一九八〇年に新人賞を受賞し単行本がベストセラーとなった『なんとなく、クリスタル』の衝撃を、まだ生々しく記憶している人は少なくあるまい。バブルと称される時期よりずっと早く、ブランドとグルメの情報を網羅した風俗小説であると同時に、豊かさが飽和した日本の空虚感を予言的に湛(たた)えていた。
本書はタイトルの通り、同作の33年後を描いている。ただし本書では、作者にきわめて近い「僕」ヤスオが一人称で語っている。信州で県知事も務め「脱ダム宣言」で県政をひっくり返したことがあるというから、ほぼ私小説的な「僕」である。現在は10歳若い妻と愛犬との、のどかな暮らしをしている彼が、かつて自分が描いた小説の主人公だった由利と再会する。ファッションモデルの華やかな女子大生だった由利も54歳。モデルを辞めてからフランス系の会社勤めをしたあと、ロンドンの大学院で経営学を学んだ彼女は、今はPRオフィスを立ち上げている。
物語的な展開はあまりない。かつて関係を持ったこともある女性たちと再会し、何度か会食しては来し方を聞き出し、「記憶の円盤」が回るのに身を任せたり、国情を憂える声に耳を傾けたりする。彼女らもそれぞれ結婚や離婚や病気を経た中年である。やがて「僕」は由利から悩みを打明けられる。
子宮頸(けい)がんワクチンの啓蒙活動に取り組む由利は、ワクチン接種被害の女性たちの声に衝撃を受けた。一方彼女は、アフリカに眼鏡を届ける社会貢献事業にも意欲を持っている。彼女の立ち向かおうとする壁は、脱ダム宣言が頓挫した壁と、かけ離れているようで実は同じ構造だと、読むうちに気付かされる。
こんなふうに本書は、かつての主人公由利のその後の人生を辿りながら、そこにヤスオの自分史と現在の主張を絡ませていく。女性関係に筆が及ぶと、ついかつてのドン・ファンのヤスオ君が甦りもするのだが、因習的な日本の政治風土の貧困を打破したいという情熱は衰えてはいない。富国強兵ではなく「富国裕民」を目標とし、愛国心ではなく「愛民心」に基づく「公益資本主義」の思想が、熱く語られもするのだ。
デビュー作で付けられた膨大な注も本書で復活しているが、とりわけ出生率の低下と、高齢化率の表に見られる著しい変化は、我が国の将来の危うさを如実に語っている。デビュー作の続編という体裁を取りながら、本書は著者が自らの生き方と信条を惜しみなく吐露した、警世と憂国の書なのである。
(文芸評論家 清水 良典)
[日本経済新聞朝刊2014年12月14日付]
田中康夫
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