特集1● - 細野秀雄博士の研究作法
Essential for Life、そんな研究をしたい
材料科学の“四番バッター”ともいえる細野秀雄・東京工業大学教授が、4本目のホームランをスタンドに叩き込んだもようだ。それが、C12A7(12CaO・7Al2O3)を触媒とした新しいアンモニア合成法だ。言うまでもなく、現行のハーバー・ボッシュ法(1903年)は空気中の窒素ガスを原料にしたアンモニア合成法で、そこから窒素肥料が作られ、人類の発展に大きく貢献してきた。人類史に名前を刻むこの有名な手法が、“細野法”に置き換えられる可能性があるという。100年の歴史が本当に変わるかどうかは今後にかかっているが、少なくとも変換効率においてしのぐ可能性は高いと細野教授は自信をのぞかせる。 1本目のホームランであるIGZOによる高性能透明薄膜トランジスタ(TFT)の方は、いよいよアモルファスシリコンTFTを駆逐しつつあるようだ。スマートフォンや大型液晶テレビの高精細化が進み、IGZOの優秀な性能がますます必要とされており、世界のトップメーカーが採用の方向になびいているらしい。そこで気になるのが特許やその他の知的所有権だ。市場規模が10兆円と非常に大きいため、もし支配的な契約などが認められれば大変な金額になりうる。もちろん簡単にはいかないのが世の常だが、細野教授が少なくみても数千億円の知的財産価値を生み出したことだけは、間違いないであろう。 実は、2本目のホームランであるC12A7の半導体化・金属化・超伝導化という成果の延長線上から、今回のアンモニア触媒が出てきた。それはまた、3本目のホームランである鉄系超伝導体研究の、いわばプラスαのテーマとしてでもあった。 まるでドラえもんのように次々と新しいモノを作り出す秘密はどこにあるのか、あらためて細野教授にお聞きした。 (聞き手・本文構成:松尾義之)
―細野先生が発見発明された透明酸化物半導体のIGZOですが、シャープが大々的な宣伝をしていますね。でも、あの技術は確か、サムスンに最初に特許使用を認めたのではないのですか? 細野 IGZOはライセンス先の一つであるシャープが商標登録し認められているようですが、学会でずっと前から定着している名称が商標になっていいものか疑問に思っていますが、それは別にして、この技術はすでに商売のタネになっていて、特許を含め、企業・関連機関間で壮絶な闘いが展開されています。ただ、一部の新聞が「画期的半導体特許をサムスンに先行供与」と報道したのは間違いです。あの裏には韓国における私たちの特許裁判があって、その裁判に私たちが勝ったので、正式にサムスンにライセンスしたのです。どこにも制約されない一般実施権を出しただけで、たまたま最初の契約がサムスンでした。「先行」ではありません。今はLGにもシャープなど日本企業にも、中国の企業にも同様に出しています。 この物質は、ついにこうした商品レベルまで到達したということです。エレクトロニクス業界の開発部門の人でも、まさか酸化物が透明半導体になって実用化されるとは夢にも思っていなかったと思います。僕らが1995年に電子移動度の大きな透明アモルファス酸化物の物質設計の指針と実例を国際会議に報告し、高性能透明薄膜トランジスタ(TFT)をつくったのが2003年(結晶IGZO)と2004年(アモルファス)。特にそこからの展開が速かったですね。 ―スマートフォンや液晶テレビなどのディスプレー技術ですから、IGZOの適用分野は、とてつもなく大きいと思います。 細野 1995年当時はアモルファスシリコンが全盛でした。あまりにも強いもんだから腹が立って、半導体国際会議で酸化物の話をしたわけです。そのとき、「細野さん、あんたの来るところじゃないよ。これはガラスの学会じゃないんだ、半導体だよ」と言われたのです。 そのころ、「あなたの夢は何ですか」と聞かれて、「世の中からアモルファスシリコンをなくすことです」と答えたことがありました。でも最近は言わないですよ、もう往時の強さはありませんので。
