島根沖・沈没:水揚げ中「どんどん水」 魚の重さで傾く
毎日新聞 2014年12月25日 00時46分(最終更新 12月25日 09時49分)
島根県浜田市沖で24日に起きた東洋漁業(長崎市)の巻き網漁船「第1源福丸」の沈没事故は、2人が死亡、3人が行方不明のままで海保の捜索が続いた。救助された乗組員の男性は海に投げ出された当時の様子を生々しく語った。5人はいずれも長崎県平戸市在住で、家族らは同日夜、東洋漁業が用意したバスで同市から現地に入った。
浜田市内の病院で手当てを受けた男性乗組員(21)は、船が傾き始めてから10分ほどで沈没した様子を語った。事故は、船員が右舷に並んで網を巻き上げていた時に起きた。「(魚の重みで)網を入れている右側に傾き、どんどん水が入ってきた。指示を出す人はおらず、『大丈夫だぞ』と声を掛け合って全員が上に登っていった」。沈んでいく船に必死でつかまっていたが、波で飛ばされたという。幸い近くに仲間の救命ボートがあり、救助された。
5隻の船団の乗組員はほぼ顔なじみばかり。死亡が確認された甲板長の横山晶一さん(59)と甲板長補の塚本圭司さん(56)は面倒見が良かったという。「自分は前の方にいたが、2人は後ろにいたのではないか。亡くなって悲しい」と話した。当時、波はやや高かったが普段、漁をするレベルだったという。
浜田港では東洋漁業の徳永幸広常務(62)らが乗組員への対応に当たった。徳永常務は「救助された者もひどくショックを受けていた。動揺しており、泣いたり『今日は眠れない』と気が立っている者もいた」と話した。
家族や知人らは突然の悲報に胸を痛め、行方不明者の無事を祈った。亡くなった横山さんの近所に住む坂本真知子さんは、2009年の第11大栄丸(平戸市の舘浦漁協所属)の事故で息子の幸三さんを亡くした。「横山さんはうちの幸三が亡くなった時に『おばちゃん。頑張れな』と声をかけてくれた。還暦を迎えるから元日に島内の神社でお祝いをすると言っていたのに」と悼んだ。【江田将宏、藤田愛夏、野呂賢治】