69話「成果発表」
夏に海に行った記憶が懐かしい。あれから一月弱は経っただろうか。すっかり過ごしやすい空気になった。山の木々はほんのりと葉を黄色く染めつつある。もう少しで季節は秋だ。
俺の妖術符の習得は、難航している。難しいことを考えると頭が痛くなってしまう。だが、それでも俺は少しずつだが前進していた。覚えが悪いなりに頑張っている。白蓮も根気強く俺に何度も教えてくれるので助かる。
「よし、できた……」
そして今日、俺はようやく自作の妖術符第一号を完成させた。喜びはひとしおだ。この寺に来た当初は不可能だと思っていた。あの難解な術式を何とか理解し、形にすることができたのである。
「よっしゃー! 完成だぜええ!」
「やりましたね、葉裏さん」
白蓮も祝福してくれた。さっそく、俺は完成した妖術符を使ってみることにする。
今回、俺が作りあげた符は、念話の術式が込められたものだ。というか、俺には念話の術式しかまだ理解できない。念話は俺が最初に使った妖術だ。その仕組みくらいは何とか覚えられた。言いかえると、俺は自分が使える術をわざわざ術式化して符に込めたにすぎない。しかし、客観的な術式という形にして表現できたということが、ここでは大切なのだ。何事も一足飛びに事をなし得ることはない。小さなことからコツコツと。これ大事である。
『聞こえますかー?』
「はい、ちゃんと聞こえますよー」
白蓮に符を持って部屋の外に出てもらった。その状態で念話を発動させ、部屋の外の白蓮に声がとどくか試す。実験は成功したようだ。
だが、この符術の効果はただの念話である。さらに術式が甘く、術者が10メートル以上符から離れると作動させられない。携帯電話の代わりにもならないわけだ。使い道としては、相手の死角こっそり仕掛けておいた上で、いきなり作動させて驚かすくらいのものか。
「ダメだ。こんなんじゃ全然強くなれねえ」
「焦ることはありません。もっと勉強すれば、きっと強力な符術が使えるようになりますよ」
妖術符は陰陽道を元にして作られた術らしく、五行説の影響を受けている。すなわち、木・火・土・金・水の五つの元素が万物を構成するという考え方だ。これによれば、あらゆる存在はこの五つのうちどれかに分類されることになる。白蓮に調べてもらったところ、俺は火以外のすべての属性を持っているらしい。よっしゃ、チートきた!
と、思ったら、木・土・金の三属性は俺の甲羅に集結しているとか。つまり、俺が自分の意思で扱える属性は水だけである。なんじゃそりゃ。
まあ、使えないものはしかたがない。今後の目標として、水の妖術符を極めることを目指したい。
「しっかし、それにしても難しいよなー、妖術符。これ以上複雑になったら、とても扱える気がしない」
「そうですね。霊力や神力を使えばもう少し簡単にできるのですが」
妖術というものは、そもそも妖怪が種族ごとにもつ特性である。それを無理やり人間の使う陰陽道などの術式の雛型で切り取ったものが妖術符だ。術式がより複雑になるのは当然である。
それに付け加えてその効果のエネルギー源となる妖力は、自分以外の他者に宿るとすぐに変質して使えなくなってしまう。符という自分の体から離れた物質に、使用可能な状態でとどめさせるためには技術がいる。その点、霊力は他者への親和性が高いので符術に適しているし、他人の病気や怪我を治したりできる。
さらに、術式の発動には普通に妖術を使うよりも多くの妖力を必要とする。そのくせ、オリジナルよりも効果が格段に低いし、汎用性もバリエーションも少なくなる。コストパフォーマンスは最悪だ。
神力は霊力の性質に転化が可能らしい。しかもエネルギー効率は他の力より高い。ただし、消費すると減っていき、補充しない限りいつかなくなる。
妖力はどれだけ使っても一晩休めばほとんど回復する。妖怪は年を経るごとに妖力が大きくなるが、正確には妖力を体内にためておく器が大きくなると言った方がいい。当然、器が大きくなれば外から取り込まなくてはいけない量が増えるので、たくさん食事をする必要がある。しかし、その器が小さくなることはないので、妖力の保有量が減ることはないのだ。逆に言えば、どんなに外から妖力を取り込んでも自分の器以上の妖力を取り込むことはできない。
