シロクマの屑籠 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-12-18

なんだよ、グローバルエリートって躁状態なのか?

 

 グローバルエリートはみんな実践! 来年から絶対に身につけたい早起きの習慣と朝の時間の活用法 - この世の果てブログ

 

 「デマこいてんじゃねぇ!」

 リンク先の文書を読んで思わず叫んでしまった。

 

 リンク先の書き手はグローバルエリートを自称し、“早朝ライフハック”を「グローバルエリートはみんな実践!」と書きたてている。

 

 内容がとんでもない。起床してからのストレッチや体重測定ぐらいならともかく、

  

 ライフログをつけろ、

 熱いシャワーを浴びろ、

 早朝ランニングをやれ、

 瞑想しろ、

 新聞を読め、

 twitterfacebookをやれ……

 

 あげくの果てには、“ブログを書け”“書籍を執筆しろ”と来たもんだ。

 

 ひとつひとつとってみれば、エリートがやっていても不思議ではないものが並んでいる。だが全部繋げれば「おまえのようなグローバルエリートがいるか」と言わざるを得ない。朝も早くからこんなに動き回っていれば、働く段になってヘトヘトになってしまうだろう。

 

 記事後半に「その日のバイトのシフトが遅番の時は、この後寝る。」と書いてあるので、もちろん筆者はグローバルエリートではなさそうだが、どちらにせよ長々しい“朝のお勤め”をやってからではマトモに働けまい。

 

 まあ、ブログにアフィリエイトをベタベタ貼り付けるための方便だと言ってしまえばそれまでだが、実践しているわけでもない“ライフハック”を、よもや、アフィリエイトのために貼り付けて憚らないブロガーがいるとは俄かには信じがたい*1。それとも私の知らぬ間に、ブログ世界とは、自分が実践する気すらない“ライフハック”を書き散らして小遣いを稼ぐ場になってしまったのだろうか?

 

 話を戻そう。

 

 件の記事を読んで私が連想したのは、「躁状態で早朝覚醒した人の行動」だ。躁状態、特に上機嫌な躁状態の人が早朝に目を覚ました時には、このようなハイパーアクティビティを呈することが多い。大抵の場合、生活リズムとして安定しているわけではなく、やる事にも一貫性を欠いているが、たまに、躁状態の間じゅうきっちり持続するケースもある。

 

 躁状態の人は疲れを知らない。肉体の疲れも神経の疲れも自覚しにくくなっているため、どんなに無茶でも“自分は精力的だ”“自分は人一倍よくできている”としか自覚しない。周囲の人が心配しても聴く耳を持たず、セルフコントロールも利きにくい。「躁うつ病」という疾患名が象徴しているように、だから、躁状態が続いた後には抑うつ状態がやって来ることが多い。

 

 そんなわけで、精神科医の視点からみれば、リンク先のような“ライフハック”を「グローバルエリートはみんな実践!」などとふかしているのをみると、何書いてるんだコノヤロー!と反発を覚えずにはいられない。本気か悪い冗談か知らないが、この手の記事を読んで本気で「なるほど」とか思っちゃう人もいるかもしれないので、やめて欲しいなぁ、と思った。

 

 

……でも、エリートや実業家って、躁っぽいかも。

 

 ただ、全部が全部デタラメと言い切れないところはある。

 

 そういえば、エリートな人達や実業家の人達って躁状態っぽい人が多いのではないか?控えめに言っても、とんでもないバイタリティを持っている人、ハイパーアクティビティと呼ばざるを得ないような活動性と精力性をみせつけてやまない人は珍しくない。一貫性や計画性を欠いた粗雑な躁状態は皆無としても、精緻をきわめた躁状態・セルフコントロールの利いている軽躁状態と比喩したくなるような御仁は案外いる。

 

 実際、精神科臨床の世界でも、クリエイターや実業家として活躍している人物が(あまり致命的ではない)躁うつ病に罹っている……的な症例にお目にかかることがある。決定的な躁状態や抑うつ状態になってしまえばアウトとしても、その手前の段階でコントロールが利いているぶんには精力的で創造性に溢れた人物を、どこの精神科医も一度ならず診たことがあるのではないだろうか。

 

 そして社会の側もまた、そういうハイパーアクティビティを実業家やエリートに求めている。

 

 太陽が昇れば働き、日の入りとともに休む……という太古の生活リズムは失われて久しい。優れた能力の人物・指導力を発揮しなければならない人物は昼も夜も働くことを期待されている。エリートや実業家に対し、社会は躁状態は求めているわけではないが、ハイパーアクティビティは求めている。躁状態についてまわりがちなアイデアの奔流も期待しているかもしれない。

 

 それどころか、ともすれば普通の労働者にも「昼も夜も休みなく働く能力」「単位時間あたり最大限のアウトプットができる能力」をどこか期待しているふしさえある。それでいて、躁状態にも抑うつ状態にもならずにうまくやっていかなければならないとは!

 

 私は、躁状態なんてロクなものじゃないと思うし、ハイパーアクティビティを強いられる生活なんて不健康きわまりないと思っている。端的に言って、メンタルヘルスの敵だ。ところが、社会が現代人に要請する理想の人間像とは、案外、冒頭の“ライフハック”が象徴しているような疲れを知らない超人のような気がするのだ。

 

 誰もが超人になれるならそれも良い。しかし人間はどこまでも人間で、無理なハイパーアクティビティには必ず代償が伴うものだ――それこそ躁状態の後の抑うつ状態のように。もっと社会からの要請が緩和されないものだろうか?もっとゆっくりと生きられないものだろうか?師走の慌ただしさを眺めるにつけても、これじゃあ皆疲れちゃうよね、と思った。

 

*1:しかし、後述するように、実践していたらしていたで、それも怖い。筆者自身が躁状態になっているかもしれないと勘繰りたくなる。

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