むなしさを漂わせながらの幕引き記者会見だった。

 理化学研究所がきのう、STAP(スタップ)細胞の検証実験打ち切りを発表した。

 理研は今年1月、「まったく新しい万能細胞の作製に成功した」と華々しく発表したが、ネット上で不正が発覚し、やがて論文は撤回された。

 理研は、論文に書かれた現象が再現できるかどうかの実験を続けたが、万能性を示す細胞は確認されなかった。「世界的な大発見」は幻と消えた。

 論文の筆頭著者だった研究者は、理研を退職することになった。上司で主要著者の一人だったベテラン研究者の自死を含め、悲痛な1年だった。

 しかし、この騒動をただ無為に終わらせてはならない。重大な失敗から学ぶべきことが多面的に残されている。

 何より、どの研究者も、基本的なルールや倫理を身につけなくてはならない。

 STAP問題の研究者の未熟さを指摘する声は多い。だが、不正が見つかったのは何もこの研究者だけでも、理研だけでもない。東京大の著名な教授など多くの別の不正も近年相次いでいる。個別の人物や研究機関ではなく、研究社会全体の問題として改善を図るべきだ。

 今回の騒動で「研究者をめざす大学院生への指導が変質している」との声が現場からあがった。指導者も院生も成果を急ぐあまり、基本の教育がおろそかになっているという。

 これは政府や研究機関が短期的な論文ばかりで評価し、研究費や処遇を競わせる手法をとってきた副作用だ。行き過ぎを正すべきではないか。

 さらに、科学界と社会とのいびつな関係も照らし出した。

 ゆがみは当初からあった。理研が割烹着(かっぽうぎ)姿の研究者の取材機会を用意するなど、過剰とも思える広報活動を展開した。社会にわかりやすく成果を伝えることが、予算獲得にもつながるからである。

 多くのメディアも若い女性科学者が主役という物語に飛びついた。だが「わかりやすさ」に媒介されて増幅された報道は、不正発覚とともに逆に大きく振れた。朝日新聞を含むメディアにとっても自戒が必要だ。

 第三者が再現できず、論文が撤回された時点で、科学的にはほぼ決着している。世界ではもうほとんど話題にも上らない。

 科学界と社会の間には、科学的な意味合いや冷静さを置き去りにしない、健全なコミュニケーションを築く努力が必要だ。

 各方面で教訓を生かしたい。