35話「粗品ですが」
「うおええええっ!」
「葉裏さんっ!」
吐き気を催した俺のもとへ幽香が走ってくる。俺の額に流れる汗を手ぬぐいで拭いてくれた。幽香は俺が何の特訓をして自分を追い詰めているのかわかっていないが、いつも俺の傍にいて見守っていてくれた。
自分という存在を壊さなければ力を扱えない。しかし、完全に破壊すれば俺という存在が消滅する。適度にその中間を保たなければならない。言うなれば、精神をスカスカのスポンジ状態にしなければならないのだ。そのスポンジに水、つまり妖力を吸わせた状態に保つ。そうすれば、水をスポンジの外ににじみ出させることができる。だが、当然スポンジなので、ちょっとした衝撃で簡単に凹み、水をどばどば吐き出してしまう。自我が垂れ流される。その工程は筆舌に尽くしがたい。
さらに面倒なことに、俺が妖力を活性化させると、例の腐れ卵が悲鳴をあげるのだ。他人様の妖力なので、そっちは俺の管轄外である。だが、俺と融合しているので俺自身でもある。アパートの隣人が深夜に轟音をまき散らしている状態といえようか。
腐れ卵は液状化して、妖力そのものに近い形になっているようだ。普段は俺の妖力と決して混ざることなく、プールの底に沈殿しているのだが、循環回転させることでその性質が表面化する。つまり、大量の瘴気をまき散らす。活性化中の俺は体中から黒いオーラを醸し出すようになった。すげえ、悪役設定。
そのせいで俺は活性化を行うと、頭を狂気で冒されるだけでなく、全身を駆け巡る瘴気の毒のせいで強烈な体調不良を起こすようになってしまった。幽香はこんな俺でも嫌いにならずに付き添ってくれる。ええ子や。
満月の夜まであと少ししか日は残っていない。俺はほとんどの時間を瞑想に費やしたが、三技を使えるようになるには程遠かった。やはり、付け焼刃ではダメか。
「ちくしょう、これだけやってもダメなのか。自己破壊はぎりぎりできるようになったけど、拡大解釈ができない。その自己破壊でさえも、気を抜くとすぐに状態を維持できなくなるし……」
「えっと、葉裏さんが何をしているのかさっぱりわかりませんけど、気を落とさないでください。なんか、そのオーラだけでも私、近づくだけで気絶しそうなくらいですよ。葉裏さんは十分強いです」
オーラというのは、瘴気のことか。なるほど、これは“呪毒”だ。それ単体でも周囲に悪影響を及ぼす。その効果の対象は妖怪や人間にとどまらないだろう。息抜きに、ちょっと技を開発してみるか。
俺は軽く妖力を活性化させ、瘴気を発生させる。セットで内臓までぶちまけそうな吐き気もついてくる。それは気力で飲み込むとして、俺は特に拳に集まる妖力を活性化させた。拳から黒い瘴気が噴き出す。えっと、技名は何にしよう。よし、これだ。
「はああああ! 暗黒殺法・呪闇拳!」
叫ぶと同時に、近くの木を殴りつけた。その衝撃で木はへし折れ、そして俺の拳から感染した呪毒が全体に広がっていく。若々しい青い葉を茂らせていた木は見る見るうちに枯れていき、砕け散った。おいおい。
これはただのパンチであって、玉兎三技は使っていない。俺が受けた呪いの副作用だ。いまいち、自分では納得いかないが、今はこの技で我慢しよう。殴るだけですでに人間にとっては致命傷なので、そこにさらに呪毒を投与するなんて嫌がらせをすることに意味はない。だが、月人に俺の純粋な筋力による攻撃が通用するかわからない今、少しでも手数は増やしておきたい。月人の妖術に対抗する技術は高いので、おそらく防がれてしまうだろうが。
さっき殴りつけた木は極端に呪毒の影響を受けたが、普通の妖怪なら自身が持つ妖力である程度抵抗できるので、ここまでの効果は望めないと思う。人間には効くだろうが、霊力という力をもった陰陽師なら妖怪と同じ理由で抵抗されるだろうな。そういえば、つい手ごろだったので木に攻撃を当ててしまった。幽香は植物を大切にするので、怒っているかもしれない。
「ゆうかりん、ごめ……」
幽香は俺から10メートルくらい離れた木の陰に隠れて、涙目で震えていた。マジでごめん。
* * *
俺は甲羅の中の物を整理した。
月で要塞に入ったとき、いろんな物を突っ込んでおいたことを忘れていたのだ。ぱくった物の中には、月人の兵器もあった。もしかしたら、大幅戦力増強もありえる。なんでこんな大事なことを忘れていたんだ。
とりあえず、甲羅の中に入っている物を全部引っ張り出す。大量のガラクタがどんどん出てきた。カチカチになった激辛蜜柑も出た。お前はもういいよ! 確か前に全部捨てたと思ってたのに、なんでまだ入ってんだよ!
