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皇室全般画像掲示板
頭蓋骨の形をなぞってみました。左が美智子ちゃん絶壁ずらバージョンで右が美智子ちゃん後頭部しっかり膨らんでますバージョンです。どっちも人間の頭蓋骨じゃないとおもいます。美智子ちゃんはやっぱりうちうじんだとおもいます。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1380382280/妄想板の住人ですね。検索キーワードは「美智子、色盲、眉毛、整形」
愛子さんの逆さバイバイ並みの認知能力の人でも、PCが扱えるという例ですね。
整形では頭蓋骨の形は変えられないものね。鎌首のばしすぎて正体がでちゃってるよwww
ID:.zNDd0tg No.1202218 <−−− アンタの頭蓋骨写真も載せてくれない?本物のブスの頭蓋骨(顔も性格も)がどうなっているのか見たいし。
↑ うふふ、同意。
頭蓋骨見せろというやつからまず張るのが礼儀でわ?それともあんた美智子ちゃん?
>張るのが礼儀でわ日本語も頭も大丈夫?こんな短い文章でいくつもミスしないでね。
んで、あんたの頭蓋骨まだ?あんたもうちうじんみたいな頭蓋骨なん?
>>ID:fNY3tFgw No.1202489 首切り役人の末裔の美智子の首は、怨霊が憑いているのか、首を刎ねられる時の形、そのもの。 恐ろしいねぇ〜〜。美智子の鎌首には大蛇が住んでいると思っていたけど、どうやら、首を刎ねられた人達が鎌首になって住み着いているようだww
>>ID:fNY3tFgw No.1202491 江戸時代の正田家は、長吏(穢多頭みたいなもん)で首切り役人でしたのよ。当時の処刑役人は、遺体を自由に出来る権利が有ったのよね。そこで、処刑した遺体から、臓器を取り出して薬屋に売って大金を貯めこんだのよ。臓器を抜いた遺体は、試し切りして、試し切り賃もたんまりとせしめた上に、試し切りの要望が多かったので、遺体を何回も利用するために切り口を縫い合わせて再利用してたのね。というわけで、そこら辺の武士よりも、正田家は大金持ちだったのよね。 凄くない?
>>ID:fNY3tFgw No.1202493 しかし、その報いが祟ったのか、美智子には、首を切られた何千人もの亡霊が憑いているみたい。美智子の鎌首は、まさに首を落としてもらう罪人の形そのものだもの。おお怖〜〜〜昭和天皇は自分の処刑逃れのために、GHQが押し付けた美智子を、脳足りんの今上の嫁と承諾したのよ。しかし、敗戦の後ろめたさと、国民の怒りが怖くて、美智子の入内に関しては、真っ当なお家じゃないから、美智子の出自を嘘と捏造で美化して国民に報告したわけよ。正田家には、ヤクザの徒弟が常駐していて、それを見ながら大人になった美智子の周りには、銃弾事件や、泥棒の話や、変死者の話が多すぎるのも頷けると思わない? 美智子は凄い因縁を持った妖怪婆なのよ。この婆に関わった人達は 本当にお気の毒だわ・・・
>>ID:rzp52lb. No.1202601 美智子の鎌首には大蛇が住んでいて、紡錘形の瞳と、裂けた舌をチョロチョロ覗かせているとず〜〜と思っていたんだけれど、どうやら、美智子の鎌首には、怨霊が憑いているのか、首切り役人だった先祖の祟りで、首を刎ねられた人達が、鎌首の形になって、住み着いているみたい。美智子の鎌首って、ヌーと伸ばした首の角度が、首を刎ねられるのに一番いい角度なのよ。キャーー先祖の因果が美智子に祟るって、凄い因果応報だけれど、皇室が穢れるはずだわ。こんな出自の美智子を入内させた、昭和天皇に怒りを覚えると同時に、今上にむかっ腹が立つ!ほんと、今上と美智子の皇室など、国が滅びる元だよ。早く憲法改正して、皇室など消滅させる方がいい。『 刎ねられた 幾千の首 恨めしや 怨念怨霊 美智子の鎌首 』『 皇后の 穢れが国を 滅ぼさん 魑魅魍魎が 跋扈するなり 』
>>ID:rzp52lb. No.1202608 美智子の実家 正田家は、正真正銘の、穢多頭の長吏で、大金持ちだった。正田家は、館林城の城門の外の、穢多部落に居を構えていて、刀を差していたというから、首切り役人だろう。当時の首切り役人は、処刑した遺体を自由に出来る権利を有していたから、並みの武士よりも数段裕福だった。http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/72bceae062cf6f09b65ffad6d0265ecb↑首切り役人の副業と、想像を絶する、穢多の非道な生き様が書かれている。ここまで人間離れした集団は、生活苦からこうなったというより、人種が違うのだと思える。美智子には本当におぞましい血が流れているということを、国民は知る必要があると思う。
>>ID:rzp52lb. No.1202622 内容が読めないのなら仕方がないが、身が縮まる悍ましさを感じないなんて、あんたは日本人じゃ無いよ!首切り役人の末裔が皇后だななんて、そんな女が日本の象徴の妻だよ。日本人として本当に許せるか?http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/72bceae062cf6f09b65ffad6d0265ecb【生き胆】 中程から −抜粋- 明治2年の項に、「罪囚の死骸につき胆を抜き、およびその死骸を撃ちて刀剣の利鈍を試みると禁ず」とある。「首切り浅右衛門」家のように、首切り役人には二つの副業があった。一つは大名から依頼された刀剣の試し切りで、これは首を刎ねる時に使うこともあったが、多くは死後死体を土段の上に載せ、「胴切り」して切れ味を試した。もう一つは、死後に胆のう、陰茎などを漢方医に、あるいは頭蓋骨を洋医に売り渡すことである。作家有島武郎の弟、里見?は1888(明治21)年、横浜生まれだから斬首刑を見ていないが、その「ひえもんとり」(大正6発表)には、斬首刑の様子とその直後に「ひえもんとり」と称する「生き胆」取りの連中が殺到して、早い者勝ちの競争になることを示している。
>>ID:rzp52lb. No.1202625 「ひえもんとり」競争では刃物を持つことが許されていないので、人体にある唯一の刃物、歯が勝負を決める。まず死体の右肋骨弓の下部にかぶりつき、腕が入る穴を開ける。そこから手を突っ込んで胆のうを探り当て、「えび茶色でナスのかたちをした」胆のうを引きちぎる。これに負けた者は第二の獲物を目指す。それは両足首にあるアキレス腱を包む、「石鹸の泡のような脂肪」である。これは持ち運びできないので、足首に齧り付いて、白い脂肪をジュルジュルと吸い出して呑みこむ。 処刑のある日には、民衆がまるで芝居見物に出かけるように、「楽しい見ものがあるかのように、上機嫌になって、面白おかしい話をしながら」集まってきた、とある。この時処刑された男は「土佐訛り」であった、人の胆でつくった「浅右衛門丸」のことなら、この国の人間なら誰でも知っている、とあるから場所は横浜処刑場か、江戸の鈴ヶ森処刑場であろう。明治2(1869)年まで、1869このような慣行が許されていたとは信じられないが、多くの資料があり事実だろう。