12月19日の「今日のダーリン」
・どういう状況でも、笑顔でいる人がいる。
よくよく知ったら、その人はたいへんな目にあっていて、
とても明るい笑顔でなんかいられないはずなのに、
それでも、それを心配する人の顔の曇りを
吹き飛ばしてくれるような笑顔を見せてくれる。
そういう人は、たしかにいる。
ぼくは、そういう人のひとりではない。
多少のやせ我慢はできるけれど、
忙しさのなかで、あるいは哀しみのなかで、
しぼんでしまったこころを、そのまま顔に出している。
「そのほうが素直でいいですよ、人間的で」
という考え方があるのもわかっているけれど、
それより憧れるのは、素直より素敵な顔のできる人だ。
できないかもしれないけれど、
そっちの人になれたほうがいいなと思っている。
震災のニュースが絶えず流れてきているとき、
テレビの画面は、深刻な状況に合わせたように、
深刻な表情の人たちを映してきていた。
でも、現地のその場面を想像しながら、ぼくは、
「こんなときでも、しょうもない冗談を言ってて、
奥さんに苦笑されてるおやじとか、
がんばって笑顔を見せながら、
しょうもない冗談を言ってる町会長さんとか、
ちょっとずつはいるんだろうな」
と、期待をこめて思っていた。
後に、東北で被害にあった人たちと知り合って、
やっぱり、そういう人がいたことを知った。
男たち以上に女たちが、笑顔を生産していたようだった。
真剣味が足りないとか、不謹慎だとか思われないように、
気をつけてはいたのだろうが、
どんなことがあっても、笑顔をつくろうとする人はいる。
つらいときに、つらい表情をしているというのは、
その場に立ち止まるということなのかもしれない。
まじめに、視線を足もとに落としているような姿。
笑顔をつくっている人は、顔を上げている。
前なのかどうかはわからないけれど、顔を上げている。
その姿勢に、ぼくは憧れているのかもしれない。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人を生きやすくさせてくれる人。たぶん、笑顔のある人は。
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