「何をやってるんですか?」
「んー? ちょっと持ち物の整理をな。くそ、どれもこれも使えねえもんばっかしだ」
兵器はあった。ハイテクなレーザー銃だ。だが、どれも燃料切れ。一億年もメンテナンスしてないので、錆ついて鉄クズ同然だった。比較的状態がいい物を一つだけ取っておき、後は穴を掘って埋めた。月人に突きつければ、コケ脅しには使えるかもしれない。
「ん? なんだこれ?」
かさばる兵器類はすべて捨てたが、他にも何か入っているみたいだ。取り出してみる。
それは、一本の短剣だった。刀身を鞘から抜き放つ。そこに錆はなかった。どこまでも黒い刃が冷ややかに光っている。これをくれたジョージの顔が頭に浮かんだ。ジョージは俺と同じく、頭に偽ウサ耳をブチ込まれ、人形となった。人間のやり方は気にくわないが、方法としては冴えた手だ。楽に月面での労働力を手に入れることができるのだから。俺が人間の立場だったら、迷うことなくその手を選ぶだろう。ただ、ほんの少しの感傷は俺の心にもあった。
そして、もう一つ。くすんで茶色くなったベレー帽が出てきた。ロバートもいい奴だった。モニカもだ。ふたりはあの後、どうなったのだろうか。永琳に改造されてしまったかもしれない。だが、今となってはすべてが過去のことだ。遠い記憶の奥に隠れてその片鱗をのぞかせるにすぎない思い出。
俺は短剣を腰に差し、帽子をかぶった。帽子の中にウサ耳を隠す。ロバートはこの帽子を、戦いで耳を失くした戦士に贈る名誉の証だと言った。だとしたら、滑稽なものだ。俺はくっつけられた耳を隠すためにこの帽子をかぶるのだから。自嘲の笑いがこぼれた。
「葉裏さんの甲羅って、いろんなものが入ってるんですね。魔法みたいです」
「そうか? ゆうかりんにもなんかやろうか?」
幽香にはお世話になったからな。月の珍しいお土産でもプレゼントしてやろう。お、なんかちょうどよさそうなものが……
『月人お酒の友シリーズ⑰ ヒマワリの種』
「……」
なんで持ってきたし。ご丁寧に真空パックされており、未開封の袋を外から見る限りでは、食べられそうな気がしないでもない。だが、無論、食うつもりはない。
「ゆうかりん、これあげる」
「え!? いいんですか!? ありがとうございます!」
幽香にあげた。花の種だと思っているようだ。まあ、そうなんだけど、たぶん炒ってあるよね。でも、幽香なら能力でどうにかできるかも。
「ヒマワリっていうんですか? どんな花なんでしょう?」
「黄色くて、太陽みたいな花だよ」
「わあ、すごいです! 絶対、この子たちを育ててみせますね」
「う、うん。頑張って」
なぜか節分の鬼の話を思い出してしまった。
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