歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
館長の高橋です。
今日も引き続きまして明治時代について学んでいきます。
ん?みんな…あれ?いつもと違いますね。
どうしたんですか?私たち今回の「三つの要」を表すような明治時代の人になってみたんです。
どうですか?どうですか?でも館長!私みーおんみたいなかわいいドレスが着たかった。
瑞希も。
いいでしょう。
明治にはこんなドレスを着ていた人たちもいたんです。
私は鹿鳴館の舞踏会で踊っていた女性になってみました。
かわいい。
(込山)かわいい。
やった〜。
リボンいっぱいあるし。
そう。
かわいい。
私はですね前回活躍した人物です。
誰か分かりますか?
(込山)ひげ生えてる人でしょ?
(向井地)白いひげ。
ヒントはね日本の立憲政治を立ち上げた人。
あっ分かった!伊藤博文。
ピンポ〜ン。
正解!私は初代内閣総理大臣伊藤博文です。
(向井地)あっものまね。
似てないけどね多分。
私は明治時代の裁判所で活躍してた人です。
明治時代の法律家です。
法の番人として法廷で働いてます。
でも何でこんな格好してるかは見てからのお楽しみです。
そうですか。
まあ皆さんなかなか似合ってますよ。
(生徒たち)やった!では早速今回の重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…近代化が進み人々の暮らしも様変わりした時代。
しかし欧米列強との関係は幕末に結んだ不平等条約に縛られたまま。
なぜ日本は対等な国家として認められないのか。
明治政府は条約改正へ向けて長い道のりを歩みだします。
今回押さえるべき「三つの要」は…日本政府はどのようにして条約改正にこぎ着けたのでしょうか。
今回のテーマは…幕末に結ばれた安政の五か国条約の事でしたね。
一体何が不平等だったのか。
みんなまとめてきてくれましたね?はい。
まず…日本で罪を犯した外国人を日本人が日本の法律で裁く事ができませんでした。
2つ目は…日本は輸入品の税率を自主的に決める事ができませんでした。
3つ目は…ある国と結んだ条約がほかの国より有利な条件になった場合ほかの国にも同じ条件を与えるという内容です。
これを日本が相手国に与えるだけだった事が不平等でした。
中でも一番問題になっていたのはこの領事裁判権を与えてしまった事でした。
なるほど。
よくまとめてくれましたね。
みんなどうもありがとう。
その衣装の意味これ何なのかもう教えてもらえるかな?はい。
まずは私から。
条約改正のためにこんなふうに西洋風のドレスを着て頑張っていた女性たちがいたんです。
「三つの要」その一。
1871年11月12日。
岩倉具視木戸孝允大久保利通ら明治政府の最高実力者を中心とした岩倉使節団が欧米へ向けて出発しました。
その目的は新しく近代国家としての日本を作るにあたり西洋の文明や制度を調査する事。
そしてもう一つ。
不平等条約改正の交渉を行う事でした。
一行はアメリカイギリスなどに条約改正の意思を伝えます。
しかし期待していた成果は上げられませんでした。
その後使節団は12か国を2年近くかけて訪問。
欧米諸国の圧倒的な国力と日本が到底及ばないほどの近代的な法制度を知りました。
そして不平等条約改正には日本の近代化を推進する事が不可欠だと痛感しました。
1879年から外務卿を務めた井上馨は…それに先立って日本の近代化をアピールしようと盛んに欧米の制度や風俗習慣生活様式などを取り入れます。
欧化政策です。
その象徴ともいえるのがこの洋風建築…ここに各国の高官を招き頻繁に西洋式の舞踏会を行いました。
こうして日本の欧米化を示せば条約改正に有利になるのではないかと考えたのです。
そして1886年東京で条約改正の会議が開かれました。
日本側は…しかしイギリスが最後までこれに反対。
日本側は妥協案を受け入れざるをえなくなります。
領事裁判権を撤廃する代わりに外国人の裁判には外国人判事を半数以上任用するというのです。
これでは領事裁判権を認めているのとあまり変わりがありません。
そんな中国民の感情を逆なでする事件が起きます。
紀伊半島沖でイギリスの貨物船ノルマントン号が沈没。
イギリス人船長以下乗組員はボートで避難しました。
