特集1:人の代わりに脳型チップ

機械が人間の強力ライバルに、医者や弁護士を代替へ

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 米IBM社のコンピューター「Watson」がクイズ番組で優勝したのは2011年。続いて2013年4月、コンピューターが将棋の名人に勝った。さらに2013年11月、富士通研究所などが開発した人工頭脳「東ロボくん」が東京大学の模擬入試に挑戦し、中堅私立大学の合格水準に達した。いずれも、機械学習の技術開発が猛烈なスピードで進んでいることの証である。

 では、こうしたコンピューターなら、我々の仕事、特に知的作業の代わりも務まるか。答えは、イエスでありノーだ。まだコンピューターではできない仕事が大半だが、特定の職種に限れば、代替可能になってきた。具体的には、医者の診断の一部や弁護士の一部の作業である。

6万件の論文から独自の知見

 例えば、IBM社は既に、Watsonを一部のガン診断に用いる実証実験をいくつかの病院と協力して進めている(図A-1)。医学者では読み切れないガン研究の膨大な数の論文をWatsonに読ませ、医学者の知識不足を補うことが基本的な狙いだ。「ガンの発生と抑制メカニズムの鍵となっているp53遺伝子に関する論文は、例えば2013年だけで5000件、過去10〜15年では6万件も出ている。それを全部読んでいる医学者はいないが、Watsonならできる」(IBM社 Fellowで、Director, Technology and Operations, IBM Research Accelerated Discovery Lab.のLaura Haas氏)。

図A-1 医者や弁護士の仕事の一部はコンピューターに
IBM社のLaura Haas氏(a)と、同社のSteve Hamm氏(b)、UBICの武田秀樹氏(c)。(d)はUBICのプレディクティブコーディング技術で、弁護士の判断を評価した際の結果。弁護士1や弁護士5が標準的でない判断をしていることが分かるとする。
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 実際には、単なるバックアップ以上の、Watsonがガンに対する新しい知見を発見する効果も期待できる。「Watsonは6万件の論文を読んでガンのモデルを独自に組み立て、医学者が気付かなかったガン発現の兆候にも気付く」(Haas氏)からだ。

 ガン研究以外でIBM社は、例えば健康に良い創作料理のレシピを提案するサービス「Cognitive Cooking」も始めている。

コンピューターが弁護士を評価

 弁護士の仕事の一部を機械学習したコンピューターで代替するサービス「Predictive Coding」を始めるのは、国際訴訟の情報解析を手掛けるUBICだ。UBIC執行役員 最高技術責任者で、行動情報科学研究所 所長の武田秀樹氏によれば、電子メールなどの大量の文献が特定の訴訟と関係があるかどうか判断する仕事は、代替に向いているとする。また、この技術は「標準的な弁護士の判断」を下せるため、人間の弁護士の判断の標準からのズレを測れるという。「過去の訴訟についての判断を評価して、こんな弁護士を雇っていたのかと驚く例がいくつかある」(武田氏)。

タコツボ化した専門家ほど餌食に

 では当面、どのような職業がコンピューターに代替されやすい、あるいは代替されにくいのだろうか(図A-2)。

図A-2 機械で代替しやすい職業としにくい職業
今後の脳型コンピューティング技術で、代替しやすい職業や仕事、および代替しにくい職業や仕事を示した。医者や弁護士などの専門性が高い仕事はむしろ脳型コンピューターによって代替しやすい。
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 現時点でコンピューターの機械学習が得意とするのは、「知識データベースがよく整備され、タスク(作業)を特定できる分野」(日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 ナレッジ・インフラストラクチャ担当 技術理事の武田浩一氏)である。タコツボ的に細分化された分野の専門家ほど代替されやすいといえる。

 逆に苦手なのは、「複数の領域をまたぐような複合的な判断を必要とする仕事」(IBM社 Communications StrategistのSteve Hamm氏)だという。不特定多数の人を相手にするのも苦手だ。ひらめきが必要な画期的発見も難しい。皮肉にも、医療分野であれば最後まで残るのは看護師で、“診断医”はすべてコンピューターに置き換わる。そんな状況が遠くない将来、現実になり得る。

いずれは“高度な戦略立案”も

 各分野でコンピューターの“専門家”が出そろった後はどうなるか。既にIBM社は、既存のコンピューターが苦手とする、複数の分野をまたいで総合的な戦略を立てるといった高度に人間的な能力や、ひらめきによる画期的発見をコンピューターで実現する研究開発に取り組み始めた。前述のIBM社 Accelerated Discovery Lab.がその実行部隊だ。

 目標は大きいが、具体的に取り組み始めているのは、例えば、各専門分野で構築された知識データベースを、独自に統合していく技術の開発である。「各種分野のデータベースは、それが構築された文脈が分からなければそのデータの価値や使い方が分からない。我々は顧客のさまざまな属性情報を調べるプロファイリングなどを駆使して、その文脈を再構築する仕組みを模索している」(IBM社 同Lab.のHaas氏)。

人類史が2045年に終わる?

 この勢いが続くと人間社会はどうなるか。「2045年には機械の知能が人間の知能を凌駕する」と予言するのが未来学者で、米Google社の技術者でもあるRaymond Kurzweil(カーツウェル)氏である。同氏は、米Nuance Communications社という音声認識技術大手の前身となる文字認識技術の会社を1974年に創業したことでも知られる。

 あらゆる分野でコンピューターの知性が人間の知性を上回るようになれば何が起こるか。Kurzweil氏は「それ(2045年)以降のことが人間には予測不可能になる」とする。時代を創るのはコンピューターで、もはや人間ではなくなるからだ。Kurzweil氏は宇宙のブラックホールが、その穴の向こうが見えないことで「特異点(singularity)」と呼ばれるのにちなんで、2045年を「技術的特異点(technological singularity)」と呼ぶ。こうした問題は「2045年問題」とも呼ばれる。

大幅前倒しの可能性も

 Kurzweil氏の予言には批判もある。ムーアの法則のような指数関数的な技術の高度化が2045年まで続くことを前提にしている点だ。

 仮にムーアの法則が2045年まで続くとすると、3次元実装を前提にした製造プロセスは0.4nmと原子数個の寸法になる(図A-3)。これは現実的とはいえない。それどころか、半導体の製造技術はこの数年のうちに物理的限界とコスト上の限界を迎えそうだ。

図A-3 2045年に微細化は原子サイズに
ムーアの法則が2045年まで続いた場合の、微細化の寸法を示した。微細化寸法は0.4nmとなり、炭素原子3〜4個分と同程度となる。

 もっとも、Kurzweil氏はムーアの法則それ自体にこだわってはいない。同氏は、そもそも人類の歴史は石器時代から生産性や技術が指数関数的に増大しており、ムーアの法則もその一部に過ぎないという立場だ。

 一方、脳型コンピューターのような、半導体の微細化だけに頼らない技術の登場で、技術的特異点の到来が遅れるどころかむしろ大幅に早まる可能性が出てきた。「人間並みの脳型コンピューターは2030年には登場する」と予測する脳型コンピューターの研究者もいる。30年後を待たずして「その時」が来るかもしれない。

(野澤 哲生)

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