部下から信頼される上司ってかっこいいですよね〜。
これを見れば誰もがそんな上司になれます。
今日取り上げるのは江戸時代の名君保科正之。
江戸幕府四代将軍・徳川家綱の補佐役として活躍した人物です。
幕府に幾度も襲いかかる危機に冷静に対処し家綱を支え続けました。
先週は補佐役としての正之の活躍を紹介しました。
今週は別の角度から正之を取り上げます。
それは会津藩主としての側面。
正之は幕府中枢で働く一方一大名として会津の藩政にも力を注いでいたのです。
もともと正之は信州高遠3万石の藩主でした。
その後三代将軍・家光の信頼を得てどんどん出世していきます。
まずは山形20万石の藩主に抜擢。
その後更に加増されて会津23万石を任される事になります。
会津は奥州の交通の要。
責任の大きい場所でした。
しかし正之が入った頃の会津は難問だらけ。
前藩主による…領民たちの心はすさみ村を捨てて逃げ出す農民も後を絶ちませんでした。
藩主への信頼感などはとうに失われていました。
それでも正之は誠実に問題に向き合い一つ一つ藩政を立て直していきます。
やがて正之と領民たちとの間に深い信頼関係が生まれます。
徐々に藩の石高は増え人口も増加。
見事に立ち直った会津藩は幕末に至るまで東北の要として繁栄を続けるのです。
一体正之はどのようにして領民の離れた心を取り戻し信頼関係を築けたのでしょうか?その知恵を読み解くのは数々の飲食店を経営する企業の副社長…安田さんたちは3年前銀座に1号店をオープン。
今や全国に33店舗を展開。
いずれも大行列が出来る人気店です。
成功の秘けつは三つ星レストランの味を常識では考えられないほどの安い値段で提供する事。
例えば高級店で8,000円以上するあわび料理も安田さんのお店ではなんと…当初この値段を打ち出した時スタッフの誰もが信用しませんでした。
材料費だけで料理の値段の80%にも上っていたからです。
一緒に働く誰もが懐疑的でした。
しかし安田さんは諦めませんでした。
もともと証券会社で働いていた安田さん。
さまざまなデータを分析する事で回転率を上げればこの料金を実現できるとはじき出します。
その結果を基に仲間たちを粘り強く説得した安田さん。
最後は皆が賛同。
客からの支持も得て事業を成功させました。
真摯な態度でスタッフの信頼を勝ち取った安田道男さん。
保科正之の信頼を得る知恵をどう読み解くのでしょうか。
さあ先週に引き続きまして保科正之の知恵。
テーマは変わって「信頼関係を築くには?」という事なんですが大木さん仕事関係の信頼関係仲間との信頼関係奥さんとの信頼関係築けてますか?これはほんとに無視しちゃおうかなこの話。
いやそれぐらい簡単な話じゃないですもんね。
相手から信頼をしてもらうって。
ええ。
自分がしたとしても相手が信頼してない事もあるしこれ難しいですよね。
先生今ご覧頂いたんですけど保科正之が入った会津藩ですねこれなかなか大変な状況だったようですね。
そうなんですね。
前の藩主加藤明成っていうんですけどこれが家中騒動でお家騒動があって結局改易になるんですね。
なおかつその寛永の大飢きんというのが起こってましてねこれは気象の…不安定な気象とそれから冷害があって特に全国的なんですが東北の方が厳しいんですよね。
そういう飢きんがあって年貢をどんどんどんどん取ろうとするもんですから農民もどんどん疲弊していると。
そういう中に置かれるわけですからね。
これはなかなか大変なんですね。
会津という土地は大事な土地だったんですか?そうですね。
東北地方から江戸の方に行こうとすると必ず会津を通るとかそういう要の土地なんですね。
特に幕府としては仙台に伊達政宗という大きな大名がいますよね。
これが反乱を起こすかもしれないからもしそういう時には会津藩で抑えるというそういう役目を果たすのが会津という土地柄なんですね。
地理的にも大事だ。
そして会津藩の中は大変な事になっている。
そうですね。
