先月20日に自民党が在京キー局に「報道の公平中立、公正」を求める手紙を送っていたことが明らかになり、安倍首相のメディアに対する姿勢が議論されている。その後、テレビ朝日系の討論番組「朝まで生テレビ!」に出演予定だった荻上チキが「質問が1つの党に偏り公平性を担保できなくなる」などとして、局側から出演を取り消されていたことが明らかになっている。
はたして、政治との関係におけるメディアの役割とはなんなのだろうか? 自民党からのテレビ局への手紙はどのように捉えるべきなのだろうか? 今後、視聴者としてどんなことに注意すべきだろうか? 当事者である荻上チキが自身がパーソナリティを務める「荻上チキ・Session-22」の中で識者たちと共に考える。
荻上チキ ―番組パーソナリティ/評論家― (以下 チキ)
神保哲生 ―ジャーナリスト― (以下 神保)
砂川浩慶 ―立教大学准教授― (以下 砂川)
木村草太 ―首都大学東京准教授― (以下 木村)
南部広美 ―番組アシスタント― (以下 南部)
@ TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(2014/12/01)
チキ:
「SESSION-22」、TBSラジオをキーステーションに荻上チキと・・・。
南部:
南部広美が生放送でお送りしています。
チキ:
ここからはメインセッション。今夜のテーマはこちらです。
南部:
「選挙報道に注文? 自民党が公平性を求める文書をテレビ局に配布。そこで政治とメディアのあり方を考える」。
自民党が衆議院解散の前日、在京のテレビキー局に対して「選挙時期における報道の公平中立、ならびに公正のお願い」という文書を配布していたことが分かりました。文書の中では、「過去の例として、あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実として認めて誇り、大きな社会問題となった事例も現実にあった」などと指摘。その上で、出演者の発言回数や時間、ゲスト出演者などの選定、テーマ選定を中立・公平にし、街角インタビューや資料映像も一方的な意見に偏ることがないよう求めています。
この文書について、自民党は各社の取材に対して、「報道の自由は尊重するという点はなんら変わりない。報道各社は当然ながら公正な報道を行ってもらえると理解している」と答えています。また、菅官房長官は「政党の立場からすれば、不公平なことがされないよう行動することも重要ではないか」と述べました。また同時に、「政府の立場からすれば、報道の自由、編集権の自由は当然だ」とも強調しています。
一方、この番組のパーソナリティでもある荻上チキは、先週金曜日のテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」 に出演予定でしたが、前日に局側から、「ゲストの質問によっては、中立・公平性が担保できなくなるかもしれない」との説明を受け、出演が急遽取りやめになりました。ちなみに、TBSラジオには自民党からこうした文書は来ていません。
今夜は、当事者でもあるチキさんと、報道の公平性とはなんなのか?政治とメディアの関係はどうあるべきなのか?などについて考えていきたいと思います。
チキ:
はい。あんまりこういった形で当事者ってなるのは不本意ですよね。うーん。なんですけど、元々、こういった「政治とメディア」というテーマでは、こういったタイミングで取り挙げたいなと思っていたんですけれども、自民党から文書が配付されて、それが色んな報道機関で取り挙げられるようになって、で、こうした形で話題になった、と。最初、ウェブメディアのNOBORDER からだったかと思うんですけれども、そこから色んな新聞も取り挙げて、という最中で、各党が報道に対してコメントをするっていうことの持つ意味ってどういうことなのか?っていうことが議論のテーマになっているわけですね。
そうした中で、「朝生」には僕は出られなくなったんですが、これはスタッフの方から説明を受けたところによると、番組側としては出したかったんだけど、テレビ局側としては「考えていた方針と番組作りが合わなかった」ということで、「今回は出演を取りやめてくれ」ということを前日に言われた。だから、「次からはまた出てほしい」ということで、僕が特にNGというわけではなくて、ゲストの方を出すということによって、もしかしたら公平性や中立性が損なわれるかもしれない、というような憂慮があったということで、そうした形式の番組に変えた、というような説明を受けました。
さて、この場合の「中立・公平性」って一体どういうことなのか?っていうことも、また議論したいなというふうに思うわけですね。というわけで、今日は「ディスカッションモード」です。この論点について言いたいことがたくさんあるゲストの方、そして、「是非この方に聞きたいな」というゲストの方、今日、お越しいただいております。
南部:
それでは今日のゲストをご紹介します。まずは、今年10月15日水曜日、「NHK国際放送」についての回にもご出演いただきました、メディア論がご専門、立教大学准教授の砂川浩慶さんです。よろしくお願いいたします。
砂川:
よろしくお願いいたします。
チキ:
よろしくお願いします。
南部:
そして、SESSIONではお馴染みです。ジャーナリストの神保哲生さんです。
神保:
はい。どうも、よろしくお願いします。
一同:
よろしくお願いします。
チキ:
というわけで、まずは、今回配布された文書の内容から紹介していきたいと思うんですけれども、この文書は「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」というタイトルで、平成26年11月20日付けで、在京テレビキー局各社、編成部長、報道局長宛てに、自民党の筆頭副幹事長・萩生田光一氏、報道局長・福井照氏の連名で出されたものです。で、この中で、総選挙に関する報道について次のように記されています。
南部:
公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためてお願い申し上げるのも不遜とは存じますが、これから選挙が行われるまでの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道姿勢にご留意いただきたくお願い申し上げます。
特に、衆議院選挙は短期間であり、報道の内容が選挙の帰趨に大きく影響しかけないことは皆様もご理解いただけるところと存じます。また、過去においては、具体名は差し控えますが、あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実して認めて誇り、大きな社会問題となった事例も現実にあったところです。
従いまして、私どもとしては、
- 出演者の発言回数及び質問等については公平を期していただきたいこと
- ゲスト出演者等の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
- テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中などがないよう公平中立、公正を期していただきたいこと
- 街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
-等についての特段のご配慮をいただきたく、お願い申し上げる次第です。
チキ:
こういった内容の文書です。で、新聞も報じたりもしていますけれども、この内容について、お二人の感想をまず伺っていきたいと思うんですけれども、砂川さん、いかがですか?
