ゆうどき▽阿部寛さん、岡田准一さん、西城秀樹さんのトーク総集編。 2014.12.04


合原⇒「ゆうどき」まずはこのお鍋の話題からです。
ぐつぐつしていてこの時期温まりますけれども。
山本⇒食べたい。
合原⇒この鍋、特別な具材が入っているそうなんです。
岡山放送局の原田アナウンサーが行ってきました。
原田⇒ぐつぐつと煮えてちょうど今が食べ頃です。
岡山県津山市の郷土料理そずり鍋といいます。
野菜もたっぷり入っていますが牛肉がメインのお鍋なんです。
きょうは津山市のお店にお邪魔しています。
お酒を楽しむお店なんですがこの鍋も人気なんですよ。
こちらには、津山市の町おこしのグループの皆さんに集まっていただいています。
皆さんおいしそうに、そずり鍋召し上がっていますよね。
お話を伺います。
そずり鍋はよく召し上がるんですか?とてもよく食べます。
津山のソウルフードという感じです。
ソウルフード。
それぐらい皆さんの暮らしに根づいているというこのそずり鍋ですが津山市というと岡山県の北部にあります。
冬は寒いんですよ。
鍋が欠かせません。
さらに、この津山牛肉の文化があるんです。
こちら町の中心部のお肉屋さん牛肉料理を出すお店50ほどあるんですね。
江戸時代からずっと牛肉を食べる文化が暮らしに根づいているということなんです。
ですから、このそずり鍋牛肉が入っているんですがその牛肉がちょっと違うんです。
こちらで見せていただきます。
市内の精肉店の北村さんにきょうは特別にお越しいただきました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
見えているのは牛の骨です。
まわりに付いた肉をそいでこのように…。
そして、削り落としていきます。
そいで、削る。
したがって、そずるという言い方を地元でするんですね。
こうして、落とした肉をそずり肉と呼びます。
骨のまわりですからカルシウム分も多い。
鍋に入れていいだしが出るということで鍋に使われるんですね。
この骨から削り落とすというのがやはり食肉の文化が長い津山ならではですよね。
さらに、このそずり肉最近ではこのようにスーパーでも売っています。
骨のまわりだけではなくて肉の切れ端なども、最近はそずり肉という言い方をしてパック詰めされていまして家でもそずり鍋が楽しめるということなんです。
では私も、そのそずり鍋をいただきたいと思います。
さっきから、もうねいいにおいがしているんです。
ありがとうございます。
よそってくださっています。
やはりこの牛肉が存在感ありますよね。
いただきます。
いろんな部位があってかたいところ軟らかいところどれが当たるかも楽しみだということなんですが。
ちょっとこちらは歯応えがある肉なんですがでも、だしがしみてかめばかむほど味が出てきます。
おいしい。
これはちょっと癖になりそうです。
あとで全部いただきますね。
こちらのお店のご主人でこの鍋を作ってくださった今村さんにお話を伺います。
この、そずり鍋とてもおいしいんですけどポイントはどんなところですか?牛肉のうまみを生かすためにあっさりとしたスープに仕上げてございます。
スープがしょうゆ系のスープなんですよね。
そうなんです。
お客さんの中にはスープをたっぷり飲み干して帰る人もいるというぐらいですからね。
肉のだしが、うまい具合にスープにも出ていますよね。
はい。
きょうは地元の町おこしグループの皆さんに集まっていただいていますが牛肉で町を元気にしようと皆さん活動されているんですね。
ちょっと皆さんの胸元を見てください。
NWPと書いてありますがこれ、なんとにくワンダーランドプロジェクトの略ということなんですね。
牛肉で町を元気にしているということで市役所の正躰さんに伺います。
つい先日活動があったそうですね。
11月29日いい肉の日ということでたくさんの人に中心商店街の中でこたつでそずり鍋を食べていただきました。
皆さん、とてもおいしくて温まったというふうに感想いただきました。
こたつで鍋しかも町なかで、いいですね。
距離が縮まる感じがしますよね。
アットホームな感じが皆さん、喜ばれて本当によかったです。
ありがとうございます。
これから寒い冬クリスマス、お正月みんなで集まる季節増えますよね。
こうして鍋を囲んで絆を深めていくというのもいいかもしれませんね。
