Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
自分的にはラノベはどうでもいいが、少年倶楽部などの大衆向け少年少女小説を文学史の中に扱ってくれた希有な本として評価したい。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 14:43:38
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
もっとも誤植多し。平田新作、島田宣政って、同じ行の中に出てくる。誰だこの二人はww: 大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために を Amazon でチェック! http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 14:45:42
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
野村胡堂のところも、報知社というのは正しいけど、「銭形平次捕物帖」ではなく「捕物控」では。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために を Amazon でチェック! http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 14:50:27
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
山中峯太郎の項、「名探偵ホームズ」の初出は世界名作探偵文庫として、ここに書かれた1956年の前年1955年から。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 14:52:41
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
峯太郎の処女小説は「陸軍士官学校から陸軍大学校に通うあいだ」ではなく、士官学校在学中の持ち込み原稿。大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 14:58:17
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
「士官学校の同級生で…菊池幽芳」というのは誤り。持ち込み先の大阪朝日新聞の社会部長。陸大在学中は創作は行っていない。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すためにhttp://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 15:00:26
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
「第二革命などに参加し」とあるが、第二革命しか実際には参加していない。「その後退官」ではなく依頼免官。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 15:02:11
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
「この後山中は、雑誌「主婦の友」などで大人向けの小説を書くかたわら」とあるが、大人向けのほうが先。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために を Amazon でチェック! http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 15:03:27
Yuichi Hirayama 平山雄一@ShosoinHirayama
少年倶楽部の立身出世主義についてもうすこし言及があってもいいんじゃなかろうか。:大橋 崇行 の ライトノベルから見た少女/少年小説史: 現代日本の物語文化を見直すために を Amazon でチェック! http://t.co/yGqHfY7CHJ @さんから
2014/12/14 15:05:08
まあ、ツイッターに書いたように、明治時代からの少年少女小説についてきちんとまとめている21世紀では始めての本ではなかろうか。
1970~80年台には「少年倶楽部」世代がリタイアをし始めて、暇と金ができたことから、懐古趣味の一環として「少年倶楽部」の復刻が行われたり、「のらくろ」の復刻版が出たり、「月刊のらくろ」なんて雑誌も出たりした。二上洋一氏など一部には「少年倶楽部」の作品の再評価を試みたこともあったけれども、結局尻すぼみで終わってしまった。あいかわらず児童文学研究界では、「ごんぎつね」だの「少年戦旗」だのといった、あらまほしき児童文学の幻影ばかりを追い求めている。しかし実際に子供の精神世界に影響を与えたのは、彼らが悪書として忌み嫌っていた「少年倶楽部」であり「少年マガジン」であり「コロコロコミック」だったのである。
しかし繰り返しになるが、山中峯太郎のほんの数行の部分だけでも、これだけ間違いがあるということは、他の部分の信頼性を著しく貶めることになってしまう。幸い私は峯太郎について基本的なことを知っているから指摘できたのだけれども、他の作家についてはできない。ではそれが正しいのかというと、峯太郎の部分の怪しさから、正しいと信頼を置くことができないのである。だからこの本を参考文献として研究に使うのはためらわれる。もしこれも峯太郎と同様に間違っていたらどうしようと、不安になってしまう。もしかしたら峯太郎のところだけなのかもしれないが、信頼というものはそんなものだ。著者にはぜひとも再販の際には徹底的な見直しをお願いしたい。