砂川:
来るとこまで来ちゃった、と言うかですね、過去、自民党がこういった文書を報道各社に出していることはあるんですけれども、ここまで個別具体的に出てきている、と。
非常に稚拙な感じ、むき出しの権力的な感じ、幼稚な感じさえする
これが、やはり、後ほどの議論になるかもしれませんけど、政権与党という、つまり、政権与党っていうことは行政、当然ですけど、自民党の人が行政の総理大臣をやっているわけですし、そういう政権与党がこういったことを発言して求めるっていうことに対する、非常に稚拙な感じが、つまり、むき出しの権力的な感じですね。個別に、すごく具体的に言っているっていうことに対して、ある種、幼稚な感じさえね。「ここまで細かく言うか?」というところが、非常に意外です。
それから、今回、民放の5社に対してっていうことになってますけれども、NHKは、新聞報道によれば、こういった文書が来てる・来てないっていうことも含めて、取材に答えないって言ってますよね。で、そうすると、NHKって公共放送ですから、それで本当に良いのか?というですね。つまり、じゃあNHKはどうするんだ?というところが、放送っていうことで民放に来てるのは分かったけれども、NHKは「ちゃんとやる」っていうコメントは出していますけれど、そこでNHK自身がなにをちゃんとやるのか?っていうところですね。そもそも、会長さんが安倍総理の肝いりで会長になっているような人が、物議醸している人が会長になっているところで。
チキ:
はい。経営委員の。
砂川:
はい。経営委員プラス会長ですからね。その辺が、非常に今回の、安倍政権以降の一連のある種の流れを、この文章からも感ずるし、テレビ局にとってみれば、やっぱり「脅されている」って感じるのは自然なんだろうなと思いますね。
チキ:
うーん。もしNHKのところにも来ていれば、これはNHKは取り挙げないと公共性の観点からは・・・。
砂川:
反するということですね。
チキ:
それから、過去にも来ていたものよりも一段階進んでいるような感触?
砂川:
はい。具体的ですよね。
チキ:
うーん。神保さんはいかがですか?
神保:
はい。2つのことを考えます。
まず最初にね、結局、言論の自由とか報道の自由って言われるものがとても重要だっていうことはよく言われるんだけど、なぜ重要なのか?っていうことが、どれくらいね、一般に本当に浸透しているか?っていうのは、まず最初に感じる。
つまり、表現の自由とか言論の自由とか報道の自由っていうのは、それが侵害された時に、侵害されたことが市民から・国民から分からくなるっていうところが、これが最も侵害されてはいけない権利だっていうことの1番大事なとこなんですよ。ほかの権利が何か侵害される、と。でも、報道さえしっかりしていれば、「こんなことが起きていますよ」「こんなことが侵害されていますよ」っていうふうに言うことができる。そうれば、「それはおかしいね」っていうこともできるかもしれない。
報道の権利や言論の自由が侵されると、それが侵されてることを知る術がなくなる
だけど、報道の権利や言論の自由というものそのものが侵されてしまうと、それが侵されてるっていうことが分からないわけ、一般の市民に。だから、普通に見てて、「あー、そうなんだー」と思っているけど、実は大事なものが全部落とされているかもしれないということになるでしょ。だから、一段高い、つまり、1番侵されてはいけない権利になって、最上段に来る理由がそうだっていうことが1つね。
それを踏まえた上でもう1コだけ言わしてもらうと、僕はやっぱり日本のメディアっていうのはすごく深刻な問題を幾つかの意味で抱えているんだけど、今回、その弱点が出たところがあります。それはなぜか?っていうとね、こんな手紙が来たって、こんなの蹴飛ばせいいじゃん、普通。「馬鹿じゃないの? なに言ってんの?」って言えば良いわけ。
でも、なぜそう言えないのか?っていうところに問題がある。1つは、日本のメディア、これは新聞もテレビもなんだけど、これは数多くの特権的な地位を享受しちゃってる。で、「それを失いますよ」っていう脅しが効くっていうことなんですね。
チキ:
免許制だっていう。
神保:
免許もそうだし、記者クラブもそうだし、アクセスもそうだし、いっぱいあるわけ。色んなことで特権を受けてる。これは特権事実で全部話せないけど色々あって、そこがメディアにとって弱点なんですよ。それが1つ、と。
チキ:
首根っこを掴まれている。
神保:
うん。で、それと同時に、今回、これは放送局だけでしょ。これは本当に砂川さんが大専門なんだけど、日本の放送局の免許制度が異常なのは、政府から直接免許が出されるようになっている、と。だから、後で出てくるけど、「椿発言」っていうのを安倍さんがわざわざ出してきてね、「こういうことになるよ」っていうことを言える。
でも、常識として、政府というのはテレビ局がチェックしなきゃいけない権力の最たるものなんだから、そこから直接免許を出すっていうのは、先進国ではありえない制度なのね。だから、そこはアメリカのFCC とか幾つかそういう免許を出す第三者機関があるんだけど、通常はそういう形になっていないと、政府がダイレクトに放送に対して手を突っ込んだ時に、放送局はやっぱり弱いわけですよ、その権力に対してね。
チキ:
立場的に。
神保:
逆に、これはやぶ蛇になんなきゃいけない。つまり、こんな制度になってるからこういうことが起きるんだ、と。じゃあ、この制度を、砂川さん、変えましょう、この際っていうのがね。で、戦後直後はあったんですよね?そういう制度がね。
砂川:
そうですね。電波監理委員会っていう。
神保:
それを取り上げたんですよ。GHQから日本制度に戻った時に、政府が最初にやったことの1つがテレビの免許を、政府から直に出すように取り上げたっていう。これは後で砂川さんによく聞いてください。
チキ:
はい。つまり、首根っこを掴むような形に、より強化されたまま、疑問を持たないまま、メディアがやってきてしまったツケが出ている、と。
神保:
だから無視できない。「知るか!こんなの」っていうふうに言えば良いんですよ、こんなのものは、普通は。
チキ:
はい。砂川さんは、政権与党の1つの立場として、権力の側が問題行動を起こしたっていう観点も必要だという話をしていて、神保さんは、メディアの自粛とかも含めて、あるいは、メディアのそもそもの権力との関係構造が疑われなかったことも含めてのツケであるので、今回だけが問題と言うよりは、その問題が一種露呈した、と。
神保:
露呈している。だから、逆に言うと、これを奇貨としてですね、それを改めなくてはいけないっていうふうに議論がなってくれれば良いなと僕は思います。
チキ:
なるほど。今、神保さんからの話にありました、砂川さん、「免許制」っていうものは、どうして今のような形になったんですか?
