23話「月の少女」
『ヨウリちゃーん!』
モニカが俺を呼んでいる。クイーンの卵を拉致げふんげふん、保護した俺は研究室から出て、モニカの声がする方に向かった。
『どうしたんだ? そんなに慌てて』
『あの、何か聞こえるの。今まで聞いたことのないような不思議な声が……』
声がする、ということは人間の生き残りがいたのか。これはなかなかに危険な状況である。俺はすぐにモニカに案内を頼んで声らしきものがするという場所へ向かった。
そこは塔の最上階に位置する部屋だ。ロバートが近くに待機していた。剣を抜き、油断なく構えている。
『ヨウリ、あの部屋だよ。何か聞こえる』
ロバートもその声を“おかしな音”と評した。いったい、どんな化け物が待ち構えているのか。妖力探知を仕掛けて見たが、特に反応はない。俺は物影に隠れ、静かに耳を澄ます。
「……た……て、おか……」
『これは』
久しぶりに聞く肉声だ。なるほど、玉兎は念話でしか会話をしないから、この音が何なのかわからなかったのだ。俺はその声がよく聞こえる位置まで慎重に近づいて行く。
「たすけて……わたしを、おいていかないで……」
やれやれ。またSОSを求める声だ。経験上、こういう事態に遭遇すると、ろくなことがない。
俺は危険がないと判断し、警戒を解いた。一応、攻撃されたら応戦できる用意はして部屋のドアをノックする。
「だ、だれ?」
どう返事をしていいかわからないので、何も言わずにドアを開けた。中は、ありていに言って病室だ。ベッドが一つ置かれ、その上に少女が寝ている。長くきれいな黒髪の美しい少女だった。成長すればたいそうな美人になるだろう。だが、今はまだ幼い。それに、一目見て重病患者だとわかった。ベッドの周りには用途のわからない機械の箱がいくつも置かれ、そこから伸びる点滴の線がいくつも少女の体につながっている。
たぶん、襲撃があった間、ずっとこの部屋で恐怖に震えていたのだろう。真っ青な顔色で、クマのぬいぐるみを抱きしめている。突然、部屋に入って来た俺を見て、びくびくと震えて怯えている。よし、ここは一発ギャグでもかまして明るい空気に変えてやろう。
俺は甲羅の中に頭だけ収納した。
「怪奇! 首なし人間!」
「きゃああ……」
少女は布団をかぶって亀のように閉じこもってしまった。和ませるはずが、逆に怖がらせてしまったようである。失敗失敗、てへっ。
『ヨウリ、中はどうなっているんだ?』
そこにロバートとモニカがやってきた。俺が緊張していないので、二人も危険はないと判断したようだ。俺は、人間の子どもがいることを説明した。
どうやら病気のようで、ここに一人で隠れていたことを伝えると、モニカはベッドの方へと歩いて行く。布団の上からでもわかるほど、少女の体は恐怖に震えている。その上から、モニカはやさしく手を置き、ゆっくりと撫でた。最初は縮こまっていた少女だったが、こちらに敵意がないことがわかったのか布団から顔を出す。
『怖かったわね。でも、もう大丈夫よ』
モニカが微笑みかけ、少女の頭を撫でる。ようやく力が抜けたのか、どっと疲れたように少女は相好を崩した。表情もほぐれている。
『姉さん、そいつから離れるんだ』
しかし、もう一人の玉兎は違った。ロバートは剣を抜き、人間の少女にその切っ先を向ける。少女は向けられた殺気に、再び身をこわばらせる。
『やめなさい、ロバート! 怖がっているわ』
『それは人間だよ、姉さん。ヨウリだって言ってたじゃないか、人間は悪い奴らだって。姉さんも知ってるだろ? 父さんたちが誰にやられたのか!』
『この子が悪いわけじゃないわ! そんなことをしたところで、何の解決にもならない!』
モニカは毅然とした態度でロバートから少女をかばうように抱きしめた。
『ロバート、少し落ちつけ。モニカの言うとおりだ』
『……わかったよ』
戦争する側される側、どっちが悪くてどっちが正しいなんて、さして意味のある問題じゃない。別に俺はこの場でこの少女が殺されたって気にしないが、どう考えても利口な手じゃないことは確かだ。
『まあ、人質にはなるかもしれないからね。……僕は外を見張っているよ』
ロバートは剣を収めて、部屋から出ていった。感情的な年頃ですな。
「うっ、うぐっ……」
静かになった部屋に、嗚咽が響く。少女はモニカの服を握りしめ、その胸の中で泣いている。モニカは少女が泣きやむまで、ずっと抱きしめ続けていた。
* * *
「お姉ちゃんたちは、だれなの?」
少女はモニカから離れたが、手は握ったまま、ベッドに寝ている。話しかけられたモニカは困った顔をして俺の方を向いた。
