歴史の大海原を旅するキャプテン歴史アイドルの小日向えり。
世界中のさまざまなゲストと一緒にいざ船出しよう!
(林)こんにちはニイハオ。
(小日向)ニイハオ。
お久しぶりです。
お久しぶりです。
わあ今日はまたセクシーな…チャイナドレスですね。
今日はチャイナドレスで来てみました。
大丈夫ですか似合ってますか?ばっちり似合ってます。
またまたお越し頂いた女優として活躍中の…中国にルーツを持つ丹丹さんに中国の歴史を伝えて頂きます。
実は今日もお土産を持ってきたんですが私も今着ているチャイナドレスをお土産に持ってきました。
わあ!私にも持ってきてくれたんですか?はいどうぞ。
ありがとうございま〜す。
きっとえりちゃんも似合うと思います。
前から欲しかったんですよね。
うれしいです!ありがとうございます。
はい。
でもこのチャイナドレスと今日のお話はどういう関係があるんですか?えりちゃんチャイナドレスのルーツを知ってますか?ルーツ?え〜分からないです。
民族衣装ですよね。
そうなんです。
チャイナドレスは中国語で…これは中国の清の時代に出来たものなんです。
「しんの時代」ですか。
中国だと…この間私が明の時代を紹介しにお邪魔したんですけど…明の後の清ですね。
今日のナビゲーターを紹介します。
今日はジョージ・マカートニーさんに紹介してもらいます。
ザ・西洋人ってお顔ですよね。
そうなんです。
彼はイギリスの外交官で清の時代に中国に訪れているんです。
へえ〜清との関係ってどんなだったんですか?気になりますよね。
はい。
それは彼に紹介してもらいましょう。
マカートニーさんお願いしま〜す。
(マカートニー)うむ。
私はイギリスの外交官マカートニー。
このころ中国を支配していた清と我がイギリスとの国交を結ぶため交渉をした男だ。
今回お伝えするのは…私が訪れた18世紀清は繁栄を極め庶民の生活も豊かで世界でも屈指の大国になっていた。
しかし18世紀後半に起こった産業革命以降急激なヨーロッパの発展が清を大きく揺さぶった。
世界に進出した我がイギリスは清に対して自由で対等な貿易を求めていた。
しかし誇り高き清は「対等な貿易は必要なし」と申し出を断った。
やがて清と我がイギリスは戦争へと突入。
大敗した清は徐々に力を失っていく。
今回はイギリスとの関わりを通して中国清王朝の繁栄と衰退をお伝えしよう。
清とイギリス大きな関わりがあったんですね。
はい。
でもどうして清はイギリスとの対等な貿易を断っちゃったんですか?それはもしかしたら清朝の誇りだったのかもしれないんですね。
誇りですか。
ちょっと気になるところですね。
それはこれからだんだん詳しく分かっていきますよ。
はい。
ところでこのころ日本は江戸時代ですね。
そうなんです。
日本では時代劇というと江戸時代をよく描かれるんですが中国では清の時代を描くんです。
そうなんですか!?時代劇といえば清の時代?そうですね。
そこをテーマにした作品がたくさんあります。
そうなんですか。
じゃあ暴れん坊な皇帝とかも出てくるんですか?出てくるかもしれないですね。
じゃあちょっと江戸時代と清の時代通ずるところがあるのかもしれないですね。
そうですね。
まずは清の誕生からマカートニーさんに語ってもらいましょう。
はい。
マカートニーさん。
よろしい。
まずは清の誕生から話を始めよう。
中国は50以上の民族が暮らす多民族国家だ。
その中でも大多数を占めるのが漢民族である。
明の時代中国を支配していたのは漢民族であった。
しかし16世紀の初め女真族という民族が中国東北部に後金という国をつくった。
彼らは国の名前を清と改め更に南に勢力を伸ばした。
1644年清は北京に都をうつしそれまでの王朝だった明に代わって中国を統一した。
女真族は後に満州族と名乗った。
その由来の説を少しお話ししよう。
彼らはモンゴル帝国時代からチベット仏教の文殊菩薩を信仰していた。
文殊の知恵という言葉があるように知恵の神様だ。
この文殊を女真族の言葉で「まんじゅ」と読みそこから満州族と名乗ったという説があるのだ。
満州族が勢力を伸ばした理由の一つは彼らが騎馬民族だった事だ。
馬を巧みに操る彼らは機動力の高い強力な軍隊を持っていた。
馬に乗るために工夫された服がこのチーパオだ。
これはチャイナドレスのルーツである。
両足を広げやすいようにスリットが入っていたといわれている。
清を治めるにあたって満州族は自分たちの風習を強制した。