砂川:
日本の場合はですね、戦後、GHQがかなり自由な、表現の自由に基づいて放送法って出来ているんですね、ベースはね。で、その中で、さっき神保さんが仰った、独立行政委員会って言いますけど、日本で言うと公正取引委員会みたいなイメージで持っといてもらえれば良いんだけど、要するに、公正取引委員会って、なにか、役所の中でも独立性が高いみたいなイメージがあるじゃないですか。ああいう形で、電波監理委員会というですね、アメリカのFCCという、これも独立行政委員会の組織なんですけれども、要するに、国とは一線を画した、独立性の高いものなんですね。
で、日本も、戦後すぐ、GHQが作ったんですけれども、わずか2年とちょっとでですね、「主権回復の日」って去年やってましたよね。で、サンフランシスコ条約で日本が独立国に戻った瞬間に、その独立行政委員会、電波監理委員会っていうのを潰したんですよ。その後、電波監理委員会っていうのが、今の総務省の中の1委員会としては残っているんですけれども、それはあくまでも総務省っていう役所の中の・・・。
戦後にあった「電波監理委員会」を日本政府はすぐに潰した
チキ:
省庁の中の。
神保:
諮問委員会ですよね。
砂川:
そう。1つの諮問委員会なので、そういう意味では、独立性っていうのは担保されていないんですね。で、かつて民主党政権になった時に、そういうことを民主党のほうで、「日本版FCC」というようなものを掲げたことがあったんですけれども、見事に官僚の抵抗にあってですね、換骨奪胎されて、そういう懇談会みたいなものを作ったんですけど、記者クラブ問題に話がすり替わっちゃってですね(笑)、潰されてしまったことがあります。
神保:
砂川さんは「官僚の抵抗」って言ったけど、メディアが抵抗したかどうかは別にして、メディアも積極的に取り挙げようとはしなかったので、世論の支持を受けられなかったっていうのがあります、そこは。
砂川:
それはそうですね。
チキ:
内側から改革もしなかった、ということですよね。これは、免許制ということになると、以前、放送法の時も議論しましたけど、例えば、公共放送ということで、NHKはそれこそ経営委員などが国会の承認を経て送られるということもあるので、じゃあ、本当に国からの独立がされているのか?という議論がありましたよね。
でも、これはNHKだけではなくて、民放においても免許制ということ、そして、検証するような機関というのが国の中にあるということで、やはり首根っこを掴まれている構造は、濃淡はあれど、同じ、と。
砂川:
日本の免許って5年なんですね、放送局の免許は。
チキ:
5年。
砂川:
うん。5年でアメリカとかイギリスの放送局免許っていうのは更新っていう形で、運転免許をチキさんもお持ちだと思いますけれども、運転免許って別に違反してなければ翌年更新できるじゃないですか。アメリカとかイギリスの免許ってそうなんですけど、日本の放送局免許っていうのは、「再び免許」っていう形で、1回更地になっちゃうんですよ。
チキ:
ほー。
南部:
そうなんですか?
砂川:
なので、TBSラジオも実は2018年まで免許を持っているんですけれども、それって、じゃあ、2019年、20年は担保されているの?っていうと、制度的には必ずしもそうじゃないんですよ。
南部:
取り直すっていうことですか?
砂川:
そうそう。取り直さなきゃいけないので、従って、そういう意味では、行政が直接免許を出すという意味でも強いですし、それから、5年後は何かやったら白紙なんだよっていう意味でも、日本の免許制度って行政のほうが強い仕組みを持っているんですね。なので、その免許期間中にあまり変なことをやると、「対抗馬が出てくると争わせるぞ」みたいなことが言える仕組みになっているんですよ、基本的にね。
チキ:
うーん。今回、新聞がテレビの問題を報じた、テレビ局に対する文書の配付を報じたっていう構図になっていますけれども、テレビ局がこれをもらった時にその日に報じないっていうことはなんでなんでしょうかね?
砂川:
やっぱりそこは自分たちがニュース性があるという観点がたぶん欠けているんだと思うんですよね。
チキ:
あー、いつものことだから、ということですか?
砂川:
はい。ある種、ね。それから、メディアはやっぱり自分のことについては報じない傾向は、これはあると思います。だいたい今まででも、今回はインターネットメディアっていうものがひとつ力を発揮したケースだと思いますし、過去で言うと、外国のメディアが報じたことによって、日本のメディアが報じざるを得なくなるとかですね、そういうことがありますので、自分の身内のニュースっていうものを出さないというのが、ある種、慣例化している部分はあるんですね。
身内のニュースを出さないというのが慣例化している
その時に、今回もそうなんですけど、「メディアってなんのためにあるの?」と。権力を監視するっていうのは第一義的な目的なんだから、その観点から見た時に、与党がこういうことを言ってきたよ、と。で、こういうもんが来てるけど、我々はこんなん関係なくちゃんとやるんだっていうことを、逆にニュースバリューがあるっていう判断をやはりテレビ局側が僕はすべきだと思うんですよね。で、そうすることによって信頼を得られるはずなんですね。
チキ:
うーん。直接もらったっていうことによって、例えば、それを報じたら、そこでの関係性が悪くなって、今後、取材がしにくくなるんじゃないか?とか、そうしたことを心配したり、よぎったりっていうのはあるんでしょうかね?
砂川:
現実にあると思いますけど、じゃあ、それってどっちが損をするの?と言えば、今回もそうですけど、こういう文書を出した自民党に対する批判が強いわけじゃないですか。ってことを考えれば、短期的に、そこでもらった・もらわないっていうところの議論ではなくて、そういうことをきちんと報じられるメディアなんだ、と。さっき神保さんも仰っていましたけど、やっぱり1番の罪は「報じないこと」なんですよ。
チキ&南部:
うーん。
砂川:
知らなくなっちゃいますから。我々が知らない状態に置かれちゃうっていうことが1番問題なので、やはりそれを知らせるっためのっていう役割がメディアにあるわけなので、「報じない」っていう罪は深いと思いますよね。
チキ:
そうですねぇ。神保さん、今日は、党首討論が行われて、そちらのほうで神保さんが取材に行かれたと思うんですけど。
神保:
党首討論で、今、自民党からの手紙の紹介があったのは、一応、筆頭副幹事長の萩生田さんの文書ということだったでしょ。ただ、党首討論で、この質問が出て、安倍首相自身がこの手紙について言及しているんですね。要するに、「いちいち自分が指示を出したわけじゃない」と言いつつも、この手紙に書いてあることっていうのを肯定しているんですね。それを再生していただけますか?