『ねえ、私にはこの子の言葉がわからないのだけど、ヨウリはわかる?』
そういえば、少女は日本語を話している。モニカは念話を使えるので、少女にテレパシーで意思を伝えることができるが、少女の話す言葉は理解できないので、一方通行のコミュニケーションしかとれない。俺が通訳してやろう。
『俺たちのことが知りたいみたいだ。せっかくだから自己紹介しようぜ』
『それはいいわね。でも、その前にヨウリは頭を出しなさい。この子が怖がっているわ』
『失礼』
ウィーン、ガシャン。首あり人間モードへ移行します。
『俺は葉裏だ。そんで、こっちがモニカな』
「葉裏と、モニカ……ねえ、ふたりは妖怪なの?」
『そうだ。妖怪だ』
首が収納されたり、テレパシーが使えるような奴らだ。少女にも俺たちが妖怪であることがわかっているようである。
「わたしは、輝夜っていうの。妖怪を見るのは、はじめてでびっくりしちゃった。葉裏はなんだか変だけど……モニカは頭にウサギさんの耳がついててかわいい」
『妖怪を見るのは初めてかー。あと、モニカのウサ耳がかわいいって言ってるぞ』
『あら、褒めてくれてありがとう』
「お父さまは、妖怪はとても怖いものだって言ってたけど、あれはウソだったのね。モニカはこんなにやさしいもの」
輝夜の表情は笑顔だ。こうして見ると、年相応のあどけない少女である。妖怪に関する知識もない。それに病人だ。どうして、こんな子どもが危険な戦場にいるのか気になった。
「ねえ、外で何があったの? ものすごい音がして、がががーって建物がゆれたんだよ。お医者さまも、お父さまも、絶対ここから出るなって言ってた。みんなどうしてるの?」
『外で何があったかって? え、あー、それはなあ』
俺は答えに詰まってモニカに目くばせする。妖怪に襲撃されて人間は全滅しました、なんて正直に言えるわけない。
『大丈夫よ、私たちがいるから、心配いらないわ』
「ほんとに? 輝夜がねむくなるまでずっといてくれる?」
『ああ、お前が寝るまで一緒にいてやるよ』
よかった、と輝夜は安堵する。まさか、この要塞が陥落したとは思っていないのだ。この少女にとって、ここは安全な場所であり、気にするべきは安心して眠りにつけるかということでしかない。だが、もう一つ、輝夜には気がかりなことがあるようだ。
「……さっき、もうひとり妖怪さんがいたよね?」
『ああ、忘れてた。あいつはロバート。モニカの弟だ』
「なんであんなに怒ってたの? 輝夜、なにか悪いことしちゃった?」
『気にすんな。あいつはいつも怒ってるんだよ』
「でも……」
『いいから、もう寝ろよ。また首なしお化けがくるぞ』
「やだ! 輝夜、もっとおはなししたい」
わがままなお嬢様は目がさえてしまったようだ。なんで月まで来て子どものお守なんかしなきゃならんのだと自問していると、突然、部屋の照明が点滅し始めた。やっぱり電気系統が壊れているようだ。
「きゃあっ、な、なに?」
『ほら、お前が寝ないからお化けが来ちまったじゃねえか』
「いないもんっ、お化けなんかいないもん!」
『ヨウリ、怖がらせすぎよ! まったくもう』
ベッドから体を起こした輝夜をモニカが抱きしめる。そのとき、輝夜の腕につけられていた点滴の管が抜け落ちてしまった。
「あっ、これお医者さまが、はずしちゃだめって言ってたの」
そう言われても点滴のつけ方なんて知らないぞ。だいたい、この医療機材らしきものはちゃんと動いているのか。確認してみると、止まっていた。ディスプレイに「ERRОR」の文字が表示されたまま、動く様子がない。なんかいっぱいついてるボタンを押してみたが、うんともすんとも言わない。完全に壊れていた。
これって、大丈夫じゃ、ないよな。
『……もうその管、全部はずしちまえよ。邪魔だろ』
「だめだよ。お医者さまがダメって言ってたもん」
『今日くらいいいじゃん。はずさないと、モニカにだっこしてもらえないぞ』
「えっ……そ、そうね。今日は輝夜、ちゃんとお薬も飲んだし、怖いのいっぱいガマンしたし、ちょっとくらいならはずしてもいいかも」
俺とモニカは輝夜の体から点滴の管をはずした。ベッドの上に座ったモニカは、膝の上に輝夜を抱えた。
『もう寝る時間だから、電気、消すぞ』
「うん」
チカチカと点滅する照明の電源を切った。暗くなった部屋は、窓から入る光に淡く照らされた。窓の外には地球があった。青い地球が光っていた。
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