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2014-12-15

『SHIROBAKO』 9話 副題、「何を伝えたかったんだと思う?」 に対するある一つの解釈

「もしかしたら俺、どんな時も人を信じるってことがやりたかったのかな。」 そう語る木下監督の言葉に思わず頷いてしまった9話のワンシーン。「何を伝えたかったんだと思う?」 などと意味深なサブタイトルを突き付けておきながら、こうも鮮やかでいて、真っ直ぐに切り返してくるその品性がまさしく 『SHIROBAKO』 の好きなところと言いますか。

辛いことは辛い。苦しいことは苦しいと正面切って理想だけを描かないところにこの作品の “リアリティ” は担保されている反面、それでも ”フィクション” という名の反語を投げ掛ける本作のスタンスは徹底して上を向いていたように思えました。

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それこそ本作を構成するカットの多くはキャラクターたちの目まぐるしい労働記を詳細に捉えながら、その表情に寄れば苦悶であったり、眉間に皺が刻まれたものであったりと、その大よそが辛さの滲み出るものになっていたりするのだから観ているこちらの息だって詰まりそうになるというもの。

むしろそれだけが映し出される (所謂、「アニメを創る」 ということの辛さだけを捉えた) 作品であったのなら、私自身、仕事から帰宅し早々に観るという選択肢さえ決して取ることのなかった作品にさえなっていたように思います。

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けれど、このアニメは決して苦悩に苛まれるだけの作品であろうとはしなかった。それは、5話に対しての6話が在り、7話に対しての8話が在るように、『SHIROBAKO』 はいつだってアニメに絶望して終わるのではなく、どんな逆境に立たされようと最終的にはアニメを信じその物語にピリオドを打っていたのだということ。

むしろだからこそ、私にはこの作品が凄く眩しく見えるし、羨ましくも思えると言いますか、ようは嬉しいことより嫌なことの方が圧倒的に多い 「働く」 という行為に対し、ただ一つでも “信じるもの” を見出すということが、どれだけ凄いことなのかってことなんですよね。

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勿論、2話で行われたような熱い議論が毎夜各スタジオで行われているなんていう妄想に耽るわけもなく、至る所から聞こえてくる事情を鑑みればそんなメルヘンな幻想も到底視ることは出来ないように思いますし、想像するに現実はもっと過酷でいて、厳しいところもあるのだとは思います。

けれど冒頭でも述べたように、これは現実に顕在する情熱をただ一つの方向に傾けた “リアル” に対し放つ “フィクション” という名のカウンターパンチであり、だからこそこの作品は声高に叫ぶのだと思うのです。「アニメーションってテンプレの代名詞か?違うだろ、命を吹き込むってことだろ...!」って。

決してリアルではないし、徹底したドキュメントとしては描かれない、フィクションとノンフィクションの狭間を突き進む作品 『SHIROBAKO』。でも、それで良いのだと私は思います。だって私は絶望するためにアニメを観ているわけではないのだから。アニメの疲弊し切った現場を覗くことを望んでいるわけでは決してないのだから。

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それこそアニメ制作の現場って大変なんだってことを知ることで得るものだってある筈ですし、色々と考えさせられる部分もあるのは事実です。それは否定したくないし、否定しちゃいけないことでもあると思います。

でもそれ以上にこの作品が描きたかったこと、「何を伝えたかったんだと思う?」 という問いに対し、私はきっぱりと一つの解釈を提示したいのです。それは紛うことなき 「情熱」 であると。「どんな時もアニメを信じる」 という、これは水島努監督の意思表明でもあるのではないか、と。

それこそ2話のあのシーンにおいて鳴り響いたあの劇伴は、同じく浜口史郎さんが手掛けた楽曲で言えば、間違いなく 『ガールズ&パンツァー』「戦車道アンセムです!」 の系譜。つまり、憶測に憶測を重ね語るのであればあのシーンはまさしく水島監督にとっての “アニメ道賛歌” そのものでもあったのではないかということ。

それも振り返れば、この物語の始まりを縁取ったのは彼女たち上山高校アニメーション同好会一同の原風景そのものでした。社会の厳しさを前に、想い出一つで耐え抜けなどという幻想に満ちた言葉を掛けるつもりは毛頭もありません。けれど、それでも窮地を耐え抜くために最後に必要となるものは、やはりあの日誓った想いの欠片なのかも知れないと。そう思わざるを得ない今作の作風を今一度、この9話には見せつけられたような気がしています。

「真っ白な想いに 夢の欠片を描いて 動き出す未来」 『SHIROBAKO』 が伝えたかったことって、つまりはそういうことなのでしょう。

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