では最後にそずり鍋、津山を皆さんでPRしたいと思います。
いいですか、皆さんちょっと食べるのをやめてくださいよ。
では、そずり鍋を食べに津山に来んしゃい!来んしゃい!岡山県津山市のご当地料理そずり鍋をご紹介しました。
合原⇒お肉のだしがいっぱい出ていてスープがおいしそう。
山本⇒焼き肉のときに骨付きカルビってあるでしょう?あれも骨とくっついているお肉のところを食べるとおいしいじゃないですか。
合原⇒なかなか諦めがつかないんですよね。
山本⇒ああいうところの肉が鍋に入っているのを想像しながら見るとよけいにおいしそうでしたね。
食べてみたいですね。
今度は「人生ドラマチック」スペシャル版をお届けします。
合原⇒ことしの4月からこれまでにたくさんの方26人の方にお話を伺ってきました。
山本⇒本当にそんなことがあったのか、知りませんでしたという話をじっくりお聞きすることができました。
合原⇒きょうはその中から、こちらの3人の方のお話をご紹介します。
俳優の阿部寛さん、岡田准一さんそして歌手の西城秀樹さんです。
山本⇒今、輝いている3人と言ってもいいでしょう。
阿部さんも俳優として道を歩むのに、いろいろな出会いがあったようです。
山本⇒きょうのお客様俳優の阿部寛さんです。
ようこそおいでくださいました。
ありがとうございます。
今、テレビでも映画でも見ない日はないぐらいの。
ありがとうございます。
合原⇒はい、阿部寛さんのプロフィールです。
1974年神奈川県横浜市の生まれ。
1986年から3年間「メンズノンノ」のモデルとして活躍をされます。
1987年には映画「はいからさんが通る」で俳優デビュー。
昨年には映画「テルマエ・ロマエ」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞します。
まずは、こちら知られざる阿部さんの少年時代からです。
横浜市出身、3人きょうだいの末っ子として育った阿部寛さん。
そんな阿部少年の素顔が知りたい!ゆうどき取材班は阿部さんの育った町で聞き込み調査を行いました。
こちらは、阿部さんが通っていた小学校。
そのすぐ目と鼻の先に古めかしい駄菓子屋さんがありました。
当時の様子を聞いてみると…。
当時店番をしていたのは亡くなったご主人だったとのこと。
そこで、阿部さんを知っていそうな人を紹介してもらいました。
こちらのスーパーは地元で50年経営を続けています。
さらに聞き込みを続けると…。
早速、訪ねてみました。
ところがこの日、残念ながらご本人は不在でした…。
ということで、改めて!あ、どうも、こんにちは!こちら阿部さんの同級生宮原一俊さんです。
当時大人気だったお菓子のおまけにまつわるエピソードを語ってくれました。
NHK恐るべしですね。
びっくりしました、今。
本当に?ええ、まず小学校の前に駄菓子屋があるそれがいまだにあるというのも知らなかったですし僕にとっては、ゆかりの地だし今の宮原さん、本当によく遊んだ友達ですね、小学校のときに。
朝4時、5時から一緒に虫を捕りに行ったりして。
朝4時に起きて目の下にくまを作りながら毎日のように彼と2人でクワガタ捕りに行って横浜だから緑がすごくあるんですけどいやあ、びっくりしましたね何年ぶりだろう高校生になった彼に以前会ったことあったけどそれこそ、本当にそれぶりですね。
阿部さんの転機は29歳のとき。
ある演出家との出会いでした。
「蒲田行進曲」「飛龍伝」などの作品で演劇界に旋風を巻き起こしたつかこうへいさんです。
俳優に高い要求を突きつけることで有名なつかさん独特の演出。
その1つが口立てというものでした。
そんな切り方じゃ樋渡は殺せんぞ!つか⇒どうなってんだ、お前んち。
どうなってんだ、お前んちは。
おいヤス、おいヤス。
おい、ヤス。
それを俳優は瞬時に覚えものにしていかねばなりません。
阿部さんが出演したのはつかさんの代表作「熱海殺人事件」。
その選抜オーディションで阿部さんは見事、主役に選ばれたのです。
しかし、舞台経験が僅かな阿部さんにとってつかさんとの仕事は戸惑いの連続でした。
私も東京くんだりまで来てまさか、おかまの下で働くとは思わなかったってことですよ。
貴様!あら?どうしました?もだえてらっしゃるようですが?あら、やだ。
ちょ、ちょっと…俳優・阿部寛の原点はここにあったのです。