安倍首相 (以下 安倍):
まずですね、まず、公平・公正というのは当然のことなんだろうと思います。公平・公正ではなくて、何か思い込みを持って、事実ではない報道をしようということがあればですね、その公平公正というのが、なんか、刺さるんだろう、と。公平・公正にやっている方々は、当然、公平・公正にやっていただいていれば良いんであって。
で、米国はフェアネス・ドクトリン(Fairness Doctrine)がテレビには無いんです。フェアネスではなくて良いんです。自由にやって良いです。しかし、日本は放送法があってフェアネス・ドクトリンというのがありますから、そこは米国とは全然違うんだということは申し上げておきたいと思いますし、やっぱりですね、例えば、例えばですね、その、一方的にある党をおとしめようとしてやっていけばですね、できるわけでありますから、しかし、それは、当然ですね、公平公正にやっていけば、全然問題は無いんだろうと思うわけで。
毎日新聞・倉重篤郎 (以下 倉重):
あれは安倍さんのご意向ですか?
安倍:
いちいち私が(笑)そんな指示はいたしません。党としてそういう考え方でやったんだろうと思いますが、公平・公正にもしやっておられるんであれば、なんの痛痒も感じられないんではないのかな、と。
倉重:
なんでそこを信用できないんですか?
安倍:
今まで、例えば、かつてですね、「椿事件」というのがありましたですね。
倉重:
あれとは違いますよ。
安倍:
いや、でも、ありましたよね。あの時、我が党は、えー、この問題を、かつて、細川政権ができたわけでありますが、あれとこれとは違うじゃなくて、まさに、ああいう問題が起こってはならない、ということも当然あるわけであります。
倉重:
分かりました、はい。
安倍:
「あれとこれ」ではなく、あれこそは、やっぱり、問題じゃないですか。
倉重:
はい。
チキ:
幾つかポイントとなるキーワードが出てきましたね。まず、「日米では違うんだ」「アメリカではドクトリンがあるんだ」と。この辺り、神保さん、どうですか?
神保:
はい。「フェアネス・ドクトリン」はそれこそ砂川さんのご専門なんですけど、アメリカで放送法と言われるものに所謂、フェアネス・ドクトリンというのが1949年から一応入っていたんですね。それが87年に事実上廃止になったんですけど、その中身っていうのが、要するに「honest, equitable, and balance」、「正直で、公平で、バランスのとれた」っていう文言が入っていて、それがアメリカは今もう無くなったんだけれども、それはアメリカの場合は、それこそ多チャンネル化されてメディアの数もいっぱいあるので、少数の、3つぐらいのネットワークしかない時代とは違うから、それぞれみんな自由にやって良いよっていうふうになったっていう、簡単にはそういうことなんだけどね。
チキ:
ええ。カラーを持っても良い、と。
神保:
うん。だけど、日本の場合はまだ放送法の4条で「政治的に公平であることや、報道は事実をまげないこと、それから、対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」っていうのが、一応、放送法4条に入っているのは入っているんです。
ただ、アメリカでもそうなんだけどもね、アメリカはフェアネス・ドクトリンがあった時も、それをどのような形で実際に運用するか?っていうのは、もう全く放送局の裁量に委ねられていて、今ここの手紙にあるように、ゲストの選定がどうのこうのとか、資料映像の使用がどうのこうのなんていうことまで、そのフェアネス・ドクトリンで縛るっていうことは、そもそもフェアネス・ドクトリンが何であるか?を明らかに理解していない、それか、誰かが間違ったことを安倍さんに教えてしまった結果としか思えない。
要するに、ある種、当たり前のことが書いてあるっていうのは安倍さんの通りなんだけど、その中身がこんな細かいところまで、それこそ免許を与える側の与党が、与党がそのままあげてるわけじゃないけど、与党が作っている政府があげている、免許をあげている側である人がね、インタビューの相手とか、街頭インタビューの相手とか、出演者にまで介入するっていうのは、これはホントに異常なことでね、これを各メディア、それから我々ですよね、国民がこれを許しちゃったら、ホントに僕はまずいと思いますね。
チキ:
うーん。それから、先ほどの話の中で言うとですね、「椿事件」っていう話が出てきましたけど、こちらは、砂川さん、いかがですか?
砂川:
これは1993年にですね、先ほど安倍さんのお話にも出ていて、細川連立内閣ができる時に、その時に、テレビ朝日の報道局長が、業界団体の民放連というところの会合で話したと言われたものを、産経新聞がスクープとして報道するんですね。そしたら、わずか20日足らずの間に、テレビ朝日の、当時はもう「元」になるんですけど、報道局長が国会に証人喚問されたっていう事件なんですよ。しかも、そこではそいうことを指示した、つまり、非自民政権ができるような報道をしろと指示したことは無いと、逆に否定しているんですね。
否定しているにも関わらず、まさに1993年の10月に証人喚問になっているんですけど、10月末というのは免許が切れる時だったわけです。なので、自民党は、その時、2人証人喚問をトップバッター、今、それぞれ自民党の重鎮になっている人なんですけどね、が、やられてるんですけれども、ホントに、人格、内心の自由を侵すような、その元・報道局長に対して、「いや、だって、あなた、気持ちで、そうやって、『自民党が負けりゃ良い』と思ってたでしょ」みたいなことを聞いてたりですね。
椿事件により、テレビ朝日は5年の免許が条件付きになった
チキ:
「気持ちで」?
