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No.3582
2014年11月17日(月)放送
“ギャンブル依存症”
明らかになる病の実態

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家族も巻き込む“ギャンブル依存症”

ギャンブル依存症の専門病棟がある、福岡県の病院です。
入院中の患者Aさんです。
これまで、ギャンブルをやめようとしては失敗を繰り返してきました。
2か月間治療に専念していますが、時折、落ち着きがなくなり不眠に悩まされるといいます。

Aさん
「ある程度はやっぱりイライラしたりとか。
今までやっていたものを急にやめる、薬もなくやめるわけなので眠れなくなる。」

Aさんがパチンコを始めたのは大学に通っていた20歳の頃。
就職後もやめられず、同僚から借金を繰り返すようになります。
返済をそのつど肩代わりしてきたのが、Aさんの両親でした。
Aさんはさまざまな理由を言い立てては両親からお金を引き出していました。

Aさんの母
「うそつき、本当うそつきだなあと。
1から10までずっと今までうそばかりつかれてきました。
(借金を)ずっと返してきたんです、もう1,000万円は超していると思う。
人生狂っていく、家族も。」

うそに気付いた両親はお金を渡すのをやめ、Aさんも入院治療を受けるなどパチンコをやめる努力をします。
しかし、衝動が収まらなかったAさん。
家財道具を勝手に質屋に入れて換金し、パチンコの資金にし始めます。

Aさんの父
「ゴルフクラブがない。
たまたま高いのを買った、それが消えている。
それから今度はパソコンがない、帰ってきたら。
下の息子がテレビもなくなるんじゃないって、まさかと思っていたらやっぱりテレビがない。」

Aさんの母
「もうびっくりした。」

Aさんは、もはや自分が異常な行動を取っていることが分からなくなっていました。
自宅に居づらくなり家を飛び出してしまいます。

Aさんの父
「(家を出て)1週間目ぐらいだったかな、結局もうお金がなくなったから裏口に立っていた。」

Aさんの母
「私が朝、裏から出たらびっくりして、裏に立っていた。
もう本当、自分の子どもじゃないみたい。」

入院していたAさんは、退院後、再び働き始め、少しずつ親に借金を返しています。
同じ悩みを抱える自助グループの仲間と共に回復を目指していますが、再発の不安と闘っています。

いったんギャンブルにのめり込むと、なぜやめられなくなるのか。
右側の画像は、一般の人の脳が周囲の刺激に対し、赤く活発に活動している様子を示しています。
一方、左側の依存症患者の脳では活動が低下しています。
ギャンブルにだけ過剰に反応するようになり、脳の機能のバランスが崩れてしまったのです。

京都大学大学院医学研究科 医師 鶴身孝介さん
「意志の問題で片づけられてしまいがちだが、脳にも明らかな変化が起きている。
(ギャンブル依存症の)影響は大きい。」


本人の資質の問題とされがちだったギャンブル依存症。
これを精神疾患と捉え本格的な治療を訴えてきたのが、精神科医の森山成彬(なりあきら)さんです。

精神科医 森山成彬さん
「なまやさしい病気じゃないんです。
ギャンブル障害になったら脳が変わる。」

森山さんは9年前、正確な実態を知ろうと、患者100人に対して日本で初めてのギャンブル依存症の調査を行いました。
平均的な姿は、20歳でギャンブルを始め、28歳で依存症の兆候である借金をし始めます。
ところが、病院で受診したのは10年余りあとの39歳。
周囲の人が依存症の兆候にいち早く気付き、本人に治療を受けさせることが重要ですが、見過ごされているのが実態です。
依存症患者がつぎ込んだ金額は平均1,293万円。
中には1億円を超えてもなおやめられない人もいました。

精神科医 森山成彬さん
「嗜癖(しへき)でたくあんになった脳みそは、二度と大根には戻らないと患者には言っている。
それぐらい残る、脳の変化が。
だから一生の闘い、治療と思った方がいい。」

本人だけでなく家族も巻き込むギャンブル依存症。
追いつめられた父親が、依存症の30代の息子を殺害するという事件が起きました。
父親の弁護士によれば、年金生活を送っていた父親は、このまま息子の金の無心が続けば将来の蓄えがなくなると不安を覚え、衝動的に犯行に及んだと語ったといいます。
息子は地元の自助グループに通い、回復を目指していました。
同じギャンブル依存症で悩む仲間たちと、体験を正直に語り合います。
これまで他人には話せなかった、借金で親に迷惑をかけた話をする仲間の姿を、息子は治療の励みにしていました。

自助グループのメンバー
「『自分はしゃべらなかったが、思いやりという言葉が非常に胸にきた』という電話があった。
ですからやっぱり本人なりに変えていこうとしていたと思う。」

そんな中、母親が体調を崩し、入院。
1人で息子を支えることになった父親は孤立感を深めていたといいます。

自助グループのメンバー
「家族、両親にとっても今まで我慢して限界だったということも、今まで理解しようとしてやってこられたことも重々分かる。」

父親は息子を殺害したあと遺書を書き、自殺を図ろうとしましたが、死にきれず車で夜の街をさまよっていたところを警察に発見されました。

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