その一つが弁髪という髪形だ。
逆らった者は死刑にさえなったという。
その一方で漢民族との調和も心掛けていた。
さまざまな場面で漢字と満州語を併記するようにしていた。
ほかにも役人を平等に登用するなど満州族と漢民族の融合を図っていた。
満漢併用といわれる方策だ。
それは料理にも反映された。
世界史上最も豪華なメニューの一つといわれる満漢全席だ。
満州族と漢民族の文化を合わせた宮廷料理だ。
第6代の皇帝乾隆帝の時代にモンゴルも支配に治め清の領土は最大になり繁栄を極めた。
清はどのようにしてモンゴル民族を治めたのだろうか。
清の皇帝はもう一つの顔を持っていたのだ。
中国の皇帝であると同時にモンゴル民族の帝王の呼称ハンを受け継ぎ名乗っていた。
代々の皇帝はしばしば遊牧民の元を訪ねハンとして振る舞った。
モンゴルのハンと中国の皇帝清朝の皇帝はそれぞれの民族に向けた顔を持ち絶対権力者として君臨した。
都の北京には全国から商人が集まりものの行き来も盛んで人々の生活は豊かだった。
清の初めには1億程度だった人口は乾隆帝の時代3億に達し清王朝は最盛期を迎えていた。
清の国は満州族がつくった国だったんですね。
そうなんです。
チャイナドレスもこの時代に生まれたんですね。
はい。
中国というと漢民族のイメージが強いんですけどチャイナドレスは満州族の民族衣装がルーツとなっているんです。
そうなんですか。
私もうすっかりチャイナドレスって足をきれいに見せるためにスリットが入ってるのかなと思ってたんですけど。
そうじゃなくて馬に乗りやすいようにだったんですね。
そうなんですね。
初めて知りました。
あとは…なるほど。
2つの民族が混じり合ったすごい豪華なお料理だったしいかに清が繁栄したかっていうのがよく分かりました。
そうですね。
なるほど。
それから先はこのあと一緒に見てみましょう。
はい。
確かに豊かな清はイギリスにとって魅力的な貿易相手だった。
そこで私マカートニーは清との自由で対等な貿易を求めて1793年にイギリス政府から派遣された。
そのころ…機械による生産技術が飛躍的に発展し綿製品などの工業製品を大量に生産できるようになった。
それらの製品を売るために市場の拡大を海外に求めるようになったのだ。
更にイギリスは清からどうしても手に入れたいものがあった。
貴族から労働者まで人気の高かった紅茶だ。
イギリスでは紅茶が生活に欠かせないものになっていた。
その紅茶を作っていたのが清だった。
イギリスは清から大量の紅茶を買い入れていて赤字貿易になっていた。
そこで綿製品などを清に輸出し対等な貿易をするため正式な国交を結びたいと考えていた。
1793年私はおよそ10か月間の航海の末乾隆帝に会う事ができた。
私はイギリス流の対等な国交関係を求めた。
しかし乾隆帝は中国流の朝貢という関係しか認めなかった。
朝貢とは…イギリス流の外交と誇り高き中国流の外交とが折り合わなかったのだ。
この絵は清の皇帝と私との交渉の様子をイギリスの側から見て描いたものだ。
自らをより高い位にいると考える清の態度をオーバーに表している。
そんな誇りを持った清だが私は満州族と漢民族が実はいがみ合い汚職が横行しているのを見た。
そしてこう予感した。
清は辛うじて浮かんでいる巨大な船のようだ。
その内部はボロボロでやがて沈んでいくに違いない。
私の予感は19世紀に現実になった。
イギリスは清からたくさん紅茶買ってたんですよね。
そしたらイギリスも自分の国のものちょっとは買ってくれてもいいんじゃないの?ってそういう気持ちになるのも分かりますよね。
そうですね。
イギリスは対等な関係を求めたんですが清朝は朝貢関係しか認めなかったんです。
そうなんですか。
だから交渉も成立しなかったんですがそれはもしかしたら…なるほど。
流儀の違いですか。
はい。
ところでさっきVTRの方でマカートニーさんが何か悪い予感を感じてたみたいなんですけどこのあと清はどうなっていってしまうんでしょう。
どうなっちゃうんでしょうね。
教えて下さいマカートニーさん。
清の行く末についての私の予感は当たった。
紅茶などを手に入れるためにイギリスは当時植民地だったインドで取れるアヘンに目をつけた。
インドで栽培させた麻薬のアヘンを清に密輸しそこで得た銀で紅茶を買ったのだ。
中国ではアヘン中毒者が激増し労働力を失った清はアヘンを見つけると没収し廃棄。
更にイギリスとの貿易を禁止した。