砂川:
国会で、そういうこと、内心の自由に違反するようなことを聞いているわけです。で、現に、その時にテレビ朝日は免許が、この5年の免許っていうのが条件付きになって、1年留保されたようになっているんですよ。
だから、むしろ安倍さんが今回「椿問題」っていうのを出しているっていうのはですね、逆に「国家権力はその気になればテレビ局の免許なんか取り上げられるぞ」という文脈で、僕は、さっきの話を聞きました。やぱり、この人、おっかない人だなぁ(笑)と。
チキ:
安倍さんの意図としては、恐らく、ああいったまずいことテレビ局はやるじゃないかっていう例えだと思っているんだけれども、メディア論としては、そういった政治権力というのがいつでも介入できるよっていうようなことを、しかも、「今回は 選挙期間の時に椿事件を繰り返すかもしれない」ということを言っているっていうことに捉えられるということですよね。うーん。
これ、例えば、そうした報道の要請を各党にするというふうに言った時に、今回は、とはいえ、野党のほうからもですね、報道機関に対してはこういった要請はされているじゃないかっていうような、そうしたことを自民党の方も言っているし、僕もそうしたことは知っているわけですよ。
だけれども、じゃあ、具体的にどの党がどういったことをしているのか?っていうことがいまいち整理されていないので、ここでですね、番組のほうで、「各局に対して文書を配付しましたか?」っていうことを、自民党以外の各党に質問をしています。そちらの回答が集まっていますので、南部さん、紹介をお願いします。
南部:
はい。まずは公明党から回答です。「今回も過去にも出していません」。そして民主党。「こうした文書を配付したことはありません。不公平な報道があった場合の抗議は過去にあります」。維新の党。「出していません」。次世代の党。「出していません」。日本共産党。「配付しました。過去、選挙の際に出したこともあります」。生活の党。「出していません」。社民党。「出していません。過去にも聞いたことがありません」。こういった、各党広報の方からの回答です。
チキ:
はい。で、これ、つまり、日本共産党だけが「出している」というふうに回答してきて、しかも「過去も出している」と。ほかの党は「出していない」というふうに回答しているので、これ、もしほかの党も過去に出していれば、これはこれで1つのニュースになるので、この発言は重要なんですね。
だけど、日本共産党は「過去にも出したことがある」と。だけど、日本共産党はそうした要請をしたタイミングで、いつも、しんぶん赤旗に「こうした要請をしました」っていうことを載せていて、それはどういったことが書かれているのか?というと、今回も11月28日に日本共産党のしんぶん赤旗に書かれているのが2点あって、党首討論を始めとして各党代表の討論においても、各党にちゃんと平等に発言をさせてくれって言ってるのが1点だ、と。それから、争点っていうものが、どっかのものだけが争点かのように語らないでくれ、と。つまり、野党ですから、少ない野党なので、発言の機会が少なくされてしまうんじゃないかということを懸念しているということと、野党なので、政府が設定した論点以外のことも論じてくれっていう要望をしているということになるわけですね。
これの要請をもって、「野党だってやってるじゃないか」って語れるのか?語れないのか?砂川さん、いかがですか?
砂川:
これは語れないと思いますよね(笑)。
チキ:
別ですか?
砂川:
ええ。共産党は、逆に言うと、少数政党として、むしろオープンな形でそういうことをメディアに対して求めているので、やっぱり政権与党がやることとは自ずと違うと思います。で、ほかの政党もですね、そこは歴史の浅い政党もあるので一概には比較ができないと思うんですけどもね。
チキ:
そうですね。今、紹介したら、たしかに歴史は浅い党が多いなっていうことになりますからね。
砂川:
そうですね。だから、民主党も抗議をしたことはあるけれども、逆に言うと、明日、公示日ですけれども、民主党の政権の時代はですね、公示日に、総務省から各放送局に対して、当確の誤報を打つなよっていうことを、民主党政権下では事実関係として言ってないんですけど、自民党はやってるんですよ、必ず。
だから、明日も、これは推測なので外れてしまう可能性もありますけれども、通例通りだと、当確の誤報についてはしないようにというようなことが出てたりするので、自民党政権が持っている、ある種の、メディアに対する規制マインド、規制の気持ち、そこが今回出ているんだと思うんですよね。
チキ:
そうですね。ただ、この場合の「中立、公平性」っていうのは、神保さん、どういうものなんでしょう?
神保:
1つは、今回、与党が公平・中立を要求しているじゃないですか。これは、ちょっと不思議、と言うか、初めての経験なんですよね。要するにね、政権与党というのは、例えば、皆さん、覚えているでしょ? 総理が単独でテレビ朝日以外には全部出演したじゃないですか、横並びでね。
チキ:
ええ。出てましたね。
神保:
解散を打つって決めた後とかに出てくるでしょ。あれも完全に単独ですよね。で、ああいうのをどんどんやられると、これから解散で選挙だっていう時に、それこそ与党あるいは政権側だけの主張だけが世の中に広がっていくじゃないですか。で、「争点はアベノミクスだ」って言ったら、もうそうなっちゃうじやないですか。で、そういう時に野党側が「公平公正な報道をせよ」っていうふうに要求する、つまり、少数野党の常とう句って言うか、自分たちが普段明らかに不利なわけですよね。
政権にいればそこの決定は日本政府の決定になるから、当然露出も多いし、主張する機会も多い、と。なので、そこで普通は野党側が、いざこれから選挙なんだからね、いくら政権とはいえ、もう少しこちら側にもちゃんと時間を割けっていうふうに言うのが今までだったんだけど、今回は与党側が言ってるでしょ。
一方で、与党側というのは政治権限を持っていますよね。野党も質問で嫌がらせする質問とかっていう力はあるんだけども、でも、なんてったって免許の権限とか、ほかに与党側はいっぱい権限を持っている。で、その与党側が要求するのと野党側が要求するのは、もちろん自ずから違うし、しかも、与党は、さっき言ったように、政権という意味で圧倒的に露出を図っているわけですよね。
政権与党は圧倒的に露出を図っている
だって、今こういう時に総理が会見やるって言ったら、選挙中だってやっぱり出さないわけにいかないでしょ。もし選挙と関係ない話で、外交上の何かがあったりしたらね。それから、大臣は週に2回会見を、選挙中であったって、やってるわけでしょ。で、必要であれば、そういうのが全部報道されるという状況があるので、そこは本来は野党側をちゃんと報じないと、選挙の公平公正が保てないっていう話なんですよ、ホントは。
チキ:
ええ。共産党がこういうふうに要望していることをもって、「野党もどっちもどっち」みたいな話ではない、と。
神保:
それは全然違うということですね。
チキ:
それから、報道のそもそもの役割、と言いますか、ルールを書いてある放送法、その役割についても考えなくてはいけないわけですね。後半に、お電話で木村草太さんに繋いで、この辺り、放送法上、どうなっているのか?伺っていきたいと思います。
チキ:
というわけで、砂川さん、神保さん、後半もよろしくお願いします。
一同:
よろしくお願いします。
南部:
リスナーの方からメールをいただいています。ラジオネーム・歌舞伎町から来ましたさん、女性の方です。「自民党が公平性を求める文章をテレビ局に配付とのことですが、なにをもって公平性を測るんでしょうか? 全ての政党、政策について同じ時間、淡々と主張を流せ、ということなんでしょうか? そこから質問や議論に発展していくと偏った報道と見なされるんでしょうか? 本来ならば、そういった議論や質疑応答のやり取りから、隠れていた論点が掘り起こされたり、その政党や個々の政策でやろうとしていることの本質が見えたりするものだと思います。それらは、投票するための判断材料になるはずです。国民には知る権利があります。そして、そもそも、1政党がこのようなことをメディアに対して行うことは憲法上許されることなんでしょうか?」といただきました。
チキ:
うーん。この場合の「1政党が」っていうのが、現政権の与党なのか?例えば、野党で政権についたことがない党なのか?というところでも、またどうなのか?というところも気になる論点ではありますけれども、ここで憲法そして法律の話が出てきました。首都大学東京准教授で憲法学者の木村草太さんにお電話が繋がっておりますので、法律上の論点を伺っていきたいと思います。木村さん、こんばんは。
木村:
こんばんは。木村です。よろしくお願いします。
チキ:
よろしくお願いいたします。
南部:
よろしくお願いいたします。
チキ:
さて、今回の、自民党から出された文章ということなんですけども、放送法それから憲法の論点ということも関わってくると思うんですけれども、木村さんは今回の件はどのようにご覧になっていますか?