だが、神力はそれとは異なり、器という概念がない。得れば増えるし、使えば減る。ただそれだけの力である。神力は人間の信仰心を集めることで得ることができる。人間はだれしも霊力を持っており、何かを信仰するとき、その対象に自分の霊力の一部を捧げるのだ。その霊力が信仰というプロセスを経ることで神力に変化する。人間が信仰してくれる限り、ごく微量だが、ちょっとずつ神力が手に入る。たくさんの人間が信仰してくれれば塵も積もればなんとやらである。霊力が高い人間なら一人でたくさんの神力を生み出せるので、そういう人間は神から巫女などの役職を与えられ、傍に置かれることが多い。
なので、信仰をより多く集めた神は強大な力を得るし、そうでない神はしょぼい。怖がられなくなった妖怪が腹を空かして餓死するのと同じく、崇められなくなった神様も消滅してしまうようだ。だから、神は人間の願いを叶えることに躍起になるし、人間を守るようになる。妖怪の天敵というわけだ。
ところで、命蓮寺は人間からも妖怪からも信仰を集める変わった寺である。妖怪が神を信仰した場合どうなるかというと、一応、神力は集まる。だが、彼らは霊力の代わりに妖力を差し出すのだ。これが難点。妖力は信仰というプロセスを経ても完全に神力に変換されないのである。つまり、妖怪が信仰する対象となる神には、神力と未変換の妖力が集まるわけだ。はっきり言って、効率が悪い。ただ、命蓮寺の妖怪たちは、この集まった妖力を取り込むことで、人間をおどかさなくても腹が減らないようである。無駄にはならない。
閑話休題。
「ところで、ずっと気になってたんだが、お前は妖怪か? 神様か? 人間か?」
俺は白蓮に尋ねる。俺はいまだにわからないのだ。こいつは何者なのか。
白蓮は妖力を持っている。俺は同じ妖怪として、それに関しては断言できる。だが、同時に神力を持っている。命蓮寺に集まる信仰は毘沙門天の代理である寅丸にほとんどが集まる(正確には寅丸の持つ宝塔に集まっている)が、白蓮個人に対して信仰心を持つ者たちもいるのだろう。白蓮は人格者なので、それもうなずける。
だが、白蓮は霊力を持っていない。これが気になる。つまり、白蓮は人間ではないのだ。それにも関わらず、その思考は実に人間的である。もっとおかしいのは、霊力がないのに法力が使えること。法力は人間が編み出した術だ。なのに、人間でない白蓮は法力が使える。
神力を使って代替したのだと言えば、一応の説明はできる。しかし、俺は白蓮が何度か法力を使うところを見てきたが、その際、一度も神力を使用した様子はなかった。その代わりになんだかわからない異様な力を使ったのだ。それは異様としか言いようがない力だった。妖力でも霊力でも神力でもない。いったい、あれは何なのだ。
「……」
「言えないことなのか?」
白蓮は黙り込んでしまった。別に言いたくないのなら、そこまでして聞きたいことでもないのだが。ちょっと気になっただけだ。
「これは口外してほしくないことなのですが」
だが、白蓮は前置きをして話してくれた。その力は魔力というらしい。
なんでも、白蓮は魔界というこの世ならざる地で修業を積み、魔力を持つ魔法使いになったのだとか。マジかよ、おい。本当に魔法少女だったのか。
「信じられねー」
「そうかもしれませんね。私は魔法によって捨虫捨食の法を体得しました。飲食をしなくても飢えず、どれだけ歳を重ねようとも老いない体になったのです」
魔法による身体能力の超強化。それが白蓮の法力の正体である。
驚いたことに、白蓮はもともと人間だったらしい。魔界の瘴気に触れることで魔力を得たのだという。魔界は魔法使いたちが住む世界らしい。
「じゃあ、俺も魔界に行けば魔力をゲットできるのかな」
「それは……どうでしょうか。魔界の瘴気は人間にとって毒なのです。外の世界から来た者の中で、瘴気に耐えられる者はごくわずかと聞きます」
その過酷な環境に耐え抜き、瘴気に適合した者だけが後天的な魔法使いになれるらしい。人間の中には魔力を持ち合わせた魔法を使える人間が稀に生まれるが、生まれつき魔力を持たない人間は魔界で死の危険を伴う修業をしなければならない。
