(2014年12月24日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
さあ、クリスマスだ。いつもの年と同じように、多くの人が大して好きでもない親族と一緒に過ごしたり、値段ほどには評価してもらえないプレゼントを手渡したり、つい食べ過ぎたり飲み過ぎたりするのだろう。
そして新年が近づくにつれ、そういうよくないことはもうしないという、決して守られることのない誓いを立てるのだろう。
この明らかな非合理性を目にすると、経済学者はこんなことを考える。もっと多くの人が経済学の手ほどきを受けていていれば、それだけでこの世界はもっと幸せで良いところに、少なくとも今以上に繁栄したところになるだろうに――。
合理的行動の理論モデルは不適切に見えるが・・・
それでも、私たちはこうした習慣を捨てない。これでは、善意を強制される季節が近づくにつれ、我々経済学者が合理的行動の理論モデルの不適切さに思いを巡らせる理由も容易に理解できようというものだ。
しかし、このモデルへの批判に喜ぶのは、ちょっと早いかもしれない。確かに経済行為は、経済学者が用いる明らかに専門的な意味で「非合理的」であることが多いかもしれない。だが、経済行為は外界に適応して行われるのが普通であり、それは合理性とほぼ同じであることが多いのだ。
歴史学の研究によれば、イエスが12月25日に生まれた可能性は小さく、パレスチナが冬を迎えている時に生まれた可能性も小さいという。世俗の世界が祝うこの祭り――この日は金融市場までもが休みになり、フィナンシャル・タイムズ紙も発行を手控える――は、もともとは異教徒のものだったようだ。
しかし、キリスト教という宗教の目ざといセールスマンがこれを盗用した。にぎやかに祝えば信者を集めるのに役立つだろうと考えたのだ。こうして生まれたキリスト教のイベントはしかし、最近では、在庫処分を12月の書き入れ時に頼っている商業界にハイジャックされてしまっている。
経済や制度は、こうした適応の過程によって変化していく。適応の過程が注意深く計算されていることはまれだが、適応の始まりや帰結は決して非合理ではない。
進化が起これば、誰にも設計できないほど複雑で高度な成果が得られることもある。進化論が、人類に思想の中で最大級に強力かつ逆説的なものであるのはそのためだ。
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