歴史秘話ヒストリア「私は真珠湾のスパイ〜日米開戦 ある男の告白〜」 2014.12.10


固定観念がない、幼いころからいろんな人がいるんだ、いろんな生き方があるんだってことを学び、そうやって育っていく人たちが増えていくと、この社会も変わっていくでしょうね。
そうですね、これが10年、20年と続いていく中で、そういう社会になっていってくれればいいなと思います。
ありがとうございました。
今夜は、中塚幹也さんと共にお伝えしてまいりました。
太平洋の楽園と言われるハワイ。
今から70年以上前この島は大きな悲劇に見舞われました。
昭和16年12月8日日本軍による真珠湾攻撃です。
日本からおよそ6,000km離れたアメリカ軍の根拠地真珠湾を奇襲するという前代未聞の大胆な作戦でした。
その陰にはたった一人でハワイに潜入しアメリカ艦隊の動向を突き止めたある日本人スパイの活躍がありました。
吉川猛夫当時29歳。
真珠湾攻撃を成功に導いた日本海軍のスパイです。
スパイの経験もノウハウもないまま吉川はある日突然ハワイに送り込まれます。
厳重な警戒をくぐり抜けどうやってアメリカ軍の機密を探ればよいのか。
鍵はハワイの日系人。
吉川の正体を知らぬまま親しくしてくれる日系人の手助けで吉川は真珠湾基地の実態に迫っていきます。
その結果日本軍の奇襲作戦は成功。
しかし吉川の苦しみは真珠湾攻撃の直後から始まります。
ハワイで暮らす日系人全員が敵国に通じたという疑いをかけられて厳しい弾圧を受けたのです。
真珠湾で働いている日系人は仕事を失いました。
たとえアメリカ国民でも日本人の血が入っていれば解雇されました。
スパイは自分一人。
日系人には何の罪もない!吉川は立ち上がります。
異国の地で日米開戦の悲劇をつぶさに見た一人のスパイの物語です。
世界中から毎年800万人もの観光客が訪れるハワイ。
ワイキキビーチから車で30分ほどのところにアメリカ太平洋艦隊の拠点真珠湾基地があります。
厳重に警備され傍らに車を止めて撮影する事も許されません。
こうした厳しい警戒をくぐり抜け基地の内部に迫ったスパイが吉川猛夫です。
日本海軍の軍令部でアメリカ軍の戦力分析にあたっていた吉川はある日突然上司に呼び出されます。
お呼びでしょうか?吉川お前には来月からハワイに行ってもらう。
ハワイですか?そうだ。
そこで米艦隊の動向を探れ。
実は当初日本軍には真珠湾を攻撃するつもりはありませんでした。
当時の日本の計画は…しかしこれには問題がありました。
アメリカがフィリピンを統治していた事です。
日本軍が侵攻すれば…心の声素人の俺にスパイなどできるのか?もしアメリカに捕らえられたりすれば万に一つも命はあるまい。
吉川は東京の自宅にふるさとから母を呼び寄せます。
ひそかに別れを告げるためでした。
お母さんしばらくここで一緒に暮らしてくれませんか?半年ぐらいあとで遠くへ転勤するかもしれないんです。
おやそうかい。
でどこへ行くのかえ?ええまだはっきり分からないんですが外国の方かもしれません。
あるいは南方かも。
どこへ行こうとお前の思うとおりにおし。
心の声言えない。
これが今生の別れになるかもしれないなんて…。
これまでの人生と決別した吉川は名前も捨て新たに森村正の名でスパイとして歩みだします。
吉川の正体は総領事をのぞいて領事館の職員にも秘密でした。
森村さんはいこれ。
あっはい。
表向きは事務員として働きながらその裏でスパイ活動を行うのです。
吉川は早速タクシーに乗り真珠湾の偵察に向かいます。
真珠湾基地はオアフ島の南部にあり航空隊の基地も兼ね備えた太平洋艦隊の本拠地です。
運転手は地元の日系人。
怪しまれないよう観光地を見物するふりをしました。
大きな飛行機がいるねえ。
基地ではなく飛行機に興味があるように装います。
車は真珠湾基地の正面ゲート前にさしかかりました。
ところが…。
あっここゆっくり走れますか?いやここは前を向いてまっすぐ走らないと。
軍だけじゃなくポリスも見張ってるんですよ。
一旦タクシーを降り歩いて近づこうとしますが警備が厳重で基地の中が見えそうなところは全て立ち入り禁止です。
がっかりして戻ってきた吉川に運転手が思いがけない提案をしてきました。
旦那飛行機見に行きますか?でも中に入れるのかね?OKですよ。
お〜!心の声
(吉川)OKって…基地に入らずに基地の中にある飛行機を見る事なんてできるのか?車は真珠湾基地の裏側の岬に向かいました。