私はただ燃えたかっただけなのに!燃えて燃えて燃え尽きたかっただけなのにー!口立てっていう、つかさんがしゃべるとおり、せりふで展開していくわけですけどその中でどんな指導を受けたんですか?とにかく芝居しようと思うな、と。
お前、下手なんだから相手の目を見て大声でしゃべれば何か伝わるというのを言われてたんですよね。
それと、とにかく見に来るお客さんは、ふだんそこにいる平穏な生活を見に来るためにお金を出しているわけじゃないと。
とにかく狂えとそういうお前たちの狂気性を見に来るんだからそうじゃなきゃおもしろくないんだとにかく俺が全部責任取るからやるだけやれ、というのは言われていて、それを信じてとにかく舞台という場所を思いっきりやろうと思ってやりました。
さっき加藤さんがおっしゃってましたけど阿部さんが壊れていくのを周りの人が見てたというのは阿部さんが壊れるというのはどういうことですか?たぶん当時、僕自分のイメージみたいなものを大事にしようかなと思っていたと思うんですよね。
どんなイメージですか?分からないけど芸能人としてのイメージですかね。
だから例えば棒高跳びのおかまの選手なんて全く自分ではやったことのないような役をやるということにすごく抵抗を感じたしなんで、俺、こんな役なんだと思ったし、つかさんに、次の日にこんな恥ずかしいせりふはちょっと、僕言えませんって何度言いに行こうと思ったんですよ。
だけど行くとすぐ稽古、はいやるよ、って始まるわけですよそうすると記者の人とか観客を、そういうときには呼ぶわけですよね。
それで、キャーとか言うとみんな笑うわけですよ。
そうやって笑うとおもしろかったろう、いいだろうおもしろいだろう、と何も言えなくなるわけですよ。
そうやって一つ一つ過激なせりふを増やされていったというか。
だから、そうやって破壊していくというのかな壁を越えさせていくというか役者としてのそういうことだったと思います。
阿部さんの中では周りが壊れていくというふうに見ていますけど、阿部さんも自分がなんか違うなと思っているのか、それとも新しい発見があるんだと思ったのかその辺はどうなんですか?表現者としてわくわくしましたねこれを世の中の人に舞台上で出してOK出るのかなでも、つかさんだからそういう可能性要するに、いろんな役者さんをその役者さんが持っていないところまで引き上げる演出家の方だと知っていたからそれは、自分でも怖かったけどすごく楽しみにしていました。
つかさんとの「熱海殺人事件」という舞台をやって、やる前とそのあとでは阿部さんの中では何が変わったんでしょう?恥ずかしいことがなくなりました。
あの役はすごく過激な役だったからその役を超えないところまでは全部クリアできるというか。
いろんなテンションの高い男でもなんでも、いいかげんな男でもなんでも、そこまでは全部クリアできるというかそういう役幅というものはすごく広がったのでそれまで自分の壁だった、役柄が決められてしまうというのは仕事くださる人が阿部さんだったらつかさんの舞台であそこまでやってるからこれはできるんじゃないかって仕事をくれたんですね。
それは本当にうれしかったです。
続いては岡田准一さん。
「軍師官兵衛」その撮影の舞台裏について語ってくれました。
合原⇒本日のゲスト岡田准一さんに質問です。
この1週間であったドラマチックな出来事を教えてください。
岡田⇒そうですね。
おいっ子が、官兵衛の現場に来てくれたんですけどめちゃくちゃ泣かれたことですね。
怖いって言って泣かれました。
山本⇒そんな怖い顔したんですか。
そうですね、ちょっとそのときは怖いというかそういうシーンを撮っててええ!っとやっていたのですごい泣かれました。
きょうは優しい顔でお願いします。
はい、お願いします。
スタート!殿下。
今が和睦の潮時でございます。
岡田さんが主演を務める大河ドラマ「軍師官兵衛」。
官兵衛といえばやはり信長の死の知らせを受け秀吉に放った、このせりふ。
殿!一刻を争います。
お気を確かに。
分かりますか?分かりますか?分かりますか?殿のご運が開けたのですぞ。
開けました…ご運が開けました。
実はこのシーンを演じるにあたり2人の間ではこんなやり取りがあったとか。
本当は台本ではちょっと会話があったんですけどそれを、ライブ感があるようにっていうので、せりふを…会話ができないというのでじゃあ、セッションしているみたいな感じで僕は言いたいせりふがあるのでそれを伝えていきますみたいな。