しかし一緒に乗船していた日本人は救助しませんでした。
イギリス人の船長は神戸にあるイギリスの領事館での裁判にかけられました。
そして責任を問われる事はなかったのです。
この判決に人々は激怒し領事裁判権への反発は一層激しくなりました。
こうした中外国人判事を受け入れる改正案が明らかになると民権派のみならず政府内部からも激しい反発を受けます。
こうして1887年条約改正会議は無期延期となり井上馨は辞任しました。
私たち女性もダンスを楽しんでいるだけじゃなくて条約改正のために努力していたんです。
でも改正できなくて残念でした。
館長。
どうしてイギリスは最後まで反対したんですか?イギリスが反対していたのは領事裁判権の撤廃なんですがその理由は……という事だったんですよ。
その事だったらご安心を。
私伊藤博文が中心となって大日本帝国憲法を作りましたから。
もう遅れているなんて言わせません。
それでは「三つの要」その二。
井上の交渉が成功しなかった理由の一つは条約締結国全てを一堂に集めて会議を行った事でした。
1つの国が反対すると交渉が進まなくなってしまうのです。
次に条約改正を担った外相大隈重信は欧米列強との個別交渉に方針を切り替えました。
これが功を奏して交渉は日本側に有利に進みます。
更にこれを後押しする出来事がありました。
伊藤博文らが中心となって作成を進めていた憲法がいよいよ出来上がったのです。
1889年2月11日大日本帝国憲法の発布。
日本にも近代的な憲法が導入されます。
欧米列強はもはや「法制度が整っていないから」という理由で領事裁判権の撤廃を拒む事はできなくなりました。
そして大日本帝国憲法発布から僅か9日後アメリカが改正条約に調印。
続いてドイツロシアも調印します。
しかしこの改正条約にも妥協がありました。
最高裁判所に当たる…その事が報じられると国内では再び反対運動が盛り上がります。
そして1889年10月。
こうしてまたもや交渉は延期されたのです。
あとちょっとだったのに。
惜しかったと思いませんか?いやいやよく考えてみて下さいよ。
この時の改正条約は「大審院に限り外国人判事を受け入れる」という…確かに。
それだと結局は領事裁判権があるのと同じような状態ですよね。
そうなんです。
このころ大日本帝国憲法が発布され議会ができましたね。
それ以降政府は議会つまり国民の声を無視した条約改正交渉ができなくなってしまった。
そして妥協しない完全に対等な条約改正を求めるようになっていったんです。
はい!ここで私の出番です。
もう不平等は嫌!完全に欧米と対等な国家になる!そんな日本にチャンスが訪れます。
「三つの要」その三。
このころ欧米列強の間では情勢に変化が起きていました。
当時イギリスとロシアはアフガニスタンを中心にアジアの各地で激しい利権争いを繰り広げていました。
その上ロシアはシベリア鉄道を敷設するなど東アジアへの進出を強めてきたのです。
イギリスはそれを食い止めるため日本に注目します。
近代国家として国力を増していた日本を味方につけた方がよいと考えたのです。
条約改正への最大の反対勢力だったイギリスが日本に対し歩み寄りを見せ始めました。
これを機にイギリスが条約改正に同意すればほかの国も一気に改正に応じるのではないか大隈重信の後を引き継いだ青木周蔵はイギリスとの交渉に入ります。
そして1890年7月イギリス政府は領事裁判権の撤廃を盛り込んだ日本の改正案に同意を示しました。
ついに条約改正の道が開けるかと思ったそのやさきまたもや事件が起こります。
1891年5月日本に滞在中のロシア皇太子が警護中の巡査に襲われけがを負ったのです。
事件の責任を取って青木は辞任。
交渉はまたもや延期になってしまいました。
こうした中青木の後を継いだ陸奥宗光はイギリスと粘り強く交渉を続けました。
1894年7月16日。
ロンドンで新たな条約が調印されました。
この条約により日本は外国人の犯罪を自らの手で裁く事ができるようになりました。
岩倉使節団が交渉を始めてから22年。
日本はようやく領事裁判権を撤廃する事に成功したのです。
ついに日本政府やりました!これで自分たちで裁判できるんですね?それにしても22年って随分長くかかったんだね。