これが課題として保科正之に委ねられてるわけですね。
という事になるわけですね。
安田さんはもともと証券マンですよね。
そこから全くのいわゆる素人である飲食業界に飛び込んでいった。
なかなかその中で信頼を得ていく信頼関係を作っていくというのは難しかったんじゃないかなと思うんですがいかがでしたか?確かに今回より回転数を上げて原価を上げるという話に関して言うとすると多分その話をした時に「ばかじゃないのこいつ」って思ってた方が多かったかなと。
プロが一番腹が立つのは素人にとやかく言われる事。
(笑い)確かにそうだ。
そう思われてたんですね最初は。
絶対最悪ですよね。
(笑い)そこからですか。
どうやって信頼を得ていったのかという事なんですがどうやって?素人の発想を押しつけないというところがすごく重要であくまで「こんなふうに思うんだけれどもプロの方からするとどう思う?」という。
逆に直して頂くところなんかもあるんですよね。
「もっとこれだったらもっと勝てるよね」というような事も教わっていろんな会話をしながら「じゃあやってみようか」となっていったという事ですね。
周りが全部みんなで理解し合ったというのが大きいですね。
すごく大きいと思います。
保科正之ですけれども信頼関係が全く失われた藩にやって来たわけですよね。
さあどうやってどんな知恵で信頼を取り戻していきそれを強固なものにしていったんでしょうか。
その知恵から味わって頂きましょう。
正之が任される事になった会津。
そのすさんだ様子と前藩主の悪行について次のように記録が残されています。
強制的に必要以上の年貢を取り立てていた前藩主。
農民たちの心は離れていくばかりでした。
正之はすぐに藩政の立て直しに取りかかります。
まずは石高を正確に把握しようと検地を行いました。
その結果23万石という公式の石高よりも2万石ものマイナスになってしまいます。
前藩主は米の取れない荒れ地にも石高を課して税の徴収を行っていたからです。
また石高を多くしておく事は前藩主にとって別のメリットもありました。
当時は1万石でおよそ200人の家臣を雇う事ができると言われていました。
高い石高は動員できる兵力が大きい事を意味します。
前藩主は民の犠牲のもとに自らの勢力を大きく見せる事にこだわったのでした。
実際は10万石しか収入がないのに15万石と言いたいというふうなタイプの大名がいるんですよ。
ただの荒れ地だけどもそこも農地にすればトリックだけどもこれは広さからいって何千石の土地だというふうな話に持っていけるでしょうね。
そういうふうにして一生懸命背伸びして自分を大きく見せようとするという事が本当にあるんですよね。
しかし正之は見栄えにこだわる無意味さを悟りすぐに荒れ地からの年貢の取り立てを中止します。
するとこれが意外な結果をもたらします。
正之の公正さに感じ入った農民たちが実は自分たちが人目につかない山間部や谷間に…当時水田を隠す事は死罪に処されるほど重い罪に問われました。
それにもかかわらず農民たちが進んで申告したのは正之への感動からでした。
改めて隠されていた水田の検地を行ったところその石高は合わせて2万3,000石にも上りました。
その結果会津藩の石高はマイナス2万石どころか3,000石ものプラスになったのです。
正之は見栄を張らず誠実な姿勢を守る事で農民たちとの信頼を結ぶ事に成功したのでした。
必要以上に自分を誇示しないという正之。
会津藩主になる以前将軍・家光との間でもこんなエピソードが残されています。
ある時正之は将軍家が所有する土地で特別に狩りをする事を許されます。
そこは普段は将軍しか狩りができない場所。
正之に楽しんでもらおうという家光の特別な計らいでした。
正之はここで2日間狩りを楽しみ取った鳥を家光に献上するため江戸城に上がりました。
家光に拝謁すると同席していた老中が「あの狩り場には鳥が多くいるのでさぞかし獲物もたくさん取れたでしょう?」と尋ねると正之は「献上するこの2羽しか取れませんでした」。