これに対しイギリスは武力で対抗し戦争に突入…イギリスの圧倒的な兵力を前に清は大敗した。
敗戦国になった清は不平等な条約を結ぶ事になった。
香港を植民地として譲り渡し5つの港を開いてイギリスとの貿易を始めるよう強制されたのだ。
その後もアヘン中毒者は増え続け…失業者は増え人々は貧困に苦しんだ。
私の予感どおり清はボロボロの船になってしまった。
社会が混乱するにつれて民族間の反目も大きくなり政治は腐敗した。
一方イギリスはより多くの市場と原材料を海外に求めた。
世界各地に多くの植民地と市場を獲得したイギリスは大繁栄を遂げていく。
ほかの列強も同じ道を歩みその動きは後に帝国主義として多くの悲惨な戦争を生む事になる。
先生清はイギリスに敗れてしまいましたがもともとはものすごい大国だったんですよね。
(上田)いろいろな民族をうまく支配していたという事がいえると思うんですけれども…それぞれの民族に対しての持ってる顔を持っていたという事であると思いますね。
なるほど。
リーダーハン保護者皇帝と。
そんな大国だった清がどうして敗れてしまったんでしょう。
マカートニーね目的を達成しないで傷心して帰ったように思うんですけども。
彼は実をいうと中国の内陸の情報をいっぱい集めてその情報が生かされて…アヘン戦争ってまさに情報戦。
情報戦に勝ったのがイギリスという事になると思いますね。
アヘン戦争のあとどうなっていくんですか?イギリスは中国におけるいろいろな交易活動とかがうまくいくようにどんどん利権を獲得していくっていう感じです。
例えば自由に中国国内を旅行できる権利。
あるいは交渉を行うための外交官を北京に置く権利というものをどんどん獲得していって最後の方には…そうなると例えば工場などを守るためにその地域の中に軍隊を派遣したりというような形になって領土を獲得しようという形になってくるんですね。
そのころほかの列強も同じような形になってきますので領土争いという形で戦争が起きてくる…このあと第1次世界大戦とか第2次世界大戦とかどんどん戦争が起きてきますもんね。
先生よく分かりました。
またお話聞かせて下さい。
はい。
えりちゃん今回の清の歴史はどうでしたか?今回は貿易摩擦が戦争にまで発展してしまってやっぱり貿易の部分でもどっちかが得してどっちかが損してっていうのだとうまくいかないのかなっていうふうに。
日本の商売の考え方で三方よしっていうのがあるんです。
…っていうすてきな考え方なんですけど。
全然今回の貿易は三方よしではなかったですしアヘン戦争なんて庶民も苦しんで…世間悪しですよね。
そういうバランスがうまく保てないと国と国の貿易関係とか長く続いていかないのかなっていうふうに考えさせられましたね。
そうですね。
文化や習慣が大きく異なる相手の国を理解する事ってすごく難しい事なんですが一番大事な事なのかもしれないですね。
2つの国が歩み寄る事が一番必要なんじゃないかなと私は感じました。
なるほど。
趣味は何ですか?何でしょう…。
明に代わって中国を統一した満州族の清は満州族独自の風習を強制する一方で漢民族との融合もはかり広大な領土を支配した。
1912年250年以上続いた清は滅亡し中国は激動の時代を迎える。
2014/12/05(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「清代の中国〜誇り高き帝国〜」[字]
歴史好きな「歴女」の部屋を、世界各国にルーツを持つゲストが訪れ、歴史上の人物のメッセージを届ける…清とイギリスの外交交渉に見るアヘン戦争の経緯と帝国主義の芽生え
詳細情報
番組内容
テーマは「チャイナドレスの起源は清を建てた満州族の衣装だった」「広大な多民族帝国を治めた清の皇帝が持っていた4つの顔とは?」「清・イギリス両国の価値観の違いで生じたアヘン戦争と帝国主義の芽生え」。学習ポイントは「清朝の成立…満州族が建てた王朝」「繁栄の時代」「近代の足音」。【司会】小日向えり【ゲスト】林丹丹【講師】上田信(立教大学教授)【語り】水落幸子【ナレーション】竹内良太
出演者
【講師】立教大学教授…上田信,【ゲスト】林丹丹,【出演】小日向えり,【語り】竹内良太
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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