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 下野から2年、民主党の議席は増えた。だが、政権批判票を共産党に奪われるなど、有権者の信頼を取り戻せていない実情も浮き彫りになった。

 民主党の枝野幸男幹事長は14日のTBSの番組で「国民の信頼をいただくには、党を再建して不信を払拭(ふっしょく)できるような構造にしないといけない」と反省の弁を述べた。党本部の開票センターでは、当選者へのバラつけを党幹部ではなく、職員が行うなど、沈痛なムードに包まれた。朝日新聞が2、3両日に行った世論調査では「自民党に対抗できる政党として期待できる党」について「特にない」が41%、民主党はわずか20%だった。

 原因の一つは、政策で政権に代わる選択肢を示せなかったことだ。

 マニフェストでは中低所得層を重視し、「厚く、豊かな中間層を復活させる」と明記。アベノミクスを「格差を広げる政策だ」と批判した。しかし、「政権を一度担当した以上、いい加減な政策は打ち出せない」(党幹部)として、あるべき社会や経済政策について踏み込めなかった。政権交代した2009年のように、数値目標や財源を明記したマニフェストも作れず、具体的な経済指標を駆使して実績を誇った首相の戦略に対抗できなかった。

 さらに、党内の意見対立が解消できていないことも響いた。

 集団的自衛権の行使容認について、マニフェストでは「閣議決定は立憲主義に反するため撤回を求める」としたが、肝心の行使の是非には踏み込まなかった。原発政策についても、菅直人元首相ら再稼働に反対するグループと再稼働を容認する勢力に分かれ、どっちつかずの印象がぬぐえなかった。

 党内には、有権者に強いメッセージを伝える党首力でも劣ったとの指摘もある。

 下野後、岡田克也代表代行や前原誠司元代表ら、「6人衆」と呼ばれる有力議員が政権転落の責任を問われる中、海江田万里代表は「ピンチヒッター」(党幹部)として選ばれた。春ごろから「海江田代表では選挙を戦えない」との声が上がり、一部議員による「海江田降ろし」の動きもあったことで、こうしたイメージが内外に拡大。安定した支持率を維持する安倍首相に対抗できなかった。

 結局、海江田氏は2回連続で小選挙区で落選。比例区でも復活できず、代表辞任は不可避となった。今週中にも代表選を実施して後任を選ぶ見通しで、後任には岡田氏や細野豪志元幹事長の名前が挙がっている。

 党内が政策やリーダーで求心力を欠く中、衆院選の態勢作りも中途半端に終わった。

 下野後、低迷する党勢を反映し、民主党が最終的に擁立した候補者は過半数に満たない198人。党結成以来最少だった。

 海江田氏は当初、目標議席を「3けたの議席」に置き、無理な擁立を避ける方針だった。ところが、空白区が100を超える見通しになると、地方組織から「比例票を掘り起こせない」との不満が噴出。公示直前には、駆け込みで維新の党などと候補者の一本化を図ったが、政策のすり合わせが不十分で、互いの組織も協力し合うまでに至らなかった。

 枝野氏は14日の日本テレビの番組で「残念ながら準備不足の側面があったのは間違いない」と認めた。

 こうした民主党の実情は、自民党の二階俊博総務会長から「試合放棄をしているようなものだ。(敵として)手応えがない」と酷評されるほどだった。(渡辺哲哉)