せっかく提供した自分の狩り場で2羽しか取れなかった事を聞き家光も鼻白み面白くない顔をしました。
家光が退出したあと老中が正之に「ばか正直にも程があるでしょう。
『おかげさまでたくさん取れました。
今日はその一部を献上させて頂きます』と言えば将軍も機嫌が良かったのに」と言うと正之は「おっしゃるとおりです。
しかし将軍を欺く事は些細な事でもあってはならない。
そう思い正直に言ったのです」。
老中は正之の誠実さに感じ入ったといいます。
都合よく話を盛って自分を良く見せようとはしなかった正之。
その偽りのない態度が会津の農民から将軍までさまざまな人々と信頼関係を結べた理由だったのです。
今若い人たちの間で誇張して言う事を「盛る」なんていうふうに言いますけれども。
う〜ん僕は何か仕事上ねやっぱり話を盛る事が多いのでね。
(笑い)それが仕事というところあるんで盛らずにそのまま言ってみたら何にも面白くないという事よくあるんでね。
正直に言うのは怖い時ありますけどね。
そうですよね。
正之の人柄を表すエピソードだと思うんですけれども。
正之の真骨頂ですよね。
他にはこういったばか正直というんでしょうかね。
人柄を表すようなエピソードというのはありますか?「従三位」の位。
これは貴族でいえば公卿の位で大名でいうと御三家しかもらえないんですね。
それに「従三位」を与えようというそういう朝廷からの働きかけがあった時もそれはきちんと断ってですね自分はそこまでの位ではないという事で「正四位の下」にとどまるとかそういうばか正直さというか自分の分を守るというそういう姿が見えますよね。
どうでしょう?安田さん。
この誇張をしない。
見栄を張らないという知恵ですけれどもどうご覧になりましたか?確かに誇張したくなるんですよね。
ビジネスをやっていてももちろんそうなんですけれどもそれをやればやるほど結局後々になって問題が発覚するわけですね。
問題が発覚する時期をただ遅らすだけになっちゃう。
これって危険ですよね組織にとってみれば。
もう正直にしかもオブラートに包まずにきちっとそのままボンと出してしまうというのはすごく重要だと思いますね。
全てを出す。
出す。
はい。
それは失敗成功かかわらずですか?かかわらずですね。
特に失敗は更に出した方がいいと思います。
それぞれがいろんな失敗をするわけですよね。
その人たちがその失敗を共有して教訓にするために何かやっている事というのはあるんですか?毎日の事であってもやっぱり各店舗がですねいろんな事を店長さんを中心にいろんなトライをします。
その時にうまくいったとか失敗したとかという事は日報という形で毎日それを送るという事をやってます。
店舗は今三十数店舗しかないんですけれども送る先は何百件に送るんですね。
個人にも含めて送るという。
それは皆さんの信頼関係の醸成にはつながるものなんですか?つながりますね。
もう明らかにつながります。
いいサイクルになりますから。
間違えちゃった時に一生懸命分析したらいやその情報はこっちの間違った情報に基づく判断の結果ってなるとほんとにどんどん悪い方向に行ってしまいますから。
やっぱりどういう状況でも正直に包み隠さず戦略を打ち次またうまくいっても失敗しても考えるというのはほんとに基本中の基本だと思いますね。
「ちょっと今回すいませんけども」という何かこう出せる環境ってうれしいですよね。
そうですね。
さあ困難な状況はまだまだ続きますけれども正之のとった態度がですねこれは更なる信頼関係を生み出していくんですね。
それはあらゆる階層の人々にまで広がっていくと。
この知恵をご覧頂きましょう。
正之が会津に入った頃農民たちの間ではある不幸な風習が続いていました。
凶作の時貧しいがために生まれた赤ん坊を育てられず殺してしまう事でした。
こうした子供の間引きを深く憂慮した正之はある方針を打ち出します。
