があった」とか。
本家本元も「あるはずない」って。
文化が違いますからね。
「ハムレット」が書かれた時代というのはエリザベス朝。
一体どんな時代だったかといいますとちょっとこのエリザベス一世。
シェイクスピアが活躍した時代をまとめて広い意味でエリザベス朝時代というふうに言います。
それは16世紀末から17世紀にかけてのイギリスルネッサンスの時代で科学技術が大いに発展して芸術も学問も盛んになって演劇も大いに発展したんですね。
社会がこうすごく変わっていくと人も変わるという事でしょうか。
はい。
人というのは神と悪魔の間にいるというふうに考えられていた。
神の御許に行きたいあるいは悪魔にだまされて地獄に落ちたくないという非常にpassionateな気持ちで生きていた「熱情の時代」という事が言えると思います。
それが中世。
それが中世です。
神の存在を前提としないでその考えるという理性によって自己のアイデンティティーが保たれた新しい時代なんですね。
これは大きな転換?大きな転換です。
だから神がもういなくても自分だけで人間は存在できるというのが近代的な自我になってハムレットというのはそういう近代的な人間の先駆けとして描かれているわけなんです。
だから迷うのか。
悩むのか。
そうなんです。
そうしたその近代的自我を象徴するような言葉がこの「ハムレット」という芝居の幕開きから実は仕掛けられているんですね。
「ハムレット」の幕開けの言葉。
これはエルシノア城で見張りについている兵隊たちがまず言うんですね。
「誰だ」と誰何すると。
そうすると相手が「なに貴様こそ。
動くな名を名乗れ」と言うわけですね。
英語で「unfoldyourself」と書いてありますけどこれ「名を名乗れ」というふうに訳しましたが正確に言うと「正体を明らかにせよ」とこういう事なんです。
自分は何なのかというこの問いが最初からここで問われていると。
中世から近代へ移り変わっていく人々の心の変化みたいなところがここにもうまさしく。
前の時代だったらば「神はこう言った」から始まるかもしれないけど今のその時のもやもやとした空気の中でこの言葉はみんなをいきなり何か考えさせるインパクトがあると。
改めてハムレットの迷いを見ていきましょう。
それは復讐のきっかけとなる亡霊との出会いのシーンです。
真夜中の城壁。
ハムレットの前に父の亡霊が現れる。
亡霊はハムレットに自分の死の真相を告げに来たのだ。
「自分は弟のクローディアスに殺されたのだ」と。
亡霊はそうハムレットに命じ消えていく。
「さらばさらばハムレット父を忘れるな」。
「この乱れた頭の中に記憶が宿るかぎりな。
忘れるなだと?忘れるものか。
記憶の手帳からくだらぬ記録はきれいさっぱり消してやる」。
「そうだそうとも!天に誓って!」。
「記憶の手帳だ手帳だ書きつけておこう」。
しかしハムレットの胸に不安がよぎる。
あの亡霊は…自分は悪魔にそそのかされているのではないか?これもうはっきり「復讐するぞ」って。
あの勢いだとそのままそのままいきそうですよね。
ウッといきそうなのになかなかこれがず〜っとあの言葉悩んでいて仕事に取りかからないというのはこれは何なんでしょう。
そこが問題ですよね。
それが問題だ。
そうなんです本来ならば「もちろんだ!」とここで言ってるわけですからそのままやればいいんですけれどそこではたと考えるわけですね。
もしこれが本当の父の亡霊ではなかったらどうしようかと。
多分現代的な発想から言うと例えば幻影で自分は本当に亡霊と会ったのではなくて何か気がおかしくなってるんじゃないかと。
つまり理性で考えると「ちょっと待てよ」という事になるわけです。
つまり熱情だけで考えると「もちろんだ」と思うわけですがしかしそのとおりやっていいのか?というところが問題になる。
要するに優柔不断なやつだと僕らは思い込んでたけどハムレットそうじゃないですよね。
そうなんです。
人としてこう考えるべきですよね。
いやちょっと待てよというふうに考えるというところに…ぐっとくるのはその部分で何ていうんでしょうね父の亡霊が現れて「復讐してくれ」って言われたらどんだけ劇的に復讐するかにならないじゃないですか。
その劇の盛り上げ方としてはなるほどそういう復讐の手があったかみたいな事じゃないですか。
そうじゃないんですもんね。
そうじゃないんです。
これもやっぱりその当時の文化に戻っていく必要があってつまりその時の宗教ですねキリスト教の世界に戻る必要があります。
カトリックの中では亡霊が認められていたんですけど亡霊の存在が認められていたんですけどプロテスタントは亡霊の存在を認めていないんです。
ハムレットが通ったドイツのウィッテンバーグ大学というのがあってバリバリのプロテスタントの大学なんですね。
亡霊を信じるわけにはいかないという大前提があるわけです。
