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東方――亀兎木―― 作者:緑野ボタン4号

71話「対極思考」

 
 杯を傾ける。さすが鬼の酒は度が強い。息が燃えるようだ。だが、うまい。この味は人間には創れないだろう。
 宴は楽しく進行し、そして終わろうとしている。俺と白蓮以外の連中は酔いつぶれて眠ってしまったようだ。毒気には強いと自負のある俺の体は、やはり酒にも強いようである。さっきまで、すっかりできあがった雲山が裸踊りをしてふざけていたのだが、酔いすぎて倒れてしまった。それを注意していた一輪も、もういない。
 酒を飲みながら月を見る。今夜はおぼろ月だ。いや、少々雲が多いな。きれいな月夜ではない。それだけが残念だった。

 「……みんなもう寝ちまったかい?」

 「はい、そのようです」

 潰れた奴らを布団に運んでいた白蓮がもどってきた。俺もナズーリンと寅丸を、さっき寝室に運んだ。泥酔した二人はちょっとやそっとのことでは目を覚まさない。こんな機会は滅多にないので、思う存分イタズラさせてもらった。あいつら、明日起きたらびっくりするだろうなあ。くくく。

 「また何か、よからぬことを企んでいるのですか?」

 「内緒だよ」

 俺と白蓮は縁側に腰をおろして酒盛りを再開する。白蓮もいける口のようだ。ほんのり頬が赤くなっているが、まだ酔った様子はない。
 静かな酒の席だった。今まで喧騒が嘘のようになりを潜めている。しかし、居心地は悪くなかった。

 「葉裏さん」

 「なんだ?」

 「葉裏さんがここに来て、しばらく経ちますね」

 「そうだな」

 「寺のみなさんと仲良くしてくれて、ありがとうございます」

 「別に礼を言われるようなことをした覚えはないが」

 「……実は、葉裏さんと最初に会ったときは、こんなにうまくいくとは思っていませんでした」

 うまくいく、というのは俺が問題を起こさなかったということか。確かに俺は見た目からして優等生には見えないからな。実際、ささいな悪戯なら何度もやったわけで。

 「葉裏さんはどうして妖術を学ぼうと思ったのですか?」

 「最初に言っただろ。強くなるためだ」

 「どうして、強くなりたいのですか?」

 「……」

 どう答えたものか。おそらく、適当にごまかすのが利口なやり方だ。正直に話したところで、その答えに白蓮は良い反応などしないだろう。だからと言って俺の考えが変わるでもなし。こういうときは嘘をつくのが一番だ。

 「復讐したいんだ」

 だが、俺は正直に答えた。偽らざる本音。このことに関して、俺はあまり嘘をつきたくなかった。そして、白蓮はすでに気づいている。俺が正気じゃないってことに。

 「そう、ですか」

 「わかってたんだろ? 俺がそういう奴だってことは」

 「初めて会ったときから、あなたの心の闇を感じていました。とても、大きな闇です。私の力では、あなたを救うことは難しい。だからこの寺でともに暮らすことを提案したのです」

 この寺のみんなは俺を受け入れてくれた。それは、ありがたいことだ。みんな気の良い連中で、その輪にまじって馬鹿をやることは楽しかった。
 だが、所詮は気晴らし。俺の根底にある感情は、どうやったって塗りつぶせない。このぬるま湯に浸るような生活が憎らしい。今でもなお、夜になるとあの夢を見る。月を見ると思いだす。全部壊したくなる。ゲロゲロゲロゲロ。
 俺は一日だって、あの女のことを忘れたことはないのだ。

 「その妄念が良い結果を生むことはありません」

 「俺は力が欲しい。俺の望みをかなえるために必要なんだ。これはもうどうしようもない」

 どうしようもない。残酷なことに。
 だが、白蓮は首を振る。

 「いいえ、そんなことはありません。私がそうだったように、あなたも変わることができるはずです」

 * * *

 白蓮には弟がいた。名は聖命蓮。高い霊力を持ち、法力を用いて多くの人々を災いから救った。しかし、権力にも財にも頓着せず、誠実を絵にかいたような人間だ。たくさんの人に慕われ、そして死んだ。
 白蓮はそれからというもの、死ぬことを極端に恐れるようになる。死から逃れる術を探すことに明け暮れた。ついには僧の身でありながら、自分の霊力を封じて妖術に手を出した。若返りの妖術を維持し続けるために、妖怪に加担して、その妖力をわけてもらう。
 駆逐するべき敵である妖怪に、あろうことかその退治の専門家である僧が手助けをしたのだ。

 「あのころの私は、破滅する寸前まで追い込まれていました。あのまま考えを変えることなく進んでいれば、間違いなく妄念にとらわれた哀れな妖怪へと姿を変えていたでしょう」