ライブ感があるようにやりましょうというのでやったシーンなんですけど。
山本⇒言いたいせりふというのはいわゆる殿のご運が開けたのですぞ。
そうですね、このせりふをこの役を引き受けるにあたっても官兵衛では有名なせりふなのでこれを言えるのならということでやらせていただきますというふうに答えたという経緯もあるので。
ずっと、これを言うために何か月も考えて臨んだシーンではありますけどね。
そんなにずっと考えてたんですか。
どう言おうかなというのは。
史実では耳元でささやいたとかいろんな小説とかでも、耳元でご運が開けましたぞみたいなので、言うというのが定番であるんですけどささやきたくないなとかでも、どうやって言おうかなとか思った結果何回か言うということに。
殿、ご運が開けますぞ、と力強く言うじゃないですか。
そこにはどういう思いを込められたんですか?大河ドラマを受けるときから始まってこのせりふを言うために。
初めは悪く言えればいい悪い顔して言えればいいかなぐらいの。
したたかに、ということですか。
したたかというか官兵衛の天下をねらうという男の参謀というか軍師ぶりが出るちょっと悪い顔ができればいいなだけはすごく考えてたんですけど。
現場立ってみると自然と何回か言ってそれがOKになってという。
大河ドラマの主役というのはこれまでいろんな俳優として出演してらっしゃいますけど違うものですか。
そうですね、本当に現場が家族みたいに長いのでなっていきますしすごく支えてはもらえるしでも膨大な量を1日に撮りますし。
合原⇒気持ちの整理をつけるのが大変そうですけどね。
そうですね、でも若いころ映画をメインに、最近はずっとやらせてもらっていたのでドラマは瞬発力だって言われてたのを入りながら思い出しながらその場その場で皆さんに助けられながらライブ感を大事にしながら撮っていってる感じですかね。
山本⇒私、お話を伺うと30代、33歳ですかね今ね。
はい。
私なんか、50半ばを過ぎちゃったんですけど話していると何かすごく落ち着いていらっしゃってすごく芯を感じるんですけどこうしよう、というふうに毎日してらっしゃることあるんですか。
こうしようですか…。
いやあ、どうなんですかねでも地味ですよ、ふだん。
何が地味ですか?僕、すごい地味なんですよ。
合原⇒どういう感じなんですか。
ほとんど格闘技しかしてないので。
山本⇒資格を持っていらっしゃいますね。
格闘技しかしてないので、はい。
根暗ですしね。
え?根暗です、根暗ですし。
官兵衛は根暗なんですか。
官兵衛もともと根暗です。
生活というか、ストイックな…でもないですかね?うーん…年を重ねたらちょっとユーモアのある人になりたいなとかユーモアがないおじさんはねちょっといけないなとかそんなことを思いながらユーモアを出せていけたらいいなと思って生活はしてますけど。
岡田さんは、これからどこに向かっていくんでしょうね。
僕自身はいろんなことを大事にできる人でいたいなと思います。
やっぱり一個一個の作品であったり真摯に取り組むとかグループという存在も何と言うのか20年やってきたメンバーとの男どうしの仲間の感じとかっていうのももちろん、そっちが大事であっていろんなことを1人の男として大事に生活できる人でいたいなとは思って生活してますけどね。
合原⇒ご自分に対してもお仕事に対しても何に対しても本当に一生懸命で真摯な方なんだなという印象でした。
山本⇒私たちの問いに対して本当にじっくり考えて真剣に真摯に話してくださったなという印象が強くて。
大河ドラマの中で殿ご運が開けましたぞと言ったことでドラマの流れが変わるんですよとおっしゃってましたが、そのとおりになりました。
結局あのひと言がのちのち秀吉が官兵衛を警戒するもとになる冷静に官兵衛を見てしまった。
そのことばを言うために官兵衛になったという話もされました。
その大河ドラマ、官兵衛もいよいよ終盤ですね。
合原⇒阿部寛さん、私は俳優のイメージがとても強かったのでああいった、つかさんとの出会いが大きな転換になったというのは意外でした。
山本⇒自分の限界を引き上げてくれた、自分の可能性を引き出してくれた。
合原⇒怖いものがなくなったとおっしゃってましたね。
山本⇒チャーミングなんですけどそういう芯の強さをつかこうへいさんが引き出してくれた気もしますしね。