どんどん人けのない道に入っていきます。
心の声本当にこんなところから真珠湾が見えるのか?日系人といえど油断はできん。
ひょっとするとFBIと通じている?その時…。
突然視界が開け目の前に広がったのは真珠湾。
そこには吉川が見たくて見たくてたまらなかったアメリカ艦隊の姿があったのです。
運転手は日系人のジョン・ミカミという男でした。
吉川はミカミと親しくなり彼の運転で真珠湾に行き艦隊の様子を探るのが活動の中心となります。
昭和16年の夏を過ぎると日本から求めてくる情報はどんどん高度になってゆきました。
艦隊のスケジュールを探るといっても基地が見える秘密の場所でずっと張り込むわけにもいきません。
そんな時うってつけの場所が見つかりました。
総領事行きつけの料理屋「春潮楼」です。
店の名は変わっていますが今も真珠湾近くの丘の上で営業を続けています。
2階に上がってみると…。
現在の経営者ローレンス・フジワラさんは当時女将だった祖母から吉川の事を聞いて覚えていました。
よく吉川さんがやって来て…祖母はとてもフレンドリーでしかも…窓辺には吉川が使ったという望遠鏡がそのまま残っていました。
ここからは真珠湾の中ではなく湾の出入り口が見えます。
吉川さんはここから真珠湾に出はいりする船を見張り時間や行き先を報告していたのだと思います。
吉川は店の女性に好意を抱いたふりをして春潮楼に足しげく通いました。
夜遅くまで酒を飲み店に泊まり込むと…明け方には真珠湾を出ていく艦船を偵察。
こうしてアメリカ艦隊の行動スケジュールを把握しようとしたのです。
日本からは更に真珠湾だけでなく…吉川は女性とのデートを装いさまざまな場所へ出かけます。
ある時吉川たちはオアフ島東部の入江に向かいました。
観光船で海に出ると女性たちはきれいな魚や雄大な景色に大はしゃぎ。
しかし吉川が見つめていたのは別のもの。
入江にあった海軍の基地です。
陸からは近づきにくい基地も海の上からなら偵察は簡単でした。
初めは10日に1度求められた報告が3日に1度となり…なぜこうも頻繁に真珠湾の情報が必要なのか。
11月日本から来た海軍将校が吉川に渡してほしいものがあると総領事を訪ねてきました。
総領事が吉川に手渡したのはたった一つの小さなこより。
開けてみると細かい字でびっしりと…その中の予想外の質問に吉川の目が留まります。
心の声天気が知りたいという事はつまり飛行機を飛ばすという事だ。
もしやハワイを爆撃する気なのか?気象に関する情報はホノルルで30年間星を観測しているという日本人の天文学者を訪ねるとすぐに判明しました。
日本から来て間もない吉川に彼はハワイの天気についてうれしそうに話しだしたのです。
ここ30年ハワイでは暴風雨がなかったから毎日星空を見る事ができたんだよ。
へえそうなんですか。
なるほど。
真珠湾はオアフ島を東西に横切る山脈の南側にあります。
という事は真珠湾基地の上空は常に晴れていて…吉川はこの事を日本へ伝えます。
しかし吉川はこの情報を日本に送る事に初めて良心の呵責を感じました。
11月末総領事館に決定的とも言える電報が届きます。
「たとえアメリカ艦隊に何ら動きがなくとも常に報告せよ」という命令でした。
日本軍は真珠湾への攻撃を敢行するつもりだ。
吉川は確信します。
「8日に真珠湾を攻撃せよ」との合図です。
運命の日は6日後に迫っていました。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
真珠湾のスパイとして活躍した吉川猛夫。
ハワイには明治以来多くの日本人が移住しています。
当時既にハワイ全人口の3割を占める15万の日系人が住みハワイと日本をミックスした独特の文化を生み出していました。
その象徴がこちら。
ハワイを代表するファッション「アロハシャツ」です。
古いアロハシャツをよく見るとハワイにはない竹や虎が描かれていたりします。
実はアロハシャツはもともと日本から移住した女性が…これらの柄はその名残なんだとか。
さて日系人の好意を戦争に利用しなくてはならない事に吉川は心苦しさを覚えていました。
そんな中とうとう…真珠湾攻撃が目前に迫り吉川のスパイ活動はますます多忙を極めていました。
いつ日本軍が来てもおかしくない。
そう思うと吉川にはやっておきたい事がありました。
森村さんミカミです。
吉川はタクシー運転手のミカミを呼びます。
間もなく日米開戦になる。