実は完全に日本が欧米列強と対等な立場になったのはそれから更に17年後だったんですよ。
(3人)え〜!1911年2月に…えっ…て事は40年近く?本当に長い道のりだったんですね。
そうですね。
長く難しい交渉でしたがそれを成功に導いたのは日本が立憲制を導入できた事。
完全に対等な条約を求める国民の意志が強かった事。
この2つが大きかったといえるでしょうね。
ここで我が校の特別講師小風先生に更に深く趣のあるお話を伺いたいと思います。
(一同)よろしくお願いします。
今日はですね実は生徒の方から質問があるそうなんです。
そうですか。
はいどうぞ。
(込山)はい先生!えっそれってさっき学んだじゃん。
そう。
日本には立憲制がまだ確立してなかったからじゃない?う〜ん。
本当にそれだけかなって思って。
う〜ん。
さすがに法律家らしい鋭い質問ですね。
やった。
実はですね不平等条約そのものの特質から来ていると私は考えているんですけども。
さっき3つありましたね。
そのうちの最後のこれ。
(小風)実はこれがですねくせ者だったんですね。
(生徒たち)え〜?
(向井地)くせ者?
(小風)どこか一つの国が新しい条約を結んで新しい権利を獲得するとそれは自動的にほかの国にも行き渡ってしまう。
すごくある意味では楽な便利なそういうシステムな訳ですね。
という事は…それが具体的にはイギリスだった訳ですね。
じゃあ何でイギリスは条約改正に反対したのか。
なぜイギリスだけOKしなかったか。
という事ですね。
というのはイギリスが東アジアに一番大きな権益を持っていたから。
はあ〜。
(小風)つまり日本に条約改正をしてしまうとほかの不平等条約を結んでいる国にも対等条約を…。
同じようにしなきゃいけない。
(小風)…なってしまう。
ははあ〜。
という事は日本がアジアの諸国よりも少し進んだ状態になっていなければなかなかうまくいかないって事ですよね。
進んでるというよりは近代国家になってなければいけない訳です。
それは絶対に納得させられるために向こうが反対できない憲法を作らなければいけない訳です。
なるほど。
この話はそういう形でつながっていく。
実はですねもう一つあるんです。
最恵国待遇が持っている問題点。
これは横並びのシステムでしたね。
という事はどこかの国がそれを踏み越えてアジアのどこかを植民地化しようとする事をほかの国がけん制できる訳ですね。
許さないんだ。
許さない。
抜け駆けは。
抜け駆けはできない。
そういうけん制のシステムでもある訳です。
協調しながらけん制し合ってる。
という事は欧米側からこの不平等条約の体制を壊すのは非常に難しい訳です。
そこに風穴を開けていかなければいけなかったのが日本。
必然的に時間がかかる訳ですね。
がちがちのシステムなので壊れないですよね。
何十年もかかるね〜。
(一同)どうもありがとうございました。
まあそれにしても今回は明治時代の衣装。
これとても華やかですね。
そうなんです。
こんなに豪華なドレスを着てうれしかったです。
もうみーおんだけずるいです。
今回も裁判官。
いつも同じ事言ってる気がする。
でもいいじゃん今回。
キャラクターなのかもしれないねそれは。
ええ?しかし…2014/12/05(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「不平等条約の改正」[字]
日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)
詳細情報
番組内容
1858年に幕府が列強と結んだ「安政の五か国条約」は「領事裁判権の規定」や「関税自主権の欠如」など、日本にとって不利な不平等条約だった。国際社会の中で自立した近代国家を目指す明治政府にとって不平等条約の改正は悲願であった。政府はどのようにして条約改正を目指したのか? また、列強はなぜなかなか条約改正に応じなかったのだろうか? 大日本帝国憲法の発布や、国際情勢の変化にも注意しながら考えていく。
出演者
【講師】お茶の水女子大学大学院教授…小風秀雅,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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