魔法使いになるためには、「捨食の魔法」を習得しなければならないそうだ。これにより、物を食べる代わりに魔力を肉体に取り込むことで活動できるようになる。さらに「捨虫の魔法」を使えるようになれば、もはや人間ではなく魔法使いという別の種族に生まれ変わるのだという。白蓮が霊力を持っていないのは、種族的に魔法使いに生まれ変わったために、長い年月を生きた過程で不要となった霊力がなくなっていったためである。妖力は信仰してくれる妖怪たちから得たもののようである。
魔法使いとは妖力ではなく、魔力で活動する妖怪の一種であるという。人間が妖怪化する手段の一つが、魔法使いになることだと言い換えられる。ということは、だ。俺が魔法使いになれば、妖力を捨てて魔力で生きられるのではないか。妖力を捨てれば、俺の脳内をかき混ぜるこの忌々しい「妖力過活性化電磁波」の影響から逃れられるのではないか。
「なあ、妖怪でも魔法使いになれないか?」
「……それはおそらく無理でしょう」
妖力と魔力を同時に持つ白蓮はそのような結論を出した。白蓮によれば、この二つの力は互いに無干渉の関係にあるのだという。霊力と妖力は互いに反発する性質がある。また、霊力は神力との親和性が高い。魔力と妖力はこの中間の関係にある。反発はしないが親和もせず、互いに抵触しない。人間が行う魔界の瘴気への適合化は、体内の霊力と外から入ってきた魔力が合わさろうとする作用を利用したものらしい。そのとき起こる拒絶反応が毒気となるのだ。妖怪は瘴気を浴びても毒気に冒されることはないという。
もともと妖力という力は非常に安定しているのだ。他の力と性質を似せることなく、混じらない。この関係を図式化すると、親和性の高さは次のように表せる。
『妖力<魔力<霊力<神力』
霊力保有体(人間)は、強い魔力を体内に取り込むとその親和性の高さから適合化を図ろうとする。だが、魔力は霊力よりも親和性が低いので、拒絶反応が起きる。その過程で稀に魔力保有体(魔法使い)になる個体が発生する。このとき、霊力と魔力は体内に同時に存在することになるが、魔力保有体(魔法使い)が霊力を新たに取り込むことはないので、外部から提供されない限り、体内の霊力は時間の経過とともに消失する。
霊力保有体(人間)が妖力を取り込もうとしても、妖力の親和性の低さのために急激な拒絶反応が起き、命を落とす。これに耐えるためには、霊力を極限まで活動停止状態に持ちこんだ上で妖力を取り込む必要がある。もともと人間は種族として霊力が低い個体が多いので、活動停止状態にすることは可能。例えば、極度に精神が負の感情に染まるなどの状態になると起こり得る。その状態から妖怪化すると、霊力は消失し、完全な妖力保有体(妖怪)になる。そういう場合は大抵、死ぬ直前の状態なので、死亡と同時に妖怪化することが多い。先天的に妖力と霊力を併せ持った種族でない限り、二つの力を安定した状態で持つことはできない。
妖力保有体(妖怪)が魔力を取り込もうとしても、互いに親和性の低い力同士が引きあうことはないので、そもそも取り込めない。しかし、絶対に混じらないということは逆に言えば、それぞれが独立して安定するということなので、妖怪が魔力を保有するだけならそれは可能である。霊力を取り込もうとした場合は急激な拒絶反応により命を落とす。妖怪の場合は人間と違って妖力が生命活動と直結しているので、活動停止状態にすると直ちに消滅する。よって、人間化はできない。
「また、神力の場合は、親和性が高すぎるため他のどの力とも適合し、拒絶反応が起きる前に同一化するので、どんな力の保有体でも安定して同時に持つことができます。そのため様々な術へ転用がききます。例えば、私は霊力がありませんが神力を用いて法術が使えます」
「うっおおお、おおおおお!? もうわけわからんわ! つまり、俺は魔法使いにはなれないってことだろ!?」
俺は頭をかきむしる。こんな説明、誰がまじめに聞くかよ。頭から煙が出そう。
要するに俺は魔法使いにはなれない。魔法はもしかしたら使えるかもしれないが、種族としての魔法使いになるわけではないので、妖力を必要としない体に生まれ変わることはできないということだ。
「ちなみに、魔法理論は妖術符よりも遥かに複雑ですよ」
「絶対、魔法使いになんかならん」
超説明&自爆回!
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