―FIRST(最先端研究開発支援プログラム)では何をテーマに掲げられたのですか。 細野 超伝導をメインにしていますが、「超伝導およびその関連機能の探索」として、超伝導以外のこともいろいろやっています。その中の一つで一番分かりやすいのがアンモニア合成触媒です。FIRSTの研究費は、政権が変わったことで当初計画の90億円から30億円に減らされたんですが、それに伴う研究提案の再提出が要求され、それについて「この触媒の研究は超伝導の研究とは関係ないからカットすべきだ」というコメントがついていたのです。それでも「僕が責任を持つから」と周りを激励して精力的にやりました。そうしたら3年目のFIRSTの中間評価書に「これは特筆に値する成果である」と書いてあるわけ。研究ってそういうもんですよ。必ずしも評価者の見通しどおりになるわけではない。われわれが結果を出せばいいんです。 ―このアンモニア触媒というのは、現在のハーバー・ボッシュ法をなくそうという野心的試みのようですね。 細野 ハーバー・ボッシュ法はとんでもなく大した方法なんです。当時、窒素と水素からアンモニアが合成できるとは熱力学的にも明確でなかったのに、作り出したわけですから。でもわれわれの方法は、効率で上回れるんじゃないかと期待しているんですよ。これはC12A7というセメントの物質で作りました。C12A7は実は電子を入れると透明金属になって超伝導になるんだけれども、触媒作用もあるんですよ。炭酸ガスを室温で分解できるという論文も8月末に掲載されました。 FIRSTの初めから、これを狙っていたのです。あのときはわれわれが鉄系超伝導物質を発見したばかりで、世界中でブームになっちゃった。でも、総合科学技術会議の議員になられた橋本和仁さんから「細野さんは全部を超伝導にしてはダメ。あなたには、もっといろんなことをやってもらわなくては困る」というコメントをいただいたのです。僕はもともとそのつもりだったし、科学技術振興機構(JST)の理事長だった北澤宏一先生もやりたいことやったらいいよと言ってくれました。入り口が広いといろいろなことができるんですよ。 そもそも僕が鉄系超伝導を見つけたのも、別の透明酸化物半導体から派出した研究において、副産物としてなのです。今度は逆で鉄系超伝導を看板にしておいて、C12A7の触媒作用のほうを見つけてやろうと思っていたわけです。 ―本当の狙いは看板とは別だった……。 細野 テーマに「関連機能」という言葉を入れておいたのはそういう理由です。新超伝導物質および関連機能物質の探索としておいた。そもそも、画期的な超伝導物質は、見つけようと思ったってそう簡単には見つからないんですよ。特に臨界温度(Tc)の高いのは非常に難しい。 銅系から鉄系までだって、20何年もかかっているんです。銅系超伝導だって見つけようと思って見つかったんじゃないですからね。ただ、見つけた本人としては、研究をやらないわけにいかない。でも、それだけで討ち死にするわけにもいかない。 ―そこでプラスαを用意された。 細野 そうです。プロジェクトのロゴを「スーパー(超伝導のこと)プラスα」にした。このプラスαが重要なんですよ。材料の研究って、初めに狙っていても、どんどん変わっていくことが多いから、視野をあまり狭く絞らないほうがいいと思いますよ。 ―そこに、細野先生という超一流の科学者の達観みたいなものがあるわけですね。 細野 研究室の中でさえ言わないような話もあります。研究って、人に全部説明できるようになると、大体終わりなんですよ。結果が出てくると裏付けも説得力もある。しかし、初めの段階では言えないのです。言っても仕方ない面があるので、とにかくやってみて、この辺だろうという見当をつけていく。そのあと、実験的証拠を出していき、全体の筋道が描ければほぼ完成です。 ―お金を出す側からすれば、先生みたいにきちんと結果を出してくれる研究者は、間違いがなくていいですよね。 細野 僕だって提案書はそれなりに、怒られない程度にはきちんと書いたんですよ。でも、決してそれが全てではない。隠し玉を用意しています。
―細野ドラえもんのポケットからは、いつも何かが出てきます。ところで、欧米の研究プロポーザルは結構きちんと書かれているようですが。 細野 ただ、秘密がきちんと守られているかどうかは分かりませんよ。JSTの創造科学技術推進事業(ERATO)など、日本の基礎研究がうまくいったのは、研究者を信頼して任せたからです。「あなたを信用しているから自由にやってください」で、うまくいったんだと思います。その真逆が審査委員会方式で、審査員全員が納得するような提案なんて、そうはないでしょう。むしろ、初めから結果が読めるものがほとんどではないでしょうか。 ―「ネイチャー」や「サイエンス」などの論文誌もピアレビュー万能主義でやってるから、画期的に新しい成果はめったに出てこないと感じます。 細野 確かに最近多くないように感じますね。やっぱり流行を追いかける論文が主流になっている。ブランドになり過ぎて、硬直化している面もあるかと思います。 ―ゲノムが典型例ですが、バイオ関係はアメリカやイギリスがあれほど膨大な金をつぎ込んでも、大した成果は出てこなかった。僕はその一因は審査過程にあると見ています。審査をがちがちにやり過ぎてしまった。 細野 でも、9割ぐらいはそれでいくしかない。そして1割ぐらいを、人に任せるものにしたらいいと思う。ERATOは、プロジェクトに名前を付けて、研究者個人の責任に委ねた。研究は誰がするかといえば、基本的に人が全てなんですよ。「それを言っちゃあ、おしめえよ」と寅さんが言うかもしれないけど。 ただ、基礎研究というのは、形の上では成功したことになっていても、成功する確率はそんなに高くないんですよ。 そのこともあって、いったい僕は代表として、今まで研究費をいくらもらってきたのかなと思って累積計算してみて驚きました。なんと橋が1つできる額をいただいているのですよ。 ―研究者1人の科学研究費の累積で橋が1つできますか。 細野 僕は、ERATOのときに18億円出してもらったんです。その後の発展研究SORSTで10億円、そしてFIRSTで32億円支出してもらった。私が代表としてやった研究プロジェクトを合計すると60億円なんです。あるところで土木の人の講演を聞いたら、この橋は60億円ですって。果たして僕は、この大きな橋1つより高い価値を生み出せただろうか。税金の重みをつくづく感じます。それにきちんと応えていかねばならない。 ―いえいえ、60億円なんて、IGZOで軽く元をとっていると思いますよ。まわりのイノベーション部分をカウントすれば100倍、1000倍にもなるでしょう。世界のディスプレー市場って、もう年間10兆円とかの規模かもしれませんから。 細野 だから、正直なところ、少し気が楽になったんです。先日、JSTの人が「負債はないです」と言ってくれました。 ―加速器は何百億円、何千億円かけて作っています。 細野 あれは材料の研究じゃないし、自然界の真理を求めるものです。 ―国民1人当たり60円。細野先生に60円出し、こんなに素晴らしい成果が生まれたと思うと、僕個人はすごくうれしいです。 細野 東京工業大学で一番有名な発明がフェライトなんですよ。1930年代、戦前の発明です。でも戦後はそれだけ大きな発明はないんです。 ―フェライトは、TDKという会社として残っていますね。 細野 やっぱり、大学の看板となるような新しい発明・発見を生み出さないといけないですね。学生や若い研究者のアイデンティティーに結び付くような研究を目指さないといけない。60億円いただいたから言うわけじゃないけれど、非常に僕は責任を感じます。 IGZO(結晶&アモルファス)の薄膜トランジスタは私たちが最初に創り出したものなので、特許という社会に見える形としても残しておきたいんです。不戦敗の形で裁判を終わらせるわけにはいかない。僕らが研究から製品化までつなげるところ、そして特許にまつわる係争までやったという、全ルートを目に見える形に残しておきたいのです。そうすれば、後の人も、どんなところで失敗する可能性があるのか分かるだろうと思います。
―アンモニアの合成触媒は、どの辺りから、どう生まれたのでしょうか。 細野 私は化学の出身ですから、若いときからアンモニア合成には興味がありました。数年前、IGZOが大体実用になるめどが付いたころ、今はアメリカの会社にスカウトされた野村研二君と話したことがあります。ある学会から透明ディスプレーの解説を書いてくれと頼まれていました。そんなとき、野村君が「先生、透明ディスプレーは何の役に立ちますかね」と話し掛けてきました。真面目に考え直してみると、要するに、ただ面白いだけかな、と思い至りました。 結論は、Better life、よりよい生活に役立つだろうということでした。でも、僕はサイエンスをBetter lifeのためにやってきたわけじゃない。Essential for lifeが目的で、そんな仕事をしたい。人間が生きるために本質的に役に立つ仕事をしたいという非常に強い欲求があるんです。それは何かと考えていたときに、そういえばアンモニア合成では、100年間触媒が変わってないな、と気が付いたのです。