27話「ウサギは何を見て跳ねる」
俺は森の中を歩いていた。ドスグロイ森。
たぶん、森。木らしきモノがたくさん生えているからな。それにしても、へたくそな木だ。クレヨンで塗りつぶしたみたいな色をしている。もっと丁寧に色づけしてやれよ。
こんなところにいたら気が滅入る。俺は休むことなくこの森を歩き続けていた。一日も休まない。しかし、ここには太陽の光がとどかないので、いつが昼でいつが夜かわからないのだが。早く出たい。俺はションベンしたいのガマンしてるんだよ。さっさと出してくれないか。
『げろげろげろ』
どこからともなく笑い声が聞こえてくる。いつものことだ。それより、俺の体はどうなっているんだ。テキトーな色付けしやがって。だから、丁寧にやれって言っただろ。見ろ、腕のところの肌色がはみ出してる。ちゃんと線に沿って塗れ。お前は塗り絵も満足にできないのか。
『げろげろげろ』
『うるせえなあ』
この笑い声、上から聞こえてくるんだよな。俺は上空を見上げる。その視界の遥か上まで伸びあがる木の幹。遠近法の原理に従って、天を突くその先端はかすんで点になる。光はとどかない。
見あげていると、何かが落ちてきた。わざわざ俺の真上にだ。俺はぶつからないように急いで移動する。
それはさっきまで俺がいた地面に叩きつけられた。赤い汁が飛び散る。なんだこれは。
『げおRげろGREO』
それは卵だった。赤い卵。魚卵のやわらかな膜が破れ、中からどろりとヘドロが出てくる。じっと見ていると、大きな目玉が二つあることがわかった。しっぽがあって、オタマジャクシのよう。孵化の直前だったのだろう。今にも死にそうなツラしてるくせに、俺のことを見て笑ってやがる。
『お前がずっと笑ってたのか。ん? うおっ!?』
また上から卵が降って来た。べちゃりべちゃりと地面に落ちて、熟れ過ぎた柿のように散乱する。運悪く、その一匹が俺のすぐ近くに落ちてしまったために、汁がひっかかってしまった。
『汚ねえ、汁飛ばすんじゃねえよ! クソが!』
俺は潰れた卵を蹴り飛ばす。いけない、足にも汁がくっついてしまった。
『あーもー、最悪だ……』
べちゃり
足元を確認していた俺の頭の上に何かが直撃した。吐き気を催すほど生臭く赤黒い粘液が俺の頭上から垂れてくる。最悪だ。
俺は頭の上からやわらかい肉の塊を引きずり降ろした。そいつは俺の手の中で元気にビチビチうごめいている。ぎょろぎょろの目玉で俺をせせら笑うオタマジャクシ。不愉快極まりない。
『失せろ』
地面に落として踏みつけた。腹から細長い内臓がはみ出す。いい気味だ。もう一回ふんづけてやろうと、足を振り上げる。
べちゃり
また、落ちた。俺の頭の上に落ちた。赤い粘液が滴り落ちる。ふざけるな。こいつら俺を狙ってるんだ。自分の命をかけて俺をからかっている。この憎々しい笑顔。うざいうざいうざい。
『この両生類が! 何様のつもりだ!』
近くの木の幹に叩きつけた。俺は、えーっと、爬虫類だぞ! お前らより偉い。鳥類>爬虫類>>>>>>>>>>>>両生類なんだよ。
そこでふと気づく。俺の肌が赤く塗れていた。
『あああああああああ!!』
クソクソクソ! 俺の肌になんてことしてくれるんだ!
俺は必死に赤い粘液を拭いとる。でも、ダメだ。俺の肌色と混ざって変な色になる。肌色にもどらない。俺の肌色になんてことを。お前らの臭くて汚い粘液のせいだ。だいたい肌色って何色だよ。白、黒、黄色? ほら、もうわからなくなった!
あと何匹、木の上に隠れていやがる。俺は目を凝らして頭上を見上げる。
『げろげげろ』
いっぱいいる。無数にいる。木の枝に実っている。新たな生命を実らせる樹。そして、その命を冒涜する。
『落ちてこい!』
俺は跳ねる。ジャンプジャンプ。
赤くて丸い月見て跳ねる。
でも、とどかない。奴らは俺の遥か高みにいる。俺を見下して笑っている。
『そうかヨそうか! なら、俺がお前らのところに行ってヤル! 一匹ノコラずもぎ取ってヤル!』
俺は木の幹に手をかける。つかまりどころのない真っ直ぐな木。爪を食いこませてでもしがみついた。そして登る。ひたすら昇る。
その俺の顔面に向けて赤い月が落ちてくる。登っている最中だ。避けることはできない。月がぶつかるごとに、俺の体が赤く染まる。俺の定義がわからなくなる。
『チクショウ! フザケヤガッテ! イマニミテロ!』
どこまで登っても終わりがない。地上はかすんで見えなくなった。それでも木は上へ上へと続いている。いったいいつまで登ればいいんだ。このままじゃ、頂上にたどりつくより先に俺が俺でなくなってしまう。
そのとき、俺の行く手に何かがぶら下がっていた。今まで一本もなかった横枝がある。そこに、ウサギの首が吊り下げられていた。真っ赤に塗れて、輪郭しか残っていない。
【ヨウRI、無理DAYお。キミは地上NIもどッタ方ガII】
『ウルセエ! オレハイク!』
【不可NOだ。僕タちMITAIニなRIタイノ?】
お前の言うことは聞き取りづらい。
俺は気にせず登って行く。しばらくすると、またウサギの首がいた。
【やめたHOUガいいWA。今SUぐ引き返シテ】
吊り首を引きちぎって捨てた。ウサギの首はみるみる下へ落ちていき、すぐに見えなくなった。
それから何時間経ったか覚えていない。何日か経ったかもしれない。あるいは、何秒かだったのだろうか。
なんでたどりつけない。もう十分登ったはずだ。頭は赤く染まっていた。もうそこは“俺”じゃない。これは毒だ。俺という存在を殺す毒。早くしないと俺のすべてが毒に染まる。そうすれば、あのウサギみたいに意味のわからないナニカにされてしまう。
俺を突き動かす力の源は憎悪だった。ひたすらにあの赤い月が憎い。怒りではらわたが煮えくりかえって口から飛び出そうだ。必ず俺の手でもぎる。
『オチロ』
もぎりとる。
『オチロ』
永琳、俺はお前を。
『オチロ!』
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