その前にミカミに恩返しをしたいそう考えたのです。
吉川とミカミはいつもアメリカ艦隊を見張っていた春潮楼を訪れました。
ふだんは車で待っているミカミをこの日は座敷に上げて大いに騒ぎました。
心の声
(吉川)右も左も分からないハワイでなんとか任務を全うできたのはミカミさんのおかげです。
ありがとう。
そしてハワイ時間12月7日の朝。
見上げた吉川の目に飛び込んできたのは真珠湾を目指す日本軍の飛行機でした。
(爆撃音)日本の攻撃隊はまず真珠湾基地の2か所の飛行場を爆撃。
アメリカ軍が迎撃できないよう飛行機や滑走路を破壊します。
そして本命であるアメリカ太平洋艦隊を攻撃。
真珠湾にいた戦艦のほとんどに大打撃を与えました。
これは…どの方向から湾に侵入するのかどの船から攻撃するのか全て綿密に決められていた事が分かります。
当時…日本軍が襲来した時日曜学校にいました。
朝8時ごろ誰かがラジオを聞いて真珠湾が攻撃されていると言ったんです。
私は3階にいてバルコニーから屋上に上がりましたが真珠湾は見えませんでした。
爆音が聞こえて日の丸をつけた飛行機が飛んでいました。
真珠湾基地では3,000人以上の死傷者を出しました。
軍事施設を狙った日本の攻撃でしたが空襲の被害は住宅地など民間の地域にも及んでいます。
自宅で攻撃を目撃した…電報の記録や調査資料などスパイの証拠になりそうなものは全て処分しなければなりません。
特に恐れたのが吉川の正体がばれた時親しい人々を巻き添えにする事でした。
FBIが来るのは時間の問題。
一刻も早く焼却しなければ。
その時…。
Freeze!Holdon!真珠湾攻撃のため危険なスパイ任務に身を投じた吉川。
しかしその成功は同時に長い苦難の道の始まりでもあったのです。
吉川の活躍によって真珠湾攻撃に成功した日本。
しかしその代償はやがてアメリカで暮らす日本人と日系人に降りかかってきます。
そして「歴史秘話ヒストリア」。
スパイの使命を果たした吉川の新たな苦闘が始まります。
真珠湾攻撃はアメリカに暮らす日系人に暗い影を落とします。
ローズヴェルト大統領は日本を非難し国民に戦争への協力を呼びかけました。
「真珠湾攻撃は日本が宣戦布告の前を狙って行っただまし討ちだ」とアメリカ国民は激怒しました。
特に西海岸では日系人は敵と通じる恐れのある敵性市民として監視され多くが強制的に収容所へ入れられました。
父のいとこがハワイ出雲大社の神官と結婚していました。
3人子供がいて6歳5歳2歳だったと思います。
両親は連行され子供たちだけが残されました。
700人以上がハワイからアメリカ本土の収容所へ移送され多くの人は終戦まで帰れませんでした。
私たちはアメリカ国民ではなく日本人と見なされました。
いわゆる「ジャップ」ですよ。
真珠湾攻撃が起きてハワイの日系人は初めて差別を実感したんです。
真珠湾で働いていた日系人は仕事を失いました。
日本人の血が少しでも入っていればクビでした。
私たちは一目で日系人と分かるよう全員バッジをつけなければなりませんでした。
縁が黒いバッジです。
この時激しい怒りを覚えました私は。
一方総領事館の人たちは厳しい取り調べを受けていました。
NextMr.Morimuracomein.FBIの疑いは森村正という偽名を名乗っていた吉川に集中します。
吉川はどんなに脅されようと口を割りませんでした。
しかしその取り調べの様子から…そして総領事は意外な事を言いだします。
君も感づいているようだが皆が君に責任をとってもらったらどうだろうと言うのだよ。
つまりあの件について。
君も軍人だから一身に責めを負ってもらえば皆が助かるというものだ。
軍人の使命を最優先にしてきた吉川。
しかしこの時彼が任務を果たした結果犠牲を強いられた人々の強い非難を吉川は痛感していたのです。
吉川はアメリカ本土でも尋問を受けましたが…昭和17年8月吉川は在外邦人の交換船で日本に帰国。
海軍に復帰し戦地から来る報告をもとに日米の戦力を比較分析する仕事に就きます。
(砲声)そのころ戦局は悪化していました。
アメリカなどの連合国軍は本格的な反攻に転じ開戦当初に日本軍が占領した地域は奪還されます。
両軍の兵力の差は広がる一方でした。
情報のまやかしは軍内部でも横行します。
一体どれが正しい情報なのか。
吉川の部署に直接訪ねてくる将校まで現れます。
課長一体アメリカが太平洋に展開してる兵力はどのくらいになるんだね?
