2014-12-20
■コーラの味 『メビウス』

『メビウス』観賞。
少し前に、初めてコーラを飲む少年を大人たちが見守るというCMがあった。「シュワっとして甘い!」と感激する少年に「ほらな!」と言いたげな大人たちがほほ笑むというものだ。確かにコーラは「シュワっとして甘い」。しかし、炭酸水に砂糖を混ぜただけではコーラの味にならないように、コーラは「シュワっとして甘い」だけでは無い。言葉は明確に表現するが、逆に明確では無い部分をばっさりと切り落とす。
「不安」だと言った場合、悪い出来ごとが起こる予感に不安さを抱いているのか、迫る死に恐怖して不安なのか、それとも事態が好転するかもしれない期待を込めた不安なのかもしれない。感情において1つの言葉が表す意味は、複合的な感情の中の、限定された要因の内の一つでしかない。
『メビウス』 精神的に不安定な母親が、夫の浮気を目撃し逆上。腹いせに夫のチンコを切り取ろうとするが抵抗される。八つ当たりで寝ている息子のチンコを切り落とし、口に放り込むと、そのまま失踪してしまうところから映画が始まる。
全編台詞は廃され、登場人物は唸る、もだえる、叫ぶ以外、意味のある言葉を発しない。だからと言って登場人物たちの置かれた状況や心象風景が伝わらないか? といえばむしろ逆だ。
劇伴や環境音、情景や表情、風景などの「映画表現」で、怒り、怯え、屈辱、恐怖、などが綯い交ぜになった、しかしそのドレとも言えない感情を表す。その感情が全身に沁みるように入ってくる。
そこまでならば「表現テクニック」という話にしかならない。別に台詞の無い映画が今まで無かったワケではない。キム・ギドクはさらにその先へ進む。明確さを捨て、曖昧さを取得したことで「今まで誰も感じたことの無い感情の表現」へ挑戦する。
チンコを失った息子。息子を憐れみ自らも去勢した夫。2人の元へ母親が帰ってくる。家族が再び家に集結した時、言葉では言い表わせない、なんとも曰く言い難い、過去の何とも比較出来ない感情が湧きあがる。
面白いのだが、愉快なだけでは無い。悲しいが悲観的なだけでは無い。虚無感はあるが充足もしている。残酷で憎しみに溢れているが、それ以上にやさしい愛もある。感心するが何を得たのかわからない。エロいけれど何に欲情したのか憶測もできない。
『メビウス』は感情を現す全ての言葉のどれにも当てはまらない全く新しい「何か」を体験させる。笑いながら泣きつつ心冷えつつ熱く温かく胸糞は悪く勃起する。