 白蓮は自分の欲のために妖怪を助けた。だが、彼女を頼ってくる妖怪たちを助けるうちに、考えを改める。人間に恐れられ、退治されるべきだと思っていた妖怪たちが、藁にもすがる思いで白蓮に救いを求める。その姿は力ない人間たちと何も変わらない。みな等しく弱者なのだ。

 「妖怪は人間よりも強い。ですが、その強さが何になるというのでしょう。人間も同じです。どんなにお金を持っていても、どんなに権力を持っていても、それにすがる限り、いつか絶望するときが来るのです」

 それは唐突に理不尽に、生きていれば必ず訪れる。生きることへのとめどない欲望が遮られ、満たされなくなったとき、その者は死の恐怖にとらわれる。人であろうと妖怪であろうと、この恐怖を覚えることに変わりはない。
 だから、欲を捨てるのだ。そのとき、白蓮は自分が僧である意味を見出した。己のためにではなく、他者のためにすべてを捧げると。
 白蓮は不老長寿の術を覚えるべく、飛倉の力を使って魔界への扉を開いた。そのときの彼女は若返りの妖術という禁忌に触れた代償として、妖力なしでは生きられない体になっていた。今までのように妖怪たちに見返りを求めて妖力をもらうことを拒絶した彼女は、自分のすべての過ちを受け入れ、そしてそれを乗り越えるために修行へ出た。そして、魔法の力を得た白蓮は人と妖怪をともに救う寺として、命蓮寺を開山したのである。

 「誰しもが何かを信じます。暴力が一番だと信じる者、お金が一番だと信じる者、権力が一番だと信じる者。そして、その信じた何かに裏切られて絶望します。暴力も財力も権力も、より強大な力ある者を前にしたとき、何もかも否定されて信じられなくなってしまいます」

 我欲を信じるがゆえに、それに裏切られて絶望する。それは白蓮がとらわれていた死への恐怖も同じことだ。白蓮が出した答えとは、欲を捨て、他者のために差別することなく尽くすこと。まさに仏の教えが差し示すあり方だったのだ。

 「私は魔道に堕ち、不老長寿という人の枠を超える存在となりました。非難されてもおかしくありません。ですが、後悔はしていません。私にとっては、この方法こそ“八苦”を捨てるために必要なことだと思っています」

 「生」「老」「病」「死」の四苦。家族と別れる苦しみである「愛別離苦」、憎む人に会う苦しみである「怨憎会苦」、求めるものが得られない苦しみである「求不得苦」、すべての存在を構成する五つの要素である五蘊に執着することで生じる苦しみである「五陰盛苦」の四苦。これらを合わせて八苦という。

 「なるほどね」

 白蓮の昔語りを聞き終えた俺は、杯を置いた。白蓮にはそういう過去があったのか。だから人も妖怪も神も仏もみな平等なんて思想を持っているわけだ。つまり、白蓮は俺にこう言いたいのだろう。
 憎しみは何も生まない。欲を捨てて他人のために尽くせ。この寺には笑い合える仲間がいる。お前はもう悩まなくていいんだと。

 「くだらねえ」

 白蓮には白蓮の、俺には俺の過去がある。それを否定する気はない。絶対平等主義だか何だか知らないが、そう思いたければそれでいいだろうさ。

 「俺は頭が悪いから、あんたみたいに理路整然と自分の考えを言うことはできそうにない。あんたの思想を論破できるとも思わない。でもな、これだけは俺にも言える」

 俺は、生きてんだよ。
 この胸の中で赤々と燃える腐った憎悪をお前に見せてやりたい。これが俺の命の炎なんだ。お前にだってあるんだろ。なんでそれを否定するんだ。それが燃えてるから、お前はここにいるんじゃないのか。難しく考えるな。それはとんだ自己欺瞞だぜ。

 「お前は八苦を捨てたと言ったな。俺は逆に、その八苦にしがみついてる」

 むしろ、それが原動力じゃないか。俺が生きている証だ。俺は白蓮が気に入らない。だって、こいつの考え方は俺と真逆だ。

 「他人のためにすべてを捧げるだって? その結末は何よりも悲惨だぜ。それこそ、お前は裏切られる。力や金や権力よりも、よっぽど明快だ。自分が信じた他人に裏切られ、絶望する。違うか?」

 人と妖怪をともに受け入れる寺なんて茶番がいつまでも続くわけがない。現にこのことは人間に隠している。今まで白蓮のことを慕っていた人間たちは、てのひらを返したように白蓮を追及するだろう。他人のために尽くした結果がそれだ。何一つ報われることなんかない。

 「……いいえ、それも違います。私が信じているものは、他者への愛なのです。たとえ裏切られようとも、この愛ならば私は信じ続けることができるでしょう」

 だったらそれが、お前の炎なんじゃねえのかなあ。

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