それがきっかけです。アンモニアは肥料として人口増を支えてきました。ハーバー・ボッシュ法は人類を救った非常に立派なアンモニア合成法です。それが、もう100年たっている。いくらなんだってそろそろ新しいものが出てもいいじゃないか。ちょうど誰もやっていないし、僕らの近くには触媒屋もいたので、やってみることに決めたんですよ。 もちろん勝算もある程度ありました。なぜアンモニア合成が難しいかと言うと、空気中の窒素分子が三重結合でできていて、これを切らなくてはならないからです。でも、これが切れてしまえば後は簡単にアンモニアができる。三重結合を切るにはどうしたらいいか。結合の手が3本あるから、電子の入ってない3つの反結合性軌道に一つ一つ電子を入れてやれば、順に消えていくはず。それをするには、窒素に電子をものすごく与えやすい物質を使えばいい。そうすれば結合の手は切れるはずです。高校の理科みたいなもんです。 そうした物質の一つにアルカリ金属があります。イオン化しやすい元素で、すごく電子を与えやすい。ところが、窒素とは反応して化合物を作ってしまいます。今求めているのは、触媒的に回らなければならない。窒素を切ってまた元に戻らないといけないわけです。そのためには、窒素に電子を与えやすく、しかも化学的に安定という2つの性質が必要です。「化学的に安定で、なおかつ電子を極めて出しやすい」が目標です。 ―矛盾しているみたいですね。 細野 普通は矛盾します。ところが、僕らのやってきたC12A7に電子をドープしたエレクトライドは、この条件を満足するんです。そのこと自体はもう数年前に論文として報告していて実は、そのいい応用例を探していたのです。そこで、よし、これでアンモニア合成をやってみよう、となりました。原亨和さん(東京工業大学応用セラミックス研究所教授)という触媒の専門家のところに行ったら、「先生、アンモニア合成をやるって本気ですか。あれはたたりがあると言われていますよ」って言うんです。アンモニア合成といえば触媒化学の最高峰みたいなもので、それ故に討ち死にした人もたくさんいる。そのため、最近はもうみんな敬遠して誰もやってないと言うんです。でもその原さん自身は、アンモニア合成に魅せられて、この世界に入った人なんですよ。 ―夢を捨てきれない大人がいた。 細野 本気ですかと聞くから、本気だと答えたら「じゃ、やりましょうか」となりました。それがちょうどFIRSTが始まる前。 ―FIRST前の成果リストには、確かに入ってないですね。 細野 入ってないです。空気中で安定なエレクトライドの大量合成法を開発して、この後ずっと続けて研究していました。ポイントは最表面で、触媒は表面の構造が左右するからです。表面においてもバルクと同じような構造をとる条件をきちんと探しました。基礎研究をきちんとやりました。表面に原子の構造が出てくる条件を押さえておいたので、触媒に応用してできないはずがないと思っていました。 なぜかと言うと、触媒というのは、失敗するときは表面がダメなのです。バルクと違うからダメだったという言い訳になるのが常なので、初めの3年間、表面をきちんと調べたのです。こうして、もううまくいかないはずはないという形で退路を絶ち、約1年半、決死の覚悟でやりました。そして何とかうまくいったんです。 ―表面の構造がきちんと出ているような条件を決めていった。 細野 その表面の論文が出たのが2011年。だから、2009年ぐらいから表面の研究を始めました。 ―表面が出ないというのは、どういうイメージでしょうか。 細野 C12A7というのは、カゴの構造をしているんですよ。そのカゴの中に電子が入っている。表面をバンと割ると、カゴが壊れ、電子がいなくなって最表面は絶縁体になってしまう。だから見かけ上は電子が全体にはあるけど、カゴが壊れた表面だけを見たら電子のない状態になっている。当然、触媒作用もなくなる。これでは役に立たないので、適当な温度に温めてアニーリングするのです。するとカゴが回復して内部と同じようになる。もっとも、最初は、そもそもこうした条件があるのかないのかも分からず、探したわけです。これは非常に地味な仕事でした。 表面をきちんと再構成する条件を求めたら、最表面まで電子が来ていることも分かったのです。 表面観察と言うと、普通は、グラファイトみたいにきれいに劈開する物質でしかやりません。C12A7のような劈開しない物質なんか、表面科学の対象じゃないんです。