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東方――亀兎木―― 作者:緑野ボタン4号

26話「アナザー・サイド・××」

 
 輝夜の訃報を知らされた。私は自分の研究室に閉じこもり、ひとりきりで泣いた。
 先日完成したばかりの月に作られた第一調査基地。輝夜はそこで働く父親に連れ添われ、地球周回上に位置する宇宙ステーションから月へと向かった。昨日のことだ。本当は、病状が悪化の一途をたどる輝夜をステーションの外に出したくはなかった。新造の基地よりこちらの方が設備もそろっている。輝夜の体のことを何もわかっていない彼女の父親を恨みもした。だが、彼は政府の長官だ。私が意見できる相手ではない。それに、今回の外出は輝夜自身の意思でもあった。
 万が一のことを考えなかったわけではない。そのための対策はされていたはずだった。だが、悲劇は起きた。妖怪の群れに基地は襲撃され、全滅した。原因は不明、生存者なし。襲撃時に基地からステーションへの増援要請はあったのだ。だが、軍の上層部は基地の防備を過信していた。ことの重大さに気づいたときには、すでに基地は陥落寸前の状況だった。その惨状にしり込みした上層部はさらに兵の派遣に手間取り、結局、軍が動き出したのは襲撃発生から6時間が経過した後のことだった。
 私の権限で知り得た情報はここまでである。上層部は他に後ろめたい事情を何か隠しているはずだ。一般市民には、情報統制によって不幸な事故があったとしか伝えられていない。悔しさで涙が止まらなかった。
 私は今まで輝夜を救うために頑張ってきた。彼女だけが、損得なしに私のことを友人として受け入れてくれた唯一の理解者だった。私は自分の異常性を知っている。私の技術者としての才能は異常だった。年齢にそぐわない頭の良さ。それによって得られた物は今の地位くらいのものだ。失った物は多すぎる。輝夜は掛け値なしの私の親友であり、希望だった。
 私は一番大切な友達を失った。研究室にならぶ、薬の資料。すべてを輝夜のためにささげてきた。全部、無駄になった。あれだけ燃え盛っていた、研究に対する情熱がなくなっていく。糸が切れた人形のように、私は無気力だった。
 基地から帰還した宇宙船は亡くなった人たちの遺体を回収してきた。聞いた話では、どの遺体も無残なもので原形をとどめているものは、ほとんどないという。私はとても輝夜のところへ行く気にはなれなかった。ぐちゃぐちゃになった彼女の死体を見て、正気を保てる自信がない。
 そこで得た情報の中に、戦地で確保したという妖怪がいるというものがあった。基地を襲撃した妖怪はカエル型月妖怪の群れだということは知っていた。兵が基地内と周辺の確認を行った際、それらの妖怪はすべて死滅していたという。しかし、その中でウサギ型月妖怪二匹と新種と思われる月妖怪一匹の生存が確認された。軍は戦闘の状況を聞きだすために、その三匹を捕獲していた。
 上層部は私にこの妖怪たちの処理を命じた。新種妖怪の調査とその後の処分を任された。思えば、あのときから私の心はおかしくなっていた。
 妖怪とは人間をエサにする獣である。彼らが人間を襲うことは種族的な本能であり、それは種としての正しい反応だ。だから、人間はそれを真っ向から叩きつぶすことに罪悪感などもたなくてよい。だが、私はその単純で淡泊な関係を超えた感情を抱いてしまった。憎しみだ。妖怪が基地を襲い、輝夜を殺した。それは紛れもない事実である。私を無気力から引き揚げた原動力は憎悪という感情だった。
 妖怪は別の部門で簡単な検査をされて運びこまれてきた。新種妖怪は危険度最高ランクにあたるレベル5の妖力を保有していた。まずはこの妖怪から尋問することに決める。

 「……?」

 焦点が定まらない目つきで部屋を見渡す妖怪に声をかける。月妖怪が地上の言語を理解できないことはわかっている。これは話しかけているというよりも、自分を冷静にさせるための無意味な行動だ。なるべく感情を表に出さないように心がけた。
 だが、気がついたときには悪魔のような思考を行っている。それでも私は逡巡した。これは私の個人的で身勝手な感情だ。その赴くままに暴走することは間違っている。調整済みの三つのインターフェースを使用するつもりはなかった。この妖怪がある言葉を発するまでは。

 「お前がえーりんなのか? ほんとに?」

 本当は違う。私の名前は八意×××という。永琳の名は輝夜がつけてくれたものだ。発音しづらいと文句を言った輝夜が私にくれた名前。私の一番の宝物だ。輝夜がいなくなった今、その想いはいっそう強くなる。だから、この名前を名乗ってしまったのかもしれない。だが、なぜこの妖怪がそんな反応をするのか気になった。そして、その事実は私の心をかき乱す。

 「はあ、輝夜の友達って聞いてたからどんな人間なのかと思ったら、とんでもねえアバズレ……うぬぐあああ!!」

 妖怪が何を言ったのか、理解できなかった。永琳という名前は私と輝夜の間でしか交わされない言葉だ。それをなんでこの妖怪が知っている。それに輝夜から聞いたと言った。こいつは輝夜と話したのか。そのとき輝夜は生きていた。こいつは輝夜に何をしたんだ。
 妖怪は何もしていないと言い張っている。輝夜は病気のせいで死んだという。信じられない。何もかも嘘としか思えない。仮に本当に病気が原因で死んだとしても、襲撃は輝夜に負担をかけた。襲撃さえなければ輝夜は生きながらえ、輝夜を救うための薬を私が完成させていたのだ。