(課長)吉川あれを。
はい。
うん?まだこんなにいるのか。
作戦課の算定と随分違うな。
しかし吉川がいくら正確な数字を出しても採用されないばかりかしまいには煙たがられるようになります。
海軍の中で孤立していった吉川はある決心をします。
日本は連合国軍の占領下に置かれました。
6年後ふるさとの松山でひっそりと暮らしていた吉川に手紙が届きます。
差出人は連合国軍最高司令官総司令部GHQです。
しかし吉川が真珠湾のスパイだった事は最高機密。
海軍の元上司は要請に応じるべきでないと反対します。
吉川忍者は最後まで黙っているものだぞ。
しかし吉川は日本の将来のためにも自分の行動の全てを告白すべきだと主張しました。
課長…吉川はGHQに自分のスパイ活動を洗いざらい語りました。
真珠湾の艦艇を偵察するため春潮楼に入り浸り望遠鏡でのぞいた事。
遊覧船の上から基地の様子を探った事も話しました。
中でも吉川が強調したのはスパイは自分一人だけだという事。
心ならずも巻き込んでしまった周囲の人々を案じ日系2世も一味だといううわさをきっぱりと否定しました。
真珠湾攻撃を成功させたのはたった一人のスパイだった。
この事は全米に驚きをもって伝えられました。
吉川はこう述べています。
吉川が告白をした昭和26年。
日本はサンフランシスコ平和条約に調印。
翌年独立を果たします。
真珠湾攻撃から10年。
日本とアメリカは新たな関係へと歩みだしたのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は吉川には戦後どうしてもハワイを訪れなければならない訳があった。
そんなお話でお別れです。
日本人の海外旅行が厳しい規制を受けていた昭和36年。
吉川はアメリカ政府の許可を得てハワイを訪れました。
真珠湾攻撃から20年の節目にあたるこの訪問には吉川が自分に課した使命がありました。
それは戦争で亡くなった日米両国の人々に黙とうをささげる事。
そして真珠湾攻撃以来日本のスパイに加担した敵性市民として白い目で見られてきた日系人に直接謝罪する事でした。
吉川はアメリカのテレビカメラに向かって語りかけます。
「私は日本海軍から送られたたった一人のスパイだった。
日系人は関係ないのだ」と直接訴えたのです。
懐かしい春潮楼を訪ねると自分の正体も知らず親切にしてくれた女将がいました。
そこで吉川は長年抱えていた苦しい胸の内を明かします。
このハワイへの旅を終え吉川猛夫の戦争はようやく終わりを告げたのかもしれません。
現在真珠湾に面した記念博物館では日本が真珠湾攻撃を決定した経緯やハワイの日系人が受けた苦難の歴史などアメリカ側だけでなくさまざまな観点からの展示を行っています。
その一角にあるのはスパイとして活動し日米両国の将来を思って告白を決断した吉川猛夫を紹介するもの。
日米双方の視点が反映されていて特に日本側の展示が興味深かったですね。
アメリカの方が亡くなってる写真を見てとても悲しい思いがしました。
真珠湾攻撃から70年以上たった今年間145万の日本人がハワイを訪れています。
日本とアメリカが過去を見つめ直す事で相互理解を深め未来をつくっていってほしい。
そんな吉川の願いは大きな実を結んでいます。
2014/12/10(水) 00:41〜01:25
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「私は真珠湾のスパイ〜日米開戦 ある男の告白〜」[解][字][再]

昭和16年12月8日「真珠湾攻撃」は、厳戒のアメリカ艦隊を奇襲する綱渡りの作戦だった。作戦成功の陰には1人のスパイの存在が…日米開戦と日系人の悲劇をめぐる秘話。

詳細情報
番組内容
日米開戦のきっかけとなった昭和16年12月8日「真珠湾攻撃」。ハワイ真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊を壊滅させた日本海軍の奇襲である。この作戦成功の裏には日本人スパイ…帝国海軍少尉・吉川猛夫決死の働きがあった。米艦隊の戦力、動向を探り日本に知らせ続けた吉川。しかし、この任務の達成は悲劇を生む。それは、吉川が親交を結んだ日系アメリカ人たちの受難…太平洋戦争、そしてスパイと日系人たちの苦悩の秘話。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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