ブックショート編集部(以下BS) 中島さんのデビュー作は、田山花袋の『蒲団』をアレンジした小説『FUTON』でした。まずは、この作品についてお伺いできますでしょうか。
中島京子(以下 中島) 『蒲団』は、日本の近代自然主義文学の始まりとなる田山花袋の代表作です。ただ、読んだことのある方はあまり多くはないのかなと思います。
BS そうかもしれませんね。
中島 妻と二人の子供がいる小説家 竹中時雄に若い女学生 芳子が弟子入りを志願してくる。それで時雄の家で預かることになりますが、彼は若い女の子が家にいることが気になって仕方がない。そしてある時、芳子と若い男の遠距離恋愛が発覚する。さらに、その恋人である田中が芳子を追って上京してきてしまい、時雄が悶々とする……というようなお話です。
BS それをどうして新たな小説にしようと思われたんですか。
中島 『蒲団』は、一般的にはあまり可笑しい物語だとは思われていないですけど、私はこの小説を読んですごく可笑しかったんです。恋愛する彼女を、弟子として心配するのではなくて、自分が芳子のことを好きだから悶々とイライラしてしまう三十代半ばの時雄。物語の中に、彼のすごい独白があります。「こんなことになるんだったら、自分が手を出しておけばよかった」と。すごく可笑しいですよね(笑)。
BS たしかに(笑)。
中島 でも一方で、時雄の奥さんの存在は全く見えません。名前すら与えられていない。旧弊な妻に比べ、文学を志している芳子はどんなに新しくていい女か、という時雄の言葉もあって、私は、奥さんはきっと怒っていたんじゃないか、どういう風に時雄を観ていたんだろう、とすごく気になりました。だから、『FUTON』は、そういう妻の視点を描いたんです。
BS 『蒲団』では、奥さんの気持ちがほとんど出てこないんですよね。芳子に彼氏ができたことを知った時雄が、昼間からやけ酒を飲んでトイレで寝てしまう、というようなわかりやすい行動までしているのに。
中島 そうなんです。すごく時雄はわかりやすい。でも『蒲団』では奥さんの心情には触れられていない。あなたいい加減にしなさいよ、というような場面は一切無くて、時雄だけが悶々としていることになっているので、奥さんはどう思っていたんだろう、と想像力が働きました。
BS 『蒲団』では描かれなかった妻の視点。気になったから書いてみた、ということですね。中島さんだけでなくきっと『蒲団』の読者がうっすらと気づいているであろう疑問に答えるわけで、とても面白く読みました。
中島 ありがとうございます。
BS 『FUTON』もだから、下敷きにしている小説があるのでパスティーシュ小説と言えると思うのですが、新刊の『パスティス』は、まさにそれを正面からテーマとした短篇集なんですね。まずはパスティス、そしてパスティーシュという言葉についてご説明いただけますか。
中島 パスティスは、お酒の名前です。アブサンというお酒の製造が禁じられた時代があって、それによく似たお酒ということで作られたそうです。それで、“似せたもの”というイメージがある単語ですけど、その語源を辿っていくと、古代のラテン語のpasticiusという言葉に辿り着きます。pasticiusは、パスタの語源でもあって、要するに、色んなものを混ぜこぜにするという意味のようです。
BS 本の冒頭にも、帯にもじつはちゃんと説明があるんですね。
中島 みなさんふつう、おわかりにならないだろうと思いまして。そして、パスティーシュというのはフランス語で、先行作品を模倣して作る、という作風のことで、この語源もpasticius。だからパスティーシュと語源が同じ『パスティス』を、読んで酔っ払っていただきたいという気持ちも込めてタイトルにしました。パスティーシュ小説集ということです。
BS じつはパスティーシュは、ブックショートの賞の公募テーマなんですね。ということで、本日は『パスティス』に収録されている作品を通して、パスティーシュ小説創作の手法をお伺いできればと思っています。
『パスティス』には、短編が16作品収録されていますが、その中から私なりに手法の違いに注目して、5作品選ばせていただきました。それぞれの作品についてお話を伺っていきたいと思います。
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