会津藩の貴重な史料を数多く所蔵している…正之のとった政策が残されていました。
生まれた赤子を殺してはならないという規定です。
正之は間引きを「不慈なる行為」「慈愛のない行為」として禁止したのです。
しかし凶作で苦しむ農民たちにとってただ禁止されたのでは何の解決にもなりません。
正之はそれを補うための制度を考えていました。
それは社倉制度。
飢きんの時のために藩が米を備蓄し農民たちに貸し出す制度です。
ひどい凶作の時には無利息で貸し出しました。
利息を取った場合でもその米は必ず備蓄米の補充に充てられました。
社倉の米は徹底的に農民たちのためだけに用いられたのです。
備蓄米は多い時で5万俵にも達したといいます。
飢きんの時でも食糧が豊富にある。
正之は困っている時こそ手を差し伸べるという姿勢で農民たちに安心を与えていったのです。
この制度が始まって以降会津藩の人口は一気に増加。
70年で11万から17万にも膨れ上がりました。
「困った時こそ見捨てない」。
正之のこの方針は藩内の人に対してだけにはとどまりませんでした。
驚きの政策を作り出していたのです。
南会津の旧宿場町大内宿。
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
30軒以上ものかやぶき屋根が続き今も江戸時代の雰囲気をよく残しています。
会津は東北や越後の人々が日光東照宮の参詣や参勤交代で江戸に向かう時に必ず通る場所。
多くの旅人が行き交う交通の要衝でした。
この大内宿は朝会津城下を出発するとちょうど昼飯どきに到着するという場所でした。
宿場の建物は座敷が直接街道に面しています。
旅人がわざわざ玄関を通る事なく簡単に出入りし休憩できるようにとの工夫です。
多くの旅人でにぎわった会津藩。
正之は会津を行き来する旅人を斬新な方法で援助します。
その政策とは。
正之は会津藩と縁もゆかりもない者であっても会津を旅していて病気になったら宿主が医者か奉行に知らせなければならないと定めたのです。
更に!なんと旅人に支払い能力がなければ代わりに会津藩が支払うという規定でした。
困難に陥った旅人を正之は藩を挙げて極めて先進的な方法で助けたのでした。
貧困にあえぐ農民病気になった旅人。
正之の相手が困っているからこそ見捨てないという思いがあらゆる人との信頼関係を築き上げ会津藩の繁栄を生み出す事になったのです。
優しい。
これは信頼しちゃいますね。
ちょっともう優しすぎて怖いぐらいですね。
すごいおもてなしですねこれは。
そうですね。
先生江戸時代藩って言ったら今の県どころの区別じゃないですね。
国ですよね。
まあそうですね。
他藩から来た旅人の治療費まで積極的に出す。
これ他にはあるんですか?他にはあんまりないですよね。
それでも会津というのは海もないですし街道を通っていく人がいろんなものを落としていったり…お金を落とすだとかあるいは物を持ち込むとかそういう事で成り立ってるわけですよね。
これによって旅人たちも安心してこの街道を通る事ができますしね。
それで人が集まってくると。
それの目的だったんだと思いますがそれにしても旅人の病気まで治そうというんですからこれはまあ英断ですよね。
旅人は安心して信頼できると。
そうするとまた交易も盛んになるという事なんですね。
他にもいろんな政策があったそうですね。
90歳以上の老人については1日5合のふち米を与えるというそういう制度を作ったんですね。
今で言えば年金制度ですよね。
それは田舎の人にも行き渡るように単に城下町の高札場にこういう制度を作ったというだけじゃなくて藩士まで派遣してそういう人がもらい漏れのないように親類から出願してもいいとかそういういろんな制度を作って自分の領内の老人たちが安楽に暮らせるようにしたと。
農民領民との信頼関係を作るために保科正之は随分いろんな事を考えてますね。