聞いていて、もっと時間があったら聞きたいなと思ったのが正直なところです。
合原⇒あっという間でしたね。
続いては、ベテラン歌手の西城秀樹さんです。
2度にわたる脳梗塞と闘病について話していただきました。
山本⇒きょうのお客様西城秀樹さんです。
西城⇒こんにちは。
ようこそいらっしゃいました。
高校時代からずっと拝見してますけどね違うのは髪形。
髪はやっぱり短くなってきます。
本当にきょうは、じっくりいろんなお話を聞かせてください。
分かりました。
合原⇒西城秀樹さん。
1955年、広島県の生まれです。
16歳のときに歌手デビュー。
その後、「傷だらけのローラ」「YOUNGMAN」など数々のヒット曲を発表します。
2001年、46歳のときに結婚。
しかし、その2年後に脳梗塞を発症します。
さらに8年がたった56歳のとき2度目の脳梗塞しかし西城さんは、僅か40日でコンサートに復帰しました。
現在は、同世代の往年のスターが集まる全国コンサートに出演中です。
山本⇒1回脳梗塞になられて相当せっせいされて、まさか…。
でも1回目、分からないですね。
脳梗塞ということばが初めて聞くので何なんだろうと。
東京の病院に緊急で行ったところあっ、脳障害ですって言われて脳障害って、ええ?と思ってそれから入院して1回目は後遺症はなかったんです。
あったのは2回目のときにちょっと大変なやっかいな病気になったなという感じでしたね。
合原⇒西城秀樹さんは56歳のとき、脳梗塞が再発。
1回目より症状が重く言語障害に加え右半身が、まひしてしまいます。
すぐに、リハビリ病院に入院。
おはじきをつまむことすら難しい自分に生きている価値があるのかと悩みました。
以前のような、かっこいいステージをできそうにない。
それでも、西城さんはステージに立ちました。
発症から40日目です。
歩くこともままならないため座ったままのステージ。
ありのままの西城秀樹を見せることにしたのです。
山本⇒入院されてコンサートに出るまで、40日間。
そのあたりのことを聞きたいんですけども。
やっぱり、待ってくれてる人がいるから頑張ろうと自分のありのままの姿を見せて初めて勇気を与えることができるんじゃないかなと思ってだから恥ずかしいというのはなくなったですね、今は。
以前は?やっぱりこの辺がかゆいというか嫌だなというのがありましたね。
こんな子どもみたいなことできないと。
ところが、やってみるとできないからやっぱりやらなきゃと。
それと、子どもたちがいたから頑張らなきゃなという姿勢があったんでしょうね。
子どもみたいなこと嫌だなというのはどういうことですか?だから、リハビリやるのにそんなばかみたいなことできない。
リハビリが?そんな、箸を持ったりそんなことできないよと思うんだけどできないんですよ、自分が。
合原⇒お箸を持つことも。
ええ。
コップを持つこともできない。
そこから始まっていますからすごい教える人も大変なんだろうなと思ってだんだん変わってきて、頑張ろうやるだけやってみようと生きる生きがいを持ちたいと思って。
それで、この病気はきょうやって、あすよくなるというものじゃなくて1年、2年たって初めてちょっとよくなったかなという感じでしょ。
だから、年数をかけることが大事だということに気付いて。
それ、いつ気付いたんですか?2回目ですね、2回目の脳梗塞で右半身がだめなんでやばいなと思ってやばいだけじゃなくてこれを毎日継続することでやっぱり、よくしていこうとそう思いましたね。
ご家族の支えというのは大きかったと伺っていますけど。
大きいですね。
同情じゃないんですよね。
同情するんじゃなくて普通にしているんですよ。
普通にしているって勇気がいりますよね、偉いなと。
それを感じたとき迷惑をかけたくない早くよくならなきゃいけないとだから毎日リハビリで練習して継続することを心がけて頑張っていますね。
180度変わったっておっしゃいました、何が180度変わったんでしょうか?鳥や植物を見ても鳥は鳥で、きれいなさえずりだなというのが聞こえてくるし竹とか、観葉植物それから公園になってる木ですね見ても、生きているんだなと息づかいというのを、何でも感じられるようになりましたね。
40日たってステージに立ちました。
確か静岡のコンサートでしたね。