研究室の若い人からも、「先生、そんなの無茶ですよ。劈開もしないのに、STM(走査トンネル顕微鏡)で見えるわけないじゃないですか」って言われてしまった。「そうなんだ、しまった」と僕もテーマを出したあと思ったわけ。でも、撤退するわけにいかないから、できるところまでやってみようということになり、戸田喜丈君(現・特任助教)が3年頑張ってくれて、きちんと見えるようになった。 これがC12A7の模型です。ここのカゴの中に電子が存在できるんですよ。この単結晶を超高真空の中で割ると、表面のカゴが壊れて電子が存在できなくなり、絶縁体になってしまう。しかし、もう一回加熱するとカゴが修復して、最後まで電子がここに来る。ということは、近くに窒素分子が来れば電子を供与できるわけ。この状況を探したのです。 ―走査トンネル顕微鏡STMで見た。 細野 そうそう。結局、急がば回れでした。その前の5〜6年はSTMを見ないでやったもんだから、うまくいった反応もあるし、うまくいかない反応もあった。今度は3年かかったけれども、学生の頑張りもあって、表面が見えるようになって、うまくいかない理由がなくなった。実際、一発目からそこそこのいいデータが出たのです。 しかし、論文を投稿すると、今度は、審査員に理解してもらえず、却下、リジェクトとくるわけです。 ―画期的過ぎて専門家でも重要性が分からないのですね。 細野 鉄系超伝導の時も最初は却下と言ってきました。確かに前提の説明が不十分で誤解を与えやすいが悪い部分もあったんです、そういうところは直し、必要なデータは取り直して、もう一度論文を仕上げていきました。 ―それでも、まったく新しい世界ですから、根本のところはやり合うわけですね。 細野 そうです。もう一回違う角度からのデータを取って説得していく。そして、やっと理解してもらうと、今度は態度がガラッとひっくり返って、「こんな画期的な論文はない」となって、解説記事まで書いてくれたのです。本当に劇的でした。仕方のない面もあるのですよ。初めは何を言っているか分からないし、こんな触媒は昔からあるアルミナと同じじゃないか、いったいどこが違うんだと思い込んでしまうのです。審査員が目の前にいて、黒板を使って1時間くらい説明できるなら簡単なんですけど、論文審査は、審査員が秘密になっているので、意思の疎通に時間がかかってしまうのです。
―前回お会いしたときもそうなんですけど、細野先生の化学・ケミストリーには、普通の化学者や材料化学者が持ってない独特の世界観があるように感じます。 細野 いや、そんなことはないと思います。僕はそんなに奇妙な手を使ったことはないです。むしろいつもオーソドックスなんですよ。 C12A7にしても、複雑そうに見えるでしょう。でも、要素で分解していくと意外と単純なんです。この物質で電気が流れるようになったのは、このカゴ部分の中に電子が入ってトンネル効果で抜けられるかどうかだけなのですよ。電気が流れるのは、量子力学のトンネル効果が起こっているからだけです。セメントみたいな物質では、トンネル効果は起こらない、トンネル効果は特殊な現象だとみんな思い込んでいる。そんなことはないのですよ。トンネル効果なんて、いろいろなところで起こっているんですよ。 ―セメントの中でも起こっている。 細野 うまく料理してやれば、どこだって起こるんですよ。 だから、物理現象を具体的なモノの中でどういうふうに実現するか、です。物質というのは、物性とか原理をその中に入れ込んでいく舞台なんです。自分のコンセプトに合った一番近い物質を探し出してくればいいわけですよ。 ―社会で使われるようになる材料の条件とは、何ですか。 細野 まずは優れた性能を持っていること。でも材料はエクセレントだけでは勝てない。材料というのは、その上にユニークさがなければダメなんです。 もう一つ、われわれのIGZOが典型例ですが「使わざるを得ない」というケースがあります。IGZOなんていう材料は、基本的に、みんな使いたくなかったのです。みんなが半導体はシリコンだと思ってる中で、酸化物のような汚い材料を使うのは抵抗があった。それでも使わざるを得なかったのは簡単で、誰が試しても初めからアモルファスシリコンの20倍の性能が出たからです。いいとか悪いとかじゃなくて、やらざるを得なくなったんですよ。材料自体がよくて簡単に作れたので、あっという間に普及したのです。 