ユーモアが「差別」になってしまったサッカー選手・・・SNSとゾーニング -差別的表現再考 3 (松沢呉一) -4,023文字-
2014年12月16日19時14分 カテゴリ:差別表現 • 松沢流世界の読み方
反差別のユーモアが「人種差別発言」に
前回書いたモスバーガーの黒板の「差別」書き込みの件を読んだフーリガンが「これもゾーニング・ミスではないか」と教えてくれたサッカー界の「差別発言」。
バロテッリが人種差別? SNS投稿が問題視 -FAが調査へ
リヴァプールFWマリオ・バロテッリが、『インスタグラム』で人種差別発言をしたとの疑いでイングランドサッカー協会(FA)の調査を受けるようだ。
バロテッリは1日、『インスタグラム』で自身の愛称でもある「スーパーマリオ」の画像を投稿。「人種差別主義者になるな!」との文言に加え、次のようにコメントしている。
「マリオのようになれ。彼はイタリア人の配管工で、日本人によってつくられ、英語を話し、メキシコ人のように見える。黒人のようにジャンプして、ユダヤ人のようにコインをつかむんだ」
この
コメントのうち、「黒人のようにジャンプして、ユダヤ人のようにコインをつかむ」という部分が問題視されているようだ。投稿はすでに削除されている。
だが、『BBC』などイギリスメディアは、FAがバロテッリの投稿について調査すると報じた。FAによるSNSのガイドラインでは、人種に関する規則違反は5試合の出場停止となっている。
リヴァプールのスポークスマンは『BBC』に対し、「我々は投稿が選手によって即座に削除されたことを知っている。この件について選手と話す」とコメントした。
一方、バロテッリは『ツイッター』で、「僕の母はユダヤ人だ。だから、みんな黙ってくれ」と批判に反論している。
その後、イングランドサッカー協会はバロッテリを告発することを决定したよう。
場面よっては問題にならない発言です。たとえばバロッテリの母親がユダヤであることを知っている人たちの間であれば、ユーモアに溢れる反差別のメッセージだとして受けとられる可能性が高い。
あるいは、映画の中であれば、叩かれることはまずない。この辺の線引は国によっても違いましょうけど、よく「あれだけテレビでは差別表現に厳しいアメリカで、どうして映画では差別ギャグが溢れているのか」という疑問が出ます。映画だからです。見たくない人は見ないでいい。その代わりに見たい人は見られることによって表現の自由が担保されています。ゾーニングが徹底しているわけです。
ギャグだと理解できることが前提の有料の映画や演劇、CATVでは、差別ギャグが許される。有料であるとともにフィクションであることもおそらく関わっています。しかし、無料の地上波では許されないという線引があるのはエロ表現と同じです。映画やCATVでは性器丸出し。しかし、テレビやネットでは乳首もNG。
そのゾーニングの線引は国によって違っていて、ヨーロッパだと、地上波のテレビでも、性器丸出しにできる国が多いですけど、これも時間帯でゾーニングがなされています。深夜の線引も国によっては違いますが、原則、深夜はすべてOK。ハメていてもOK。
深夜に子どもが見ることがあったら、見せる親が悪いのであり、放送が悪いのではないという考え方であり、子どもの教育ができない親のために大人の権利が侵害されるべきではない。これは日本に来ていたオランダ人に聞いた意見。深く納得しました。
日本でも「テレビでは裸はNG、映画では裸がOK」というゾーニングがなされているわけですが、それが徹底されていない。性器は、いかに対象を制限していても、見る人が納得していようとも、不特定多数という環境では見せられないため、徹底しようがない。すでに表現の自由が侵害されているのです。これは刑法175条の問題です。あるいは175条を維持し続けているこの国の人たちの問題。これについては「ろくでなし子再逮捕」シリーズでやります。
SNSで起きやすいゾーンの見極め
差別表現についても、ありとあらゆる場面で否定されるわけではないってことを理解すると、バロッテリの発言がゾーニング・ミスであることがより一層わかりやすくなります。
スタンダップ・コメディアンがテレビに出る時はテレビ用のギャグを言い、コメディシアターでは差別ギャグを連発します。コメディシアターではエロネタ、政治ネタと並ぶ柱が差別ネタです。バロッテリのこの発言も、そういった場面で語られてきた王道のパターンを踏まえているんでしょう。
女と部屋に2人だけになると自己紹介の前にイタリアの男は「愛している」と口説く。フランスの男はワインを飲んで口説く。中国の男は料理をテーブルいっぱいに並べて口説く。アメリカの男は銃で脅して口説く。ユダヤの男は金を貸す。日本の男は一人でゲームを始める。
みたいなもんですよ。今作ったんですけど、その出来はともかくとて、各国人のイメージを誇張して笑いをとるこういうギャグを誰もが見たことがありましょう。
そのセンスが共有されている場では許されても、あるいは「ユダヤジョーク集」といった書籍のように、それがギャグのフレーズであることが明示されている場では許されても、どこの誰が見ているのかわからないSNSだと問題になり得る。むしろ、笑いの肝になっている「ステロタイプな描き方」こそが差別表現とされます。
ゾーニング・ミスで意味が変わったわけです。SNSでは起きやすいミスです。書く側は自分のことを知っている人、これがギャグのモードを踏まえていると知っている人が読んでいることを前提としていますが、著名人であれば、書き込みを見ている人はその範囲を大きく越えています。
モスバーガーのボードへの書き込みは、ゾーニング・ミスであるとともに、外に向けて出したところで差別表現であることを確定できないものであることを指摘しましたが、バロッテリの発言は人種、民族、国民のステロタイプな見方を誇張している点において、一定の差別性を帯びていると見ることができます。
というのが今回の処分の論理でしょう。
集団の特性を取り上げることはどこまでが差別になり得るのか
これが差別表現であることは理解できるとして、これがもっとも厄介なタイプの表現です。判断が難しい。よって、ついやってしまいがち。
「黒人のようにジャンプして、ユダヤ人のようにコインをつかむ」というふたつの表現が問題だとされていると記事にはあります。「黒人はスポーツが得意」「ユダヤ人は金儲けが得意」というステロタイプな表現です。他が「国名+人」であるのに対して、このふたつは人種、民族名であることも問題になった可能性もありますが、ステロタイプなギャグの王道としてはそう表現しないと成立しない。アフリカ系英国人や米国人ではないし、イスラエル人でもない。
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