そのときに何を感じました?ちょっとつたないんだけどみんなごめんね一生懸命やるからねという自分のその姿を見せないといけないなと。
そうして自分の立場から元気を出してもらう。
病気、多いじゃないですか脳梗塞はそういう人に勇気を与えたいとそう思ったんでしょうね。
合原⇒入院して40日余りでコンサートをやることに不安とかなかったですか?ありました。
ありましたけど大変申し訳ないけどそれもリハビリの1つだと思ってやってましたね。
山本⇒リハビリの1つ。
そう思っちゃ申し訳ないんだけどでもそれぐらいの覚悟があって前を向いてあしたの1歩、2歩、3歩をちゃんと考えないといけないなと思いましたね。
ステージに立ったときにそれまで感じなかったことというのは、ありますか?あります、拍手1つにも遠くから来たんだろうな皆さん、ありがとうというのは本当に感動しますね。
僕から元気を与えるんだけど実は僕ももらっているんですよ。
お客さんの前に行くと不思議なことにマイクを通すとわりと調子いいんですよね。
これは職業病ですね。
職業病?はい。
マイクを通さないときのほうが逆にプツンと切れたようなときがある。
だから、こうやってテレビに映っているとまだいいんですけど映ってないときだとちょっと、だらっとしてますね自分が。
かっこいいとこなんかいいんですよ、かっこ悪いとこいっぱい見せようと思って。
かっこ悪いところ?それで、何と言うか向かっているのは僕だなと思って、人生に。
かっこよさというのは前はサングラスをすればかっこいいと。
そういうのではないですねもう、今は。
今、秀樹さんにとってかっこよさって何でしょうね?うーん…難しい質問ですけどやっぱり心の柔軟さの優しさでしょうね。
優しさとか、そういう当たり前に感じることをありがたいと思うことですね。
人間は、コップを持ったり箸を持ったりするのは当たり前だと思う大変なんだよってこうやってできることは。
それに関してはそういうことですね。
私を含めてもみんな見守っていますからこれから、また前に進んでくださいね。
そうですね、それをしないと生きる価値がないですね。
こういう秀樹さんも来年、還暦なんですって?そうなんですよ。
来年になったら絶対、言いたいなっていうことが1つあるんですね。
秀樹、還暦!山本⇒最後、聞かないほうがよかったですかね。
年が明けてから秀樹、還暦!ってもうことし言ってしまいました。
また来年、おっしゃるんでしょうね。
合原⇒いろんなメッセージを伝えてくださいましたけど、それを一生懸命教えてくださる、その姿もすごく胸に、苦しくなりました。
山本⇒かっこ悪さをこれから見せていくそういう秀樹さんがとてもかっこいいなと思いましたね。
やっぱり私たちテレビをご覧の皆さんもそうかもしれませんけどY.M.C.A.をやる秀樹さんのことよくご存じの方多いでしょう。
そういう中で確実にこの前インタビューしていて西城秀樹さんはこの病気と闘って前に進んでいらっしゃるなと隣で感じましたね。
合原⇒進まないと生きている価値がないとおっしゃいましたね。
「人生ドラマチック」スペシャルでした。
続いてはこちらです。
軒下に、ずらっと並んだ柿。
こちらは、串柿です。
広島県尾道市御調町で作られてきた正月飾りです。
今、串柿作りの最盛期。
一つ一つ手作りで400年以上作られてきました。
「行ってみたい!」正月飾りの伝統を守り続ける串柿の里を訪ねました。
山本⇒お正月の準備お飾り、広島ですね。
合原⇒リポーターは最近料理にはまっていて今度おせちを作るのが楽しみという山口芙美恵さんです。
山口⇒こちらが、ことし出来たてほやほやの串柿です。
2日前に農家の方からいただきました。
これはどうやって食べるんですか。
これは食べ物ではなくてお正月の飾り物なんですね。
このように、鏡餅とだいだいの間に載せて飾ります。
山本⇒なかなか見栄えがいいですね、広がっておめでたい感じ。
串柿は三種の神器の剣を表しているんです。
立派ですよね。
この串柿、かつては関西地方を中心に多くの家庭で飾られていました。
今回、私が訪ねたのは、この串柿の一大産地として栄えてきた中国山地の山あいに位置する尾道市御調町です。
伝統文化を守り続ける人たちに出会いました。
中国山地の山あいに1400人が暮らす尾道市御調町菅野地区です。
わあ、たくさん柿がなってますね。
この地域は、江戸時代から柿の里として栄えてきました。
きれい。