木村:
立派な憲法違反で職権乱用、場合によっては業務妨害になるというふうに理解しております。
立派な憲法違反で職権乱用、場合によっては業務妨害
チキ:
憲法違反?
木村:
ええ。違憲だというふうに言ってよろしいと思いますね。
チキ:
それはどういったことでしょうか?
木村:
これは日本放送法違反でもあるんですけれども、先ほどから話題になっていたフェアネス・ドクトリン、放送番組を作る時にこうしなければいけないっていうことが書かれた条文が第4条っていうところにあるんですが、その前に第3条というのがあるんですね。
そこには、放送番組は法律に定める権限、誤報があった場合とかっていうことですが、そういった場合を除く限り、何人からも干渉され、また規律されることがない、と書いてあるんですね。放送番組について干渉してはいけない、ですから、番組のゲストの有り様ですとか街の声の選び方については、これは干渉してはいけないというふうに決められているわけです。
チキ:
はいはいはい、第3条で。
木村:
そうですね。これは憲法の21条の表現の自由、報道の自由の保障を受けて、放送番組に公権力が介入するとは何があっても避けなくてはならないという観点から、こういう条文が作られているわけですね。
チキ:
うーん。なるほど。
木村:
ですから、この法律に違反することは、単に放送法3条違反というだけではなく、憲法21条にも違反するということになります。
チキ:
あー、なるほど。それから、「中立・公平」という論点はいかがですか?
木村:
これは、安倍総理の先ほどの発言は、放送法をかなり曲解されておられるんですが、公平・中立というのは、これは、例えば自民党から見て公平・中立という意味ではなくて、公平・公正をメディアが自立的に判断しなくてはいけない、メディア自身が公平・公正を目指して自立的に判断をしなければいけないという、そういうドクトリンなわけですね。
メディア自身が公平・公正を目指して自立的に判断をしなければいけない
ですから、メディア自身が自立的に、メディアが偏向しようと思って報道してはもちろんいけないんですけれども、メディア自身がなにが公平であり公正であるかを常に考えなくてはいけませんよ、という義務を課したものであって、メディアの外部の人がですね、公平・公正でないっていうようなことを圧力をかけてくる、まして、「国会における証人喚問をするぞ」という恫喝をかけながら圧力をかけるっていうのは、これは明確に放送法の公平を害する行為であるわけです。
チキ:
んー、なるほど。この場合の「公平・公正」っていうのは、例えば、放送法の第4条ですと、「政治的に公平であること」とか、「事実をまげないですること」とか、それから、「風俗を害しないこと」と書かれていますけれども、これは放送事業者が自分たちで考え続けなさいっていうことになるわけですか?
木村:
もちろん、そうですね。政治的公平であることについて、何が政治的公平であるか?については、自民党と共産党と民主党では、それぞれ判断がもちろん違ってくるわけですね。で、その判断について、メディア自身がその自立的な判断主体であるということを定めたのが放送法の4条であって、自民党にとって公平・公正ということで全然ないわけですね。
チキ:
んー、なるほど。今回、たくさん具体的な論点が書かれていましたし、「椿事件」というものが出されてきていましたけれども、これは、例えば、野党の共産党が主張していることと比べて、どういった意味を持つんでしょうか?
木村:
基本的には、国会での権限を持ち得るという点では、それほど変わらないと思って良いと私は思います。ただ、共産党さんの文言って、おそらく、「場合によっては証人喚問するぞ」という文言は無いと思うんですね。
チキ:
そうですね。赤旗に全文載っていますけれども。
木村:
ええ。そういうことは書いていないと思いますし、「そこはお願いします」というお願いにとどまっているのですが、「公平・公正っていうことに反すると証人喚問するぞ」ということを文脈上書いてあるのが萩生田さんたちが書いた文書なわけです。これは非常に問題あって、先程から申し上げていますように、メディア自身が、あるいはメディア内部の倫理委員会のようなところで、公平・公正は判断しなければいけないということですね。
チキ:
なるほど。これから選挙期間に入りまして、報道と中立性とか公平性の役割がより注目されていくと思うんですけれども、木村さん、メディアにおける公平・中立性はこういったものなんだ、だからこういったことに注目してくれ、というのは、最後にいかがですか?
木村:
現状、報道を見ておりますと、公平に反して報道が行われているな、と思われる点がいくつかあります。
例えば、安倍政権が進める経済政策を「アベノミクス」というふうに呼んでしまうこと自体が、これはコラムニストの小田嶋さんが指摘していたことですけれども、そういうふうに「アベノミクス」という用語を使うこと自体が政権に迎合していまっている、経済政策のあり方を正確に伝えないことになるんだっていう指摘をする人もいるわけですね。
あるいは、この前、神保さんの番組で私も指摘させていただいたんですが、今回の解散は憲法違反である可能性があって、違憲ではないか?という論点についての追求があまりされていない、これは明らかに公平に反して意見が表明されていないと思います。
また、放送法違反の業務妨害、職権乱用を平気でやろうとしている衆議院議員を自分の政党の候補の公認して、公認しようとして立候補を認めようとしているということの不適切性について問うてるメディアもほとんどないわけですから、それは、やはり、当然、自民党の選挙担当の人とか総裁に対しては、萩生田さんのような人を本当に公認するんですか?という問いを投げかけなければ公平とは言えないと私は思います。
こういったことがやはりきちんと報道され、論点として提示されていかないと、公平・公正とは言えないんではないかと私は見ています。
チキ:
なるほど。違憲の可能性についてはね、神保さんもこの番組で触れてくれましたね。
木村:
ありがとうございます。
チキ:
先ほど、「文脈上、証人喚問、云々」というのは、「あるテレビ局が」って発言した部分のことですよね?