それから、私はアカデミアの人間ですので、新しい学問領域が開くことに最大の価値を置いています。つまり、新しい学問領域が開けて、新しい機能があって、新しい応用があること、この3つがそろうことが必要だと思います。 私の超伝導プロジェクトですが、このコアメンバーには物理学者を一人も入れなかったのです。意識的にそうしました。超伝導は物性物理の領域ですが、物理学者をメインに据えると、全体がその物理学者のために働くようになって、肝心の新しい物質が出てこなくなることを危惧しました。 もちろん物理の人には相談によく乗ってもらうことにして、実際にやるのは化学の研究者だけにした。世界で初めての「固体化学屋が先導する超伝導プロジェクト」なんですよ。これをやってみたかったのです。 ―先生からアイデアが出てこないなんてことはあるんでしょうか。 細野 いや、いつも出てこないんですよ。たまに出てくるだけですよ。夜中に思い付いて、朝に考え直すと全然ダメだったり。本当にいいアイデアはめったに出てこないですよ。大阪大学におられた村井眞二先生が非常にうまいことをおっしゃっています。「研究室の定常状態はうまくいかないことである」って。これは卓見です。こんなわが意を得たりと感銘受けた言葉はありません。いつもうまくいってる仕事なんて画期的な仕事じゃなく、予想されたことをやってるだけなんですよ。
―確かにそうですね。ただ、これは僕の偏見なんですが、たまにしか出ない画期的な研究成果をピックアップしていきますと、特に工学の応用では、ここ十数年ぐらい、新しいものはみんな日本から出ているんですよ。 細野 確かにそうかもしれませんね。中国に抜かれたとか言っていますが、画期的な成果をみればやっぱり日本は強いですよ。超伝導なんかもほとんど日本発ですし。それを改良するのが中国ですよ。中国が改良が得意なのは理由があるようです。 中国の知人が、「細野さんは、中国では絶対に成功しない」と言うんです。なぜかというと、すぐに権威に盾を突いてひっくり返そうとするからですって。中国では権威に逆らっちゃダメで、権威におもねて論文を書いて偉くなっていくのだそうです。だから、中国の論文って大筋でみんなそのようです。欧米の研究室のトップのやり方を踏まえて、その改良をする論文が多い。韓国もそうだけれど、世界的な権威の上に乗って続きをやる。でも、日本だって欧米だって、それをひっくり返してやろうと頑張るじゃないですか。 ―それは科学技術の醍醐味(だいごみ)ですからね。 細野 科学の歴史から見れば、それだけ体制が自由だということですよ。画期的な科学的成果が出てくることと、その社会体制は無縁じゃないという気がします。権威におもねるか、権威をひっくり返すのか。僕は、ひっくり返そうとする中から新しいものが生まれてくるんだと思います。そういう意味では、材料や物質の世界では、中国からはいまだ画期的な成果は出ていない。ただ、日本から出たもの、欧米から出たものを、あっという間に改良して性能を上げてしまう力を中国は持っている。これはダントツです。 日米半導体摩擦があった1980年代、ヨーロッパが種をまき、アメリカが育て、日本が刈り取ると言われました。「落穂拾い」だと言う人もいます。 ―向こうが捨て去ったものを活かす力が、確かに日本にはあります。 細野 それはともかく、半導体摩擦から20年、30年たって、日本は本当に種をまける国になったんです。これを忘れてはいけないんですよ。 ―ありがとうございました。 1982年3月 東京都立大学大学院博士課程修了(工学博士)、1982年4月名古屋工業大学助手、1988年9月~1989年8月 バンダービルト大学 博士研究員、1990年2月~ 同大学助教授、1993年6月~ 東京工業大学助教授、1999年10月 同大学 教授。 1999年10月~2004年9月 科学技術振興機構(JST) ERATO「細野透明電子活性プロジェクト」総括責任者、2002年10月~2007年3月 文部科学省 21世紀 COE 東工大「産業化を目指したナノ材料開拓と人材育成」拠点リーダー、2004年10月~2010年3月 JST ERATO「透明電子活性」、ERATO-SORST「透明酸化物のナノ構造を活用した機能開拓と応用展開」研究総括。2010年3月~内閣府 最先端研究開発支援プログラム(FIRST)「新超電導および関連機能物質の探索と産業用超電導線材の応用」中心研究者。 |