バイラルメディアが何かと話題を呼んだ2014年。ゴミだのクズだの罵詈雑言の雨あられが飛び交う割に、イマイチぱっとした結果も出てなさそうな印象でどこか切なくなった2014年。価値ある何かって出てきたのだろうか。
海外ではこれまでも「バイラルメディアがパねえ」などとその手法がもてはやされてきたが、journalism.ukの記事によると、ハフィントン・ポストUKではその関心は「長文」に移りつつあるようだ。
From viral to longform: Why the Huffington Post has set its sights on long reads | Media news
「速報は記者を『出来事の奴隷』にする」
「2011年からこれまで、私たちが求めていたことのひとつは大量のユーザーを生み出すことで、そしてそれらの多くはバイラルするストーリーを書くことやコメント(会話)によって成された」と話す、ハフポUKの編集長。
「『ロングフォーマット』は成長するだろうと考えているんだ...とりわけUK、選挙を控える中でね」。
彼にとって「速報(Breaking News)」はハフポにとってやるべきことかどうかは、ちょっと疑問符がつくようだ。速報は彼にとって、記者を「出来事の奴隷」にせしめるものだという。それよりは、多くのパブリッシャーにとって「なぜ」「どのようにして」というような、分析的なコンテンツの方が価値があるのではないかと。
コモディティ化する「速報」
この速報と二報モノについて、NewsPicksの佐々木さんが過去に言っていたことが思い出される。
速報性という意味では、我々は通信社や新聞社と戦おうとは思っていません。約100名の記者をベースにした企業記事を、通信社や新聞社に2〜3時間の遅れを取ったとしても、新しいストーリーや分析を加えた記事を掲載したいと考えています。これを「クオリティの高い第2報」と呼んでいます。
(2ページ目)なぜ東洋経済オンラインは4カ月でビジネス誌系サイトNo.1になれた?編集長に聞く | ビジネスジャーナル
速報は既にコモディティ化していて、その役割を見出しづらい環境にある。経済系媒体でもロイター、時事などの通信社、日経がいて、じゃあ速報で勝負する意義ってどこにあるんだろうと考えると...それよりはストーリーを作って「意味付け」した方が価値がある。
速報をやりたがる個人としての気持ちはわかるが、そこに価値があるかというとなかなか難しい昨今だろう。
200文字で説明できない事柄
ハフポUK編集長は、来年やっていきたいものとして2つの記事を例に挙げた。その一つが、ゲイを告白したキリスト教信者のロックスターについての物語だ。
The Christian Rock Star Who Came Out, Became A Gay Role Model And Found Acceptance
この「Beyond Belief(信じられない)」とのシリーズモノの、人について語られた物語がどのようにシェアされているかを見ると、それがバイラルのために片手間に作られたものではないことが分かるだろうと、彼は話す。
また、このような物語形式について、政治的思想(political ideaとは書いてあるが、いわゆる政治以外のことも含まれるだろう)を明らかにする場合の助けにもなると、別の記事を紹介した上で続ける。
「それは200文字で表現できないよね。君はツイートで反応することはできるけど、何を本当に意味しているのか、何について話しているのか、彼らの信念は何なのか、君のグッときたことについては、そんな少ない言葉じゃ表現できないはずだ」。
ハフポ編集長は、長文型の情報消費をサポートするものとして、「immersive(没入)」と「interactive」、「simpler combination of text and images(テキストと画像のシンプルな組み合わせ)」を挙げるが、そのあとに「君が書いているものに『中身』があること、その言葉が強くて意味深いものであること」も同様に大事であると話す。
ハフポUK編集長は上述のように話すが、とはいえこのスマホ時代に「長文」一辺倒で良いかというと、もちろんそうではないだろう。
有名な図として「クオーツ・カーブ」を思い出す。
この哲学に行き着いたのは、トラフィックを分析したところ、デジタルでよく読まれるのは短い記事か長い記事のどちらかだという分析結果を得たからでもあり、700語台の記事は無駄が多いと考えるからでもある。
