3話「沢の巨木」
俺の体長は15センチくらいになっただろうか。ミドリガメくらいの大きさである。どうやら、カメ社会ではこのサイズになると独り立ちする決まりらしい。
マイビッグマザーからの突然の宣告に、茫然とする俺。兄弟たちは歩み去っていく迂木をぴーぴー鳴きながら追いかけた。向こうもカメだがこちらもカメ。両者ともに足が遅いが、圧倒的な歩幅の違いで迂木は森の奥へと消えていった。
それからの俺たちは死に物狂いだった。日々、外敵から襲われる恐怖におびえて暮らした。カメ並みの脳みそしかもたない兄弟たちがうらやましい。俺は下手に人間の感性を持つせいか、毎日がハッピーバースデイ気分だよ。
のろまなカメが群れていたのでは敵の目につきすぎてしまう。俺たちは散り散りに別れた。それが、俺たち兄弟の別れだった。その後どうなったのかはわからない。
俺は森の中を少しずつ移動していった。いつもハラヘリ状態だった。改めてマイビッグマザーの偉大さがわかる。この体では虫一匹捕まえることも困難だ。草をたべたべ飢えをしのいだ。
そして、ある日転機は訪れた。
鷹に強襲されたのだ。見つかったと思ったときにはもう遅い。俺は慌てて甲羅に引っ込む。鷹は俺を捕まえると空高く飛び上がった。
(まずい! 死ぬうっ!)
俺の自慢は甲羅のかたさだ。クチバシで突かれたくらいじゃ壊れない。しかし、鷹もそれをわかっている。迂木に教えてもらったことがある。上空から捕えたカメをわざと落っことし、地面に叩きつけて甲羅を粉砕するのだと。そんなことされたら死んじゃうってば。
絶体絶命のピンチ。容赦なく鷹は爪を放した。重力の赴くまま自由落下の恐怖を堪能する俺。これまでの人生、いやカメ生が走馬灯のように脳裏をよぎった。俺はまた死ぬのか。願わくは天寿をまっとうしたかった。
俺が次の転生先はどうか人間でありますようにと祈っていると、甲羅に走る衝撃。だが、それはかたい岩場の感触ではなかった。ごぽごぽと体が沈んでいく。水だ。俺を捕まえた鷹はドジっ娘属性でも有していたのか、うっかり俺を水場に落としてしまったようである。
(ふう……なんとか助かった)
それにしてもここの水はきれいだな。森の奥深く、河川の上流域にまで来てしまったようだ。澄み切った美しい沢の中心に、天を突くような巨木が一本、立っていた。
この木はただの木ではないと、直感が告げていた。大きな力を感じる。しかし、それと同時に弱っていることがわかる。木は枯れかけていたのだ。病気だろうか。これほどの大きな木となると、何千年という樹齢があるかもしれない。
『だれ……か……たすけ……』
そのとき、念話が聞こえたような気がした。いや、間違いなく聞こえた。その声はなんと目の前の巨木から聞こえてくる。この木が助けを求めているのだろうか。もしかすると、この木は妖怪なのか。長生きすると妖怪になるのなら、植物にだって当てはまらないとは言えないだろう。
(どうしたんだー!)
俺は念話で話しかけてみたが、答えがない。こちらに気づいていないようだ。俺が小さすぎて感じ取れないのかもしれない。そうだ。こんなときこそ俺の能力『注目を集める程度の能力』を発揮すべきときだ。
俺は能力を使いながら再度呼びかけてみた。
『あな、たは……?』
今度はこちらに気づいたようである。
『ちいさきものよ……わたしは、やまいにおかされた……もうじき、しぬでしょう』
この妖怪は迂木よりも頭がよさそうである。俺の予想通り、病気のようだ。枯れている部分は幹の深くまで浸食しており、もう助かる見込みはないとのこと。
『しかし、いちまんねんをいきつづけた、そのあかしをのこしたい……わたしの、ちから、を、あな、た、に……』
そう言うと、木は生気を失った。なんとなくだが、わかる。この木は死んだのだ。依然としてその姿は壮観なものだが、すでに亡骸となった。そして、遥か高みにある枝から一つの実が落ちてきた。ちょうど俺の前で止まるようにしてころころと転がってくる。
その実は琥珀色に光っていた。文字通り、輝いているのだ。圧倒的な妖力を感じる。極限まで練り上げられた妖力の渦がクルミほどの大きさの実の中に閉じ込められている。これは、この木の力のすべてが詰まった物だ。一万年分の成長した妖力が余すところなく凝縮されている。
え、これって、ものすげー、タナボタじゃね?
(木さん、ありがとう! キミの死は無駄にはしない! パクッ……うめええええ!)
というわけで、おいしくいただいた。前世も含めて、今まで食べてきた物すべてを超えるほどのおいしさだった。あっという間に果汁の一滴も残さずに完食した。
その直後だ。俺の体の中にとんでもない量の妖力がみなぎってきた。この力さえあれば、もう何も怖くない。捕食者の存在に怯える必要もなくなる。これで俺も妖怪に……あれ? なんだか、体の調子がおかしい。手足が動かない。どうなってるんだ。
『あは、あはははは、あははははっ! ばかね、わたしのちからが、ただでてにはいるとおもったの? もう、あのからだは、つかえなくなってしまった。こんどは、あなたをなえどこにして、せいちょうするわ』
(ナニィィィ!?)
ですよね。そんなうまい話、あるわけないか。
どうやら、病気で死にそうになった巨木さんは、自分の体を捨てて新しい種を俺の体に仕込んだらしい。莫大な妖力の影響によって、種は俺の体の中で急成長を始める。
(いたい、いたい、いたいィィィ!)
体中に激痛が走る。俺の腹の中で異物が大きくなっていく。根が内臓に食い込み、四肢の末端まで浸食される。普通ならとっくに死んでいるだろう。だが、俺は死ぬことも許されず、終わらない激痛に苦しみ続ける。俺の体内に張り巡らされた根っこは完全に根付き、俺は全身を支配されてしまった。
それが終わると、次は“芽吹き”が始まる。腹の種が膨れ上がる。やばい。今度こそ死ぬ。ミシミシと音を立てて俺の自慢の甲羅が悲鳴をあげる。
(いぎやああ、ああ、あがあああっ!)
『あはは、あはははっ! わたしのえいようになってね』
ついに俺の甲羅は砕けた。内側から押し上げてきた種の芽が、俺の背中から飛び出す。逆に腹側からは根っこが飛び出し、地面の奥深くへと伸びていく。そして、俺の意識は静かに暗転していった。
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