キューバと米国が、外交関係の修復に乗り出しました。その一環として、現在、キューバで拘束されているアメリカ人政治犯53名を釈放する運びになりそうです。

キューバがここへきて急速に米国と歩み寄る姿勢を見せているのは、伝統的なキューバの友好国であるロシアベネズエラが、最近の原油価格急落でたいへんなコトになっているのと無関係ではありません。

とりわけベネズエラは経済面、医療面、政治面などでキューバと親密な関係にあり、ベネズエラからの支援が途絶えるとキューバはとても苦しくなります。

キューバはフロリダ半島からわずか150キロメートルのところに位置し、キューバ革命が起こる前は、ちょうど今日のラスベガスのような、アメリカの行楽客の近場の遊び場でした。

従って、若しキューバへの観光旅行が解禁されれば、爆発的なブームになることが予想されます。

その恩恵を最もこうむるのが、カーニバル(ティッカーシンボル:CCL)やロイヤル・カリビアン・クルーズ(ティッカーシンボル:RCL)などのレジャー株です。


(動画出典:ロイヤル・カリビアン・インターナショナル クウァンタム・オブ・ザ・シーズ号のプロモーション動画)

アメリカとキューバの関係は、なぜ悪化したのでしょうか?

その原因はフィデル・カストロ、チェ・ゲバラなどによって指導された1959年のキューバ革命に求めることが出来ます。

当時のキューバはアメリカの裕福層、大企業、闇経済などの影響下に置かれていた、腐敗したバティスタ政権でした。カストロやゲバラのグループは、まんまとその政府を転覆することに成功します。

カストロは首相に就任後、アメリカと友好関係を樹立すべくワシントンDCを訪問します。カストロと面談したリチャード・ニクソン副大統領はカストロのカリスマ性に感心し、アイゼンハワー大統領に「この男とはしっかりと付き合ってゆく必要がある」と進言しました。

ところがアイゼンハワー大統領が知らないうちにCIAもカストロと別個に秘密会談を持ちました。CIAはその会合を通じて、カストロが民主主義に立脚した政権運営を行うと判断し、「ソ連をはじめとした共産主義国に関するわれわれがもっている極秘情報を提供するから、そちらも情報を提供してほしい」とカストロに申し入れます。つまりカストロを味方に引き入れようとしたわけです。


ところがカストロは農地改革など共産主義的な政策を打ちだし、カストロに手玉に取られたCIAは焦り、(カストロ政権を潰すなら、いまのうちだ)と考え始めます。

フロリダにはキューバ革命のときにキューバを追われ、アメリカに逃げて来たキューバ人のコミュニティがあります。彼らは革命前のキューバの状態を復旧することに情熱をもっています。

アイゼンハワー大統領はフロリダのキューバ人を愚連隊に仕立て上げ、彼らをキューバに送り込み、クーデターを画策します。

当初の計画は、落下傘部隊を含む、大がかりな侵攻というプランでした。しかしアイゼンハワーの任期は終了し、ケネディ大統領に代わります。

ケネディ大統領は、引き継ぎの際に、このプランには、乗り気ではありませんでした。

その後、キューバ空軍の基地が何者かによって爆撃され、一部の飛行機が破壊されます。これは上陸作戦に先立つ、キューバ空軍の無力化を狙ったものでした。アメリカはキューバから亡命しようとしたキューバ軍が、この破壊行為を行ったと主張します。しかしアメリカに亡命したとされる爆撃機を検分したアメリカのマスコミは、塗装がニセモノで、これはアメリカ軍の爆撃機だということを暴きます。

国連はアメリカの関与を強く非難します。

ケネディ大統領は、国際世論の反対を見て(戦争ごっこは、もうやめにしたい)という気分になります。

でもフロリダの有志から成る傭兵軍、「2506連隊」は、勝手な動きをし始めていて、ケネディ政権の手に負えなくなっていました。

ケネディは「2506連隊が上陸作戦を強行するのなら、その際のアメリカ空軍による援護はしない」と言います。

1961年4月2506連隊によるピッグス湾侵攻作戦が敢行されます。この作戦ではケネディ大統領の判断で空軍による援護が無かったため、キューバ空軍がピッグス湾上空の制空権を握り、開戦して4時間の間に2隻のアメリカの補給船が撃沈されました。また上陸した傭兵軍は浜辺で機銃掃射を受けました。17時間も水際に張り付けになった後、170人前後の死者を出し、1万人が捕虜になります。

この作戦の大失敗でCIAはケネディ政権を非難し、ケネディ政権は逆にCIAを非難します。ケネディ大統領はマクセル・テーラー将軍に今回の事件の内部調査を指示し、CIAのアレン・ダレス長官はカークパトリック検査官に独自の内部調査を指示するわけです。こうして責任のなすりつけ合いがはじまるわけです。

CIAの報告書は、CIAの隠密作戦に批判的でした。作戦が初めから失敗するとわかっていたのに、CIAはそれを強行したというわけです。これを受けてアレン・ダレスはCIA長官を辞任します。CIAは(作戦が動き出せば、ケネディ政権も支援に回らざるを得ないだろう)と読んでいました。だから無理な計画を強行したのです。

この作戦失敗の後、カストロはキューバ国民からの支持を一層強化し、カストロ政権は安定します。カストロはソ連に接近し、ソ連はミサイルをキューバに輸送します。ケネディが強くこれに抗議したため、ソ連は直前で引き返し、ミサイルをキューバに設置することを断念します。これがキューバ・ミサイル危機と呼ばれる事件です。