 「適当なこと言ってんじゃねえよ! あの病気はもう治せないほど輝夜の魂に食い込んでいた! だったら、あと何日あれば薬は完成したんだ!? 何時間!? 何秒!? 言ってみろよ!? おらあ!」

 言い返せない。悔しい。もう後戻りできないほどに、激情が私を支配していた。インターフェースをこの妖怪に取り付けないと気が済まない。
 それまで余裕を残していた妖怪は急に焦り始めた。いいざまだ。輝夜も、こうして苦しめながら殺したに違いない。許せなかった。生まれてこの方、ここまで感情をあらわにしたことはない。私は、やめてくれと泣きながら懇願する妖怪を見捨てる。装置を止めることはなかった。
 それからは、いつも通り。実験で精神が壊れた他の妖怪と同じだ。物言わぬ人形になった。しかし、私の心は晴れることがない。

 「ははは……」

 乾いた笑いがこぼれる。それは自嘲だった。自分の浅はかさに嫌気がさす。それでもとまらない憎しみ。私はどうすればいいのかわからなかった。
 インターフェースを取り付けた妖怪は、静かに目を閉じて動かない。今頃、終わることのない悪夢を見ているはずだ。しかし、その体はインターフェースから送られるプログラムによって、こちらの思い通りに動かすことができる。

 「あなたが悪いのよ……私だってあの子と最後のお話をしたかったのに……もっと、たくさん一緒にいたかったのに……」

 ただの八つ当たりだ。枯れたと思っていた涙がまたあふれ出す。妖怪の少女はほとんど人間と変わらない容姿をしている。深い眠りについたその顔は美しかった。まるで、王子様のキスを待つ眠り姫のように。だが、その双眸は唐突に、ひとりでに開かれた。

 「オレハヤッテナイ」

 「ひっ……!」

 勝手に口を開く妖怪。私は心臓が縮みあがる思いをした。そんなことはありえないのだ。この妖怪の意識は完全に掌握している。だから人形。人形はひとりでにしゃべらない。

 「オレハコロシテナイ」

 無機質で抑揚のない声。だが、はっきりと喋っている。私は床にぺたんと尻もちをついていた。血の気が引いて行く。気味が悪いなんてものじゃなかった。

 「だ、黙りなさい! 話していいと命令はしてないでしょう!?」

 「オレノセイニスルナ」

 妖怪の体がボコボコと膨れ上がる。それまで可憐な少女の形を持っていたソレは、異形の物体へと変化していた。威圧を実体化させるほどの妖力があふれている。それはまるで樹木のお化けだった。体のところどころに緑の葉が生えている。
 拘束具から発生する電流などものともせず、強引に破壊して脱出された。その物体の膨張はなおも止まらず、あっという間に研究室を覆い尽くすほどの勢いで成長していく。壁には蔦が張り巡らされ、肉なのか植物なのかわからない怖気の走る物質が脈動しながらぶよぶよと膨らんでいく。

 『コロシテヤル』

 もはや私にどうにかできる状況ではなかった。私に向かって蔦が伸びてくる。足に絡みつこうとするそれを必死で振りほどいて研究室の外に出た。半泣きで扉を閉めて緊急警報のスイッチを押した。すぐさま武装した兵士が駆けつけてくる。
 事情を説明して後はここを兵士に任せようとしたが、まだ詳細な状況がわからないので、こころにいろと言う。一般の兵士風情が誰に向かって命令しているのだ。私はこんなところに1秒でもとどまっていたくはなかった。私の慌てぶりを見てただ事ではないと感じたのか、兵士たちも緊張し、余計に私を開放してくれる様子がなくなった。
 研究室は危険な実験を行うことも想定されている。もしものときは隔離できるように、その扉は内部と外部の空間を完全に遮断できる構造になっている。扉を閉めた今はさっきまでの悪夢が嘘のように静かだ。とにかく扉を開けなければ中がどうなっているかわからない。兵士たちは意を決して封印を解いた。
 その途端、中からあふれ出すナニカ。半固体状のうごめくナニカが我先にと外に出てこようとする。扉を開けた兵士はあっけなく飲み込まれ、音もなく姿を消した。他の兵士は銃弾を撃ち込むが、めり込むだけで効果がない。レーザー兵器で焼き切ってもすぐに再生する。
 幸運だったのは、最初に飲み込まれた兵士が生きていたことだろう。彼は最期の力を振り絞って扉を再び閉めたのだ。降りてきた扉に引きちぎられ、ナニカはようやく活動を停止した。
 私は迷わず制御室へ連絡を入れた。研究室の区画をステーションからパージする。言うまでもなく最終手段だ。一応、その権限は有しているが、お咎めはあるだろう。だが、そんなことを言っている場合ではなかった。なによりも恐怖という感情が先行していた。
 そして、その命令は実行された。

 * * *

 私は何をしているのだろうか。
 後に残ったのは、心を埋め尽くす空虚だけだ。
 取り返しのつかないことをしてしまったと、事が終ってからようやく認識する。私が手を下した哀れな妖怪は、大気圏中で燃え尽きながら地上へ落ちていったことが確認された。
 今、私は遺体安置室に来ている。会議を終えた私の足は自然とそこへ向かっていた。
 輝夜に会いたかった。あの妖怪が言っていたことを確かめたかったのだ。

 「輝夜……」

 その体は私の記憶にある輝夜のまま。誰にも蹂躙されたあとなど残っていない。そして、その表情は安らかな笑顔だった。
 輝夜が眠るその傍らで、膝をついて泣き崩れた。私は、これまでにない、本当の意味での妖怪に対する罪悪感を抱いていた。

 「ごめんなさい……」

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