中国皇帝の夢・不老不死
絶対的な権力を持った中国の皇帝は、望めば大概のものが手に入りました。
宝石、珍品、美女、美食…
しかし歴代の皇帝がみな望んだのに、どうしても、誰も手に入れられなかったものがあります。
それは不老不死。
秦の始皇帝を始め、不老不死の薬を求めて各地を探させたり、学者を雇って研究をさせたりしました。
中には怪しげな薬を飲みまくり、そのせいで死んだケースもあったり。
今回は中国皇帝の悲願、不老不死にまつわるお話です。
始皇帝が求めた不老不死
仙人のいる東海の仙島
中国を初めて統一した秦の始皇帝は、強く不老不死を求めたことが「史記」に記されています。
始皇帝は徐福という男に命じて、東の海に浮かぶ仙人が住む島「蓬莱山」に行き、不老不死の薬を貰ってくるか、仙人を咸陽に連れてくるように命じました。
古代中国では、東の海に浮かぶ島に不老不死の仙人が住んでいる、という伝説がありました。
徐福は多くの部下とともに船出しましたが、着いた先で仙人を見つけることができませんでした。
戻ったら始皇帝に殺されると思った徐福は、当地で「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、咸陽に戻らなかったそうです。この徐福がたどり着いたのは日本だという説もあります。
不老不死の薬を作れ!
蓬莱山が見つからないので、始皇帝は研究者たちに、人工的に不老不死の薬の研究をさせます。
命令を受けた研究者たちは、必死の研究を重ね「丹薬」なるものを作ります。
これは主に水銀などの重金属を原料にした薬。つまり毒物です。
これを飲んだ始皇帝は毒が身体に廻って死亡。
始皇帝の墓には、始皇帝の棺を囲むように「水銀の川」が流れていたそうです。
これを見る限り、当時の中国人は「水銀」は聖なる薬であって、これが原因で始皇帝が死んだとは考えてなかったぽいですね。
煉丹術の祖・李少君
仙人伝説のある李少君
漢の時代になると、始皇帝を殺した「丹薬」の研究はさらに進み、
「煉丹術」という技術の一分野にまで発展していました。
その煉丹術の祖と言われるのが、李少君という人物。煉丹術によって丹薬を生成し、自分自身仙人になって不老不死を手に入れたそうです。
数百歳だった?
ある宴会で、90歳の老人が李少君と会って話しました。李少君は、
「わたしはあなたの祖父と遊んだことがある」
と言い、老人の記憶どおりのことを言ってみせたそうです。
また、漢の武帝が持っていた古い銅器を見て
「斉の桓公が日ごろ、この銅器を居室においておられたのを見たことがあります」
と言い、実際に刻銘を調べるとその通りだったそうです。
人々は驚き、李少君は数百歳は生きている、と噂しました。
ちなみに李少君はある日衣服のみを残してこつ然と姿を消したそうです。
漢の武帝への上奏文
まあ、上記はある程度作り話だとして、李少君は武帝に不老不死に関する上奏文を上げていることが「史記」に記されています。それによると以下の通りです。
竃(かまど)を祀れば、鬼神が呼び寄せられます。
鬼神を呼び寄せれば、丹砂(硫化水銀)を黄金に変化させられます。
黄金ができ、それで飲食の器を作れば、寿命が伸びましょう。
寿命が伸びれば、海中の蓬莱山にいる仙人にも会えるでしょう。
仙人に会って、封禅の祭りをされれば不死が得られます。
何か論理がよく分かんねえっす…
煉丹術を学問化した魏伯陽
煉丹術と道教・儒教の合体
煉丹術は魏伯陽という人物により、道教と儒教をもって理論化されます。
その書が 周易参同契(しゅうえきさんどうけい)という書物です。
この書物は比喩と暗語だらけで、なかなか理解するのが難しいらしいのですが、
これをきっかけに煉丹術に「道徳的意義付け」がなされていきます。
魏伯陽も仙人だった?
伝説によると、魏伯陽も自分で作った丹薬によって仙人になったらしいです。
魏伯陽と弟子3人は山に籠って研究を重ね、ある日とうとう丹薬を完成させます。
試してみようということで、犬に飲ませたら即死してしまいました。
魏伯陽は勇気を振り絞って飲んでみます。すると即死しました。
弟子の1人は、きっと何か考えがあってのことだろう、と思い飲んでみました。すると即死しました。
残った2人は怖くなって逃げ出します。
しばらくすると、2人と1匹はむくりと起き上がり、仙人となったそうです。
それ仙人じゃなくてゾンビじゃないの…
葛洪によって確立した丹薬の作り方
魏伯陽によって始まった煉丹術の理論化は、葛洪(283-363)によって大成されます。
著作「抱朴子」によると、不老不死を求める神仙道の技術を語り、その中で最も重要なものが煉丹術だと結論づけています。いはく。
我が国には古来より様々な養生法、長生法が存在し、神仙道に取り込まれているが真の不老不死を得た者は1人として存在しない。
理由は1つ、それらでは不老不死の真の答えではないということだ。
真の答えは煉丹術である。丹薬を作って服用することが唯一の不老不死の方法だ。
ただ、丹薬を作るには多くの時間と労力を必要とする。
丹薬ができる前に死なないように、養生法や長生法によって命を長らえることは重要だ。
そして、肝心の葛洪先生による丹薬の作り方は以下の通り。
錫(すず)を鍛えて、幅六寸四分、厚さ一寸二分の板にする
赤塩と灰汁を和えて泥状にし、板に塗り付ける
赤土の釜の中に重ねて置く。錫十斤に対して赤塩四斤の割合である
封をして、縁のところをぴったりを固め、馬糞の火で三十日温める
火を引いて封を開けると、錫の中身は全部灰汁になっていて、その中に豆のようなものができている
これを土の瓶に入れ、炭火とふいごで加熱する
十回鍛錬すると完成する
武器でも作ってんの?ってくらい、ガチな職人技ですね…
こんなん飲んだら身体に悪いに決まってますが、唐の歴代皇帝はこのような丹薬を飲んで死にまくっています。
内丹術の発展
宋の時代に入ると、ようやく丹薬が毒薬だということが分かってきたらしく、
煉丹術は衰退し、代わりに「内丹術」というものが発展します。
煉丹術は丹を外から取り込む、という発想ですが、これは身体に内に丹を作る、という発想。
身体に備わっている「気」を活性化することで身体を若がえらせるものです。
この内丹術は現代の「気功」の源流。
精神修行と肉体修行により本来消耗していく気を再生し、「生」の根源に立ち返ることで究極の生の極みである不老不死に到達する、という理屈です。
まとめ
何で、怪しげな丹薬で歴代皇帝が死にまくってたのに、1000年近くも煉丹術が生き続けたのでしょうね。
それだけ、伝統というものを否定することが困難だったということなのでしょうか。
長年研究されてきたんだし、理論的に確立されてんだし、実際に仙人がいたって話だし、昔の人が実際に飲んでたんだし。みたいな。
いま我々が常識だと思っている事柄も、ほんとうは間違いがいっぱいあるんでしょうね、きっと。