[PR]

 野党第1党にとどまった民主党だが、衆院選で2回連続して、自民党に大きく水をあけられた。小選挙区制のもと、民主党が政策を明確にし、選挙の足腰も強化できるかが、政治に緊張感を生み、二大政党制が機能するかどうかのカギになる。

 「国民の『安倍政権を何とかしてほしい』という声が強かったと思うが、議席につなげることができなかったことは反省しないといけない」。海江田万里代表は15日未明の会見で、自民党に代わる選択肢になり得なかったことを認めた。

 また海江田氏は14日夜のテレビ朝日の番組で、「やはりアベノミクスもこれから非常に危うくなっていく」と述べ、改めて安倍政権の経済政策を批判した。しかし、民主党ならどうするかという対案は具体的に示せなかった。さらに、維新の党との選挙協力を進めたことで、野党の中の民主党の存在感は一層希薄になってしまった。

 安倍首相が「この道しかない」とアベノミクスの継続を訴える中、民主党はどういった社会をめざし、そのためにどんな政策を打つのか、まず明確にすることが必要だ。

 一つのヒントは、小沢一郎元代表(現・生活の党代表)や菅直人元首相が手本とした英国・労働党の歴史にありそうだ。

 1979年に誕生した保守党のサッチャー政権は、公的機関を民営化し、市場原理に任せる「小さい政府」路線を取った。一方、労働党は党内の右派と左派の抗争に明け暮れ、党内バランスを重視した党首を選ぶなどして、選挙で負け続けた。

 しかし、94年に41歳で党首になったトニー・ブレア氏は労働党の「大きな政府」路線を転換。規制緩和を進めて経済成長を促す保守党の路線を継続しつつ、その恩恵を、労働党の理念に沿って貧富の格差解消や医療など福祉の充実に回す「第3の道」を打ち出した。こうした改革で97年に18年ぶりとなる政権交代を成し遂げ、その後、労働党は約13年間、政権を維持した。

 明確な政策理念だけでなく、体質改善も課題だ。

 民主党は次の衆院選に向け、「ほとんどの選挙区で野党第1党として選択肢を示す」(枝野幸男幹事長)方針だ。今回の衆院選では当初、小選挙区の候補者は130人程度だった。最終的に178人まで増やしたが、自民党に比べて地域への浸透度合いは小さい。今回の選挙戦では、大規模な駅前での街頭演説などを増やす「ターミナル駅作戦」を展開したが、「風頼み」の体質からも脱しきれていない。

 自民党は09年の野党転落後、公募や派閥単位で候補者探しを進め、地道に選挙準備を重ねた。官邸幹部は「自民党は新顔に700万円を援助した」と明かし、民主党について「若くてやる気もある人材を大事にしていない」と指摘する。

 今回の衆院選では、維新との選挙協力を理由に選挙区を強引に動かしたり、候補者をころころ代えたりする例も目立った。選挙区で粘り強く有権者と向き合う候補者育成も急務だ。(渡辺哲哉)