旅人に対しても信頼が大事だと思ったのはなぜなんでしょうか?国の…国というか藩が国なんですが国の宝というのは領民でありそこにやって来る旅人でありという事なのでその人たちを厚遇する事によってひいては藩の繁栄を招くというそういう信念があったんでしょうね。
安田さんはこの困った人ほど見捨てないあるいは思いやるというのはどうご覧になりました?今のお話ってそのまま企業の経営の神髄中の神髄なんで非常に逆に驚いてますね。
どういう事かと申しますと我々も要は困ってる方を見つけて問題を解決するというところに逆に言うと集中してると言っても過言ではないと思います。
例えば今ずっと日本の教育レベルが高くてどんどんすばらしい料理人が輩出されてくる。
フランスだイタリアだに行って帰ってくる。
でも一方で日本経済はなかなかデフレでなかなか高級なものを食べる方は増えるどころか減っていく。
じゃあすごい腕があるのに生かす場所がどんどん減ってきてる方々となかなか3万円の料理なんか食べれっこないよという。
食べたい人がどんどんできてきてサービスをしたい人がどんどんいる。
せっかくの腕のいい人と食べたい人がいるのにミスマッチが起こってこれをどうしようかというのがそもそも論としての今回の我々の考え方なので…。
ですから何かをやりたくてやるんではなくて困ってる方は…その人たちの仕事を見つけるかという。
もう全てがそれですね。
それを安田さんはなんとおっしゃってますか?という言い方を我々はしてますね。
利他?他を利する精神。
大木さん会社というと言い方悪いですけども「もうけてなんぼ」というイメージもないですか?いやあります。
だってそれがないと会社もねやっていけなくなってしまう事もあるじゃないですか。
皆さんが喜んでくれるというね…。
ちょっと何かこう「本当?」って思っちゃったりもするんですけれどもね。
ただ結局ですね…結果的に世の中みんなが不幸になる状況になってしまう事が多い。
よ〜く分析するとそうですね。
なぜかというと誰もやってないんだけれどもでもやるとすごい大変そうだな面倒くさいなって。
でも喜ぶ人は確実にたくさんいるなという事の方が…。
最初はすごく嫌なんですけど怖いですし。
でも結果的にそれがうまく回ってみんなが喜ぶ。
うまくそれが生産製造工場にしても導入された人にしてもみんなが幸せになるというその流れというのは絶対ありますね。
そこの信頼関係が強くなれば強くなるほど組織は強くなっていく。
一人一人が思い切り頑張りますから結果として組織は強くなるという。
正之はこの優しい政策優しさで領民との信頼関係を築きました。
信州の高遠から山形に移りそして会津で国を治めた。
さまざまな部下とも関わっていくわけですよね。
その部下とどういう信頼関係を結んでいったのか「知恵泉」の特命店員が探ってきました。
主人公ゆかりの地から「知恵泉」の特命店員が取って置きのネタをお届けする…今回会津の知恵泉特命店員に任命されました今井翔馬。
翔ぶ馬と書いて翔馬。
翔ぶが如く保科正之についてのいいネタ仕入れてきますよ。
(おなかが鳴る音)あっ失礼しました。
腹が減っては何とやらと言いますのでとりあえず腹ごしらえから行きましょう。
(今井)
出だしからいきなり申し訳ありません。
会津はそばが有名という事で早速お店へ。
そこには意外な発見がありました
あれ?この「高遠そば」「保科正之公ゆかりのそば」。
ちょっと気になりますね。
高遠といえば保科正之が最初に藩主になった場所。
でもここは会津?ちょっとお店の方に伺ってみましょう
会津の藩主の保科正之公が信州伊那の高遠からこちらに来られた時にこちらに伝えたというふうに言われてまして。
保科正之が持ってきたそばという事ですね。
この高遠そば頂いていいですか?はい是非食べてみて下さい。
信州の名物高遠そばがここ会津でも味わえるとは。
わざわざ正之が伝えたという味そそられます
はいありがとうございます。
はいこれが高遠そばですね。
あ〜おいしそうなそばですね。
この真っ白いつゆのようなものこちら何ですか?
