67話「舟に乗ろう」
雲山と別れた俺たちは漁村へと向かった。一日早く到着した俺たちに驚く、というか、俺たちの格好に仰天する村人たち。
「うおお、これがあの有名な命蓮寺の……」
「すげえおっぱ、じゃなくて徳が高けえ!」
特に男衆からの熱烈な視線を浴びる。みな、白蓮の乳に目がくぎ付けである。ありがたやありがたやと拝んでいるが、何に対してありがたがっているのやら。女衆からは冷めた視線を集めることができた。
妖怪を説得するには、その妖怪に会わなければならない。ひとまず海へ出て、その村紗という妖怪に会いに行くことになった。
村紗水蜜。不慮の水難事故により命を落とした怨霊だという。この辺りの海では名の知れた悪霊らしく、手がつけられないほどの被害を出しているのだとか。時化でもないのに漁に出た舟がいくつも沈められている。
海は恵みをもたらす場所であると同時に、ときに激昂し、人間たちに恐ろしい牙をむく。その自然の脅威に対して、漁師たちは常に気を払っている。青い海の水面の下には、人知の及ばぬ怪物が潜んでいるのだ。舟を襲う亡者への対策も代々集落の中で受け継がれている。
「我々はいつも底抜けの柄杓を舟にのせています。言い伝えにある通り、海坊主に出会ってしまったときは、その柄杓を渡して難を逃れてきました。ですが、ムラサにはこの方法が通用しないのです」
言い伝えによれば海坊主は舟を襲う時、柄杓を渡せと要求する。渡さなければ怒りを買って、舟をひっくり返されてしまう。かと言って渡してしまうと、その柄杓を使って海の水を汲まれ、舟を浸水させてしまうのだ。そのため、漁師たちは海へ出るとき底の抜けた柄杓を舟に置いている。
こういう伝承というものは、妖怪にとって厄介だ。妖怪も馬鹿ではないので、マニュアル化された通り一辺倒の対策で毎度毎度してやられることはない。だが、長い年月をかけて言い伝えられた妖怪退治の伝承は、人々の間で信じ込まれてそれ自体が呪術的な効果を得た一種の儀式になりえる。霊的な効力をもって妖怪の力を拘束するのだ。そのようにして作られた妖怪に対する“正しい対処法”にのっとった手順を踏まれると、妖怪側は途端に人間を襲いにくくなってしまう。底抜けの柄杓を渡された海坊主は、大人しく海へ帰るしかない。
だが、それはあくまで民間の対処法である。霊的効果を持つとはいえ、妖怪退治の専門家が行う除霊に比べれば遥かに劣る。力の強い妖怪なら無視することも可能だ。
「これまでにも何度か妖怪退治人の方をお呼びしたのですが、ムラサを鎮めることはできませんでした。白蓮様、どうかこの海をお救いください!」
「わかりました。すべて私にお任せください」
白蓮の言葉に村人たちは歓声をあげた。長らく舟を出せなかったせいで、相当困っていたようである。村人にとって、白蓮はまさに救世主といったところなのだろう。
もし、白蓮が普通の格好をしていれば、さぞかし立派な光景だっただろう。しかし、セクシー水着のせいですべては台無しである。
* * *
舟に乗った俺たちは海へ出た。
寅丸とナズーリンはおっかなびっくりといった様子である。
「こ、これは沈んだりしませんよね?」
「あ、当り前だろうご主人。聖が妖怪を何とかしてくれる、はず……」
二人とも元が動物なので水が苦手なのだろうか。一輪は割と平気そうである。
舟はかなり小さくて簡素だ。まあ、この時代の漁船なんてそんなものか。四人も乗れば定員ギリギリである。船頭などいるはずもなく、俺がぎっこらぎっこら櫂をこぐはめに。
俺たちが乗る舟の後ろに何隻もの舟がくっついてくる。漁村の人間たちは、しばらく舟を出せない状況が続いたので、これを機に我先にと後をついてきたのだ。そのせいで、ごちゃごちゃしながら舟の団体がゆっくり海面を進んでいく。
天気は快晴。風も少なく、波は静か。普通なら舟が沈没する危険はとても少ない。特に問題もなく沖まで進んでいく。
「……霧が出てきたな」
だが、沖まで出たところで急に濃霧がたちこめ始めた。明らかに異常である。妖術によって生み出された霧に違いない。噂の海坊主は釣り出すまでもなく、向こうから食いついてきたようである。
人間たちが怯えている。俺は亀の妖怪なので、泳ぎは得意だ。たとえ舟を沈められようが大渦巻きを起こされようが、自力で陸まで泳いで戻れる自信がある。だが、舟を失い海に放り出された人間には、そんなことできない。取り乱さない方がおかしいというものだ。
寅丸とナズーリンもガチガチ震えているようだが。
「どうやら現れたようです」
白蓮が前方に目を向けている。そこには深い霧しか見えない。だが、その霧の向こうから何かの影がぼんやりと浮かび上がってきた。
「くっくっく……来るのはわかっていたよ。人間たちが噂していたからね。お前が命蓮寺の尼僧、聖白蓮か?」
その影は思ったよりも小さかった。どでかいナマズの化け物でも出てくるのかと思ったら、普通の人間サイズである。霧の向こうから声の主が姿を現す。
「はい、私が聖白蓮です」
「そうかそうか、待っていたよ。もう、ただの人間を溺れさせることには飽き飽きしていたからね。お前のような徳の高い僧を殺せば、私の妖怪としての格も上がるはずだ。ふふふ、簡単に死んでくれるなよ? 空気を求めて水面を目指す、哀れな溺れた人間のように、苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて死ぬがいい……って、ちょ、その格好はなんだあああああああああ!?」
現れたのは、少女姿の妖怪だった。セーラー服を着て、頭に海兵さんがかぶるような帽子を乗せている。そして、白蓮の水着を見て目ん玉が飛び出そうなくらい驚いていた。
「なに、そのハレンチな格好!? あんたほんとに尼僧なの!?」
「え、はい、そうですよ」
「うそつけえええ! そんなアホな格好した徳の高い僧がいるわけないよ! 私のことを馬鹿にしてるのか! もういい、全部沈めてやるわああああ!」
いや、まったくごもっともな反応で。
村紗が海面を思い切り叩いた。すると、そこから波紋のように波しぶきがひろがっていく。それは大波に姿を変えて俺たちの舟に襲いかかった。
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