木村:
もちろん、そうですね。「過去に証人喚問したケースもあるのだぞ」というふうに言われれば、これは文脈上、今回、公平・公正に反するというふうに文書を発した主体が判断すれば、当然そのような制裁が待っているぞ、というふうに、普通は読まれますよね。
チキ:
受け止められる、と。
神保:
今日の討論で、「椿発言」という言葉、あれは安倍さんのほうから出しましたからね。
チキ:
そうですね。「あれのことですか?」ってぶつけたんじゃなくて、「例えばですね」っていうことで出されてましたからね。はい。分かりました。木村さん、いかがですか?
木村:
ですから、これは萩生田さんの問題を超えて、安倍首相自身がこれを承認したということで、安倍首相自身の問題だと考えて良いのではないかというふうに、先ほどのお話を聞いてて、思いました。
チキ:
本人が指示した・指示しない云々ではなくて、そもそも。
木村:
それを追認したので、また、そういう人を公認することになるので、それは安倍首相自身の総裁としての責任問題であると思って良いと思います。
チキ:
分かりました。木村さん、ありがとうございました。
木村:
はい。ありがとうございました。
チキ:
首都大学東京准教授の憲法学者・木村草太さんにお話を伺いました。
さて、記者の方からということで、こんなメールも来ております。
南部:
ラジオネーム・ノッポさんからです。「某新聞社の地方支局で記者をしております。弊社にも公平性を求める文書が届いたことがあるのかは分からないんですが、選挙関連の記事に公平性がないかについてはいつも気を配っています。今回のテーマと直接は関係ないですが、選挙のたびに問題に感じることがあります。全ての候補に名前、住所、経歴、肩書、連絡先、所属、支持政党などなど、決まった書式で記入してもらったり、顔写真やポーズ写真を撮影したり、プロフィールを取材したり、所謂、基本情報を集めなければなりません。また、定番ものの記事も求められます。どこどこの選挙管理委員会がどこどこの選挙事務所が準備に追われるなど、読者にとってどんな意味があるのか分からない記事がしばしば載ります。一方、政党や候補者の実績や公約の検証に注力する余裕はほぼ皆無。こんな選挙報道で良いはずないのですが・・・。こういう選挙報道を読みたい、見たいという声をどんどん挙げてほしいと思います」と。
チキ:
インターネットのほうの記事だと、わりとその辺りが外れているところなので、本当に自由な議論がされているな、と。だけど、そのインターネット空間全体が、じゃあ、例えば、不公平なのか?っていう議論っていうのは、例えば、コラージュとかデモとか流したら、それは不公平だし大問題ということになるんでしょうけど、オピニオンの段階だったらあまり議論にならなかったりしますよね。
と言った時に、今回は僕は「朝生」には出られなかった、これは別に自民党からNGが出たとか、テレ朝が僕のことキライとかじゃなくて、放送形式で議員の方だけでやろうというふうに急遽変わったということになるんですね。
で、これが例えば慣例化していくとなると、こういったものが中立・公平なんだという観点がテレビ局の中で設定されてしまって、これから2週間ぐらいは、政治家の方は政治家同士で出てもらうけれども、ゲストの人が質問しにくくなるということが進めば、それが本当に中立・公平なのか?っていうと僕は疑問なんですけど、神保さん、いかがですか?
神保:
結局ね、これ、例えば放送局や新聞社にしてもそうなんだけど、どれだけ市民社会を信用するか?の問題が、アメリカと比べると、根底にあるんですね。何を言ってるか?っていうと、例えば、放送法、いま木村さんの話もあったけれども、要するに、判断するのは自分たちなんですよ。自分たちでなにがフェアかを判断してフェアな行動をしましたって言えばね、例えば、公職選挙法があって、選挙期間に入った瞬間に、突然、白手袋と後ろ姿しか出なくなるとか、あれ、わけ分かんないでしょ? これからいよいよ選挙のことを考えようと思ったら、情報がとにかく無いわけだからね。あんなことは有り得ない。
どれだけ市民社会を信用するか?の問題
でも、それは、じゃあ、「うちはそんなことしません」と、例えば、当選の可能性がある候補だけで、例えばですよ、きちんとその中身まで追いますということをやったらば、仮にですよ、総務省なり自民党なりがですよ、「この放送局は公正じゃなかったからなんとかだー」って言って手を突っ込んだ時に、そんなことをはたして市民社会が許しますか?っていう問題なんです。で、そんなこと絶対に許しっこないから、できっこないってまだ思えてないっていうことなんですよ。
チキ:
ネットとかだと、むしろ、例えば、「あの報道が政治的に偏向してるから、免許取り上げろ!」っていうことを言う人も結構目立ってますよね。
神保:
そう言っちゃう人もいるけど、いざホントにそういうふうになるか・ならないかっていうことはね、最後の最後は実は政治家が勝手に全部決めて、じゃあ、それでホントにそんなものが通るか・通らないかを決めるのは、ホントは我々・有権者なわけでしょ?