(唐橋)これはね辛味大根の絞り汁なんですよ。
絞り汁?はい。
高遠そばの特徴はこのアザキ大根の絞り汁をつゆとして使う事。
辛みを持つこの汁にみそを加えて食べるんだそうです
うん!ほんと大根ツーンときますけど癖になりそうなおいしさですね。
そばの香りと大根の辛みが後からきますから。
どうしてこういう今とは違う食べ方で食べていたんですか?昔はねしょうゆがなかったんですよ。
ですからつゆがなかなか山の方では手に入らない。
そのために絞り汁に入れてそのつゆで食べる。
(今井)じゃあ身近にあったものでおいしく食べようという工夫がこのそばに詰まってるわけなんですね。
それぐらいのそば対してはこだわりがあった?それは家来の中にそば打ちの上手な人がいたんじゃないかなと思うんですね。
(今井)家来の中にこういったそばを打てる人がいたんですね。
(唐橋)そこの家臣を会津に連れてこられたので会津には伝わっていたと言われてますね。
というわけで保科正之の家臣について興味が湧いたので調べてみる事に。
こちらには正之の家臣の一覧表があるそうです
(阿部)こちらが家臣帳になります。
会津藩の保科正之に従ってきた家臣たちの記録が出ています。
興味深いのは正之の家臣たちの出身地
石高とそれからどこで召し抱えられたという事が書いてある部分がありまして…。
例えばこの2人目の2,500石今村伝十郎という人がいますがこの人は鳥居左京殿のご家来というふうにありましてもともと保科正之が山形に行く前に城主であった鳥居左京亮殿という殿様がいましたがその人の家来だった方ですという事が書いてあります。
山形から連れてきた家臣たちなんですね。
はい。
山形で雇った家臣?もともと高遠3万石の藩主だった正之。
その後抜擢され山形20万石の藩主に任じられます。
その時まで山形の藩主だったのが鳥居家でした。
正之と入れ代わりで高遠に移りますが3万石に減俸されたため多くの家臣を解雇。
山形に残していったのです。
正之は彼らを自分の家臣として雇いました。
家臣帳に記載されていた「今村」という武士はその一人でした。
更に正之は会津に移った時も同様に家臣を雇い入れています。
つまり保科家の家臣団は高遠山形会津3つの地域の出身者で成り立っていました。
そしてそうした構成は武士たちだけではなかったようです
私先ほど高遠からそばを打てる家臣を連れてきたというお話を伺いまして…。
他にもそういうように特殊な専門的な家臣がいたんですか?そうですねこの家臣帳の最後には職人の名前も何人か見えまして大工さんとか甲冑師の名前も見えております。
ここからは大工さんに…。
(今井)これ大工と書いてますね。
ああ本当だ。
甲冑師の名前もありました。
他にも刀鍛冶や左官など多くの職人たちが正之に従って高遠から会津にやって来ました
彼らの多くはなんと自発的に正之についてきたといいます。
保科家が高遠から山形に移る時一説では高遠の職人の家では家族会議が開かれたとか。
正之が大きな国に行って人手不足で困らないよう一族の中から優秀な者を選んで山形に送り出したそうです
さまざまな地域の出身者で構成された保科家の家臣団。
正之は派閥争いなどが起きないよう心を砕いていました
こちらは高遠出身の家臣たち。
1,200石取りです。
隣は同じく1,200石の家臣ですが出身は山形
同様にこちらは山形出身の800石取りの家臣たち。
隣は同じく800石の家臣で出身は高遠
特に高遠からの古くからの家臣ばかりを上の方にまとめるという事ではなくて山形以来の家臣も旧臣でなくとも取り立てるというそこまでの差をつける事がよくないと不和のもとになるという考えが根本にあったと思われますね。
そうやって家臣たちをまとめていってたんですね。
一冊の家臣一覧表からも正之の家臣との信頼関係の築き方その知恵を実感しました
最後に訪ねたのは福島県猪苗代町にある土津神社。
正之が葬られた場所です
こちらがお墓ですか?そうですね。
立派なお墓ですね。
「会津中将源君之墓」ってありますね。
その後ろ手にあります八角形の…。
はいあちら。
はいそうですね。
あれが墳墓ですね。
この神社にも正之と家臣たちとの深い結び付きを感じさせるものが残っています。
正之の魂を祭った本殿。
その周囲には小さな社が7つ置かれています
(宮澤)これが末社ですね。
(今井)末社?保科正之公の家来の方大老と家老の方がここの社に祭られているという事ですね。
(今井)保科正之のお墓のすぐそばに家臣だったり家来たちの末社がいっぱいあるんですね。
まあ若干珍しいっていうかね。
末社は正之を祭る本殿を囲むように配置されあたかも主君を守っているかのようです
末社は保科正之が建ててくれってお願いしたんですか?多分それはないでしょうね。
おそばつきの家来の方たちが保科正之公より後で亡くなってるんですよね。
