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【正論】
民社党にみる戦後政治の「不運」 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋
もし、民社党にこのような不運が重ならなければ、民社党は勢いを増し、保革対立が長引くこともなく、現在の「民主党」とは性格の違う政党と自民党の二大政党時代がもっと早く生まれたのではなかろうか。
民社党の不運といえば、まだある。民社党の学者支援集団の民主社会主義研究会議に集まった蝋山政道や関嘉彦、猪木正道などは人間的にも学者としてもすぐれた人々だったが、蝋山の盟友で、関や猪木の師だった河合栄治郎を欠いたことは痛手だった。
河合は1944年に53歳で早世し、戦後は故人。河合は社会党のブレーンだった大内兵衛や向坂逸郎と同世代だが、知名度と影響力で河合のほうが、はるかに上である。河合を欠いたことも民社党のプレゼンスには不運だった。
来年は戦後70年。不発に終わった戦後日本の政治に孕(はら)まれていた可能性を考える機会にしたいものである。(たけうち よう)