だけど、有権者がそこまで政治に対してちゃんと立ち向かってくれるかどうか?とか、そういうところがもし信用できなければ、政治あるいは与党あるいは総務省の言うことに従っておいたほうが無難だろうっていう判断になるじゃないですか。そこが、所謂、市民社会のレジリアンスみたいなものをまだ信用できていないっていう、その大前提がやっぱりあって。
チキ:
メディアも視聴者を信じきれていない、と。
神保:
信じきれてない。信じきれてないし、それから、もっと言えば、さっきの話に戻って申し訳ないけど、「信じてください」って言えるほどのことをちゃんとやってきているっていう自負がホントにあるのかどうか?新聞にしてもね、テレビにしても、やっぱり色んな時に権力側に阿ってるっていうことをしてきてしまっているとすれば、いざとなったら市民社会はそっちの味方をしてくれないじゃないですか。
チキ:
あんなことあったじゃないか?と。
神保:
だから、そこが1番問われている問題なんだと僕は思うんですよ。そんな法律上そういうことを突っ込めるって言ったら、そんなこと突っ込んだら、例えば日本以外だったらどうなるか?と。一応、公平と自分らは思って、今までの基準とちょっと違う報道をしました、と。そしたら、突然停波になって、チャンネル合わせたら砂嵐が流れるっていうことになった時にね、はたして市民社会はそんなことを許すか?っていうことなんですよ。
だから、最後の最後に問われるのはそこで、僕はメディアは今ホントにここで大きく決めなきゃいけないことがあると思ってて。つまり、これまではホントに少数のメディアがメディア市場を独占していた、と。そこには色んな制約もあったから、なかなか自由な報道云々っていうのは難しいところはあったかもしれない。でも、今や、チキさんも言ったみたいに、ネットも来て、これからはそういう意味では1メディアでしかないわけですよ。
それを、今、どちらかと言うと、彼らはなんとか自分らが持っている特権を抱え込んで、なんとか失わないように頑張ってっていうことで、権力に擦り寄っているところがどうもあるようだ、と。で、そこをやっている限りはこういうことは続いて、こういうことをやられると、結局は「スイマセン」っていうことをし続けなきゃいけなくなって、どんどんどんどん信用を失ってしまう可能性がある、と。
メディアが自らの身を清めることができるか、ギリギリのところ
今、もうホントに、これ、ギリギリですよ。これを受け入れたら、申し訳ないけど、ちょっとジャーナリズムと言えなくなりますね。だから、今、ギリギリのところなんですよ。ここでこんなのは蹴飛ばせるような状態に、自分たちの身を清めるって言うとちょっと変な言い方なんだけど、できるかどうかがいま問われている、ギリギリのところだと僕は思います。
チキ:
短期的に、と言うか、直近では、当然、政党つまり与党としての表れ方・動き方っていうのが問われる案件ではあるけれども、同時に、メディアが自粛するのか?とか、それに対してどうして答えるのか?っていうことが問われる案件でもあるけれども、ただ、同時に、そもそものメディアのこの数十年間の歩みとか、それから、市民がそれとどう付き合っていくのか?とか、トータルで問われている案件なんだっていう視点を実は多くの人たちが共有しなくてはいけない。それを共有するためには、でも、これ、テレビが報じないと・・・。
神保:
メディアがそれをちゃんと報じなるようにならなきゃいけない。
チキ:
うーん。新聞は、今回、報じてますけれどもね。
神保:
そこがやっぱり「報じないこと」の怖さなんですよ。よく僕らがうちのVideo News の番組で「カギのかかった箱の中のカギ問題」ってメディア問題を言うんですね。ようは、カギが中に入ったまま閉めちゃってるっていうのがメディアの状態だから、そのカギをどうやって開けるのか?っていうと、メディアが開かないとそれを開かない、みたいな、どっちが先か?みたいになってるでしょ? でも、それはメディア側から変わんないことには絶対無理なんです。
メディア問題は「カギのかかった箱の中のカギ問題」
なので、これは実はメディアに突き付けられた、もちろん、有権者も「こんなことがあった」っていうことは我々はよく知った上で投票行動とかを考えなきゃいけないんですよ。でも、やっぱり、これはメディアにもあいくちが突きつけられている状態だと僕はやっぱり思います、今回は。
チキ:
そうですね。
各党が答えてくれた、配ったか?配ってないか?ってやつは、あとで、インターネット上にまた載せておきます ので、これからの議論の参考にしていただきたいと思います。
砂川さん、これから注意すべき点はなんでしょうか?
砂川:
やっぱりですね、例の「朝生」の出演の問題で、僕、共同通信から取材を受けて、その時コメントしたのが、一般の人から見るとね、どうしても、自民党がこういう文書を出すとやっぱりテレビ朝日は自粛しちゃうんだっていうふうに外見的に見られてしまう。
チキ:
時期的に重なりましたからね。
砂川:
そうそうそうそう。だから、内実がどうかは別にして、そうやって外形的に言われてしまえば、メディアって与党から言われると腰砕けになっちゃうんだねって、そう見られてしまうっていうことをメディアが自覚しないといけないと思うんですよね。
チキ:
うーん。信頼性の問題ですね。
砂川:
そうです、そうです。だから、自主自立っていう形で、きちっと自分たちの立ち位置は自分たちが決めるんだっていうことを、一般の視聴者とかリスナーとかに示していかないと、それは信頼されないですよね。そこが1番問題だと思うんだよね。
神保:
公平・公正に報じられているかどうかを決めるのは、実は政権与党ではなくて、国民なんですね、最終的には。だから、その目で見た時に何が公平・公正か? で、それをきちんと満たしていればね、それで不都合な人たちは色々文句を言うだろうけども、そんなものは怖くはないわけですよ。
でも、それはやはり見る側もあるいは読む側も、何が公平・公正なのか?っていうことに対して、これまでは、申し訳ないけど幼稚な、同じ時間枠をやれば良いとか、顔を出さずに後ろ姿を撮れば良いとか、ちょっと先進国の選挙報道としてはあまりにも情けない、と言うか、お粗末なものを平気で・・・。
最終的に、公平・公正に報じられているかどうかを決めるのは、国民。
チキ:
形式的な。
神保:
そうそう。流されてきちゃってるわけですね。で、それから我々も、視聴者・読者としても、卒業と言うか脱却しなきゃいけないとは思います。
チキ:
そうですね。これを機に、新聞などが今回報じたことの先にどう進むのか?テレビも含めてですね、この番組も。
南部:
今夜はスタジオに立教大学准教授の砂川浩慶さん、そしてジャーナリストの神保哲生にお越しいただきました。ありがとうございました。
一同:
ありがとうございました。
自民党が各テレビ局に手紙を送った件は、それ自体の問題と共に、過去・現在・未来の「政治とメディア」の関係を語る上での良い材料です。我々ひとりひとりに求められることは、メディア報道を鵜呑みにしないことでしょう。テレビで言っていたから、新聞に載っていたから、それだけで信頼できるのではない、また、言っていなかったこと、載っていなかったことにこそ真実があり得る、ということです。私もそのことを常に念頭に置いておきたいと思います。(編集部)
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