お墓が出来てからこちらの方に末社として祭られる形ですよね。
(今井)じゃあ家臣たちが自分たちの意思で…。
それだけ保科正之は家臣たちに慕われてたんですね。
そうでしょうね。
正之と家臣たちの固い絆を実感した会津の旅でした
さあご紹介しました高遠そば。
会津から届けて頂きました。
是非召し上がってみて下さい。
いただきま〜す!この店いいもん出しますね。
アハハハハ!う〜んうまい!おいしい?うまい!今日一番の声が出てますよ。
ええ。
辛みの方はどうですか?きますよ。
アハハ…結構くる。
きます。
そうですか。
それがいいんですよまた。
なるほど〜。
安田さんいかがでしょう?作り方教えて下さい。
うちで出します。
お願いします。
早速もうほんとに…。
今日はこの信頼関係を築く知恵誇張はしないそれから困った人ほど大切にするという正之の知恵を見てまいりましたけれども大木さん最初信頼関係について言葉を濁してらっしゃいましたが。
信頼できる人につけるというのは幸せですよね。
ああ〜。
保科さんについてた家臣団。
「この人のためなら」と思うじゃないですかやっぱり。
お互いですよだからねやっぱり。
お互いにほれ込まないとそこはできないですよね。
強固な信頼関係が作られていたと。
そこですよね。
ちょっと俺も今日帰ってからワイフに優しくしてみます。
(笑い)山本先生はこの保科正之の信頼関係を築く知恵私たちはどんな事を学ぶべきだと思いますか?やっぱり相手の事をまず考えるという…。
藩主のために領民がいるんではなくて領民を幸せにする自分の役割があるんだというそういう事を考えるという事ですね。
さあ最後になります。
安田さんにお伺いしますが信頼関係を築く極意とは?相手の幸せのためにとにかく徹底的に頑張ると。
そこに尽きるような気がしますけれどもね。
見返りを期待してはいけない。
利益になればもちろんいいんですけれどもただそこでやっぱり利益を求めるとやっぱり最初の初期動作誤ったものになってしまうんじゃないかな。
あくまでとにかくとりあえず利益置いといて困ってる人を救うんだというところはすごく重要かなという気はしますけどね。
参りましたね。
僕今一番欲しいもの見返りですからね。
それを求めちゃいかんですか?過度に欲を出すというのは逆に信頼関係を失ってしまうし組織がガタガタになる根本になるような気はしますけどね。
確かにそうですよね。
確かにそれはそうだ。
やっぱり信頼関係って大事なんですね。
大事ですよ。
僕もいろいろね今日文句言いましたけど「繁盛してないな」とかいろいろ言っちゃいましたけど何だかんだ僕この店好きですからやっぱ信頼関係ですよね。
やっぱり店長に会いに来ちゃうというこの信頼関係。
あっ店長どうしたんですか?泣いてるんですか?感動して。
ああ〜。
結構きますねこのそば辛みがね。
大根の話してるんじゃないです。
僕が今いい話してたんですから。
え?この店が好きだっていい話をしてたんですよ。
結構いい事言ってましたよ。
聞いてました?今人の話。
あっ。
ちょっと聞き逃しましたねもう一回…。
だから嫌なんですよこの店!でもね私も大木さんの事は心から信頼してるんですよ。
本当ですか?ええ。
信頼してるんでそろそろ付けを払って頂いて…。
またまた。
年末近づいてきてますんで。
お金を取るなんてこの店らしくないじゃないですか店長。
見返りを求められた。
そうかこれは返り討ちに遭いましたね。
いや〜どうもありがとうございました。
2014/12/09(火) 23:00〜23:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 信頼関係を築くには?「保科正之」(後編)[解][字]
江戸時代の名君・保科正之。会津藩の藩祖だ。え、江戸時代?というような、年金、救急医療、社会保障制度を取り入れ、領民たちの信頼を得た。感動の会津藩始まりの物語。
詳細情報
番組内容
江戸時代の名君、保科正之。会津藩の藩祖だ。保科家が会津に入った頃、前藩主による強制的な年貢の取り立て、家臣の激しい争いなどで、領民たちの心は荒んでいた。正之は藩政を一つ一つ立て直し、信頼関係を作り上げていく。その政策は、え?江戸時代?という先進的なものばかり。年金、救急医療、社会保障制度。正之の誠実な姿勢に農民たちからのプレゼントも。幕末に至るまで東北の要として繁栄を続けた会津藩、始まりの物語。
出演者
【出演】俺の株式会社取締役副社長…安田道男,東京大学史料編纂所教授…山本博文,ビビる大木,【司会】井上二郎
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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