アメリカで躍進中のビジネスニュースサイト『クオーツ(QUARTZ)』 その編集方針と経営戦略を聞いた | New York Sophisticated | 現代ビジネス [講談社]
上述のように、長文はもちろん読まれないというわけでもない。しかしLivedoorの「ざっくり言うと」が示すように、スキマ時間での使用が目立つ(と思う)環境下では、ただ長文であるだけでは厳しいだろう。
スマホ時代の「ざっくり言うと」って何が大事なの - d_tettu's blog
ハフポでは、長文の序文に「short version」を置いて掲載している。しかし、編集長が言うには、分析によると、ユーザーはそれよりもむしろ本題、文章の全体像を知りたがるようだ。
Livedoorの「ざっくり言うと」も、例えばvingowの要約にしても、ただそれだけが価値を成しているというよりは、本文に入るための--ユーザーがその文章を読むか否かという判断のための--判断材料であることに価値があるのかもしれない。
また「ざっくり」とはちょっと異なる軸として、長文型のコンテンツへの疑問として次のような声も出ていた。
ロング・フォームのメディアは、メディアやってる人間の夢かもしれないが、よりスマホに軸が移る情勢の中では「ちゃんと読まれるか?」という点で疑問。ポリタスやってみて感じたのは、一つ一つは簡潔な文章を、より雑多に読んでもらう、いわゆる訪問別PVの高いメディアの可能性。
— たちぞの まさひこ (@mshk) 2014, 2月 15
BBCのモバイル担当エディターが同じこと言ってたRT @mshk: ロング・フォームのメディアは、メディアやってる人間の夢かもしれないが、よりスマホに軸が移る情勢の中では「ちゃんと読まれるか?」という点で疑問。ポリタスやってみて感じたのは、一つ一つは簡潔な文章を、より雑多に読ん
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 12月 20
「パパッとやってトラフィック稼ぐ」の限界
長文でどうだ、スマホでどうだは別として「片手間で作られたもの」で稼ぐ限界はいずれ来るだろう。
「200文字の限界」が示すように、個人の趣味趣向、思想を表現する手段として、2014年に流行ったようなキュレーション()は限界がある。そして、「パパっとやって」共感を生むような時代は近いうちに終わりが来るのではないかと思う。それはトラフィックを得る手段としては常套句だろうが、じゃあそれによって「グッとくる」体験が得られるかというと、そこまで単純じゃないでしょと。
食傷気味よね。
個人的にも、どこかで見たようなありきたりな文章よりも、「誰が喜ぶねんこれwww」であっても熱量のある尖った文章を尊びたい。多様性万歳。
ちなみに、先週弊社のイベントで @kensuuとKDDIの森岡さんがメディア戦略の話したのですが、けんすうさんは「スマホになって没入感が増す」と本格的な文章の需要が伸びるという予想をしてました。この辺は各社実際にコンテンツ出しながら感覚をアジャストしてる最中だと思いますが。
— たちぞの まさひこ (@mshk) 2014, 12月 20
ついでに。イベント後に @kensuu と @tsuda と森岡さんの食事の席に同席したのですが「原稿料の高いウェブメディアの時代が来る」という話が盛り上がって面白かった。要するに、ちゃんと手をかけたコンテンツをウェブでやるようになる。
— たちぞの まさひこ (@mshk) 2014, 12月 20
個人的にもこの点は激しく同意ではあるのだけど、ウェブメディアがそれを支える収益構造をしているかというとなかなかそれは厳しい。
とりわけ、新聞社やキャリアなどバックのある一部を除いて、このスマホ時代では(広告単価が...泣けちゃう)。
というわけで、2014年にも話題に上がっていたネイティブアドや動画広告が、「長文」の前に本格到来するのではないかと思う。
そこで広告単価を上げて収益性を上げて、「本格的な文章」(比較的高コスト)が供給できるのではないかと。
もちろんそこにはいろんな課題があるのだけど、それらを解決するためにガイドラインなどが整理されたり環境整備が進む...そしてそれと同時並行で「本格的な文章」が試行錯誤される、そんな2015年になるのかもしれない。
ここまで考えてあーくっそなげえ文章になってしまったと思いながら、労働して年越ししたくないなあと空を見上げる。
貴殿らがきゃっきゃうふふして年末を楽しんでいるあいだでにこちらはお仕g)