74話「白玉楼のお嬢様」
広い屋敷の中を、紫は勝手知ったる他人の家とばかりに迷いなく歩いて行く。確か友人の家と言っていたが、何者なのか気になる。
甲羅は軒先に置いてきた。
「そもそも俺はどうしてここに連れてこられたんだ?」
「その方が面白そうだからよ」
意味がわからないが、俺はこの正体の知れない妖怪に気に入られたらしい。
「あなたの存在の境界はとても歪な形をしている。様々な存在が混じり合い、境界そのものが曖昧になっている。いえ、境界が壊れかけていると言った方がいいかしら」
確かに俺は色々な妖怪の妖力を取り込んできた。しかも、その性質を得ている。ただ他の妖怪を食べただけでは、その妖力の性質を取り込むことはできない。それは自己の妖力の性質を変えてしまうことであり、妖怪のアイデンティティに多大な影響を及ぼす。肉体が精神と密接に関係する妖怪にとって、それはある意味、自己を脅かす脅威である。しかし、他種族の妖力の性質の取り込みは珍しいことだが、まったくありえない事例ではない。
紫が言うには、俺の自己意識を包み込む外殻となる“境界”が大きく傷ついているのだそうだ。普通なら精神崩壊を起こし、存在が消滅してしまいかねないほどの損傷だという。人間で例えるなら、腹を切り開いて内臓を外気に晒したまま生活し続けるような危険を通り越した狂気の状態だ。なぜ、消滅せずに存在を保っていられるのか不思議でならないという。
「と言われても、まあ、心当たりはあるが、なんとなく大丈夫なんだとしか言いようがない」
十中八九、妖力過活性化電波の影響である。狂気によって精神が冒され、妖力が体の中で暴れまわれば無事で済むはずがない。過活性化は強力なパワーを生み出すが、それ以上に肉体への害が強いのだ。言うなれば、無限に増殖しようとする癌細胞。それは正常な細胞までをも傷つけて、どんどん増殖していく。
俺が完全に狂気に飲み込まれてしまえば、あっけなく消滅してしまうだろう。だが、今のところは何とか持ちこたえている。妖力は妖怪の肉体の構成要素であると同時に精神の構成要素でもある。精神を強く持ち、“正気”を維持し続けられる限りはこの浸食に耐えられるのだ。
「私は“曖昧なもの”、“不確定なもの”、“混沌としたもの”が好きなのよ。だから、一目見たときからあなたに興味がわいたわ。とても素敵よ」
「褒められても嬉しかねーよ」
こいつの目は俺のことを単なる観察対象としか見ていない。面白いおもちゃが手に入った程度の感情しかないのだろう。逆にこの会って間もない時間のうちに、それ以上の関係を築けるはずがないというものだ。俺も利害が一致したからこそ、こいつに手を貸してやるにやぶさかではないのであって、それ以上の信頼など持ち合わせていない。
「失礼するわ」
紫はある一室の前で止まると、一声かけて襖を開ける。後に続いて部屋に入ると、中には一人の妖怪がいた。いや、亡霊だろうか。俺が見たことがある亡霊は人型の姿にもなれない低級のものばかりだったので、ここまで完全な人型をした亡霊は見たことがなかった。
人間が“あやかしもの”に変化するパターンとして最も多いものが亡霊である。死に至るほど衰弱した人間は体内の霊力の活動がほとんどストップする。その状態のとき強い負の感情を抱いたままだと、妖力を引きつけてしまう。結果的にこの世に強い未練を残した人間は、死と同時に悪霊と化してしまうのだ。
獣が長生きした末に妖怪化したり、恐怖の概念そのものが顕在化して妖怪化したり、あとはツクモガミなどといったケースでは、長い年月の間に妖力をためた結果として妖怪となる。そのため、よほど強い怨念を持つ霊でない限り、妖力的に亡霊に劣るものはほとんどいない。だが、目の前にいるこの亡霊はそう言った“にわか亡霊”とは格が違うとわかる。大妖怪に匹敵するほどの妖力を感じた。
「あら、紫じゃない。今日は変わったお客人を連れてきたのね」
「紹介するわ。彼女がこの白玉楼の主、西行寺幽々子よ」
全体的に青色をした着物調のドレスを着ており、ナイトキャップのような変わった帽子をかぶっていた。これと同じようなものを紫もかぶっている。流行りなのだろうか。幽々子のものには、三角巾がついていて、そこにぐるぐるうずまきが描かれていた。妖怪には変わったファッションをたしなむ者が多い。髪の色はピンク。大人びた容姿の美しい少女である。
「おっす、オラ葉裏! よろしくな!」
「今度の戦いに参加してもらうことになったから」
紹介されたということは、この幽々子という亡霊も月面戦争の関係者と見ていいだろう。
幽々子は俺の顔をじっと見つめてくる。なんすか。もしかして、一目ぼれとか。
「あなた、今にも死にそうだけど、大丈夫?」
「たぶんね!」
そんなことはなかった。しかし、こいつらはズバズバと俺のデリケートな話題に遠慮なく踏み込んできやがる。
「……とても濃い死のにおいがする。普通ならもう死んでもおかしくないけれど、あなたの“生き意地の悪さ”が、なんとか存在が散らばらないようにかき集めているのね。何か能力を使っているの?」
「ん? いや、特に意識はしていないけど」
ひどい言い様だな。しかし、“存在をかき集める”か。もしかしたら、俺は無意識に『注目を集める程度の能力』を使っているのかもしれない。俺自身の注目を俺のもっとも理性的な部分、“正気”に目を向けさせることで、狂気から目をそらしているのか。
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