町じゅうになっているのは上丸柿という渋柿です。
小ぶりで色みが強いことが特徴です。
その上丸柿を町の人々は軒下で大切に干しています。
わあ、串柿がたくさんありますね。
すごい、きれい。
合原⇒明るくなりますね。
オレンジ色のすだれのような柿の列。
こちらが串柿です。
山本⇒干し柿は縦に干しますけれども横なんですね。
標高が高いため日当たりがよく風通しがいいというこの土地ならではの気候があめ色の串柿を生み出します。
おはようございます。
この地域で串柿を作っている農家を訪ねました。
5代目の長岡和克さん82歳です。
柿に針を刺すときの手応えで熟し具合を見極め皮をむく力を加減していきます。
山本⇒これでね。
合原⇒一つ一つ。
そうなんです、調整されているんです。
竹を削って作った串には同じ大きさの柿を選んで並べていきます。
合原⇒同じように見えますけれどもね。
よく見ると、長岡さんは外側を2個ずつ、真ん中を6個と少し離して並べています。
外は2個で、中は6でむつまじくということなんです。
串柿は、家内円満を表す縁起物なのです。
この土地では代々夫婦そろって串柿を作ることが習わしです。
長岡さんも夫婦で50年以上作ってきました。
しかし、3年前に病気で妻の富美枝さんを亡くし今は1人で串柿を作っています。
昭和40年代には150軒以上の農家が家族総出で串柿を作り、町は串柿すだれで覆い尽くされました。
しかし、30年ほど前からお正月に串柿を飾る習慣が薄れはじめ需要はかつての10分の1にまで落ち込んでいます。
御調町でも、串柿を作る農家は僅か5軒になりましたが伝統の文化を何とか残そうと懸命です。
今も夫婦2人で串柿を作り続けている農家もあります。
後藤学さん、72歳孝子さん、69歳です。
この地区で夫婦で串柿を作り続けているのは後藤さんたちだけになりました。
40年間、2人はこの仕事場で時に夜なべをしながら肩を並べて作業をしてきました。
ご夫婦でそろって作業はされるものなんですか。
そうです、そうです。
どうしてなんですかね。
刺す分をいっぱい削るからね。
体が続くかぎり串柿を作り続けたいと願う後藤さん夫婦です。
晴れ渡ったこの日。
1人で串柿作りをしている長岡さんは庭先で作業をしていました。
50年以上夫婦で作り続け思い出がたくさん詰まっている串柿です。
山あいの町に息づいてきた串柿。
大切に守り続けてきた人たちの心に触れた旅でした。
山本⇒なんかゆったりと流れる時間の中で、仲むつまじく作られている感じがしました。
合原⇒幸せいっぱいなものをいただける感じがしました。
山本⇒でも作っているのが5軒になってさっきご紹介した方は、80歳を超えていましたね。
もうひと方も、72歳と69歳。
あれだけ手作りで。
そうなんですよ。
先細りで大丈夫かなという気がするんですけれども。
5年前にこちらのご夫婦が御調町に戻られまして、地元の子どもたちに串柿の文化を継承しようと立ち上がったんです。
よく見ると柿に顔がついていますよね。
ご夫婦が、柿に目のシールをつけて販売しているんです。
これは子どもたちに楽しみながら串柿に親しんでもらいたいという思いから考えついたそうです。
山本⇒これを見て分かるように串柿に目を入れると全部、肩を組んで仲よく並んでいるようで結ばれているという感じもしますね。
これはちょっと誤解される映像ですね。
そんな感じもしますよね。
地元の子どもたちにも大人気だということです。
合原⇒串柿はどこで買えますか。
広島県尾道市の直売所で1本350円で販売されています。
今月15日から出荷されます。
2014/12/04(木) 17:10〜17:54
NHK総合1・神戸
ゆうどき▽阿部寛さん、岡田准一さん、西城秀樹さんのトーク総集編。[字]

これまで放送した人生ドラマチックの中から、阿部寛さん、岡田准一さん、西城秀樹さんのトークを総集編で伝える。旅企画は、この時期、串柿に染まる山里を探訪。

詳細情報
番組内容
【キャスター】山本哲也,合原明子
出演者
【キャスター】山本哲也,合原明子

ジャンル :
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
情報/ワイドショー – グルメ・料理

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