そこも関係あるんですね。
まさにその悩みなんですね。
これはその迷いでありその悩みなんですね。
亡霊がいないんじゃ出てきたお父さんの亡霊どう解釈していいかね。
最後はどういうふうになるんですか?本当に亡霊なのかどうかは最後まで分からないんですね。
面白い事に第五幕に入りますと最終幕に入りますとお父さんの亡霊の話は一切出てこなくなるんです。
つまりそれを見ても実はその亡霊の命令を実行するというお芝居ではなくて人間としてどう生きるべきなのかという事を題材とした芝居だという事が見えてくるんですね。
割と具体的なその亡霊がいるのかいないのかという具体的な世相みたいなところから入ってくるんだけど最終的にはそういう話でもないよという。
あなたは感情に生きますか理性に生きますかそしてその間で迷う事はありますかみたいな。
そうすると俺もあるとか俺だったらこうだっていう何か本当にもう人間として自分の持ってる悩みの話になってきますもんね。
自分の事になってきますね。
そうなんです。
お芝居を見ているつもりがいろんな事をそこから投げかけられる感じですね。
この先ハムレットはどうなるか。
ハムレットはどう考えてるのこれ。
なかなか判断をつける事ができないハムレットなんですけども激情熱情パッションの部分はそんな自分を臆病だと責めています。
「神は我らに前を見通し後ろを見返す大きな思考力を授けたもうた。
その能力と神にも劣らぬ理性を持ち腐れにしてよいはずがない。
ところが俺は畜生の物忘れかあるいはあれこれと結果を考えすぎて臆病風に吹かれたか」。
ほんとにハムレットの中にも熱情と理性の間で揺れ動く自分の中で責め合うというのがものすごく出てますね。
もうこれだけはやらなければというふうに言っておきながらしかしそれができないというこの苦しみですよね。
ああなるほど。
これが当てはまらない人は実はいないんじゃないかなというぐらい。
ましてやこの時と同じ今も価値観が激動する時代なわけじゃないですか。
さっき言ってた宗教のカトリックとプロテスタントだけじゃなくてそれこそゆとり教育と詰め込み教育でもそうだしほんとに数年間で変わる所にいるでしょ。
時代が変わると考え方が変わるからその中で自分もどうやって生きていけばという時代の中で自分の生き方を探ってかなきゃいけない。
みんな現代でももまれてるでしょうね。
そうなるとつまり「ハムレット」という作品は単なる優柔不断な性格の男の物語ではなくてもう誰にも当てはまる。
いわばこの理性と熱情の状況に落ち込んで動けなくなった男の話だというふうに解釈できると思うんですね。
何かその最後のVTRにあった長いセリフですけどあれがあるおかげで責められる部分もあるしあれがあるおかげで特別俺だけが悩んでんじゃないって。
みんなそうやってもまれてるんだ。
それも450年も前からという事がもしかしたら励みにもなるし。
そうですね。
それはすごい。
洋の東西問わずね。
面白いもんでございます。
まあハムレットの悩みはまだまだ続きます。
第1夜ですもんね。
そうです。
第2回へと続いてまいります。
河合先生どうもありがとうございました。
2014/12/10(水) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
100分de名著 ハムレット[新]<全4回>第1回▽“理性”と“熱情”のはざまで[解][字]

優柔不断と評されてきたハムレット。しかしその悩みの裏には近代人が誰しも直面する「理性」と「感情」の相克があった。ハムレットを哲学的に読み解き悩みの真実に迫る。

詳細情報
番組内容
「優柔不断な青年」と見られがちなハムレット。しかし、行動をためらうのには大きな原因があった。そこには中世から近代へ向かうに際し、近代人としてのアイデンティティーを確立しようとする人たちが不可避的にぶつかる問題があった。ハムレットのちゅうちょは「理性」と「感情」の相克という近代人の宿命に根ざしていた。第1回はハムレットが行動をちゅうちょする場面を詳細に振り返りながら「ハムレットの悩み」の真実に迫る。
出演者
【ゲスト】狂言師…野村萬斎,【講師】河合祥一郎,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】川口覚,【語り】墨屋那津子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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日本語
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日本語(解説)
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